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南部晴政 なんぶはるまさ |
烈風伝 00/04/15 |
南部家第24代当主。次々に起こる領内紛争の平定に明け暮れる人生を送る。信長に対して臣従の意思を表していた。 |
南部 | B | C | D |
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伊達正宗 だてまさむね |
烈風伝 00/03/06 |
独眼竜。家督相続後瞬く間に南奥を平定。その後、豊臣秀吉下の政権での謀略も巧みに潜り抜ける。関ヶ原では東軍に属し上杉軍を破り、徳川政権下で62万石を領有する大大名となる。 |
伊達 | A | A | S |
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最上義光 もがみよしみつ |
烈風伝 00/04/20 |
武勇に優れた知将。弟義時との家督争いに勝利して最上家頭首となる。関ヶ原の戦いでは東軍につき上杉景勝を攻めた。 |
最上 | B | A | B |
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佐竹義重 さたけよししげ |
烈風伝 00/03/16 |
鬼義重、坂東太郎。生涯に渡り北の伊達正宗、南の北条氏政と対立する。豊臣秀吉とは交友を持ち小田原攻めにも当然のように参戦している。 |
佐竹 | A | A | B |
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北条氏康 ほうじょううじやす |
参考 Up日 |
北条早雲より続く、戦国北条の三代目。河越野戦では山内上杉・扇谷上杉・古河公方連合軍約8万を、圧倒的な劣勢下で撃破、これによって関東での覇権を確立する。後に有名な甲相駿三国同盟を締結。政治面でも卓越した手腕を発揮した。 |
北条 | A | A | S |
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上杉謙信 うえすぎけんしん |
将星禄 99/11/xx |
越後の虎。毘沙門天の化身。関東管領・上杉憲政の要請によって上杉性を名乗る。武田信玄との激突、関東官僚としての出陣などその人生は戦に明け暮れていた。1578年の関東出陣を前に脳溢血で急死し、享年49歳であった。 |
上杉(長尾) | S+ | B− | B− |
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村上義清 むらかみよしきよ |
烈風伝 00/09/03 |
名門村上家の頭首。信玄が武田家の頭首となるまでは信濃に巨大勢力を誇っていたが、信玄の侵攻け、一時盛り返すも徐々に衰退し上杉謙信の傘下に入った。その後も度々旧領土奪回を目指すが、夢叶う事は無かった。 |
村上/上杉 | B+ | D+ | C |
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真田幸村 さなだゆきむら |
烈風伝・将星禄 00/01/05 |
本名真田信繁。若年を上杉家、豊臣家での人質生活で過ごす。関ヶ原においては西軍につき徳川秀忠軍を足止め、敗戦後は兄信幸によって助命され紀伊に流された。その後1614年に豊臣家に招かれ、大阪冬の陣・夏の陣で奮戦。最後は力尽きるも「真田日本一の兵」と称えられている。 |
真田 | S | C | A |
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武田晴信 たけだはるのぶ |
烈風伝 00/01/13 |
戦国最強と唄われた武田軍団頭領。父信虎を今川義元方へ追放して自立。村上義清との攻防の後、義清が謙信方へ逃亡したことより、謙信との死闘が始まる。信長が上洛を果すと信長包囲網に参加、家康を窮地に陥れるも、まもなく没する。死因は諸説あるが不明である。 |
武田 | S | S | S |
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山県昌景 やまがたまさかげ |
烈風伝・我流 00/06/18 |
稲富源四郎。兄稲富虎昌が武田義信の謀反に加担して処刑された事から山県性を名乗るようになる。数々の合戦に出陣し、武田の赤備えとして恐れられる。1575年に長篠の戦で討死、文武に長け、特に城攻めの得意な武将であったと言う。 |
武田 | A | B | B |
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山本勘助 やまもとかんすけ |
烈風伝・我流 00/06/18 |
武田24将の一人。板垣信方の推挙で武田家に仕え、その才覚を持って信玄の懐刀となる。1561年の川中島合戦できつつき戦法を提案するも上杉謙信に逆手に取られ大損害をこうむる。これを恥として上杉軍に突撃、討死する。 |
武田 | B | B+ | C |