日刊Piaキャロ
「はい、結構です。前田くん。明日からお願いね」
「はい! ありがとうございます」
涼子さんの言葉に俺は元気良く答えた。
ここはPiaキャロット中杉通り店の事務所。
俺は今日、このPiaキャロットで働くべくマネージャーの双葉涼子さんを審査員に、面接を受けていた。
そして、たった今、採用が決定したのであった・・・もっとも、前に真士と一緒に履歴書を提出しに来た時に、採用は決まったも同然だったのだが・・・あ、そう言えば。
「あの・・・涼子さん? 真士の奴どうしちゃったんですか? さっき泣きながら走って行っちゃいましたが」
「ああ、真士くんね・・・残念だけど、今回は不採用という事になったの」
「えぇ!?」
真士が落ちた?
元はと言えば、ここで働こうと思ったのも、真士に誘われたからなのだが・・・
「残念だけど。バイトに出てこられる日数があまりにも少なかったので、今回は見送らせてもらったわ」
「そうだったんですか?」
「ええ・・・いくらなんでも1ヶ月に2〜3日ではね・・・」
ズルッ!
「そ、そりゃ当然ですね・・・」
「でしょ?」
イスからずり落ちそうになるのを堪えながら答える俺に、涼子さんは可愛らしい仕草で相槌をうった。
そりゃ、採用されるわけねーよ。
「で、明日からの事なんだけど・・・これを見てくれる?」
涼子さんが脇に置いていた紙をテーブルに広げた。
どうやらこの近所の地図のようだ。
涼子さんの細い指を滑らせてある一点を指差した。
「明日からここに通ってもらいます」
「ここは?」
「ここにはキャロットの研修所があります。あなたはここで研修を受けてもらわないといけません」
「研修・・・ですか?」
研修があるとは初耳だった。
しかし、考えてみれば客商売なんだから研修くらいは当たり前か・・・
「研修中もバイト期間としてお給料は払わせて頂きます・・・ただし」
キラリッ
・・・気のせいか涼子さんのメガネが怪しく光ったような・・・
「研修にはいくつかの課題があります。それをパスしないと・・・採用は取り消しとなります」
「さ、採用取り消し!?」
予想外の涼子さんの説明に俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。
「まあ、そんなに心配しないで・・・前田くんならきっと合格できるわよ」
「は、ハイ!」
ニッコリと年上とは思えないほど可愛い笑顔の涼子さんの笑顔を見て俺は舞い上がってしまった。
そして俺は肝心な事を聞き忘れていた。
そしてその事を聞いていたら俺はあの“非現実な世界”に足を踏み入れる事は無かったかもしれない。
それは・・・・・・研修所の名称。
後に俺はその名を知ることになる。
魁!!Piaキャロ塾 つづく・・・
面接の翌日。俺は涼子さんにもらった地図を頼りに研修先である「Piaキャロ塾」に向かった・・・が。
「・・・迷った・・・のか?」
俺の新たなる一歩は今日の空のように暗雲が立ち込めてきたようである・・・
「って言うか、ここ本当に日本なのか!? こんな密林どこにあったんだ?」
そう、今、俺はアマゾンのごとき密林の中を歩いていた。
足元には舗装された道など当然なく、獣道のような雑草を踏み分けた道しかない。
涼子さんの地図を改めて見直してみる。
『・・・で、右手の山に入ったら、“ちょっと細い道”があるからそこを道なりに進めばすぐよ。“頑張ってね(はぁと)』
地図の横の涼子さんの字と思しき一文に俺は眩暈を覚えた。
「涼子さん・・・3時間歩き続けてもジャングルの真っ只中なんですけど・・・」
溜息をつきながら俺は、疲れの為に感覚の無くなってきた足を引きずるように歩き続けた・・・
「・・・そういや、俺の荷物は寮に届いてるのか? こんな道しか無いならどうやって・・・」
「きゃっ!」
ドタッ!
「!?」
前方の方向で微かに悲鳴のような声と、物音が聞こえた。
「誰かいるのか!?」
俺は疲れも忘れて駆け出した。
こんな辺鄙な場所を歩いている人間なんてそういないはずだ。
きっと、Piaキャロ塾の場所を知っているに違いない!
そんな事を考えながら俺は10メートルほど走ったところで・・・踏み出した右足に何かがぶつかった。
「え!?」
足元を引っ掛けられた俺は、バランスを崩し、走っていた勢いそのままに前のめりに倒れて・・・
マズイ!
俺は咄嗟に両手で受け身を取ろうとして、
ムニュ。
「きゃあ!!」
ズザァァァァ。
な、なんだぁ?
予想だにしなかった展開に一瞬、何が起きたのかわからなかった。
・
・・
・・・
・・・・・・状況を冷静に確認してみよう。
俺は走りながら、今は足元にある倒木につまづいてしまったようだ。
俺の不注意というよりも、生い茂る雑草に隠れて見え難い状態だったようだ。
で、俺は木につまづいて前へと転んだ・・・が、なぜか身体に痛みは無い。
咄嗟に伸ばした両手には固い地面の感触ではなく、柔らかい何かが・・・
「きゃあああああああああああああ!!!!!!!」
鼓膜が破れるかと思うほどの大音響が俺の耳元で響き渡った。
思わず両手を上げて俺は両耳を塞ぐ・・・すると辛うじて持ち上がっていた俺の上体は倒れ、顔面から地面へと突っ込み、
ムニュ。
今度は顔に柔らかな感触が・・・
「きゃーーーー!! チカン!! ヘンタイ!! ストーカーーーー!!!!!」
「う、うわわわわわ!!」
ボケていた俺の脳みそがようやく事態に気が着いて俺は、慌てて後方に飛び上がった。
そのまま尻餅をついた俺の目の前には長い黒髪の美しい少女がへたりこむように座って両手で自分の両肩を庇うように抱きしめていた。
容姿もまちがいなく美人と言えるものだが・・・あいにく、逆三角形の形になって俺を睨みつけるその表情ではかなりマイナスだと思う。
俺は・・・つまり、この娘が倒れていた(多分俺と同じようにつまづいて転んだのだろう)所へ転んで、彼女の上に倒れてしまっていたのだ。
「あ、ご、ごめ」「何すんのよ、この犯罪者!!」
謝ろうとした俺の言葉を遮って少女はまくし立てるように怒鳴りつけてきた。
「さっきから、着かず離れず後を着けて来るストーカーがいると思ってたら、とうとう本性を現したわね! 来るなら来なさい!! アンタみたいな変質者はこの場で成敗してやるわ!!」
「ちょっと待てい! 誰がストーカーだ!!」
「見知らぬ女の子を尾行して、人がいないのを見計らって襲い掛かるアンタの事よ!!」
「ぬぅわにぃ?」(なにい?)
