注意事項1996〜2004
1、「日本個人打撃成績」について
両リーグの全選手の成績があります。
パ・リーグの投手などのように、まったく打席に立っていない選手も載っています。(ほとんど0の羅列ですが)
「選手の名前」
皆様お使いのパソコンの環境によっては読めない漢字が使われているかもしれません。
また、実際の登録名と異なる漢字があるかもしれません。
どうかご容赦ください。
名字と名前の間は、全角スペースです。
「得点圏打率」
1997〜1998、2000〜2004年は、全員掲載。
1999年は、規定打席到達者のみ。
1996年は、まったく載せられませんでした。
「登録の守備」
1996、1999〜2004年は、投手か野手かの区別をしました。
1997〜1998年は、投手、捕手、内野手、外野手の区別をしました。
「BRB」
Baseball Record Bookの略です。
ベースボール・マガジン社のベースボール・レコード・ブックで、比較的前のほうのページに各チームごとの個人成績がありますが、その並び順です。
本をお持ちの方は、データのチェックの際にでもお使いください。
「50音」
この項目を昇順で並び替えると、チーム内での50音順にほぼなります。
といってもあまり正しくないし、ひらがなの「みょうじ・なまえ」という項目もあるので、必要はないのですが、一応載せておきます。
1999〜2003年にあります。
「背番号」
2001、2003、2004年にあります。
背番号「00」の選手を「"00」と表記しました。
「00」だと表計算ソフトに貼り付ける際に、「0」になってしまうからです。
「"00」では気に入らないというかたは、表計算ソフトに貼り付けたあと、ひと作業してください。
背番号の列を選択し、右クリック、「セルの書式設定→表示形式→文字列」とします。
その後、本当は「00」の選手を探し出して、訂正してください。
・2001年の背番号00の選手
後藤(巨人)、城石(ヤクルト)、サンダース(横浜)、柳沢(中日)、嶋(広島)、メイ(ロッテ)、ミラバル(日本ハム)、藤立(オリックス)
(平尾も阪神では00でしたが、阪神では公式戦に出ませんでした)
・2003年の背番号00の選手
後藤(巨人)、河野(横浜)、柳沢(中日)、秀太(阪神)、嶋(広島)、メイ(ロッテ)、ミラバル(日本ハム)、森谷(近鉄)
(ヤクルトの久保田、ダイエーの杉山も00ですが、2003年は公式戦に出ませんでした)
・2004年の背番号00の選手
後藤(巨人)、河野(横浜)、前田新(中日)、秀太(阪神)、尾形(広島)、ミラバル(日本ハム)、マクレーン(西武)、森谷(近鉄)、メルカド(ダイエー)
(ヤクルトの久保田も00ですが、2004年は公式戦に出ませんでした)
2、「日本個人投手成績」について
登板した全選手(両リーグ)の成績があります。
「選手の名前」
皆様お使いのパソコンの環境によっては読めない漢字が使われているかもしれません。
また、実際の登録名と異なる漢字があるかもしれません。
どうかご容赦ください。
名字と名前の間は、全角スペースです。
「ホールド」
1997〜2001、2003、2004年にあります。
2002年は載せられませんでした。
「BRB」
Baseball Record Bookの略です。
ベースボール・マガジン社のベースボール・レコード・ブックで、比較的前のほうのページに各チームごとの個人成績がありますが、その並び順です。
本をお持ちの方は、データのチェックの際にでもお使いください。
「50音」
この項目を昇順で並び替えると、チーム内での50音順にほぼなります。
といってもあまり正しくないし、ひらがなの「みょうじ・なまえ」という項目もあるので、必要はないのですが、一応載せておきます。
1999〜2003年にあります。
「背番号」
2001、2003、2004年にあります。
背番号「00」の選手を「"00」と表記しました。
「00」だと表計算ソフトに貼り付ける際に、「0」になってしまうからです。
「"00」では気に入らないというかたは、表計算ソフトに貼り付けたあと、ひと作業してください。
背番号の列を選択し、右クリック、「セルの書式設定→表示形式→文字列」とします。
その後、本当は「00」の選手を探し出して、訂正してください。
・2001年の
背番号00の選手
ミラバル(日本ハム)
・2003年の背番号00の選手
ミラバル(日本ハム)
・2004年の背番号00の選手
ミラバル(日本ハム)、メルカド(ダイエー)
3、注意が必要な選手など
「2004」
シーズン途中に移籍し、2球団で試合に出た選手は6人です。
投手は、隼人(日本ハム→巨人)、田中 充(ロッテ→ヤクルト)、田崎 昌弘、東 和政(ともに横浜→西武)。
野手は、立川 隆史(ロッテ→阪神)、平下 晃司(阪神→ロッテ)です。
なお、隼人は巨人へ移籍した際、登録名を「隼人」から本名の「中村 隼人」に変えました。
当ページのデータは、移籍前と移籍後の成績が別々になっています。
したがって、シーズンを通した成績が知りたい場合は、両チームでの成績を合計してください。
打率などは、合計した後に計算しなおしてください。
ただし、シーズンを通した得点圏打率を求めることはできません。
当ページには、「得点圏での打数と安打数」というデータがないからです。
Sports@niftyというサイトによれば、立川のシーズン通算の得点圏打率は.063で、平下は.211だそうです。
2004年は、シーズン途中にアテネオリンピックがありました。
日本代表として24選手、さらに外国人も2選手が出場しました。
この26選手は特別措置として、規定打席、規定投球回を少なくしてもらいました。
少なくしてもらった結果、規定に到達することができたのは5選手です。
投手は、和田 毅(ダイエー)、
野手は、金子 誠(日本ハム)、福留 孝介(中日)、宮本 慎也(ヤクルト)、藤本 敦士(阪神)です。
詳細については、アテネ五輪派遣選手・規定数特別措置をご覧ください。
大野 立詞(ダイエー)、秦 裕二(横浜)、林 昌樹(広島)は、打席数は1ですが打数は0です。
打率、出塁率を計算するときには注意が必要でしょうか?
