VIETNAM 〜ベトナム:ホーチミン、フエ JAL 20- JAL 27 2003〜 | |
VIETNAM 南北統一により現在平和が訪れた国。 高度成長真っ盛りのエネルギッシュな それでいてフランス統治時代のプチパリ を残している文化融合の国に渡った。 社会主義とは云うものの、まったくといって その雰囲気を感じないベトナムだった。 |
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《20 JAL 2003》 |
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ベトナム航空の搭乗券。 これはホーチミン発行のものだから 帰りの成田行きのチケット。 今回のルートは羽田〜大阪:伊丹、 大阪:関空〜ホーチミン〜東京:成田 |
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ベトナム国鉄の乗車券。 一応ベトナム語と英語が表記なので 外人旅行者には大変助かる。 ただし乗務員はベトナム語しか 話せない人が多いから注意。 |
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《21 JAL 2003》 一夜明けてホテルでの朝食は流石に美味しい!街中ではまだ食事をしてないけど このままホテルで食べてるのが安全で快適かも〜♪なんて思う始末。 観光に出かけるものの、この日は朝たらふく食ったので夕食迄何も入らなかった。 朝のうちに日本から手配しておいたベトナム国内線のチケットが届いたので 早速、予約再確認(リコンファーム)がてら町を歩いてみる事にした。 ホーチミンの観光地って云っても、それほど見所が有るわけではなくて 主なものは戦争関係の施設が多く戦争が絶えなかった国だけの事はある。 一番最初に行ったのは大統官邸で現在は国賓を向かえるときや会議の時 以外には一般に公開されている。 二つ目は戦争証跡博物館でベトナム戦争時代に実際に使用された兵器や 爆弾、戦車などがあり、数多くの写真パネルで当時の戦争の様子を見れるが どの写真も衝撃を与え改めて戦争の愚かさを思い知る。 米軍による村民への拷問や解放軍兵士の殺害後首を落として、それを持ち 笑顔で記念撮影する米兵の写真、散弾爆弾による傷を負った人の写真や 枯葉剤による奇形児の写真、ホルマリン漬けの奇形児など見ているだけで 気分は重く胸が一杯になってしまうような貴重な展示品の数々である。 やはり今の平和な時代の日本に生まれて幸せだという事を実感した。 町をプラプラしてホテルに戻ったら夜行列車に乗るためにチェックアウトして サイゴン駅(ホーチミン市の旧名)へタクシーで向かい改札をくぐると そこには世界の車窓からでお馴染みのような長い列車が停まっていた。 車両はリクライニングの座席車、三段寝台の車両、二段寝台のソフトベット車両に 分かれていて「E2」と呼ばれる最近走り出した超特急に乗り込む。 この列車は2泊3日で首都ハノイ迄行くがサイゴンからハノイ迄は丁度 札幌から博多位の距離があり今回向かうのは中間のフエという古都である。 だから東京〜博多間位あるが17時間の列車の旅の始まりである。 |
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旧大統領官邸だがベトナム戦争終結の 地でもあり無血で解放軍の戦車が鉄門を 破って入り事実上戦争は終わった。 現在は平和な時間がのんびりと流れるが 地下には無線室や作戦室など秘密基地に なっていて当時この地から解放軍を見た時 そして解放軍から、この建物を見た時には 人々の目にはどう写ったのだろうか? |
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鉄門を破って入ってきた二台目の戦車。 大統領官邸の敷地内に展示してあるが ベトナムの歴史に終止符を打った 今日の平和な町の象徴だろう。 |
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戦争博物館展示館内の鉄像。 題名はMOTHERでベトナム戦争に 使用された爆弾の破片から作った。 人々の人生を奪い悲しみを呼び 血を吸った爆弾の破片であり とても物悲しさが漂っていた。 |