女(少女と呼ぶに値しない)のあんまりな言葉に俺は思わず言い返してしまった。
まるで天敵同士のように睨み合ってしばし対峙する俺達・・・これが俺と女――日野森あずさとの“やっぱり最悪な”出会いだった。
つづく・・・
とんでもない初日の出来事から早くも二日が経った。
あの後、30分ほど、日野森とお互い顔を背けながら歩いた先にPiaキャロ塾はあった。
建物はごく普通の学校のような鉄筋コンクリートの建物だった。
さぞや人数がいるのか・・・と思ったらなんと生徒は俺と日野森だけだという。
「まあ、“あんな事”をやらされりゃ逃げ出すのも無理もないさねえ」
案内をしてくれた用務員のおじさんの意味ありげな言葉に嫌な予感は膨らむばかりだった。
今日は朝礼があるとの事で、グラウンドに整列していた。
・・・と、言っても生徒は俺と日野森の二人だけなので、広いグラウンドにポツンと立っている姿を見て、これが朝礼だと思う人は少ないだろう。
「なあ、日野森」
「・・・なによ?」
少々つっけんどんな物言いだが日野森とは会話はできるようになった。
流石にたった二人の生徒では、話す相手がいないと寂しいからなあ。
「俺、ここの塾長って見たこと無いんだけど、どんな人か知ってるか?」
「さあ・・・あたしも知らないわ。こんな変なところの管理者だから変人じゃないの?」
「・・・・・・凄い事言うな、日野森は・・・」
『静聴!』
「「!!」」
突如響き渡ったスピーカーの放送に思わず俺たちは背筋を伸ばした。
『これより木ノ下祐介塾長による訓辞を頂きます』
案内のスピーカー音が途切れると同時に校舎から一人、悠然とこちらへと歩いてくる。
見た目は二十台前半、ちょっと頼りなさ気ではあるが、ハンサムな男の人だった。
塾長と言うからには“巨漢のハゲ親父”を想像していた俺は驚きを覚えた。
「どうも。挨拶が遅れましたが、僕がこのPiaキャロ塾の塾長の木ノ下祐介です」
そう言って塾長――木ノ下さんはぺコリと頭を下げた。
慌てて俺と日野森は頭を下げた。
「初日から色々な事があったと聞いてますが、どうかこれに懲りることなく頑張って下さい」
ニコヤカに話す木ノ下さんを見て、少し安心した。
どうやら、この人はマトモらしい・・・
「・・・・ですので、我々Piaグループのモットーは、お客様に喜びを与える事です。それは当然、美味しい食事と・・・・・・」
俺がなどと考えている間にも木ノ下さんの言葉は続いていた・・・
ツンツン。
その時、日野森が俺の腕をソッとつついた。
「ねえ・・・なにか様子が変じゃない?」
日野森が小声で俺に話し掛けてきた。
「変って何が?」
「あの塾長さんの・・・なんか話している間に目つきが・・・」
「・・・・で、Piaのウリと言えば食事もモチロンですが、やっぱり一番のウリはあの各店3つのデザインがあるウェイトレスの制服でしょう! あのデザインには僕も関わっていまして、胸のカットなんかかなり苦労を重ねまして・・・」
日野森の言う通り、何だか目つきも話の内容も怪しくなってきたような・・・
「・・・で、やはりアレは人類の英知と言っても過言ではないでしょう! ウェイトレスという服装を最初に考えた人に私はノーベル賞を差し上げたい! やっぱり、制服は、制服は・・・・」
大袈裟に身振り手振りをして怪しい持論を力説していた木ノ下さんの動きが一瞬止まって、
「男のロマ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ンンンンン!!!!!!!!!」
キーーーーーーーン。
み、耳が痛い・・・・木ノ下さんの大絶叫は鼓膜が破れたかと思うほどの破壊力だった。
隣を見ると日野森も両耳を押さえてうずくまっていた。
「だ、だからですね!・・・ん!? な、なんだお前達は!?」
木ノ下さんの言葉に視線を木ノ下さんに向けると、どこから現われたのか4人の黒ずくめの男が木ノ下さんを羽交い絞めにして引きずっていく・・・・
「ま、まだ話は終わってないぞ! 放せ! 放せ〜〜〜!!」
・・・・・・非合法なクスリでもやってるのか、あの人は・・・・・・
やっぱりここは何か普通ではないようだ・・・・
つづく・・・
「ふふふ・・・ここですね」
暗雲立ち込めるPiaキャロ塾正門前に一人の少女が立っていた。
頭につけたポンポン付のカチューシャが良く似合う可愛らしい顔立ちの少女だった。
しかし、その瞳を見た者は彼女の外見とそぐわぬ肉食獣を思わせる凶暴な瞳に恐れをなして逃げ出すだろう。
「クックック・・・・・・逃げても無駄です、お姉ちゃん」
「・・・あの、どちら様です?」
「キャッ!」
突然声をかけられて、少女は今までの凶暴さを忘れたような可愛い悲鳴をあげて後ずさった。
自分の世界に浸っていた少女は、“不信人物”を見咎めて近づいてきた人に気がつかなかったようだ。
「あ、あなたこそ誰ですかぁ?」
「私は・・・Piaキャロット2号店マネージャー兼Piaキャロ塾・講師の双葉涼子だけど・・・あなたは?」
少女はフフン、と鼻を鳴らすと、涼子を指差して、
「雑魚に用はないですぅ。とっとと日野森あずさを呼んで来るですぅ」
ピキ。
「日野森さんを?・・・どういった事でしょうか?」
“雑魚”呼ばわりされた涼子はこめかみに青筋を浮かべたが何とか自制して、穏やかに問い掛けた。
「オバサンには関係ないですぅ! とっとと呼んで来ないと痛い目に合いますよー」
「オ、オバ・・・」
ブチッ。
涼子の自制心は5秒が限界だった。
「・・・ちょっとお・ね・え・さ・んのお仕置きが必要みたいね」
「ふふん、やる気ですかぁ?」
涼子はどこからともなく、背中から一本の日本刀を取り出す。
と、同時に少女はボクサー・スタイルの構えをとる。その両拳にはメリケンサックが装着されていた。
「ふうん・・・お・チ・ビ・ちゃんのアクセサリーにしては派手ね」
「ムカ・・・ふふん、このメリケンは普通の代物じゃないですぅ。ダイヤモンドより硬いマグナムスチール製・・・この世にこの拳でぶち壊せないものはないんですぅ」
フッ・・・自信の満ち溢れた少女の言葉に涼子は薄く笑った・・・それは嘲笑の笑み。
「面白いわね・・・私も同じような事を言ってるのよ・・・」
スラリ――涼子が鞘から抜いた刀は、曇り一つ無く銀光をを輝かせていた。
「この世で斬れないものはない、双文字流斬鉄剣!(そうもんじりゅう・ざんてつけん)」
スッ・・・と剣を腰だめに構える――居合の構えである。
「どっちがハッタリなのか・・・白黒つけましょうか」
少女の顔からも笑みが消える・・・涼子の言葉がハッタリではないと感じたのだろう。
少女も脇を占め、攻撃の構えをとった。
・
・・
・・・
・・・・・・同時に動いた!
