コミックマーケット

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コミケ から転送)
コミックマーケット参加者の入場待機列(東京国際展示場西館付近にて撮影)
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コミックマーケット参加者の入場待機列(東京国際展示場西館付近にて撮影)

コミックマーケット(Comic Market)は、コミックマーケット準備会が主催する日本最大の同人誌即売会漫画アニメが主体ではあるが、あらゆるジャンルを対象としており、多種多様な同人愛好家が自作の物品を展示即売し交流する。略称でコミケット(Comiket)あるいはコミケ(Comike)と呼ぶのが一般的である。当初は、コミック=マーケットと表記した。

現在は年に2回、8月半ばと12月下旬に、東京国際展示場(東京ビッグサイト)で開催され、それぞれ夏コミ冬コミと 呼ばれている。一般参加者の入場は無料であるが、予め書店・専門店で販売される「コミックマーケットカタログ」を購入し、諸注意事項を事前に注意深く読む よう準備会は呼びかけている。(開催当日に会場での購入も可能。)また、このカタログの販売収入は会場運営費の一部に充てられている。

また、コミックマーケットが特に有名となったため、似通った形態の同人誌即売会を指す普通名詞として慣習的にコミケが用いられるようになった。いわば「サランラップ」「ホッチキス」のようなものである。このような用法に抵抗を感じる人も少なく無いが、「漫画・アニメを主体とした同人誌の即売会」を表す適切な普通名詞が今なお存在しないのも事実である。なお、「コミックマーケット」、「コミケット」、「コミケ」はいずれも有限会社コミケットが1998年に登録した登録商標である。

目次

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概要

コミックマーケットは、もともとアマチュア作家の同人誌即売会であった。

しかし規模が大きくなるに連れ、プロ作 家の個人としての参加、参加していたアマチュアのプロデビュー、さらにはアマチュアながら大部数を販売(同人誌においては「頒布」と呼ぶべきとされる)す ることの出来る言わば「セミプロ」が現れるなどといったことが一般化し、アマチュアとプロとの境は曖昧なものとなっていった。さらに、同人誌即売には向か ないビッグサイト西地区4階を関連業種の企業にブースとして提供するようになり、販売・プロモーション市場調査の場としてコミックマーケットが利用されるようになった。

また漫画・アニメ・ゲーム以外の大衆音楽アイドルグループのファン同人誌や、ゴスロリ服の販売、同人ハードウェア、人形作家による人形の販売など、そのほかに教師看護師の日常が描かれたもの、また、ガーデニング紅茶の愛好家による同人誌まで、現代日本のさまざまなサブカルチャーが集う場となっている。

規模においては「スーパーコミックシティ」など、コミックマーケットに迫る規模の同人誌即売会も 存在するが、それらと比してコミックマーケットは別格の存在とされており、同人誌サークルの年間スケジュールは、多くがコミックマーケットの開催を基準に して決められている。また、コミックマーケットにしかサークル参加しないというサークルも多数存在する。参加者にとっても、特に東京方面以外の在住者には コミックマーケットに参加するということは特別の意味合いを持っており、若年層においては憧れとして語られ、社会人にとっては休暇と賞与の最大の使途とま で言われる。
その理由は、他の大規模即売会には見られない参加サークルの内容の多様さである。他の大規模即売会参加サークルのほとんどがその時点での流行ジャンルであ るのに対し、コミックマーケットでは、他の即売会ではほとんど見られないマイナー作品・ジャンルのサークルが数多く参加している。それらのジャンル・作品 愛好者にとっての唯一の作品発表・入手・交流の場となっているとともに、それ以外の参加者にとっても普段出会えない作品との出会いの場となっている。

参加者の年齢層も様々で下は小学生、上は70歳を越える老人まで幅広いが、高校生から30代ぐらいまでが主要な参加者層となっている(義務教育修了年齢に達するまで、サークル・スタッフ参加はできない)。また近年では海外(特にアジア、欧米)からの参加者も増加し、購入する側だけではなく販売する側にまわる者も現れはじめた。

コミックマーケットの規模は回を重ねるごとに大きくなってきている。例えば、2004年夏に行われたコミックマーケット66の公式記録によれば、3 日間東京国際展示場を借り切って、販売者3万5000サークル、参加者のべ51万人にのぼった。販売側のサークルに提供するブース(「スペース」という単 位で呼ばれる)は極端に不足しており、一部の大手などを除いて抽選によって応募のおよそ半数が選ばれている。

