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奥羽・北陸・ 関東・東海・ 近畿・ 中国・四国・九州

◇解説
名前
よみがな
参考
Up日
簡易列伝。人物名等は、存在する限りリンクされています。
所属

◆奥羽・北陸
南部晴政
なんぶはるまさ
烈風伝
00/04/15
南部家第24代当主。次々に起こる領内紛争の平定に明け暮れる人生を送る。信長に対して臣従の意思を表していた。
南部
伊達正宗
だてまさむね
烈風伝
00/03/06
独眼竜。家督相続後瞬く間に南奥を平定。その後、豊臣秀吉下の政権での謀略も巧みに潜り抜ける。関ヶ原では東軍に属し上杉軍を破り、徳川政権下で62万石を領有する大大名となる。
伊達
最上義光
もがみよしみつ
烈風伝
00/04/20
武勇に優れた知将。弟義時との家督争いに勝利して最上家頭首となる。関ヶ原の戦いでは東軍につき上杉景勝を攻めた。
最上
佐竹義重
さたけよししげ
烈風伝
00/03/16
鬼義重、坂東太郎。生涯に渡り北の伊達正宗、南の北条氏政と対立する。豊臣秀吉とは交友を持ち小田原攻めにも当然のように参戦している。
佐竹
北条氏康
ほうじょううじやす
参考
Up日
北条早雲より続く、戦国北条の三代目。河越野戦では山内上杉・扇谷上杉・古河公方連合軍約8万を、圧倒的な劣勢下で撃破、これによって関東での覇権を確立する。後に有名な甲相駿三国同盟を締結。政治面でも卓越した手腕を発揮した。
北条
上杉謙信
うえすぎけんしん
将星禄
99/11/xx
越後の虎。毘沙門天の化身。関東管領・上杉憲政の要請によって上杉性を名乗る。武田信玄との激突、関東官僚としての出陣などその人生は戦に明け暮れていた。1578年の関東出陣を前に脳溢血で急死し、享年49歳であった。
上杉(長尾)S+B−B−
村上義清
むらかみよしきよ
烈風伝
00/09/03
名門村上家の頭首。信玄が武田家の頭首となるまでは信濃に巨大勢力を誇っていたが、信玄の侵攻け、一時盛り返すも徐々に衰退し上杉謙信の傘下に入った。その後も度々旧領土奪回を目指すが、夢叶う事は無かった。
村上/上杉B+D+
真田幸村
さなだゆきむら
烈風伝・将星禄
00/01/05
本名真田信繁。若年を上杉家、豊臣家での人質生活で過ごす。関ヶ原においては西軍につき徳川秀忠軍を足止め、敗戦後は兄信幸によって助命され紀伊に流された。その後1614年に豊臣家に招かれ、大阪冬の陣・夏の陣で奮戦。最後は力尽きるも「真田日本一の兵」と称えられている。
真田
武田晴信
たけだはるのぶ
烈風伝
00/01/13
戦国最強と唄われた武田軍団頭領。父信虎今川義元方へ追放して自立。村上義清との攻防の後、義清謙信方へ逃亡したことより、謙信との死闘が始まる。信長が上洛を果すと信長包囲網に参加、家康を窮地に陥れるも、まもなく没する。死因は諸説あるが不明である。
武田
山県昌景
やまがたまさかげ
烈風伝・我流
00/06/18
稲富源四郎。兄稲富虎昌武田義信の謀反に加担して処刑された事から山県性を名乗るようになる。数々の合戦に出陣し、武田の赤備えとして恐れられる。1575年に長篠の戦で討死、文武に長け、特に城攻めの得意な武将であったと言う。
武田
山本勘助
やまもとかんすけ
烈風伝・我流
00/06/18
武田24将の一人。板垣信方の推挙で武田家に仕え、その才覚を持って信玄の懐刀となる。1561年の川中島合戦できつつき戦法を提案するも上杉謙信に逆手に取られ大損害をこうむる。これを恥として上杉軍に突撃、討死する。
武田B+