「「うおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」」
ガキィィィィィィィィィィィィィン!!!!
甲高い金属音の交差する音を響かせて二人はお互いのいた場所で止まった。
「・・・名前、教えてくれる?」
涼子静かに問い掛ける。
「人は美奈の事をミーナと呼ぶですぅ」
「・・・そのマンマじゃん」
ピキ。
涼子の思わず言ってしまった絶妙なツッコミに少女――美奈の身体は一瞬石化した。
「ウ・・・ひっく」
「え?」
思わぬ反応に涼子は振り返ると・・・美奈はグスグスと泣いていた。
「お、お姉ちゃんに言いつけてやるですぅぅぅぅ〜〜〜!!」
ベソかきながら美奈はダッシュで校舎に駆けて行った・・・
「な、なんだったのかしら・・・あの娘・・・」
風のごとく走り去った美奈に呆然とする涼子・・・彼女が自慢の愛刀にヒビが出来ていた事に気付くのは翌日のことであった。
つづく・・・
今日も今日とて、Piaキャロ塾で俺と日野森は研修を受けていたが・・・
「インイチがイチ! インニがニ! インサンがサン!・・・」
・・・なぜ高校生にもなって九九の授業なんだ?
「・・・九九、八十一!」
「はい、ゴクローさんダス。1時間目の授業はこれで終わりダス」
パートのオバちゃんのような講師はそう言うと教室を出て行った。
隣を見ると、唯一のクラスメートの日野森が暇そうに方杖をついていた。
彼女もさすがにここの授業を馬鹿らしく思っているらしい。
「平和ね・・・」
日野森がボソッと独り言のように言葉を発した。
「平和って言えば、平和だけど・・・なんて言うか、退屈だな・・・もっとやりがいのある仕事だと思ってたのに」
「贅沢言ってるわね・・・あなたは平和な生活の喜びってものがわからないのよ。きっといい人生を過ごしてきたんでしょうね」
韜晦したお年寄りのような言葉を放つ日野森に俺はどこか違和感を感じた。
「なあ、日野森・・・お前、なんでここに来たんだ?」
ビクッ。
何の気もなしに聞いた質問だったが、日野森の過剰な反応に驚いた。
顔を俺から背け、ブルブルと震えだしたのだ。
「お、おい、日野森、どうしたんだ!?」
「・・・逃げたかったのよ」
「え?」
「あの子から・・・逃げられるなら、地獄だろうと、天国だろうと、トリニーダードトバゴだろうとどこへでも行くわ・・・だからここに来たのよ」
いや、最後のトリニーダードなんたらってのは、いったい・・・?
「フフフ・・・なら地獄へ送って上げましょうかぁ?」
聞きなれない声に俺が教室の出入り口に視線を向けると・・・愛らしい少女がこちらを見つめていた。
「ヒィィィィ!! ミ、ミーナ!? ど、どうしてここが・・・」
「クックック・・・お姉ちゃんの行動なんてすべてお見通しですぅ」
少女を見た日野森は悲鳴をあげて俺の胸に飛び込んできた。
事情がわからない俺は、とりあえず飛び込んできた日野森をどうしていいかわからず、軽く日野森の肩をに手を置くと・・・その身体は震えていた。
「お、おい日野森。あの子の事、知ってるのか?」
「あ・あ・あ・・・」
ダメだ、気が動転して、言葉も喋れないようだ・・・
「フフフ、ちょっとカッコいいお兄さん。美奈が説明してあげるですぅ」
少女――ミーナと名乗った少女は愛らしい姿とは裏腹に邪悪そのものな笑みを浮かべて語った。
・・・彼女はミーナこと、日野森美奈。日野森あずさの実の妹らしい。
日野森姉妹は、早くに両親を無くして叔父夫婦の下で育てられていたらしい。
叔父夫婦は子供の無い家で、姉妹は実の子同様に大切に育てられた。
姉妹の仲も良く、二人は何不自由なく育った・・・
「でも、アレがミーナを変えちゃったのよ・・・」
ようやく落ち着いてきたのか、日野森が口を挟んできた。
「アレって?」
「3年前・・・ミーナはアメリカに留学したの。そして帰ってきた時、昔のやさしかったミーナはどこにもいなかったの」
悔やんでも悔やみきれないとばかりに日野森は首を振った。
「フフフ・・・変わったんじゃにですぅ。美奈は力を得たんですぅ。米国海軍士官学校(アナポリス)で、美奈の潜在能力が開花したんですぅ」
嬉しそうに美奈はその場でシャドウボクシングを見せた。
ビュン! ビュン! ビュゥゥゥン!!