メルカド(ダイエー)、西川 慎一(広島)は1試合に登板しましたが、アウトはひとつも取っていません。
とくに西川は、4月4日の中日戦、同点の11回裏2死1、2塁で登場し、初球を立浪にサヨナラヒットされました。
西川には1完了が記録されています。
ちなみにメルカドが登板したのは、5月19日の近鉄戦です。
打席に立ったパリーグの投手は、豊田 清(西武)だけです。
豊田は6月19日の日本ハム戦、打順が回りましたが、あえなく三振しています。
このとき得点圏に走者がいたようです。
嘉勢 敏弘(オリックス)の登録は投手で、打席には立っていません。
「2003」
シーズン途中に移籍し、2球団で試合に出た選手はひとり、中日から横浜へ移籍したギャラードだけです。
当ページのデータは、移籍前と移籍後の成績が別々になっています。
したがって、中日での成績と横浜での成績を合計すれば、ギャラードの年間の成績がでます。
ギャラードは横浜では打席に立っていないので、なにかとめんどくさい年間の得点圏打率について考えずにすみました。
山本 樹(ヤクルト)の出塁率について。
山本は1打席に立って、その打席で犠打を決めました。
それが2003年の彼の全打撃成績です。
この場合、出塁率はどうなるのでしょうか。
いくつかの信頼できそうな筋(?)では、.000となっていましたが、計算してみるとエラー(#DIV/0!)になってしまいます。
ぼくにはよくわからないので、彼の出塁率らんには、「-」(横棒)を入れておきました。
怪しいパリーグの投手はいませんでした。
嘉勢 敏弘(オリックス)の登録は投手で、打席には立っていません。
「2002」
シーズン途中に移籍し、2球団で試合に出た選手は4人います。
投手は、橋本 武広(西武→阪神)、戎 信行(オリックス→ヤクルト)。
野手は、田口 昌徳(日本ハム→ダイエー)、副島 孔太(ヤクルト→オリックス)です。
当ページのデータは、移籍前と移籍後の成績が別々になっています。
したがって、副島のシーズンを通した成績が知りたい場合は、ヤクルトでの成績とオリックスでの成績を合計してください。
打率などは、合計した後に計算しなおしてください。
ただし、シーズンを通した得点圏打率を求めることはできません。
当ページには、「得点圏での打数と安打数」というデータがないからです。
Sports@niftyというサイトによれば、田口のシーズン通算の得点圏打率は.217で、副島は.158だそうです。
怪しいパリーグの投手は、伊藤 剛(日本ハム)です。
9月21日のダイエー戦で代走に出て、残塁1を記録しました。
嘉勢 敏弘(オリックス)の登録は投手で、打席には立っていません。
「2001」
シーズン途中に移籍し、2球団で試合に出た選手は3人。
種田 仁(中日→横浜)、波留 敏夫(横浜→中日)、三沢 興一(巨人→近鉄)です。
当ページのデータは、移籍前と移籍後の成績が別々になっています。
したがって、種田のシーズンを通した成績が知りたい場合は、中日での成績と横浜での成績を合計すればよいのです。
打率などは、合計した後に計算しなおしてください。
ただし、シーズンを通した得点圏打率を求めることはできません。
当ページには、「得点圏での打数と安打数」というデータがないからです。
TBS The Baseball というサイトによれば、種田のシーズン通算の得点圏打率は.333で、波留は.274だそうです。
また、巨人の三沢 興一は、近鉄への移籍を機に、登録名を三澤に変えました。
2001年、打席に立ったパリーグの投手は、パウエル(近鉄)だけでした。
パウエルは9月29日のロッテ戦で打席に立ち、ヒットを打っています。
嘉勢 敏弘(オリックス)の登録は投手で、打席には立っていません。
「2000」
シーズン途中に移籍し、2球団で試合に出た選手は4人。
吉田 剛、西川 慎一(ともに近鉄→阪神)、
根本 隆輝、フランクリン(ともに日本ハム→阪神)です。
当ページのデータは、移籍前と移籍後の成績が別々になっています。
したがって、シーズンを通した成績が知りたい場合は、両チームでの成績を合計してください。
