螺旋の雪が、降っていた。
真っ黒な雲から、溢れ出るように流れていた。
聞こえてくるのは、水を叩く噴水の音だけ。
時計の針が回るように、真っ白な雪が螺旋を描いて空に舞っていた。
「あと、どれくらいでしょうか…」
「そうだな…」
街灯に照らされた、大きな時計…。
「これで、私もやっと祐一さんのひとつ下です…」
あと、数分で日が変わる…。
新しい時間。
新しい月。
「…ちゃんと、プレゼントだって買ってあるんだ」
「…ほんと…ですか…?」
「…高かったんだからな」
「…嬉しいです…」
「でも、まだだ…」
「…そうですね…」
「あの時計の針が、0時をさすまで…」
「…もう…少しですね…」
「そうだ…もう少しだ…」
「…はい」
そして…。
「…栞。誕生日、おめでとう…」
……。
誰かの声が聞こえる…。
すぐ近くから…。
大好きな人…。
その人の声…。
たったひとつの言葉…。
『さようなら、祐一さん』
そして、唇に触れる、温かな感触を残して…。
声は、聞こえなくなった…。
Kanon side story
笑顔の欠片
作:御巫吉良(KIRA・MIKANAGI)
「栞・・・?」
わずかな温もりを残し離れた唇を開いて祐一は栞を凝視する。
祐一に口付けをした栞は薄っすらと雪化粧を描く芝生の中に再び頭を下ろした。
薄く微笑んだ、満足気な表情の栞。しかし、その表情に生気は感じられない。
「お、おい、冗談だろ・・・」
焦る気持ちを無理やり抑えつつ祐一はソッと栞の両肩を抱いて胸に抱き寄せる。
「まだ、プレゼントも、渡して、無いんだぞ、栞。俺は、お前に・・・」
ザッ。
芝生の雪を踏む足音に祐一は反射的に顔を上げた。
すぐそばによく知った顔の少女が立っていた。
「香里・・・」
「・・・迎えに、来たわ」
その身に降り積もる雪を払おうともせずに静かに妹を見つめる。
無表情に見える香里の瞳にはわずかに揺らいでいた。
「大丈夫・・・まだ死んだ訳じゃないわ・・・ここ数日、こういう事はよくあったの・・・」
その言葉に驚いて祐一は再び自分の胸の中にいる少女を見つめた。
「栞・・・無理しやがって・・・」
「一週間」
「え?」
「・・・一週間前。栞が言ったの。一週間だけ、好きにさせて欲しいって・・・高校進学の時以来じゃないかしら。この娘が自分のわがままを通したのは」
香里は屈みこんで栞の頭の雪を払いながら続けた。
「馬鹿な娘よね・・・いくらだってわがまま言っても良いのに・・・私に出来る事なら・・・何だって・・・ううん、違うわね。栞は、そんな『特別』を望んでいたんじゃないわね」
ここで初めて香里は祐一を見た。
「相沢君のように・・・『普通』に接して欲しかったのよね・・・ありがとう」
「それは違うぞ、香里。俺は・・・何もわかっちゃいなかったんだ」
ずっと堪えていた想いを告白するように言葉が溢れてくる。まるで神の前に懺悔する罪人のように。
「俺はまだ“奇跡”を信じてたんだ。何とかなるんじゃないかって。俺は何も知らなかったから・・・今なら、わかるんだ。香里が・・・栞を正視できなかった訳が」
そう、祐一はここに至って初めて香里の想いを理解した。
ずっと病弱な妹を見つめ、愛し続けた香里。
その『死』を常に感じながら生きてきた香里だからこそ、彼女は祐一のように『逃げる』事はできなかった。
『死』という現実に。
『奇跡』というわずかな希望に。
「・・・違う、とは言わないわ」
香里は静かに祐一を見据えるようにして言った。
「でも・・・“正しかった”のは相沢君。“間違っていた”のは私。それだけの事よ」
「・・・・・・」
「栞を、連れて帰るわ・・・」
香里はソッと両手を祐一たちに向かって差し出した。
「いや、俺が送っていく」
「相沢君・・・栞との約束でしょ? 今日で、お別れするって・・・」
「聞いてたのか・・・」
「・・・ええ。あの日、相沢君が私と栞を引き合わせたでしょう。喫茶店で」
無表情だった香里の口元がわずかに緩んだ。祐一にとっては始めて見た香里の微笑だった。
「あの日の夜・・・久し振りに栞と話をしたわ。大切な事。他愛のない話・・・心に浮かぶ言葉を全て言い尽くすまで語り合ったわ」
香里は祐一の腕の中で眠る栞を見つめながら言葉を続ける。
「・・・やっと、わかったの。栞が望んだ事・・・あたしが望んだ事も。相沢君のお陰よ」