拳の風を斬る音がそのパンチ力が尋常でない事を物語っていた。
「向こうの生活は地獄でしたぁ・・・弱肉強食。弱い者には生きる価値が無いんですぅ」
・・・アメリカって自由の国だったのでは?
「だから! なんでそれを日本でもやろうとするのよ! あなたのお陰で私の生活は滅茶苦茶よ!」
「フフフ、言ったじゃないですかぁ。弱い者には生きる資格は無いって・・・強者がすべてを支配するのは当然の事ですぅ」
・・・なんとなく日野森が逃げ出してきた理由がわかってきたような気がする。
「さあ、お姉ちゃんは美奈の奴隷ですぅ。とっとと帰ってキリキリ働くですぅ」
「い、嫌よ! あんな生活もう真っ平よ!!」
日野森が慌てて俺の背中に隠れた。
「フフフ・・・やっぱり痛い目をみないとわからないようですね・・・」
ズンズンと俺たちに近づいてくる美奈ちゃん・・・鬼気迫る姿とこの事だろうか。
「ま、待って、美奈ちゃん。は、話し合おうよ」
「ん〜? なんですか、お兄さん。関係ない人は黙っててください」
ギロリ、と俺を睨みつける美奈ちゃん・・・うう、めちゃ怖いぞ。
その時、日野森が俺の背後で(日野森の立場から言えば)名案を思いついた事に俺は気がつかなかった。
ギュウ。
「わっ、ひ、日野森!?」
何を思ったか、俺の背後にいた日野森が俺の身体にしっかりと抱きついてきた。
・・・背中にあたる柔らかい感触が・・・けっこう大きい。
「み、ミーナ! 私、この人と付き合ってるの! 彼と離れ離れになるなんて嫌なの!」
「は、はあ!?」
日野森の言葉に俺は仰天した。
俺と日野森が付き合ってる?・・・ど、どういうつもりだ、日野森の奴??
「・・・・・・それって、どういう意味です?」
一段と低い声で美奈ちゃんが凄んでくる。
「わ、私たちを引き離したかったら・・・この人に勝ってからにしなさい! ね、こ〜じ?(はぁと)」
な、何がこ〜じ(はぁと)だ! 日野森、俺を巻き込む気か!?
「ち、違うんだ、美奈ちゃん! 俺は別に・・・」
ぎゅうううう。
日野森が一段と俺に抱きついてくる・・・ああ、日野森のムネが・・・
「・・・・・・わかりましたぁ。この男をぶちのめせば良いんですねぇ」
ギラリと美奈ちゃんの目が光った。
ハッ!? し、しまった! 日野森のムネに気を取られているうちに・・・
「今日の所は退いてあげるですぅ。明日の正午、ここのグラウンドで勝負ですぅ。首を洗って待ってるですよぅ。ちょっとカッコいいお兄さん」
「え、あ、ちょ、ちょっと待って・・・」
俺の言葉を無視して美奈ちゃんは怒りのオーラを立ち昇らせて去って行った・・・
「頑張ってね、こ・う・じ♪ こうなった以上、私たちは一蓮托生よ!」
「お前が勝手に巻き込んだんだろうがぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
にこやかに激励の笑顔を見せる日野森を見て、ふと、思った。
この姉にして、あの妹ありと・・・
つづく・・・
・・・一日が過ぎた。
今日は美奈ちゃんとの対決・・・だが。
「・・・日野森、何やってるんだ?」
朝、寮の廊下で巨大な荷物を抱えて四苦八苦している日野森を見て呆れたような声をかけた。
「何って・・・当然逃げ出すのよ。ここにいたら命が危ないわ」
「お前・・・俺のこと、全然期待してないのね・・・」
「期待って言ったって・・・ミーナに勝てる人間なんている訳ないわよ。あなたはあの子の恐ろしさを知らないのよ」
・・・まあ、確かにあの子は強いだろうけど・・・
「あのなあ、日野森。俺は確かに美奈ちゃんの強さは知らないが、お前も俺の強さを知らないんじゃないか?」
「え?」
虚を突かれたように日野森は驚きの表情で、俺の顔から足のつま先までをジックリ見つめていく。
ちょっと照れくさい・・・
「・・・特に格闘技をしているようには見えないけど」
「そんな事、見ただけでわかるのか?」
「私だって黙ってミーナにやられてた訳じゃないわよ。ミーナに対抗すべくちょっとは鍛えてるわ」
日野森はフッ、と長い髪を掻き上げて胸をそらして自慢気に言った。
「でも、美奈ちゃんには適わなかった」
「うう・・・」
俺のツッコミに日野森は一転、いじけてしまった・・・
「とにかく、やる前から諦めるなよ。もしダメだったらお前だけでも逃がしてやるからさ」
俺の言葉に日野森は戸惑ったような表情を浮かべた。
「あの・・・前田くん? 聞いても・・・いいかな?」
「ん? 何?」
いつに無くしおらしい日野森の口調で俺に話し掛けてくる。
「何で・・・前田くんはそんなにやる気になってるの?」
「えっと・・・そう言えば、何でかなあ」
「な、何でかなって・・・理由が無いのにあのミーナと闘うの?」
そう、俺自身、不思議だった。
俺は巻き込まれただけであり、本当は闘う理由などない。
日野森が逃げ出そうとしていたが、本来なら俺こそが逃げ出すべきだろう。
「うーん、何ていえばいいのかなあ・・・昨日、美奈ちゃんと相対した時、確かに凄い迫力だったけど、ちょっと興味も湧いたんだ」
「興味?」
「そう・・・この子と闘ってどこまでやれるかなあ、って」
(嘘・・・私なんか初めてミーナが帰って来た時なんて怖くてたまらなかったのに)
俺は驚愕している日野森に気がつかぬままに自分自身も考えていなかった事を語っていた。
「それと・・・なんか美奈ちゃんが、寂しそうだったから」
「寂しい?」
「そう・・・美奈ちゃん、アメリカでたった一人、苦労してきたんだよね。それなのに懐かしい日本に帰っても一人・・・美奈ちゃん、本当は誰かに構って欲しかったんじゃないかな?」
(寂しい・・・? 構って欲しかった・・・?)