◆関東・東海
今川義元
いまがわよしもと
烈風伝
00/02/17
東海一の弓取り。1536年花倉の乱で勝利して家督を相続、先駆的かつ優れた内政を実行する。1560年の尾張西侵の際に信長に桶狭間で奇襲を受け奮戦するも首を斬られた。
今川A−
松平元康
まつだいらもとやす
烈風伝
00/02/16
海道一の弓取り。織田・今川家での12年の人質生活の後、桶狭間合戦を機に独立。織田信長と清洲同盟を結ぶ。信長没後、秀吉との争いで戦略的に負け、これの五大老筆頭となる。秀吉の没後、関ヶ原合戦で豊臣家の勢力を除去、1603年征夷大将軍となり江戸幕府を開く。
松平/今川/徳川A+
斎藤道三
さいとうどうさん
天翔記
00/03/16
蝮。油商人から土岐氏に仕えて実権を握り、後にこれを乗っ取る。しかし織田との婚姻同盟後、土岐頼芸の子とされる斎藤義龍が謀反、果敢むなしく討たれる。早くからの兵農分離など信長に多大な影響を与えたとされる。
土岐/斎藤A+
織田信長
おだのぶなが
将星禄File
00/03/20
吉法師。尾張の大うつけ。父信秀の死後家督を相続。故舅道三の美濃を取り、稲場山城を岐阜城と改名、翌年には上洛を果す。信玄の没後、勝頼が侵攻してくると鉄砲の三段撃ちによってこれを撃破、当時最強と言われた武田騎馬隊を破る。1582年本能寺の変にて自害する。
織田
羽柴秀吉
はしばひでよし
将星禄・我流
00/03/24
戦国一の出世者、猿。縁者のツテで信長の小人となり次第に出世する。姉川の合戦の後旧浅井領中12万石(今浜)を拝領する。中国方面侵攻中に本能寺の変が起こり後継者としての地位を確立し天下を統一。朝鮮に出兵するも敗北する。
織田/豊臣
加藤清正
かとうきよまさ
文献
00/04/25
賤ケ岳七本槍の一人。地震加藤。豊臣秀吉の従兄弟に当たる為に秀吉子飼の武将となり活躍する。しかし、関ヶ原合戦では石田三成等との不和から東軍につき、54万石の大大名となる。
豊臣B+C+
明智光秀
あけちみつひで
烈風伝
00/06/11
足利義昭の驀臣として信長との関係を取り持つ後、室町幕府滅亡後は信長に付き従い、各地の戦闘に従軍する。1582年、本能寺にて信長を自害に追るも秀吉の急襲に遭い敗北。その後の生死は不明である。
朝倉/足利/織田/
明智

◆近畿
朝倉宗滴
あさくらそうてき
将星禄・我流
00/02/09
朝倉家随一の猛将として、朝倉三代に仕える。各地で興った一揆をことごとく平定、1535年には近江小谷へ出陣し六角家を撃退、浅井朝倉同盟を結び、1544年には美濃へ出陣、斎藤道三と共に織田信秀を破る。1555年に陣中で病没、戦に明け暮れた人生であった。
朝倉B+
浅井亮政
あざいすけまさ
天翔記
00/01/05
浅井家開祖。長政の祖父。京極家のお家騒動に乗じて、江北に勢力を展開する。朝倉家と同盟を結び、近江国守護の六角家に対抗した。
京極/浅井B+B+
蒲生氏郷
がもううじさと
烈風伝
00/01/05
幼少のころに織田家に人質として差し出され信長に気に入られる。後は信長秀吉と仕え武功をあげる。小田原征伐後に会津に転封増禄されるも、天下取り難く都から離れた事を嘆いたという。
六角/織田/徳川B+
足利義輝
あしかがよしてる
将星禄
00/04/04
第13代足利将軍。抜刀将軍。幼時より、細川・三好間の政争に巻き込まれるも、傀儡とはならず、幕府としての権威を高める為に多くの外交政策を取っている。しかし1565年に松永久秀に建策された三好三人集に二条第を包囲され暗殺された。
足利C+
三好長慶
みよしちょうけい
烈風伝・将星禄
00/04/07
細川晴元、足利義輝を近江に追いやって畿内に勢力を張る。しかし、幕府の否定などの革新的な面は無く、統治体勢も不安定なものであった。文化面に優れた人物であった。
細川/三好B+
松永久秀
まつながひさひで
烈風伝
00/06/03
三好長慶の懐刀。卓越した政治手腕を持ち近隣の寺社、商人勢力の分解を進めていった。信長が入京するとこれに呼応、畿内勢力を制圧して行った。その後、足利義昭の信長包囲網に参加、1度は降伏するも石山戦争時に再び離反しその戦いで自害した。
三好/織田/謀反A+
本願寺顕如
ほんがんじけんにょ
将星禄
00/03/30
本願寺第11世。信長と11年に渡る石山戦争を展開したが1578年第二次木津川口海戦で鉄甲船を誇る織田水軍の前に毛利水軍が壊滅、法燈の護持を優先した顕如は織田家に降伏することとなった。
本願寺B+A+