参加者について

コミックマーケットでは、自ら同人誌を発行しない、購入のためだけに来る者(いわゆる「買い専」)を含め、すべて参加者と呼ぶ。参加者は対等であり、「お客様」は存在しないとの理念からである。主な区分は以下の通りである。

  • サークル参加者 サークルとして参加し、同人誌などを頒布する参加者。
  • 委託参加者 スペース取得に落選した、遠すぎて直参できないなどの理由で、コミックマーケット準備会または他サークルに委託頒布してもらう参加者。
  • 企業参加者 企業スペースより参加する法人・各種団体。また、営利目的の取材も含む。
  • コスプレ参加者 コスチューム・プレイを行う参加者。登録制。
  • スタッフ参加者 コミックマーケット準備会のスタッフとして参加し、各種作業を行う参加者。その忙しさは「まさに地獄!!」とスタッフ募集で紹介されたことがあるほど。ボランティアだが、弁当など飲食物とサークル参加申込書が支給される。また、サークル参加の抽選で有利になるといわれる。
  • 一般参加者 上記に当てはまらない参加者。唯一、参加の事前申請・登録いずれも不要。

歴史

コミックマーケットの歴史は、同時に開催場所移転の歴史でもある。以下にそれを追ってゆく。

日本消防会館会議室

第1回のコミックマーケットは1975年12月21日、漫画批評集団「迷宮」主催の下、東京・虎の門の日本消防会館会議室において、参加サークル32(ただし委託・展示サークルがほぼ半数)、参加者約700名で開催された。SF大会を 模して開催された「日本漫画大会」や、流行の端境期に直面していた旧来の漫画への反発が開催の主な要因とされる。また、「日本漫画大会」を批判したサーク ルが参加を拒否された事件があったことから、「迷宮」はこれを告発するとともに、コミックマーケットでは批判者を排斥しない理念が形作られることになっ た。そして、「日本漫画大会」や「マンガフェスティバル」などではイベントの一つであった同人誌即売会を独立させ、「ファンによるファンのためのファンに よるイベント」を目標にした。

開催前日には合宿も行われ、アニメソングが高歌放吟されたという、SF大会の影響の濃いものだったらしい。また、参加サークルの半分近くを学漫(学校内クラブ活動としての漫画研究会)が占め、萩尾望都作品を中心とした少女漫画ファンクラブがそれに次いだ。主催者によると、入場者の9割余を「中・高校生の少女まんがファンを中心とした女子」(コミックマーケット準備会『コミックマーケット30'sファイル』)が占めたという。

この第1回以降、春・夏・冬の学校の休みに合わせて、年3回のコミックマーケット開催が定着する。なお、「迷宮」とコミックマーケットはその後分離 した。しかし、現在でも「迷宮」はサークル参加での永久スペース取得権を有している。帳簿上、コミックマーケット準備会は「迷宮」からの借金が残ったまま になっており、その代償という形を取っているという。

板橋産業連合会館から都内各産業会館

1976年には第2回から第4回の春・夏・冬コミが板橋産業連合会館で開催される。この頃はまだ参加サークルは100に満たない状態だった。だが、1977年第5回に大田区産業会館に移った頃から入場待ちの行列ができるようになっていく。途中、四谷公会堂と東京都立産業会館・台東館を1度ずつ使用したものの、結局1979年いっぱいまで同館の使用は続き、同館最後の第13回では、参加サークル300弱、参加者約4,000人と、コミックマーケットは確実に大きくなっていった。また、参加サークルにおける学漫の占める率は低下し、オリジナルの創作系が増えていった。また『宇宙戦艦ヤマト』などアニメのファンサークルの参加も目立ちだす。

川崎市民プラザから横浜産貿ホール

1980年から1981年にかけて川崎市民プラザで4回開催されたコミックマーケットは、参加サークル350~400、参加者約7,000人規模で推移するが、すぐに会場が手狭となり、第18回では横浜産貿ホールを2日間使用し、ついに参加サークルは500、参加者は1万人を突破する。この時期、『うる星やつら』のファンサークルが激増、ロリコンブームと相まって、現在の男性向創作分野の基礎が作られる。「シベール」の行列が館外に作られ、今の壁サークルの走りとなったのもこの時期である。