「まあ、直感みたいなものだけどね。俺の直感が本当かどうかは・・・コイツで聞いて見るしかないんじゃないか、と思ってね」
俺は握り締めた拳を日野森に見せるようにして言った。
「・・・そうね。私、ミーナの事なんて考えてなかった。あれはミーナなりの愛情表現だったのかも・・・」
はた迷惑な表現方法である。
「でも、私じゃミーナを止められない・・・アナタにそれができるの? 口で言ってわかる相手じゃないわよ」
「わかってる・・・ま、やるだけやってみるさ」
俺は心配するな、とばかりに日野森に笑いかける。
「!」
俺と目の合った日野森はなぜか慌てて目を逸らした。
?・・・今、日野森の顔が赤くなったような気が・・・気のせいか?
「わ、わかったわ・・・勝負が終わるまでは見守ってあげるわよ。でも、約束よ。アナタが負けたら私は逃げるからね・・・死んでも時間を稼いでよね」
「わかってるって」
随分な言い草だが、なぜか俺には日野森の言葉が強がってるようで微笑ましかった。
「ふふふ・・・これは面白い話だな」
「店長――じゃなかった、塾長・・・冗談じゃありませんよ。私闘はPiaキャロ塾では禁止ですよ」
耕治とあずさが寮で話をしていた頃。
Piaキャロ塾・塾長室では祐介と涼子が話していた。
「なら、私闘で無ければ良いんだね?・・・じゃ、これを“課題”にすればいい」
「!? ま、まさか塾長・・・」
祐介の言葉に涼子は激しく動揺を見せた。
祐介はほくそ笑みながらゆっくりとイスから立ち上がると、
バン!
両手を机に叩きつけた。
「久々にやりましょうか・・・Piaキャロ塾名物『撲針愚』(ボクシング)を・・・」
つづく・・・
俺と日野森がPiaキャロ塾の門をくぐった瞬間――
「な、何だこりゃぁ!?」「な、何なの、これ!?」
俺たちはほとんど同時に声を上げた。
だだっ広いばかりで何も無かったグラウンドは一夜にして球場のようなイベント会場に様変わりしていた。
即席のおよそ1000人分の客席は中央を一望できるように設置されており、その中央にはプロレスかボクシングのようなリングが出来ている。
「ふふふ・・・驚いたかな、二人とも」
「うわ!」「きゃ!」
いつの間にか木ノ下塾長が背後に立っていた。
「な、何なんですか、これ・・・」
「当然、君と日野森美奈さんとの決闘の舞台だよ」
「な、なんでその事を・・・」
「・・・気がついていないとでも思ったの?」
木ノ下塾長の後ろから沈痛な面持ちで涼子さんが出てきた。
「美奈さん・・・あなたたちの教室を出てから八つ当たりで散々校舎内に荒らしまわったのよ・・・まさかあの騒動が聞こえなかった訳じゃないでしょう?」
「「う゛」」
俺も日野森も聞こえないフリをしていた・・・とは流石に言えない。
「本来ならばPiaキャロ塾においては私闘は重大な規則違反・・・だが、これが当塾主催の“課題”とあればなんら問題はない!」
木ノ下塾長はポーズを決めて宣言した。
「課題って・・・ええ!? じゃあこの勝負に負けたら」
「採用取消ね」
りょ、涼子さん・・・アッサリ言わなくても・・・
「さっきも言ったように私闘だったら問答無用に採用取消なのよ。チャンスを与えられただけでも感謝して欲しいくらいよ」
「涼子さん・・・何か今日は冷たくないですか?」
あずさが恐る恐る涼子さんに問い掛けた。
「・・・当然でしょ。あ・な・た・の・妹さんがしでかした後始末をしたのは誰だと思ってるの・・・校舎、施設の被害を調べて、後片付けをして、被害総額を計算して・・・昨日は一睡もしてないわ」
涼子さんの眼が座っているのは寝不足だけが原因ではなさそうだ・・・
「ああ、修繕費を考えると頭痛が・・・」
「ま、まあまあ、涼子くん。その為にこのイベントで入場料を稼ごうって事だったんじゃないか・・・ハッ!?」
そうか、それでこんな大袈裟な施設を・・・
俺と日野森は冷たい視線を木ノ下塾長に向けた。
「あ、あー、エヘンエヘン! ともかく! 今日は最初の課題だ。頑張ってくれたまえ! 決闘は男のロマ〜〜〜〜〜ン!!!!!」
キ―――――ン。
ぐあ! み、耳が痛い・・・ゆ、油断してた。
俺と日野森が耳を塞いでいる間に塾長と涼子さんは姿を消していた・・・
「はいはーい、入場料は一律1000円ねー」
「ビールにおつまみ、いかがっすかぁーー!」
「さーあ、アメリカ帰りのアトミック・ガール、日野森ミーナが勝つか!? それともPiaキャロ塾、期待の新星、前田耕治が勝つか!? ただ今の配当は7:3でミーナ嬢が有利だ!」
「おーい! ビールくれ!」
「お、俺はミーナに1000円賭けるぞ!」
「よーし、俺は前田に500円!」
「てめー、賭けるならもっと奮発しろや、みみっちい!!」
・・・一体どこからこんなに人が集まってくるんだ?
決闘の時刻まで・・・すでに30分が過ぎていた。
観客席は超満員で、早くもかなりの賑わいを見せていた。
俺はすでにリング上で出番を待っていた。
肝心の対戦相手である美奈ちゃんはまだ来ていない。
「逃げた・・・わけないか」
「そんな訳ないでしょ!」
俺の独り言に日野森の鋭いツッコミが入った。
「しかし、美奈ちゃんはどうしたんだろ・・・宮本武蔵みたく、わざと遅れて来る作戦とか・・・」
「う〜ん、あの子にそんな知恵があるとは思えないんだけど・・・」
「日野森、さり気なく酷い事言ってないか?」
「そう?」
しかし、本当にどうしちゃったんだろ・・・?
