HOME>>>日本語エリア>>>『中国史のなかの日本像』目録
| 第一節 先行研究について |
このような流動的な日本像の変遷史は、これまでにどう究明されてきたのか。先行研究を紹介しながら、本書の採る視座をあわせて提示したい。
(1)先行研究といえば、石原道博氏のすぐれた業績がまず思いだされる。氏は文部省科学研究費による「中国における日本観の展開」の研究成果を『茨城大学文理学部紀要(人文科学)』第一号以下につぎつぎと公表している。
石原道博氏は日中交渉史を、①隋代以前②唐宋時代③元明時代④清代⑤中華民国時代の五つにわけて、それぞれの時期の日本観の特徴を要領よくまとめている。やや長文であるが、その要旨を引用しておく。
①隋代以前の日本観はいわばその端緒的形態であつて、中国人の使者の見聞ないし存候存問といったようなものが日本観の根柢をなしていた。
②唐より五代をへて宋になると、平和的な日華交通のさかんになるとともにその日本観も一だんと飛躍し、伝統的な藩属国ないし附庸国としての東夷観より脱却することはできなかったが、すこぶる同情友好的となりいわば善隣的日本観の展開した時代であった。
③それが元代になると入元使者・僧らの質的低下のうえに、一方では元寇あり、つぎの明代になると倭寇の患害はいよいよはげしくなり加うるに万暦朝鮮の役あり、その日本観は一転して日本を狡詐残暴として寇賊・仇敵視さえする憎悪と恐怖をふくんだ畏悪戦闘的日本観が展開されるようになった。(中略)
④清代においては日清戦争をさかいとしてその前後の日本観に相違をみとめるが、さきに元寇・倭寇・朝鮮の役などが日本観の悪化に拍車をかけていたのにたいし、日清戦争はこれと反対に戦後は対日悪感情がほとんど払拭され、留日学生は陸続として来朝し、日露戦争後はいわば恋愛的日本観ともいうべき傾向をしめし対日感情の好転はその最高潮にたっした。ただしその背後にはヨーロツパ文明輸入の便宜的・間接的手段とかんがえていたことも否むわけにはゆかない。
⑤はじめ孫文らの中国革命をひそかに応援していた日本が、やがて袁世凱以下の反革命運動と気脈をつうずるようになると、中国人の対日感情はふたたび急激に悪化しはじめた。
中国における日本観は、このように時代の潮流に揺さぶられながら、今日にまで至っている。そして、辛亥革命(一九一一年)以前の日本観を右のごとく五つの時期にわけることは、その変遷起伏の軌跡を明晰にとらえ、まことに正鵠を射ていると思われる。
しかし、中国人の日本観はあくまでも中国人の世界認識の一部分であり、また歴史的に蓄積しつつ形成したものである。石原道博氏の研究は、中国人の世界観をあまり視野におさめておらず、各時代の日本観の継承関係にも充分な配慮を払っていないのが白玉の微瑕と惜しまれる。
(2)日本側の先行研究として、伊東昭雄ほか著『中国人の日本人観100年史』も注目に値するものである。本書は一九七四年六月に自由国民社より上梓され、明治以後の中国人のもつ日本人観をきめ細かく分析し、また重要と思われる基本史料をそれぞれ日本語に翻訳してかかげている。読者にとってたいへん便利な基礎文献のひとつである。
ただし書名に示されているように、内容は百年の歴史しか扱っておらず、日本像の形成変化の長い歴史からみれば、あたかも一コマの静止画像のごとく、綿密さが充分だが、歴史を息づかせるような躍動感はあまり感じられない。
(3)一九八九年八月に「東アジアのなかの日本歴史」シリーズの一冊として、六興出版から刊行された『中国人の日本研究史』は、武安隆と熊達雲の二氏による日本語の労作だが、中国人学者としては、このテーマを扱った処女作だったと思われる。本書は「研究史」と銘打ってはいるものの、中国人の日本観の叙述に大半の紙幅を割いている。
もし石原道博氏の研究は明代以前に詳しいとすれば、本書は明代以後において膨大な史料を駆使し、前人未踏の分野にまで踏みこんでいる。叙述はいささか簡略にすぎる憾みがあるが、後学の抜けて通れない先駆的な名著であると評価してよかろう。
(4)石暁軍博士の『中日両国相互認識的変遷』は、一九九二年一二月に台湾商務印書館から出されている。本書は中国人の日本観だけでなく、それを日本人の中国観と対比しつつ、相乗的に形成される相手国像を動的に捉えているのが特徴である。
時代的には縄文から大正までをカバーし、しかも中国と日本の両方にせわしく目を配らなければならないためか、日本像の系譜の叙述は連関性を欠き、また日本像と中国像の内的関連についても、しかるべき考察と議論とが足りない嫌いがある。
(5)アメリカの中国研究の碩学であるアレン・S・ホワイティング博士のChina
Eyes Japanは、一九八九年に世に問われると、たちまち欧米で好評を博し、多くの読者を獲得した。一九九三年、岡部達味教授による日本語訳『中国人の日本観』が岩波書店から出され、一九九九年さらに岩波現代文庫にも収録されている。
本書が大きく注目されるのは、第三者の観察という希少価値があるのみならず、われわれが日常生活のなかで実感している現在の日本像を冷徹に分析しているところにも原因があるように思われる。