「俺は・・・何もしちゃいない・・・いや、それどころか」「相沢君」
祐一の苦渋に満ちた声を遮ってに香里が言葉を挟む。
「諦めない事、投げ出さない事、信じる事・・・辛くても、おかしくなりそうになっても・・・捨てないでね。あたしは相沢君にその事を教えられたんだから」
驚を突かれたように祐一は顔を上げて香里を見つめた。
祐一が見つめる中、香里は慈しむようにソッと栞の両脇を抱えて祐一の腕の中から自分へと引き寄せた。
「あ・・・・・・」
腕の中の重みを失った祐一は背に栞をおぶる香里をしばし呆然と見ていた。
「“奇跡”を・・・信じていて。あたしも、信じるから」
呆然とへたり込む祐一に言葉を掛けて、香里は栞と共に静かに歩み去った・・・
「うん・・・」
「・・・栞? 気が付いたの?」
「え?・・・お・・・姉・・・ちゃん?」
栞を背負いつつ歩く香里が足を止めた。
そして首を動かして栞の顔を確認する。
「気分、悪くない?」
「え、あ、少し、疲れたけど大丈夫で・・・だよ。あ、あの、祐一さんは・・・?」
「公園に置いてきたわ」
香里の言葉に栞はギョッ、と眼を見開いた。
「え、酷いです、お姉ちゃん。祐一さんが風邪引いたらどうするんですか?」
「大丈夫よ、バカは風邪引かないって言うから」
「そんなこと言うお姉ちゃんなんか嫌いです」
「冗談よ」
自分でも驚くほどスラスラと会話が続く事に香里は驚いていた。
数週間前までは栞の姿を見ることすら苦痛であったのに・・・
「お姉ちゃん、ゴメンナサイ」
「え?」
背中で頭を下げる栞に香里は怪訝な声で答えた。
「私、最後まで迷惑かけちゃって・・・」
「やれやれ、こっちにも気合入れなきゃならないみたいね」
「え?」
溜息を一つついて、香りは再び栞に視線を向けた。
「最後なんて言わないって、“あの日”に約束したでしょう?」
「あ・・・ゴメンナサイ」
「最後まで“奇跡”を信じる・・・あたし達は誓ったはずよ。彼には言ったの?」
「いいえ・・・祐一さんにこれ以上、負担は掛けられませんから・・・」
「やっぱりね・・・ま、栞らしいとは思うけど」
薄く微笑みながら香里は栞の顔を見つめる。
「でも、最後まで笑ってられましたよ・・・笑ってお別れ・・・しま・・・した・・・から・・・」
微笑む香里に対照的に栞の瞳からポロポロと雫が落ちてくる。
「ゆ、祐一さんも、笑ってたって、言ってくれましたし・・・」
「・・・うん」
香里の背に顔を埋めて嗚咽を漏らす栞から香里は視線を外してゆっくりと歩き出した。
栞は、泣きたいのだ。そして泣いてる姿を見られたくないのだろうから・・・“笑う”事を自ら宿付けたこの少女は。
「・・・ご、ごめんなさい。泣いちゃって・・・」
「良いのよ・・・たまにはお姉ちゃんに甘えなさい」
しばらくして、落ち着いた栞が赤くなった眼を擦りながら顔を上げた。
「ねえ、栞。あたしは思うんだけど・・・“本当の笑顔”は一つじゃ駄目なのよ、やっぱり」
「え?」
香里は再び足を止めて栞に顔を向ける。
「栞は言ってたわね。みんなが笑っていられるように、笑っていようとしたって・・・でも、あたしは笑えなかった。栞の笑顔は“欠片”でしかなかったから」
「かけ・・・ら?」
ゆっくりと頷きながら香里は片手で栞を支えながら空いた片手で栞の涙を拭った。
「栞が笑って、私が笑って、父さんが笑って、母さんが笑って、名雪が笑って、相沢くんが笑って・・・そんな“笑顔の欠片”が集まって初めて“本当の笑顔”になるのよ・・・パズルのピースみたいにね」
(偉そうな事言ってるわね、私)
それは栞が・・・いや、香里自身が忘れていた、至極当たり前の事。
そして、妹と、その彼氏が思い出させてくれた事。
すべてを諦め、すべてを捨て去る事で失ってしまったとても、とても大事な事。
「・・・・・・難しいですね」
栞は首を傾げてい思案している。
「お姉ちゃん・・・私、本当に笑っていられたのかな?」
「もちろんよ・・・・・・」
栞に向ける香里の表情は・・・絶えて久しい心からの笑顔だった。
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“余計なお世話じゃないわよ・・・だって、栞は・・・あたしの妹なんだから・・・”
不思議な気分だった。
ずっと否定し続けてきた言葉。
苦しみから逃れる為に。
でも・・・