晴海(1期)

1981年の冬コミである第19回は、当初川崎市民プラザで開催される予定であった。しかしそこに分裂騒動が起こり、コミケット準備会は望まぬままに晴海国際貿易センター(通称晴海)の使用に踏み切った(分裂した側は「新・コミックマーケット」を名乗り、後に「コミックスクウェア」と改称した。しかしいつまで続いたのかは不明である。また、2005年現在、現存する同人誌即売会の「コミックスクエア」とは無関係である)。

以後、コミックマーケットは6年間に渡って晴海に落ち著く。その間、参加サークル、参加者数共に増大を続け、1983年冬コミの第22回において参加サークルは1,000を越え、第一期晴海時代の最後の開催である第30回には3,900サークル、約35,000人が参加するに至る。また、この間に1983年を最後に春コミが廃止された(後に一度だけ開催される)。この間、1985年ころから『キャプテン翼』(『C翼』と略された)が女性サークルに絶大な人気を呼び、作品を題材にしたいわゆる「やおい」サークルが増加。男性参加者が圧倒的に多かった川崎市民プラザ時代に対し、女性参加者を大きく増やすこととなった。1983年よりスタッフに加わった岩田次夫は、『キャプテン翼』ブームが少女漫画再生の鍵になると見て、やおいサークルを激賞。『キャプテン翼』そのものは少年漫画であり、にもかかわらず女性がほとんどを占めたことが同人サークルの特異性である(少年漫画サークルが女性中心の傾向は現在でも変わっておらず、むしろ出版者側も利用する動きがある)。また、岩田はサークル情報などの事務管理のコンピュータ化を企画・実行し、急激な膨張に対応した。これは、参加可能なサークル数を増やすことで、人材育成を進める狙いもあったという。

東京流通センター

晴海会場の確保が困難になったため、1986年冬の第31回から翌冬の第33回まで、東京流通センター(TRC)を使用した。会場面積の減少を補うため2日間開催を実施。この間、4,400サークル、4~6万の参加者を獲得した。また、ジャンル別にサークルを割り振る、ジャンルコードが導入された。

晴海(2期)

TRCでの2日開催でも人員を収容しきれなくなったコミックマーケットは、翌1988年の第34回より晴海に戻ることになった。この時期に至って事務管理のコンピュータ化が確立し、第34回では倍以上の9,200サークルを参加させることができた。この間も会場確保は困難を極め、1988年冬の予定だった第35回開催に至ってはついに確保できず、翌1989年3月に行われた。また、1989年夏の第36回では、サークル数1万、参加者数は10万人の大台に乗った。

第36回の直前、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件被疑者が逮捕された。被疑者は「おたく」 であり、コミックマーケットにサークル参加予定であったことから、「おたく」叩きの一環として、コミックマーケットにも非難の手が及んだ。コミックマー ケット参加者を「ここに10万人の○○(被疑者の名)がいます!」と非難した報道もあった。皮肉にもこの事件が、コミックマーケットの一般への知名度を大 きく高めることになった。

幕張メッセ

晴海の全館2日使用ですら収まりきらないほどに巨大化したコミックマーケットは、1989年冬の第37回より幕張メッセに移行する。翌年の第39回には参加者25万人を数えるに至り、コミックマーケットはこのまま幕張に落ち着くかに見えた。しかし、次の開催は猥褻図画摘発と会場からの申し出から使用不能となってしまう。

晴海(3期)

幕張を追い出された形のコミックマーケットを迎え入れてくれたのは晴海だった。1991年夏の第40回より1995年の第49回まで、コミックマーケットは三度晴海(東京国際見本市会場)に落ち着く。しかし、猥雑図画に対する自主規制の強化は避けられず、見本誌チェックによる規制を導入した。

参加者の膨張はやまず、1992年夏の第42回では入場待ちの長蛇の列に折からの猛暑が加わり、数百人が熱中症で救護室に運ばれた。(いわゆるジェノサイドコミケ) また1995年夏の第48回は、開催20周年記念として初の3日間開催を行った。