打率などは、合計した後に計算しなおしてください。
ただし、シーズンを通した得点圏打率を求めることはできません。
当ページには、「得点圏での打数と安打数」というデータがないからです。
2000年、怪しい行動をしたパリーグの投手は、松坂 大輔、青木 勇人(西武)、大塚 晶文(近鉄)。
松坂は8月7日のオリックス戦、代打で2点タイムリーを放ち、青木はその松坂の代走になりました。
大塚は8月23日のロッテ戦で打席に立ち、こちらは凡退しました。
もっと怪しいのは、嘉勢 敏弘、五十嵐 章人(オリックス)。
ともに登録は野手なのに、投手として登板もしました。
五十嵐は投手では0失策ですが、野手で6失策をしています。
「1999」
シーズン途中に移籍し、2球団で試合に出た選手は4人。
吉原 孝介(巨人→中日)、柳沢 裕一(巨人→オリックス)、平塚 克洋(阪神→西武)、杉山 賢人(西武→阪神)です。
当ページのデータは、移籍前と移籍後の成績が別々になっています。
したがって、シーズンを通した成績が知りたい場合は、両チームでの成績を合計してください。
打率などは、合計した後に計算しなおしてください。
ただし、シーズンを通した得点圏打率を求めることはできません。
当ページには、「得点圏での打数と安打数」というデータがないからです。
山原 和敏(日本ハム)は投手ですが、4月29日のダイエー戦、代走として出場しました。
嘉勢 敏弘(オリックス)の登録は外野手で、登板はしていません。
ペルドモ(広島)は、内野手で登録されていますが、投手として登板しています。
「1998」
シーズン途中に移籍し、2球団で試合に出た選手はいませんでした。
パリーグの投手で打席に立ったのは、西口 文也、橋本 武広(西武)のふたり。
西口は10月10日のロッテ戦、橋本は9月8日のオリックス戦です。
嘉勢 敏弘(オリックス)の登録は外野手で、登板はしていません。
ペルドモ(広島)は、投手で登録されています。
「1997」
シーズン途中に移籍し、2球団で試合に出た選手は3人。
広永 益隆(ヤクルト→オリックス)、馬場 敏史(オリックス→ヤクルト)、本西 厚博(オリックス→阪神)です。
当ページのデータは、移籍前と移籍後の成績が別々になっています。
したがって、シーズンを通した成績が知りたい場合は、両チームでの成績を合計してください。
打率などは、合計した後に計算しなおしてください。
ただし、シーズンを通した得点圏打率を求めることはできません。
当ページには、「得点圏での打数と安打数」というデータがないからです。
怪しい行動をしたパリーグの投手は、入来 智、佐野 重樹(近鉄)、吉田 修司(ダイエー)です。
入来は8月24日のロッテ戦の延長12回裏、山本 和範の代走になり、クラークのヒットでサヨナラのホームを踏みました。
得点1が記録されています。
佐野は8月31日のダイエー戦、吉田修は9月27日の近鉄戦、それぞれ代走に出ています。
嘉勢 敏弘(オリックス)は外野手で登録されていますが、投手として登板もしています。
ペルドモ(広島)の登録は投手です。
「1996」
シーズン途中に移籍し、2球団で試合に出た選手はひとり。
内藤 尚行(ロッテ→中日)です。
当ページのデータは、移籍前と移籍後の成績が別々になっています。
したがって、シーズンを通した成績が知りたい場合は、両チームでの成績を合計してください。
打率などは、合計した後に計算しなおしてください。
怪しい行動をしたパリーグの投手は、芝草 宇宙(日本ハム)、寺前 正雄(近鉄)、渡部 高史(オリックス)の3人です。
芝草は5月10日の近鉄戦におそらく代走。
寺前は9月24日のダイエー戦、渡部は7月7日の近鉄戦に代走で出場しました。
ペルドモ(広島)の登録は内野手、嘉勢 敏弘(オリックス)は外野手で、どちらも登板はしていません。
最後におことわり。
万全を期しているつもりですが、もしかしたら、データに誤りがあるかもしないのでご注意ください。
お気づきになりましたら、遠慮なくお教えください。