ディーーン! ディーーン! ディーーン! ディンディン!・・・
な、何だああ! どこからともなく「GO!GO!ウェイトレス」のメロディが!?
「あ、私の携帯鳴ってる」
「日野森・・・凄い着メロ登録してるな・・・」
「はい、もしもし?・・・・え? ミーナ?」
え? 美奈ちゃんから電話?
「どうしたの、ミーナ? もう時間はとっくに過ぎて・・・え? ええ!?」
「ど、どうしたんだ、日野森! 何があった!?」
日野森は手を額に当てて俯いて・・・俺に携帯を差し出した。
俺は携帯を受け取って、
「も、もしもし、美奈ちゃ・・・」
「うぇぇぇぇぇぇぇん!! ここ、どこですかぁぁぁぁ!! み、美奈、道に迷っちゃったですぅぅぅ!! あずさお姉ちゃん、迎えにきてくださぁぁぁぁい!!!!」
ガタァン!
俺はイス事その場でズッコけた・・・
(この作者、いつまでひっぱるつもりだ・・・)
つづく・・・
「・・・ま、待たせちゃったみたいですね」
日野森に連れられてやってきた美奈ちゃんはさすがに、ばつが悪そうな表情でリング上で待つ俺に声をかけてきた。
要領を得ない美奈ちゃんの電話内容から美奈ちゃんの現在地を見つけるまで30分。
日野森が迎えに行ってここまで連れてくるまで更に30分が経過していた。
都合、予定より1時間半も遅れたものだから観客をかなり焦れているみたいだ。
「それではこれよりPiaキャロ塾名物“撲針愚”のルールを説明します!」
マイクを持ってリング上に上がってきた涼子さんが高らかに開会宣言とも言える説明を始めた。
にわかに観客を盛り上がってきたようだ。
「まず、両選手はこのグラブを両手に装着しなさい」
「こ、これは・・・!」
涼子さんが俺と美奈ちゃんに渡したボクシンググラブに絶句した。
そのグラブは金属製で、表面の凶悪なトゲトゲが凶悪だ。
こんなもので殴られたら、ひとたまりも無いな・・・
「時間は無制限。パンチ以外の攻撃も反則ではありません。勝負の決着は相手が気を失うか、負けを認めた時だけです・・・説明は以上です」
自分のコーナーに戻る前に一瞬、美奈ちゃんを視線が合った。
「ふふふ、負けを認めるなら今のうちですよぅ。美奈は勝負の最中には手加減できませんからねぇ」
「・・・・・・」
俺は無言のままコーナーに戻った。
背後から美奈ちゃんのフン、と鼻をならす音が聞こえた。
コーナーに戻るとセコンドの日野森が迎えてくれた。
「ミーナのパンチスピードの速さは知ってると思うけど・・・特に注意しないといけないのが“メリケンパンチ”よ」
「メリケンパンチ?」
「ミーナの最大の必殺技・・・そのスピードは通常のパンチの3倍・・・音速を超えるとも言われてるわ」
「シャア専用みたいだな・・・」
あのただでさえ速いパンチが更に速くなるのか・・・
「・・・ところで、前田くん。さっきから何を見てるの?」
そう言うと日野森は俺がコーナーに戻ってからずっと読んでいた本の表紙を覗き込んだ。
『サルでもわかるボクシング入門』
・・・・・・
「今頃そんなもん読んでてどーするのよ!! アナタ、格闘経験あるんじゃなかったの!?」
「そんな事を言ったか?」
「言ったわよ!! 今日の朝・・・・・・あっ!」
〜〜〜〜〜回想シーン〜〜〜〜〜
「あのなあ、日野森。俺は確かに美奈ちゃんの強さは知らないが、お前も俺の強さを知らないんじゃないか?」
「え?」
虚を突かれたように日野森は驚きの表情で、俺の顔から足のつま先までをジックリ見つめていく。
ちょっと照れくさい・・・
「・・・特に格闘技をしているようには見えないけど」
「そんな事、見ただけでわかるのか?」
〜〜〜〜〜回想シーン終了〜〜〜〜〜〜
「・・・ほら、別に経験があるとは言ってないだろ。日野森も見抜いていたじゃないか」
「あれだけ自信満々の言葉を聞けば、誰だって格闘技経験があると思うに決まってるじゃない!!!」
俺の言葉に日野森は悲鳴ような叫びを上げて・・・やがてガックリと、うな垂れた。
「あのね・・・今日の試合にはアナタの首と、私の基本的人権が懸かってるのよ・・・」
「なに、ルールは大体わかった。何とかなるさ」
「ああ・・・もうお終いよ・・・信じた私が馬鹿だったわ・・・」
すっかり惚けてしまった日野森は涙を流して胸の前で十字を切っている。
「両者、前へ!」
レフリー役の涼子さんの声に応じて俺と美奈ちゃんはリング中央に集う。
美奈ちゃんはいつもの邪悪な笑みを浮かべて俺を見つめている。
「聞こえてましたよぅ・・・素人の分際でよくもまあ美奈に勝負を挑んだものですね・・・」
美奈ちゃんは俺の姿を頭のてっぺんから、足のつま先までを舐めるように見つめる・・・それは狩る獲物の品定めでもするように。
「上等ですぅ。ズタズタのボロボロのゲドゲドのギタギタにしてやりますよ」
・・・ゲドゲドって何だろう?
カーーーーーン!
俺の疑問が解ける前に勝負開始のゴングが場内に鳴り響いた。
つづく・・・
「先手必勝ですぅ!」
ゴングがなると同時に美奈ちゃんは右の拳を振り上げて一直線に俺に向かってくきた。
「うおっ!」
俺は慌てて頭を下げつつ右に身体を流す。
ドカッ!
俺がさっきまで傍にあったコーナーポストが美奈ちゃんの一撃で砕け散った。
避けた際に勢いのまま地面に転がり、距離を広げようとするが、
ドゴッ!