◆中国・四国・九州
毛利元就
もうりもとなり
烈風伝
00/03/16
弱小毛利家を一大戦国大名へと成長させた智謀の逸材。前期においては尼子・大内家間を巧みに渡り、吉川・小早川家等との結束を固めるなど国力の増強を図り、1555年の厳島合戦で陶晴賢をやぶり旧大内領を吸収。その後、智謀を利用して尼子家をも滅亡に追いこみ、中国地方における覇権を確立した。
尼子/大内/毛利S+
長宗我部元親
ちょうそかべもとちか
将星禄
00/03/30
1560年に家督を相続、以後四国各地を転戦して1585年に四国を統一する。しかし直後に秀吉の四国征伐にあい、土佐一国のみを安堵される。後は九州征伐などに従軍している。
長宗我部
竜造寺隆信
りゅうぞうじたかのぶ
将星禄
00/05/06
肥前の熊。18歳で竜造寺本家を相続、大友氏等と抗争を繰り広げながら耳川合戦の勝利で北九州を制圧する。隠居後、島津・有馬連合に攻められ優位にありながら敗れ戦死する。
竜造寺A−B−D+
竜造寺隆信・2
りゅうぞうじたかのぶ
将星禄+烈風伝
00/09/02
同上
竜造寺A−B−D+
鍋島直茂
なべしまなおしげ
烈風伝
00/05/14
竜造寺隆信隆信の死後は竜造寺家の実質的指導者となり、秀吉の九州征伐ではこれに従い所領安堵を受ける。朝鮮出兵では朝鮮二王子捕縛の大功を立てる。関ヶ原では東軍についた。
竜造寺B+
大友宗麟
おおともそうりん
烈風伝
00/07/31
大友義鎮。1550年のお家騒動、二階崩れの変を制して頭首となり、1年後には北九州から大内・毛利を駆逐する。島津の北伐により大敗をきっすると、秀吉に対して援助を求め九州征伐を招いた。
大友
立花道雪
たちばなどうせつ
烈風伝
00/08/17
別次鑑連。20代を前にして落雷にあい、下半身不随となるも、輿上より指揮を取り数々の戦いをこなした名将。二階崩れの変以後、大友宗麟に仕え宗麟の刀として重要な役割を果した。1585年に反大友勢力討伐中に病没する。
大友A+
島津義久
しまづよしひさ
将星禄・我流
00/03/23
島津家第十六代当主。弟島津義弘と共に九州各地を転戦してこれをほぼ制圧した。1578年の秀吉の九州大遠征時に屈服、剃髪して薩摩一国を安堵された。
島津A+


一目瞭然ですが、koei(光栄)の歴史ゲームからの引用的なモノが大多数です。
とりあえず、この場で参考にさせてもらっているのは、
・信長の野望 天翔記
・信長の野望 将星禄
・信長の野望 将星禄 武将File
・信長の野望 烈風伝
等々です。
勝手に参考にさせてもらってなんですが、ありがとうございます(_ _)



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