T.準備編

 

1999年10月某日
月末にやってくる長期休暇に、私はイタリア旅行を計画した。 目的はいろいろあるが、きっかけとなったのは大好きな レスピーギが作曲した交響詩の舞台となったローマの街を歩いてみ たいと思ったことであった。 しかし、思い立ったのが出発の1ヶ月前で、ちょうど旅行シーズンだった こともあってエアチケットがとれなかった。 旅行の企画を公表したHPまで作ったというのに、休みに入る1週間前、 私の旅行計画は、無期延期となったのであった。
 
2000年2月某日
年が変わって2000年。仕事の忙しさが一段落した2月のある日、私は 春休みの予定について考えた。 日本に帰ってばかりではつまらないし(仕事の関係で2月に一時帰国した)、 南の島のビーチへ一人で行ってもつまらないし、 どうしようかなと考えた。 友人に相談したところ、「一緒に韓国へ行かない?」と誘われた。 私の選択肢に韓国はなかったが、その話のなかで韓国とおなじ東アジアに 属する台湾が急浮上。 寒い季節に、温泉につかりに台湾に行こうかな〜、と。 それに、台湾なら、日本に帰ったついでによれるし。(どっちがついで なのかは、この際置いておいて。)そんなことで、台湾のガイドブックを 購入し、台湾ツアーに夢を馳せていたころ、SOGOの本屋で、1冊の本に 出会った。「イタリア=鉄道旅物語」と題されたその本は、「イタリア」と 「鉄道」の2つのKeywordsから、私の想像力をかきたてる本だった。 さっそく購入し、家に帰って読んでみる。私は、イタリア行きを決意した。

「そうだ、ローマへ行こう。」

数ヶ月前の記憶が蘇る。そう、私が憧れていたのは、ローマだった。 そう、この時に私はイタリア行きを決意した。
とはいえ、ヨーロッパまでの道のりは交通費が高く、私の悩みのたねであった。 直行便は高いので南回りのタイ航空かシンガポール航空で行く予定だった。 ところが、シンガポール航空が意外に高く、(マレーシア航空という手もあったが、 マイレージがたまらないので、選択対象外だった。)いろいろと インターネットを調べていると、エールフランスがプロモーションをやっている ことが判明。会社のローカルスタッフに聞いたところ、5800ドル(約9万円) ということで、即決してしまった。

こうして、私の初めてのヨーロッパ、イタリア行きが現実のものとなったのである。

 

2000年2月某日A

イタリア行きが決まり、まずはガイドブックを買いに本屋へ走る。 昔は、「ガイドブックは黄色い本」と決めていたのだが、最近は、「黒い 背表紙の本」に浮気をしている。だって、私がしたいのは個人旅行であって、 貧乏旅行ではないから。それに、カラーページが多い方が見ていて楽しいし。 ということで、「北イタリア・ローマ」の本を購入。ルートの検討にはいる。
また同時に、インターネットでイタリア関連のページを探し、情報収集をすると、 なにやらナポリの近くにある、「カプリ」という島が面白いらしいという情報を得た。 ところが、北イタリアのガイドブックを買ってしまったので、ナポリやカプリの 情報は何も載ってなかった。それに、会社の友人に、
「若いうちは、やっぱり南イタリアでしょ。シチリアとか・・・」
と言われて、南イタリアも捨て難いと思ったので、こんどは黄色い本の 「南イタリアとマルタ」を購入。いつもとは違った感じのページ構成で、 眺めていて楽しくなる本で、シチリアのタオルミーナにも俄然興味が湧いて きました。

そんなこんなで、おおまかなルートを作っては消え、消えてはまた作り、 楽しい毎日が続くのであった。

 

2000年3月2日(木)

