『水滸伝』のテキスト

王　勇

一、巻と章と回

　水滸物語は、南宋のころ史実から伝説へと脱皮するが、小説の体裁を整えるには、絵画や戯曲などから養分を吸いとり、長い歳月がかかって、多くの人びとに手を加えられた。こうした複雑な生い立ちを象徴するかのように、今に伝わる『水滸伝』のテキストは多様多彩であり、専門家にとっても頭を悩ますタネとなっている。

　書物のテキストといえば、堅苦しい版本の考証がイメージされがちであるが、これらの仕事はこの道の学者に任せるがよいとして、ここでは物語の相違を把握するために、おおよその流れをおさえるにとどめておく。

　われわれは書物を数えるときに、今でも「巻」という文字をよく用いる。その起源はきわめて古く、細長い木簡（竹簡）を紙代わりに使用する時代、前後の順番を間違えないように、木簡の両端に紐を通して巻いておくものを「巻」で数えるのがその始まりである。

紙の時代になっても一纏まりの書き物は巻いた状態で保存するから、世に「巻子本」と呼ばれる。そして、印刷術の発明とともに冊子本が大いに流行するが、巻の呼び名はなおも息を潜めそうにない。

巻は、その起源からわかるように、もとより書物の外見上の完結を意味するもので、冊子本一冊にあたり一巻というのが普通である。これに対して、内容的にある程度完結したものを「章」と称する。一巻につき一章の場合も数章の場合もある。

ところが、白話小説は多く講談から生まれたもので、仮想の聴衆を意識した文学とされる。全体のテーマをいくつかのストーリに区切って語り、最後には「後事を知りたければ、次回をお楽しみに」ときまって言い残す。それゆえに、『水滸伝』は、章にあたるものを「回」と呼びならわし、「章回小説」とも称され、講談の面影をとどめている。

二、簡本と繁本

　巻と章と回の関連を簡単に述べておいて、『水滸伝』諸本の相違に話を進めていこう。

『水滸伝』の著者については、施耐庵とも羅貫中とも推定され、また二人は宋人とも元人とも明人とも言われ、いまだに定かでないが、現存する『水滸伝』のテキストはすべて明代のものである。

その数は残欠本を入れると、数十種類にのぼるけれど、魯迅の『中国小説史略』にしたがえば、繁本と簡本の二系列に大別することができる。その代表的なものを紹介しよう。

まずは繁本についてみると、百巻百回本には『李卓吾先生批評忠義水滸伝』（一六一〇年刊）がある。それは、李卓吾という文人が先行の『忠義水滸伝』に評語をつけくわえたもので、容與堂本とも呼ばれる。七十回本は『第五才子書施耐庵水滸伝』というが、明末の金聖嘆によって後半を削除され、清代より以来もっとも流行ったものである。

つぎに簡本に目を転じてみると、『新刊京本全像挿増忠義水滸伝』（推定二十五巻、一二〇回）と『京本増補校正全像忠義水滸志伝評林』（二十五巻、一〇二回）とがあり、『三国志演義』と合刻して『英雄譜』と別称される『水滸全伝』（二十巻、一一〇回）もある。

繁本と簡本はやや厄介な関係にあるが、字面につられて前者はボリュームが多く、後者は内容が少ないと早合点されては困る。回数からいうと、繁本を代表するのは七十回本、簡本の看板は一二〇回ということになるから、むしろ簡本のほうが繁本よりもストーリを複雑にしている。

概していえば、繁本とはきめ細かな描写が特徴で、「文繁事簡本」とも呼ばれる。対して簡本とは表現を簡素にしたもので、「文簡事繁本」と名づけられるゆえんである。

三、金聖嘆と楊定見

　繁本は中国人に好まれ、簡本は日本人に受けるとよくいわれる。それは両本の相違によって中日国民の読書嗜好があらわになった例である。

　『水滸伝』諸本のうち、元末明初の成立と推定される百回本『忠義水滸伝』がもっとも古く、そこから七十回本（繁本）と百二十回本（簡本）とが派生したと考えるのは、ほぼ学界の定説となっている。

百回本は、天�奘星三十六と地�幅星七十二が封印を解かれたのを皮切りに、七十一回までを一〇八人の豪傑がいろいろな経路をたどって梁山泊に勢ぞろいする物語に割りあて、それより以後は宋江らが朝廷に帰順し、方臘の討伐と姦臣の讒言によって、つぎつぎと悲惨な最期を遂げる筋書きへと一転する。

明末清初、金聖嘆という田舎学者は、こうした『水滸伝』の結末に不満を懐き、豪傑らが一堂に会して席次を決める七十一回で切り、第一回を楔子（導入部）とし、随所に辛らつな評語を加えた『第五才子書施耐庵水滸伝』を世に問わせた。

かたや同じころ楊定見という好事者は、宋江らが朝廷に帰順してからの物語になおも物足りなさを感じ、淮西の王慶と河北の田虎を征討するストーリ二十回分をあらたに挿入し、それも個性的な評語をつけた『新刊京本全像挿増忠義水滸伝』を世に送った。

　金聖嘆の節略本が中国の民衆に迎えられた理由は、いろいろ考えられる。まずは水滸英雄らが惨めな末路をたどらなかった点を挙げることができる。ここに中国人の喜劇好みの性格がよく現われているのではないか。次に書名を「忠義」を取ったことが満族の支配下にあった漢民族の反体制的な感情に合致したという点を指摘できよう。

ちなみに「才子書」とは梁啓超の『小説叢話』によれば、「自ら一家の言を成し、別に生面を開き、人の門戸に傍らず、また賢聖の書とも別なる」意味である。

楊定見の増補本が日本人に受ける理由は、悲劇的な英雄を好む風土によるものか、それとも天皇への「忠義」を優先する英雄観によるものか、読者のみなさんに教えてほしいところである。