謎宮会 1999/ 3- 4

葉山　響

長編に比べるとあまり喧伝されないが、横溝正史は本格短編の名手でもある。金田一耕助シリーズに限定しても、「車井戸はなぜ軋る」「百日紅の下にて」「幽霊座」「女怪」「蝙蝠と蛞蝓」「首」などの傑作秀作が多数思い浮かぶ（「蜃気楼島の情熱」は読後それほど優れた短編とは思えなかったれけど、北村薫『謎物語――あるいは物語の謎』中で「蜃気楼島の情熱」に触れられた箇所を読み、成程と納得した）。また、金田一の影に隠れてしまった感のあるもう一人の名探偵・由利先生が登場する「カルメンの死」も印象に残っている（由利先生は戦前の『真珠郎』と戦後の大傑作『蝶々殺人事件』に登場した名探偵という功績だけでも忘れられてはならないキャラクターだと思うのだが……ちなみに今、『真珠郎』は手に入らないらしい。昨年行われたＳＲの会の《ＳＲ選ミステリ・ベスト 300》の国内篇百冊中に『真珠郎』が入っていたから、未だ人気は高いようなのだが。その他、僕は由利先生ものでは『夜光虫』が好きだ）。

　だが僕が横溝正史の短編と聞いて真先に思い浮かべるのは、実はこれらの短編ではない。横溝短編と言われて一番先に思い出すのは逸品「蔵の中」や「鬼火」、「かいやぐら物語」などの戦前に書かれた幻想的短編群であり、そして終戦後すぐに発表された「探偵小説」のようなノンシリーズの本格ミステリである。前者の幻想的短編は現在でも出版芸術社の叢書〈ふしぎ文学館〉から刊行された『鬼火』で読めるし〈※１〉、後者「探偵小説」も創元推理文庫の『日本探偵小説全集９　横溝正史集』に収録されているから簡単に入手できるのだが、後者の例は「探偵小説」だけに止まらない。「神楽太夫」「靨」「かめれおん」などといった本格短編の傑作秀作が手軽に読めないのは矢張り問題だと思うのだ（「神楽太夫」はカッパノベルスで刊行されたアンソロジー『探偵くらぶ（中）本格篇』に収録されたのでこれも書店で入手できるのだが、ここで僕が言いたいのは、それらの短編を横溝の作品集の中で簡単に読めない状況が問題だ、ということなのだ）。そこで、今回は復刊を願って前記「神楽太夫」「靨」「探偵小説」などが纏めて一冊に収録されている『刺青された男』を取り上げてみよう。

　『刺青された男』には十篇が収録されている（発表は全て昭和二十一年＝終戦の翌年）。全てが本格ミステリという訳ではないが、戦争時に体験した「ミステリが書けない」鬱屈を吹き飛ばすべく執筆を再開した時期の作品だけあって、流石にどの作品も気迫に溢れた出来である（但し二、三の例外あり）。キャラ的な魅力は殆ど無いので新しいミステリ読者には地味に感じられるかも知れないが、本格ミステリのフォーミュラを明瞭に提示しているという点では非常に得難い作品群だと言えるのではなかろうか。何しろ、現在活躍している本格ミステリ作家には最早、こんなに素直な本格短編は書けないだろうから（皮肉ではない。実状がそうなのだ）。
　それでは各篇を簡単に御紹介しておこう。なお、これらの短編が如何に短期間の間に発表されたかを知って頂きたかったので、今回は敢えて発表された月も掲載してみた。

１「神楽太夫」（1946年３月／初出〈週刊河北〉）………………単純に言えば“顔のない死体もの”だが、プロットにひねりを加えて常套を避けた秀作短編。探偵小説マニアを皮肉るオチを付けたところが洒落ている。

２「靨」（1946年４月／初出〈新青年〉）…………………………私見ではこの短編集の頂点に位置する作品。隙の無い三部構成の妙（読み終えた後にもう一度読み返してみると完成度の高さに唸らされる）もさることながら、ガチガチのパズラーがラストで可憐な愛の物語に変容するところが素晴らしい。代表長編並の感銘を与えてくれる傑作と言える。