間一髪・・・
俺の進行方向を予測して放った美奈ちゃんの一撃は、寸前で身体の回転を止めた俺の顔の数センチ前のマットにめり込んだ。
「くっ!」
マットにめり込んだ拳を引き上げるのに美奈ちゃんが苦戦している隙に、俺は立ち上がって美奈ちゃんと距離を広げた。
「ふんっ!」
気合を入れて美奈ちゃんは拳を引き抜いた。
「逃げてるだけじゃ勝てませんよぅ!」
言うや否や、美奈ちゃんは再び右の拳を掲げて俺に一直線に向かってくる。
ス――
今度は逃げない。
俺は左足を少し後方へ引き、右肩を正面に向けるように構える。
「とっととくたばるですぅぅぅ!!」
罵倒と共に美奈ちゃんの掲げた右手が動いた瞬間、俺は左ストレートを美奈ちゃんに放った!
「くっ!?」
ガシィィィン!
俺の攻撃に気がついた美奈ちゃんは咄嗟にパンチの軌道を変えて俺の拳に打ちつけた!
その結果、俺の左拳と美奈ちゃんの右拳が正面からぶつかり合い二人の動きを止めた。
「ふふふ・・・素人にしてはいパンチですぅ。でも、美奈にはこの程度じゃ通用しないですぅ!」
バキィィン!
俺の左拳のグラブは派手な音を立てて砕け散った!
「今までのはウォーミングアップのためのパンチ・・・大分身体が温まってきたですぅ」
美奈ちゃんが再び右拳を掲げて、
「これならどうですぅ!?」
フッ――
き、消えた!?
「!?」
バキィィィ!!
俺は美奈ちゃんのパンチを左頬に食らって吹っ飛ばされてリングに全身を叩きつけられた!
「前田くん!!」
日野森の悲鳴のような声が聞こえたような気がしたが・・・うう、パンチの衝撃で頭がクラクラする・・・しかし、このまま倒れているわけには・・・
俺はよろけながらも、なんとか立ち上がった。
「ふうん? 生意気に急所だけは外したみたいですね・・・」
立ち上がった俺を見て、意外そうな声で美奈ちゃんは言った。
「今のが美奈の必殺パンチ『メリケンパンチ』ですぅ。『メリケンパンチ』は音速を超えるパンチ・・・目で見切ろうとしても無駄ですよぅ」
・・・確かに見えなかった。
急所を外せたのは美奈ちゃんの腕のリーチを予測して、ほんの少し右に動けたからだろう。
だが、これでは完全にかわす事はできない・・・
「確かに・・・凄いパンチだ」
どうせ見えないなら・・・
俺は――頭のバンダナを下ろして目隠しをした。
「ちょ、前田くん! なにやってるの!?」
俺の突然の行動に日野森が驚きの声を上げる。
「ま、まさか・・・心眼・・・?」
「心眼?」
涼子さんのつぶやきに日野森が反応する。
「かつて・・・江戸時代、稀代の剣豪と言われた伽呂都一刀斎(きゃろっと・いっとうさい)の剣法最強の奥義として、心で相手の動きを完璧に見切るという“心眼剣”を極めたと言うわ・・・ただし、両目を自ら潰して、ね」
そう・・・おれが賭けたのはその心眼・・・目で見切れないなら、心で見るしかない。
「ふふっ、笑わせてくれるですぅ・・・そんなモノで美奈を倒せると思ってるんですかぁ?」
小馬鹿にしたような口調で美奈ちゃんがあざ笑う。
「・・・やれるさ。きっと・・・俺だけじゃない。日野森の為。そして美奈ちゃんの為にも・・・心眼剣、極めてみせるぜ!」
つづく・・・
「・・・ふふん、心眼だかなんだか知りませんけど、そんなハッタリが美奈に通用すると思ってるんですかぁ?」
「・・・俺にもわからない。ただ、やってみるだけさ」
コツ、コツ・・・美奈ちゃんが移動する足音が聞こえてくる。
「心で動きを見切る?・・・うふふ、だったらタイソンもホリフィールドも矢吹丈も目隠しで闘いますよぅ」
キュッ。
ビュン!!
「クッ!」
美奈ちゃんの足音で辛うじて俺はパンチをかすめる程度でかわした・・・が、このグラブではかすっただけでもかなりのダメージがくる。
ガッ!
ドカァァァァ!!!
「ぐはぁ!」
2発目までは辛うじてかすめる程度だったが、3発目はほとんどまともに食らった!
ドタァァァン!!
俺はそのままリング外に吹っ飛ばされた!
「前田くん!」
何とか起き上がろうとする俺に日野森がすがり付いた。
「も、もういいわ! 心眼剣なんてあり得ないわ・・・もう、十分よ・・・」
ポタッ。
・・・? 今、俺の顔に落ちた雫はひょっとして・・・
「そ、そういう訳にはいかないんだ・・・」
「まったくね。あんな小娘に相手にブザマね・・・」
「りょ、涼子さん! そんな言い方って!!」」
涼子さんの冷然とした声に日野森が非難の声を上げる。
「目隠しなんてハンパなもので本気で心眼剣を極められるとでも思ってるの・・・勝負の世界を舐めるんじゃ無いわよ!」
バシュッ!
涼子さんの愛刀による一閃が、見事、俺のバンダナだけを真っ二つに断ち切った。思わず目を開けた俺に、
バシャァァ!
何か液体が俺の顔に振り掛けられた。
「ぶっ! な、なにを・・・」
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・!!!!???
「ウギャァァァァァァァァ!!!!!!」
俺は焼けるような痛みを感じて飛び上がり、のた打ち回った!
