「武松之墓」を尋ねて

王　勇

一、六和塔

　南宋の都 臨安 ( りんあん ) 、今の杭州は「上は天堂あり、下は蘇杭あり」といわれ、蘇州と並び称される中国屈指の観光地である。

　杭州の見どころといえば、まず古代の美女こと西施にちなんだ西湖（西子湖とも）を挙げなければならないが、それに次いで有名なのは 銭塘江 ( せんとうこう ) の大逆流である。「逆流や覇気森々と大地鳴る」とは筆者の駄句だが、毎年旧暦の八月十五日前後にその壮観ぶりを眺めようと数万人が沿岸に集まり、地鳴りのごとき潮音とともに歓声を挙げるという。

　銭塘江の鉄橋あたりは、今こそ観潮の名所となっているが、昔は逆流の通過する狭所として、もっとも危険視される場所であった。そこで、水害を鎮めるために木造の 六和塔 ( ろくわとう ) が建てられたのである。

　小高い丘に造られた六和塔を中心に、大きな 伽藍 ( がらん ) を構えた六和寺は、南宋時代には臨安城の北に位置する門戸である。宋江率いる水滸英雄は、 方臘 ( ほうろう ) らの反乱軍を征伐して皇城に 凱旋 ( がいせん ) する際に、ここで駐屯して入城の勅旨を待っていた。

　その夜、幾度の激戦をへて梁山泊軍はすでに多くの勇将を失い、生き残った三十六名も極度の疲労困憊におちいり、たちまち熟睡に入った。ところが、夜中にいきなり凄まじい戦鼓の音が聞こえ、魯智深は「また戦闘か」と禅杖を手繰って跳ねあがると、同室の寺僧は笑って言った。

　「これは戦鼓の音ではなく、銭塘江の潮信の響きだよ。」

　この日はまさに八月十五日、夜中に大逆流がここを通過することになっていた。寺僧の説明を聞きながら、魯智深はふと師智真から聞いた 偈句 ( げく ) を脳裏に浮かんできた。「夏に逢って擒り、臘に遇って執る。潮を聴いて円し、信を見て寂す」と。

夏侯成と方臘を生き捕りにしたのは前半の験だとすれば、後半はここで円寂する意味か。魯智深はそう悟って、「平生は善果を修めず、ただ殺人と放火を愛む云々」の遺書を残して、息を引き取ったという。

二、水滸余話

　魯智深の遺体は『水滸伝』に「六和塔の後ろに焼化す」とあり、僧侶のしきたりに従って処理された。杭州では、魯智深にまつわる民間伝説は少なくないが、その墓があった伝承を聞かない。人々は六和塔に来て魯智深を偲び、こここそ僧侶の墓として一番ふさわしいと思っているのかもしれない。

さて、魯智深の死をもっとも悼んだのは、おそらく武松その人であろう。この二人は名コンビを組んで、梁山泊の歩兵の中心的な存在として活躍していた。入城の勅旨が降りたとき、武松は朝廷から賜わった「金銀賞賜」をことどとく六和寺に喜捨して、宋江らとの同行をしぶった。

『水滸伝』第百十九回「魯智深は浙江に坐化し、宋公明は衣錦して郷に還る」には、「武松これより六和寺に出家して、のち八十に至って善終す」と記している。小説における武松の物語はこれで終わったが、杭州という町では水滸物語はさかんに語りつがれているうちに、多くの余話が生まれてきたのである。

『水滸伝』の成書より前に、杭州では水滸物語がかなり流布していたらしい。南宋の 羅�奮 ( らよう ) の著わした『 酔翁談録 ( すいおうだんろく ) 』によれば、「青面獣」「花和尚」「武行者」「石頭孫立」の短編がすでに語られていたという。

当時、講談を職業とする人は「才人」と呼ばれ、その組織を「書会」と称する。その台本のひとつ『 大宋宣和遺事 ( だいそうせんないじ ) 』が、のちに『水滸伝』の骨格をなしたことはいうまでもない。そして『水滸伝』が世に問われると、水滸物語を専門とする講談芸人が輩出し、清朝の終わりには周錦坤・張雲樵・秦少雲、民国の初めには王春�緝・胡国良・張錦鵬、現代には郭君明・茅賽雲・王永卿といった名人は、地元の伝承を取りいれて物語を敷衍し、それぞれ一世を風靡した。

その中から生まれてきた余話のひとつは、武松の墓である。

三、武松の墓

　杭州に晩年を送った武松のゆくえは知られていないが、西湖のほとりにその墓があったのは確かである。西湖といえば、芭蕉の名句「象潟や雨に西子がねぶの花」を思い出す人も多かろうが、武松の墓を知る人はどれほどいるか。

　今から七十年ほど前、上海に絶大な勢力を張った青紅�辞の頭領 杜月笙 ( とげつしょう ) は 虞洽卿 ( ぐこうけい ) らと計らって、西湖のほとり、つまり今の 秋瑾 ( しゅうきん ) 墓の隣りに武松の墓を造り、その前に「宋義士武松之墓」を刻んだ石碑を立てた。

　もとより青紅�辞は、清代に異民族の支配を覆そうとして勢力を張った秘密結社である。社員たちは義気を重んじる梁山好漢らをこよなく愛し、『水滸伝』の基本知識を「梁山泊詩句」に組みいれて習得していた。たとえば、次のような問答である。

「梁山の高さと広さは如何ほど、周囲は何里ぐらい？」

　「高さは三十六丈ほど、周囲はおよそ八百里ぐらい。」

　かの虎退治や兄の仇討ちなどで大暴れしていた硬骨漢武松は、杭州の庶民から慕われ、英雄を偲ぶ場として、その墓を求められつづけた。それに拍車をかけたのは、文人の野史随筆である。

清代の朱梅叔は、その著『埋憂集』に「江浙の人が地を掘れば、石碣を得る。題して『武松之墓』という」と記している。同時代の陸次雲の『 湖�誇雑記 ( こぜんざっき ) 』にも類似な記録がみえる。

伝説から伝説が生まれていくと、周恒之の著わした『西湖茶余録』は、石碣の真実性を裏づけるために、「石碣をすでに得れば、武松はまさにその付近に葬らるべし。ここに四周を深く掘れば、一巨人の 髑髏 ( どくろ ) を獲る。左の臂を欠き、蓋し必ずや武松なり」と話を膨らませていく。

武松が水城を攻めるとき、左腕を失ったことは『水滸伝』に書かれている。しかし、それにもしても、『埋憂集』や『西湖茶余録』の記事はそのまま信じるに足りない。中国の墓制によれば、死者の官職・身分・生没年を明記するのが慣わしであり、「義士」と記すのはしきたりに背く。また出家した武松の墓には、官職よりも法号をつけるのが普通である。ましてや火葬が盛んになった宋代では、僧侶の土葬は珍しい。

以上のように、杜月笙らの建造した武松の墓は、おそらく清代以来の巷説に基づいたものであろう。それでも、水滸愛好者として、筆者はニセモノの「武松之墓」を突き止めようと、何度か現地を踏査したが、立派に聳え立った秋瑾墓の周辺には、その痕跡さえ残っていない。あるいは虚構化された英雄の安息すべきところは、人々の想像のなかにあるかもしれない。