イタリアの中で移動が多く、夜行列車での移動も考えていたので、 鉄道のパスを購入することにした。
この鉄道パスは、どこの旅行会社でも 取り扱っているってわけではないらしく、某旅行会社に電話したら、 自社では扱っていないといって、取り扱っている別の旅行会社を教えて くれた。
そこへ電話をし、値段を聞く。なぜかこのとき「1等のパス」 と答えてしまった。(結果的には大変良かったのだが。)即日発効を してくれるらしい。香港のIDを持っているかと聞かれ、「持っているよ」 と答えたら、送られてきたパスにはしっかり「香港在住」と書かれていた。 (右写真がイタリアのレイルパスです。)

 

2000年3月10日(金)
大まかなルートが決まったところで、ホテルを予約することに。 数日前に、インターネットで予約できる旅行会社に、海外在住の旨を 伝えると、「日本国内にしかクーポンを送ることができないので、 そこから転送してもらってください。」とのことだった。
いろいろと料金を調べながら、結局2つの旅行会社に5泊分の ホテル予約をした。
ローマのホテル→
eトラベル ナポリ・ミラノ・パリ→アップルワールド
ホテルを決めてしまうと、ほっとする反面、スケジュールに強制力が 生じてくるため、なんとなく不安にもなったりする。ま、いいか。
 

2000年3月16日(木)

夜、母親から電話があり、ホテルクーポン券がそろったとの事。 金曜日の夕方に香港宛てに送ってもらうことにする。
 

2000年3月21日(火)

親からホテルのクーポン券が届く。母親の字に懐かしさを憶える と共に、たどたどしい英語表記に、よくここまで届いたものと感心した。
 

2000年3月24日(金)

現地通貨を手にするべく、銀行へ向かう。香港は金融の街といわれているが、 海外旅行の際には、そういった恩恵を享受することができる。 なぜなら、一般の市民も為替相場とほとんど変わらないレートで現金のやりとりができるからだ。私は一年前、春休みを利用してアメリカへ行った。 その際、アメリカ国内における換金レートの悪さに閉口し、それ以来、換金は 香港でするようになった。 さて、私はイタリアに7泊、フランスに1泊する予定(途中、日帰りで スイスにも立ち寄るが)なので、とりあえずイタリアのリラとフランスの フランを手にしておく必要があった。フランスの通貨を使用するのは最後の 1泊なので、後回しでもいいかと思ったのだが、エールフランスでパリにて トランジットなので、その際にお金を使うかもしれない…ということで、 フランス通貨も用意しておくことにした。 会社の近くの銀行へ行くと、フランスのフランはあるが、イタリアのリラは 無いと言われてしまった。まあ、どこのブランチにでもそんな世界中の通貨が 置いてあるわけが無いのだが。しかし、そこの店員さんは丁寧にも、近くの ブランチに電話をしてくれ、イタリアンリラへの換金が出来るブランチを紹介 してくれた。それは、そこから歩いて数分の大通りに面した支店だった。 店の窓口に立ち、キャッシュカードを差し出し、「1ミリオン イタリアンリラ プリーズ。」とたどたどしい英語で注文をする。なんか、1ミリオンという 所にブルジョアな空気を感じてしまうのは、私だけだろうか。 いくらイタリアンリラの通貨価値が低いといっても、1ミリオンである。相当な 札束が来るだろうと予想していたのだが、手渡されたのは、なんとたった2枚の 紙幣だった。
 

2000年3月26日(日)

香港最後の夜である。エアチケットのリコンファームをしていないことを 思い出し、旅行社でもらったパンフに目を通すと、「予約再確認がございませんと、お客様の 予約は、すべて取り消されますので、十分ご注意下さい。」とある。 おいおい、「取り消される場合がある」じゃないのか!?と 目を疑ったが、 しっかり「取り消されます」と断定で書いてある。 本当か!? 今まで、行きの飛行機でリコンファームなんて、したことが無いぞ!! ま、すべて明日分かることだ。24時間後を楽しみに、今日は眠りにつこう。
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