不思議でした。
ずっと望んでいた過去の言葉。
バカな私には二度と帰らぬはずの。
なのに・・・
““なのに、今、二人は目の前に向かい合っている””
学校のなんでもない出来事の話。
住み慣れた街を散策した話。
ちょっとヌケた親友の話。
ちょっと意地悪な恋人の話。
なんでもない、“普通の姉妹”の会話・・・だったと思う。
「栞」
「は、はい?」
香里の話した祐一の失敗談に笑っていた栞は笑いながら答えた。
「相沢くんはあたしに言ったわ。栞は精一杯生きてるって」
「え・・・?」
唐突に真面目な香里の表情と言葉に栞はの表情は驚きの色に染まっていく。
「残された時間がどれだけかなんて関係ないって・・・でも、あたしはそうは思えなかった」
「・・・・・・」
栞は押し黙ったまま、姉の言葉を静かに聞いている。
「栞が・・・“あたしの全て”が消えてなくなるなんて絶対に認められなかった。だから・・・あたしは・・・」
ポタ・・・ポタ・・・
「すべて・・・なか・・・った・・・ことに・・・」
泣いていた。
ずっと泣けなかった・・・・・・いつしか自分に言い聞かせていた。あたしは泣いてはいけないのだと。
栞にはいつも笑っていて欲しかったから。
ギュ。
「・・・し・・・おり?」
栞は俯いて涙を流す香里の頭を抱えるように抱きしめた。
「今だけ・・・泣いていいですか?」
「・・・え?」
香里はゆっくりと顔を上げて栞の顔を見上げる。
「・・・嬉しくて、泣くなら・・・良いですよね?」
“泣かない姉妹”は静かに、微笑みながら泣いていた・・・
「・・・あたし、やっぱり栞を失うなんて考えられない・・・いえ、認めて生きてはいけない」
「お姉ちゃん・・・」
「今ならわかるの・・・相沢くんの言葉の意味が。彼は一言だって“現実を認めろ”とは言わなかった。彼は・・・今も“奇跡”を信じている。だから、あたしも信じる。いえ、信じようと思うの・・・」
「・・・・・・」
香里は栞の前に小指だけを軽く立てた手を差し出した。
「だから、約束。栞も最後まで諦めないで。あたしも、相沢くんも信じるから・・・」
栞は香里の瞳をジッと見つめている。
これが栞には酷な約束だと香里にはわかっていた。
(だけど・・・諦めたらそこで終わりじゃない・・・)
永遠とも思えるほどの時間を感じて・・・栞はソッと手を出して香里の小指に自分の小指を絡めた。
「栞・・・ゴメン・・・あたしのわがまま」「違うよ」
栞はハッキリとした言葉で香里の言葉を遮った。
「私も、もう忘れかけてたけど、やっぱり信じたいです。もっとお姉ちゃんと、祐一さんと一緒にいたいから・・・諦めないって決めました」
涙の跡を残したまま、栞は微笑んだ。
今までの笑顔とは違う、心からの微笑みだった・・・・・・
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たとえどんな結果が待っていようとも、あたしはきっと心から笑顔で迎えてあげられる。
あたしと栞は・・・やっと、心からわかり合えたのだから。
心から、笑い合えたのだから。
この娘の強さを・・・ほんの“欠片”だけど、わけて貰えたから。
あたしは待つ・・・・・・“奇跡の欠片”を。
Fin
あとがき
ここまで読んでくださってありがとうございます。御巫吉良です。
・・・何だか訳のわからない話になってしまって申し訳ないです。
いつも書き上げてからタイトルを決めるのが私の書き方なのですが、このSSだけは先にタイトルが思い浮かびました。
言うまでも無く、このKanonと言う作品のテーマは“奇跡”です。
“奇跡”って言葉は私は本来好きな言葉ではありません。
“奇跡”ってだけだと、何だかひどく安っぽい言葉だと感じるんですね・・・私は。
やっぱり“奇跡”と言えど、何かしらの理由付けと言うか、努力、信じる想いが適う・・・みたいな私なりに“奇跡”を肯定する為の理由が欲しくてこのSSを書きました。
ただ、運が良かった、では無く“奇跡”は起こるべくして起きた、と思いたかったからです。
後、この姉妹の仲良くしてるシーンを書きたかったのもあるんですけどね(^^;
よければ掲示板、メールか、感想用フォームで感想をよろしくお願いします。
後書きまで支離滅裂で申し訳ないです。次回はもう少しマシな作品を書きたいと思います。それでは・・・
00/4/1作成