この時期のコミックマーケットにおいて特筆すべきは『美少女戦士セーラームーン』の存在である。同作品は男女両性の読者へアピールしたため、女性作家による男性向け創作が大幅に増えることとなり、この傾向は続く『新世紀エヴァンゲリオン』のブームへと続いていった。

そして東京国際見本市会場の閉鎖のため、1995年冬の第49回をもって晴海での開催を終わり、翌1996年春の「さよなら晴海!! コミケットスペシャル」をもって晴海に別れを告げた。

有明

1996年夏の第50回から、コミケは同年完成した東京ビッグサイト(有明)での開催となった。この開催で他のイベントからの苦情が来たことから、次の第51回開催では早くもビッグサイト全館貸し切りとなり、1997年夏の第52回以降、夏コミは3日間開催が定着し、参加サークルは3万を超えるに至った。また冬コミも、会場の都合により1999年の第57回で3日間開催を実施し、以降63回・65回と3日間開催が行われている。

有明に会場を移転させた当初はビックサイト周辺の交通がまだ未整備だったため、臨時バス(国展01)が参加者の会場輸送の中核を担っていた。このため膨大な数のバスが会場に殺到し、開場期間中は周辺道路の渋滞を引き起こすようになっていた。しかし2002年12月1日東京臨海高速鉄道りんかい線の全線開通・JR東日本埼京線との直通運転開始に伴い、臨時バスを運行する意義は減少し、バスの本数も劇的に減り、周辺の交通渋滞も改善した。

有明の初期、1990年代後半は『新世紀エヴァンゲリオン』のブームがコミックマーケットを席巻した。『美少女戦士セーラームーン』・『対戦型格闘ゲーム』に続く同人誌バブルともいえるこのブームで、コミックマーケットはいっそうの活況を呈するのだが、一方でコミックマーケットを代表とする即売会以外の同人ショップなどの販売チャンネルを増加させることにもなり、相対的にコミックマーケットの存在価値を下落化させつつもある。

2000年代前半に至ると、同人ソフト『月姫』の登場により、同人ソフトを元にした同人誌という、右手の行為を左手が真似るが如き自己パロディ現象が生じたが、これもコミックマーケットの巨大化の一つの現れといえるだろう。

有明後で特筆すべきは、企業スペースの設置(第51回)である。ビッグサイトの構造の問題からサークルスペースとして使えない所を企業に貸し出すこととしたのである。当初は同人誌即売会という理念に反すると異端視さえされたこのスペースだが、現在では期間限定商品などの入手場所として、多くの同人誌販売スペースよりも人気を呼びつつある。

野放図とすら言えるサークルと参加者の増大、企業との関係、さらには有害図書やコスプレに絡む性表現の問題、多大な金銭のやりとりによって生じる税務当局との関係、そして最大の問題とも言える著作権の問題など、幾多の問題を抱えながら、コミックマーケットの歴史は今も続いている。

回数の数え方について

コミックマーケットでは、開催されるたびに「コミックマーケット○○」と呼び、○○に回数を入れる。コミックマーケットはさらにCと略す。たとえ ば、2005年8月12日~8月14日に開催されたコミックマーケットは「コミックマーケット68」、略して「C68」と呼ぶ。「第68回コミックマー ケット」ではない。この形式は、第4回~5回のころに固まったようである(コミックマーケット準備会『コミックマーケット30'sファイル』)。また、定 期開催以外の「コミケットスペシャル」は、独立した連番となり、定期開催の回数には含めない。

定期開催以外のコミケット

  • コミケットスペシャル

1978年5月に行われた、定期開催以外では初のコミケット。 運営費の赤字を救済するために行われたイベントであったが、結果として赤字をさらに増大させてしまった。

  • コミケットIN一橋祭

1978年11月に、一橋大学学園祭の一環として行われた。

  • さよなら晴海!!コミケットスペシャル

コミケット20周年記念として1996年3月に開催。晴海国際見本市会場が東京国際展示場(ビッグサイト)へと役目を引き継ぎ閉鎖されることとなったため。サークル招待制、一般参加事前申し込み制で開催。

  • リゾコミ in 沖縄(コミケットスペシャル3)

コミケット25周年を記念して2000年3月に沖縄県宜野湾市で開催。開催直前に宜野湾市の教育委員会に成人向け同人誌数冊とともに怪文書が送られる。

  • 30周年記念24耐(!?)コミケットスペシャル4

コミケット30周年記念として2005年3月に開催。 設営から撤収までの全てを開催日の深夜0時から24時間以内で行われた。 このイベントは成功したという見方が圧倒的。準備会側では少々の赤字を出すにとどまった。