３「刺青された男」（1946年４月／初出〈ロック〉）……………アジア各国を転々とした「刺青された男」を巡る物語。うねるようなストーリーテリングに戦前的な面白さ（および異国情緒）が感じられて楽しく読んだが、更に作者は最後の一行で見事に読者の意表を突いている（最後の一行の前に空白の一行を与えたところが抜群に巧い）。

４「明治の殺人」（1946年７月／初出〈新青年〉）………………真相に無理が感じられる作品で、完成度は高くないが、さすがに「明治の殺人」というだけあって明治でしかあり得ないストーリー展開＋ドンデン返しが興味深い一篇。雰囲気が良い。

５「蝋の首」（1946年８月／初出〈ＶＡＮ〉）……………………頭蓋骨に肉付けをして元の顔を知る複顔術が犯罪を暴くのだが、犯罪と同時に恐ろしい因縁をも立証してしまう綺譚。科学と因縁綺譚を並立させたところに面白味を感じた。

６「かめれおん」（1946年８月／初出〈モダン日本〉増刊）……真相は大体見当が付くが、この作品の主眼は真相の意外性にあるのではない。事件を巡るディスカッションの中で真相が二転三転する、其処が何とも気持ち良い作品。

７「探偵小説」（1946年10月／初出〈新青年〉）…………………現実の事件をモデルにしてフィクションを作り上げる過程で、見事に現実の真相と衝突してしまった推理作家。戦後の横溝短編を代表する傑作パズラーで、この当時既にメタフィクション的な仕掛けを展開しているところが流石に横溝、只者ではない。

８「花粉」（1946年10月／初出〈ロック〉）………………………これも真相はすぐに見抜けるが、真相を支える伏線の張り方が堅牢で、ミステリ初心者には格好のテキストとなるだろう。この作品にも探偵小説マニアを皮肉るようなラストが付けられている。

９「アトリエの殺人」（1946年10月／初出〈オール讀物〉）……一枚だけ剥がされた絵、持ち出されて捨てられた彫像。そして被害者を殺した後、犯人はなぜ電球を壊す必要があったのか？　謎は魅力的だが、どうしたことか伏線を張る努力を怠っているので本格ミステリとしては問題外の出来。集中最も完成度の低い作品。

10「女写真師」（1946年10月／初出〈にっぽん〉）………………良くも悪くも普通のサスペンス・ミステリで、特に褒め讃えるべき箇所は見られないが、主人公を含め各登場人物の行動がそれぞれにバカっぽいのが妙に印象に残った（笑）。

　以上十篇。全体的には玉石混淆だが、玉のほうが圧倒的に多いし、その玉は紛れもなく本物の“珠玉”と言える。しかし、今回これを取り上げた最大の趣旨は、シリーズ作品ばかりに気を取られていると愛すべき傑作を見逃しますよ、ということなのだ。本格ミステリ、シリーズ故に尊からず。キャラ読みも程々に。

補足：この『刺青された男』は終戦直後の非シリーズ短編を収めた作品集であり、引き続き角川文庫からは同様の趣旨で編まれた『ペルシャ猫を抱く女』が刊行されている。この短編集には昭和二十一〜二十四年（1946〜49）にかけて発表された九編が収録されており、『刺青された男』ほどには完成度は高くないが、御興味のある方にはご一読をお薦めしておきたい（中では「消すな蝋燭」「詰将棋」「双生児は踊る」が佳作。掌篇「建築家の死」も独特の余韻を残す好篇である）。

※１　横溝はデビュー当初から地方閉鎖社会で展開される本格ミステリを執筆していた訳ではなく、デビュー時は如何にも戦前推理文壇の作風を思わせるユーモラスなコントや幻想的な綺譚を数多く書いていた。この時期の作品集（由利先生ものを除く）は前記『鬼火』のほか、主にデビュー直後の大正期の作品を集めた『恐ろしき四月馬鹿』と昭和初期の作品集『山名耕作の不思議な生活』、そして『芙蓉屋敷の秘密』『殺人暦』『誘蛾燈』『青い外套を着た女』などが刊行されている（以上全て角川文庫／絶版）。『青い外套を着た女』と中編「孔雀夫人」（『塙侯爵一家』収録）については森高有紀さんが連載「ゆうきのミステリ紹介」（98年11月）の中で取り上げているので、そちらをご覧頂きたい。

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