「ま、前田くん!! 涼子さん、いったい何を!?」
「タバスコ」
「え゛」
「タバスコをぶっ掛けたのよ。Piaオリジナルの100%天然素材の良品よ」
涼子さんのしれっとした一言に日野森は一瞬、硬直した。
「な、なんて事するんですか! 涼子さん!!」
「心眼とは目に見えぬものを心で見ること・・・目があると思うからいくら目隠ししたって目で見ようとしてしまうわ」
「だから何なんです!」
「本当なら目を潰すべきなんだろうけど、さすがにそこまでは出来ないから、タバスコで少しの間目を潰せばいいかな〜と思って」
「なんでタバスコなんです!!」
「ちょうど近くにあったから・・・」
涼子さんと日野森のやりとりを俺は知るよしも無く、痛みのあまり走り回っている間にリングに戻ってしまっていた・・・が、そんな事すら俺には気がつかなかった・・・
「ク、クレージーですぅ・・・ふ、フツー、そこまでやりますかぁ?」
ドタバタとリング上を走り回る俺を、さすがの美奈ちゃんも当惑顔で見つめていた。
ドスッ! ドスッ!
美奈ちゃんは特製グラブを手から外して床に捨て――ポケットから愛用のメリケンサックを取り出して、その両手に装着した。
「もう付き合ってられないですぅ! 美奈愛用のこのメリケンで止めを刺してやるですぅ!!」
そう言うと、美奈ちゃんは俺に向かって必殺のメリケンパンチを撃ちこんできたが・・・
ビュン!
「ぐあぁぁぁぁぁ!!」
ヒョイ。
ビュン!
「め、眼がぁぁぁ!!」
ヒョイ。
ビュン!
「み、水をくれぇぇぇぇぇぇ!!」
ヒョイ。
痛みにのた打ち回る俺を美奈ちゃんのパンチはなかなか捕らえられない。
「くぅぅぅ!! ちょこまかとぉぉぉ!!」
「ど、どいてくれーーー!!!」
「え!?」
ドカァァァァ!!!
「きゃぅぅぅ!!」
水を求めて彷徨う俺の滅茶苦茶に振り回した拳が美奈ちゃんの頬にクリーンヒット!!
ズダァァァン!!
「そ、そんな馬鹿な・・・」
ガクッ――美奈ちゃんはそのまま失神してしまった。
「勝者、前田耕治!!」
涼子さんの声が場内に響き渡り、息を飲んでみつめていた観客は一斉に歓声の声を上げた。
「前田くん、水はこっちよ!」
「うあぁぁぁぁ・・・」
日野森が持ってきたバケツの中に俺は顔ごと突っ込んだ・・・
「・・・常に一撃KOで勝ってきた美奈ちゃんはどうやら打たれ弱かったみたいだね」
「あ、店長・・・じゃなかった塾長。いたんですか?」
「りょ、涼子くん、そりゃ無いよ・・・僕は今まで必死に売り子をやってたんだよ・・・」
情けない声で木ノ下塾長は肩を落とした。
「大丈夫? もう水は良いの?」
「うん・・・まだ眼がチカチカするけど・・・何とか見えるよ」
俺は瞬きを繰り返しながら言った。
「俺・・・勝ったのか?」
「ええ、そうよ・・・覚えてないの?」
「うーん。確かに何か拳に当ったような感触はあったんだけど、それどころじゃなかったんで・・・」
俺は苦笑しながら日野森に笑いかけた時、
「・・・・・・」
「あ、美奈ちゃん」
いつのまにか俺と日野森の前に美奈ちゃんが暗い表情で立っていた。
「・・・残念だけど美奈の負けですぅ・・・」
「いや、あれはマグレみたいなものだし・・・」
「いいえ! 勝負は勝った者が正義ですぅ! 美奈は・・・美奈は負けちゃたから、お兄さんの奴隷ですぅ」
「ど、奴隷っ!?」
「うう・・・どうか優しくして下さいね・・・美奈、精一杯尽くしますから・・・」
美奈ちゃんは涙を浮かべて、俺を上目遣いで見つめている・・・
え、あ、な、なんか俺が極悪人みたいなんですけど・・・(汗)
「ど、奴隷って・・・そんな必要ないから、な、仲良くしようよ、ね?」
「え?・・・美奈、お兄さんに負けたのに奴隷にならなくていいんですか? アメリカではこれが普通ですよぉ」
・・・いつからアメリカ社会はカースト制度が導入されたのだろうか・・・?
「必要ないって! 俺は美奈ちゃんと仲良くできればその方が嬉しいよ」
「・・・・・・」
「え? なんて」
美奈ちゃんの小声が聞こえなかったので聞き直すと、
「美奈、お兄ちゃんの優しさに惚れちゃいましたぁ! 美奈、奴隷にならなくて良いならお兄ちゃんの恋人になってあげますぅ!」
ななな、何故そうなる!?
「ちょっと、み、美奈ちゃ」「何を言うのミーナ!」
俺の言葉を遮って日野森が美奈ちゃんに噛み付くように声を荒げた。
「ミーナ! こ、耕治は・・・わ、わたしの恋人だって言ったでしょ!」
「ふふ〜ん、そんなバレバレな嘘、気がついていないとでも思ってたんですかぁ?」
美奈ちゃんは日野森相手だと余裕を取り戻したのか、突然態度が豹変した・・・と言うか、元に戻った。
「大体、お兄ちゃんもこんな怒りんぼの、無駄にムネにばっか栄養の偏ってる馬鹿女より美奈みたいな可愛い妹タイプの子の方が気に入るに決まってますぅ♪」
「ななな、なんですって!!・・・貧乳で小学生と間違えられたクセに(ボソッ)」
ピキ。
「・・・い、言ってはいけない事を言っちゃいましたねぇぇ!!」
「なによ! やろうって言うの!?」
「上等ですぅ!」
・・・俺の目の前で醜い姉妹喧嘩が始った・・・あれだけ美奈ちゃんに怯えていたはずの日野森もどういう訳か美奈ちゃんと互角に闘っていた。
「・・・なんか、更にややこしくなっただけのような気が・・・」
場内の観客は新たな見世物に喜んでいるようだ。
響き渡る歓声の中、俺の言葉は誰も聞こえなかったようだ・・・
「・・・くそう、耕治の奴・・・一人でいい思いしやがって・・・モテモテじゃないか」
歓声に湧く観客席の中、一人、耕治に向かって憎しみの視線を送る者がいた。
「ふっふっふ・・・今に見てろよ、耕治・・・目に物見せてやるかな・・・!」
つづく・・・