コミックマーケットと商業誌作家

コミックマーケットの初期には柴門ふみいしいひさいち高橋留美子などがアマチュア作家として参加しており、アマチュアからプロへという流れが存在していた。

しかし、それ以降のあさりよしとお高河ゆんCLAMPなど、現代のオタク文化を代表する作家たちは、プロ作家としてデビューしつつも同人作家としての活動も続けるようになる。

さらに下ると、商業誌でデビューして名を売りつつも、本業はむしろ同人誌に置く向きも増えていく。テレビをプロモーションの場とし、利益はディナーショーなどで得る一部の歌手と同じビジネスモデルである。月刊コミック電撃大王のようなコミックマーケット出身の作家が多い雑誌ではコミックマーケットの準備に重なる時期は連載のページ数が減ったり休載になったりといった現象が多く見られ、俗に「コミケ休載」と呼ばれる。

この一方で、ロリコンブームの際に吾妻ひでおによる同人誌が出たのを走りとして、プロ作家(そのなかには元プロ作家と呼ぶべき人たちも含まれる)が同人誌を出すという、いわば逆コースも見られ、プロとアマチュアの境界はコミックマーケットという場において混沌としているのが現状である。

コミックマーケットが抱える問題

漫画を初めとする同人誌同人ゲームの抱える、著作権とパロディを巡る解釈などの問題は、同人誌の項に詳しい。本項ではその他に、極端な肥大化の進んだコミックマーケットに固有の問題を挙げる。

会場容量の限界

現会場の東京国際展示場を 超える規模の会場は、日本国内では確保することが殆ど不可能である。参加サークル・一般参加者はそれでもなお増加を続けており、出店希望サークルの多くが 抽選によって落選することになる、一般参加者の入場待機列が長大になる、などの問題が続いている。この他、これら大量の参加者が周辺地域に及ぼす環境面や 安全面、交通への影響は大きく、開催継続に大きなリスクを生じている。

徹夜行為はその中でも特筆すべき問題である。コミックマーケットのみで入手可能な同人誌をできるだけ早く確保するために、数千人規模で前日から会場 周辺で徹夜待機する者が現れて問題となっている。整然とした入場と会場警備のために多くのボランティアがコミックマーケットに参加しており、概ね協調の取 れた行動が行われているが、興奮状態の熱狂的な参加者の行動に起因する事故や、炎天下・低温状態での長時間の待機による体調不良者の発生などが少なからず 見られる。また、カラーギャングなどの襲撃騒ぎも起こっている。(尚、徹夜行為は禁止事項であり他のサークル参加者及び一般参加者からは最も忌むべき違反行為の一つと認識されている。)

入場待機列を形成するため例年会場周辺の駐車場が用いられてきたが、有明地域の開発が進むにつれてこれらの空き地は減少しており、さらなる対策が必要とされている。

また、身動きの取れないほど多くの人間が一カ所に集まるこのイベントは、テロリズムの 標的としてのリスクも避けきれない。実際に準備会へはコミックマーケットへ否定的な立場からの脅迫状が送りつけられたり、会場内でボヤ騒ぎや催涙スプレー 散布騒ぎが起きるなどしていることから、会場では定時に安全確認の時間が設けられたり、コインロッカーの封鎖などの対策が取られている。

ボディチェックや金属探知機検査など、入場者などの荷物検査も行うべきかの議論もでているが、時間や予算などの関係上今のところは話が進んでいない。

年齢層の拡大

コミックマーケットの歴史が積み重ねられるのと共に、オタク世代も年齢層が広がり、小さな子どもが親に連れられて参加する様子も散見されるように なった。これに対して、コミックマーケットの極端な混雑状態は子供にとって劣悪な環境であり、事故への懸念からも子どもの参加は好ましくないと考える者も いる。近年ではそれに加えて、小中学生が「買い専」参加者としての参加が増加しているために問題が複雑化している。

