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日本と中国の間には古来、「ブックロード」が通じていたと、自説を交えて説く。2000年来の日中文化交流史の秘密の謎解きに挑んでいる。
生まれ育った浙江省は古代の中日交流の最盛期を彩った遣隋使・遣唐使の多くが中国に第一歩を踏んだところ。中日交流史への関心を深めたのは「風土の賜物」と言って憚らない。遣隋・遣唐使をつぶさに調べ上げて、多量の本を持ち帰り、文化輸入の使命感に燃えた古代日本人の実像を浮かび上がらせた。航行技術が未熟だった当時、先進文明を取り入れるために、生還率が5,6割という危険を覚悟して往来したことを数字で裏付けて「日本の遣唐使は世界史上でも類をみない文化使節団だった」と言い切る。
古代日本は中国に文献を求めた。仏典にとどまらず、医学関係、字典類、占いと幅広い。平安中期の『日本国見在書目録』にある1万7000冊のほとんどが中国から渡ってきたものであろうと、王勇は言う。治乱興亡激しい中国で散逸した書物が日本で発見される例が多い。「日本文化は保存を優先的に考える文化です」とも言う。シルクロードは中国から東に重心があるが、ブックロードは日本との間に敷かれた専用道と説く。
56年生まれでまだ40代。北京日本学研究センター大学院を卒業した気鋭の知日派だ。中国日本史学会副会長の要職にあり、浙江大学日本文化研究所長・教授を務める。教え子を日本に送って研修させるかたわら、本人もたびたび日本を訪れている。2000年春から2年間在日して、国立国文学研究資料館の客員教授に、筑波大学や拓殖大学で、また大阪の帝塚山学院などでも教壇に立った。
鑑真を日本に駆り立てた新説は注目されている。聖徳太子が6世紀の南朝の名僧、天台宗開祖の
慧
思
の生まれ変わりとする伝承を信じて、その生地を訪ねるためであったという説である。中国に逆渡来した太子の著『法華経
義
疏
』『
勝
鬘
経
義疏』が鑑真に太子の生まれ変わりを信じさせるに十分だったという。このように、中国の視座で新しい日中交流史にこれからも新風を吹き込むであろう。来日の機会あるごとに、図書館に通うなど、日本の文献に直接当たり、資料収集に努める。日本の学会にも参加して交流を怠らない。多忙な中で著作も多く、自らブックロードの申し子ともいうべき存在になりつつある。
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