コスプレ

同人誌の売買と共にコミックマーケットの参加様態の一つであるコスプレに対しては、事前登録制、撮影区画の制限、コスチュームのままでの入退場禁止、突起物や肌の露出規制などの対策が施されているが、過度に露出の多いコスプレが警察当局からも指導を受けるなど、一部で問題視されているほか、盗撮の標的となるなど課題を残している。

周辺地域との兼ね合い

夏はお盆、冬は年末シーズンと被っており人出の多い時期に観光地、並びにその近辺で開催されるため周辺警備も徹底したものになる。特に夏期間は中央区主催の東京湾大華火大会と被る場合が多く、花火観覧客と交通規制によってレインボーブリッジや晴海通りが渋滞する。これにより定期、臨時ともバスは渋滞に巻き込まれる。1988年1989年夏(C34、C36)はアメリカ横断ウルトラクイズの予選と重なり、双方の参加者で東京大垣間の夜行列車、通称大垣夜行は大混雑となった。これが大垣夜行の臨時便設定に繋がったとも言われている。

又、午前中~昼頃はお台場等へ行く観光客と、午後~夕方はそこからの帰宅客と被る場合が多く、臨海副都心へのメイン交通機関ともいうべきゆりかもめ案内軌条式鉄道のため詰め込みがきかないので臨時増発があるにもかかわらず積み残し発生(乗車規制も珍しくない)等の混雑を招いている。りんかい線は比較的詰め込みがきくが、ダイヤ(増発は基本的に早朝の数本のみ、大崎駅まで延伸される以前は臨時ダイヤによる増発も可能であったが、全線開通後はJRとの乗り入れの都合上増発は不可能となった)や車輌(現在はなくなったが、かつては6輌編成があった)の問題等から矢張り混雑を招いている。

ちなみに2002年冬のC63では28日にパナソニックセンター有明スタジオM-1グランプリという漫才選手権大会が開催され、これの設営が27日、撤収が28日深夜~翌朝に掛けて実施される事から徹夜組(前述のとおり、本来は禁止されている行為であるが)との混乱が予想された事があった。実際に同人サークルが横のつながりを利用して告知し合い、関係情報が掲載されたサイトも1ヶ月前頃より見受けられたが混乱が起きたと言う話は聞かないのでこの心配は杞憂に終ったようである。

ダミーサークル

一般参加者より早く会場へ入場できるサークルチケットを入手するためにサークル参加する者がいる。サークル参加の落選率の上昇に繋がるなどの理由から問題になっている。詳細はダミーサークルを参照。

コミックマーケット準備会とその関連企業

コミックマーケット準備会代表

氏名 在任期間 回数
原田央男 1975年~1979年 第1回~第12回
米澤嘉博 1980年~ 第14回~

初期は「迷宮」による運営で、実質は原田、亜庭じゅん、米澤の3人が中心となっていたという。名称も「準備委員会」であったり「準備会」であったり 一定しなかった。米澤は、準備会が現在の(独立した組織としての)原形を持つ(ようになった)のは自分が代表になってからとしている(コミックマーケット 準備会『コミックマーケット30'sファイル』)。原田は、1979年7月28日7月29日開催のコミックマーケット12を最後に、準備会の運営から離れた。

有限会社コミケット

コミックマーケットはその会員の集会という扱いになっているが、イベント開催規模が大きくなると任意団体のコミックマーケット準備会では通常の事務 作業とその作業場所の確保、会場借り上げの契約を行うことができないため、1985年に株式会社コミケットを設立してそれを行うこととした。後に有限会社 となり現在に至る。
コミックマーケット準備会からサークル配置データの提供を受けてコミックマーケットカタログを製作する代わりに会場と契約して場所を提供している形にな る。その他の業務としては中古同人誌を取り扱う古書店「コミケットサービス」、同人誌以外の古書・古洋書・ミリタリーグッズを扱う「B-Maniacs」 を運営している。

株式会社コミケプランニングサービス

コミックマーケットカタログやカタログCD-ROM・次回申込書の通販業務を行うほか、コミックマーケットにて同人誌委託コーナーの運営もしている。その他の業務としては同人誌即売会のコミッククリエイション・サンシャインクリエイションを開催している。

その他

電車男(CX系ドラマ)の第6回放送でコミケが取りあげられた。

関連事項

外部リンク

参考文献

  • コミックマーケット準備会『コミックマーケット30'sファイル』(2005年 コミックマーケット準備会 自費出版)

関連項目

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