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《22 JAN 2003》 4人用コンパートメントで一夜を明かしたが早朝の6時に朝飯って事で 客室係から起こされてしまいテーブルには4人分のカップ麺とミネラルウォーターが 無造作に置かれ眠い目を擦りながらの朝飯になった。 実は日本の寝台車に乗ったことある人なら分かるけど通常は上段下段ともに カーテンがあって一人づつのプライバシーが保てるようになってるのだが もちろん、そんなものは無く上段に上がるのも梯子ではなくて一個の足掛けだけ。 ただ各部屋に扉が付いてるのが異なる位だけど、まぁまぁ快適。 もちろんこの列車は全車両がエアコン付いてるけど付いてない列車もあるから 日中が40度近くになるベトナムでは蒸し風呂状態なのでは? 同室のお客さんはオッサン、ばぁちゃん、フランス国籍の若いベトナム男性、 そして自分なんだけど英語が出来るのはフランス国籍とおっさんがちょっと・・・ そう、若い兄ちゃんは英語かベトナム語か解らない位訛っていて分かり難いの^^; さてカップ麺を食おうと用意をするがお湯が無い・・・そういえば昨日寝る前に前の ばぁさんの足元にポットが在ったような気がしたが私物なのだろうか??? なんて考えていたらばぁさんが若い子に「×※仝∀」って言ってポットを渡したら 自分の上段に寝ていた若い子が何所からとも無くお湯を汲んできたのだが 車両を見学した昨日の時点ではお湯を入れるところなんて無かったぞ。 不審に思いながらもお湯を注いで朝飯を済ましトイレに行くとドアを開けて唖然! 便器なんてものは無く床の真中が凹んでいて穴がある、しかも足を置くように形がある。 どっちが前?しかも手すりは無いのね・・・出来ないから部屋に戻って寝る(笑) 暫く寝たつもりが昼近くになり、起きて読書を楽しんでいると昼飯時間と係員が来た。 日本で情報収集した分によると全部無料だが大した食事ではなくてバケツに柄杓を入れ スープを配るが塩水にクズのような野菜が入っていて欧米人は頑なに断るというスープ。 飲んだ人も不味かったという事が書いてあったので興味津々。 そうするとトレーに乗った定食(飛行機の機内食のように選べません!)とカップに 既に注がれたスープ、そしてペプシとビールが合計で4本置かれていった。 スープを見ると「な〜んだ、普通ジャン」と安心してワカメスープをすすると 「・・・?」なんだか青臭いのである、続いてワカメを口にすると「・・・???・・・!!」 そうワカメではなくて葉っぱでした、しかも普通に苦いのよ。(食えネェわ!!) 仕方ないので定食に移ると豚肉と卵の煮物と白ご飯なのだがご飯は見た目 べっちゃりなのに食べるとボソボソで旨くないしオカズもイマイチ。 良かった、この列車で二泊三日の旅をしなくてと脳裏を過ぎったのでした。 そうこうしてるとパイナップル売りが来て若い兄ちゃんが貰って居るので 自分も催促すると有料だったみたいでお金を払おうとすると若い兄ちゃんが 奢ってくれたんで恐縮しながらお礼を言ってパイナップルを戴く事にした。 しかーし!パイナップルに変な赤い粉が掛かってるのは何かし? 食べてみると塩と唐辛子をミックスしたもので激辛!!上手くそれを落としながら パイナップルの切り身を全部平らげてランチ&デザートタイムは終了。 結局同室の人も半分以上の量を残してお昼ご飯は終了し後は目的地のフエ迄 のんびりしながら過ごしたがオッサン以外はフエで全員降りるらしい。 ちなみにオッサンは一つ前のダナンっていう町で降りていきました。 夕刻の16:30にフエに到着して長い列車の旅は幕を下ろしたのですが のんびりしてる暇は無く改札を出たらバイクタクシーの運ちゃんとの料金交渉開始! モトバイ運ちゃんと戦いのような交渉するが3ドルと言い放つ、最終的に1ドルで 落ち着いたが乗ろうとすると「やっぱり2ドル」って言うから降りたら直ぐに 「1ドルでいい」と言うので再度乗車してホテルへ向かった。 実際には70円位が現地の相場だが外人なので+50円位は払うのは当り前かも。 夕食は近くの5星ホテルのレストランに行くが誰も居なくて貸切だった。 安全宣言は出たがSARSの影響で覿面に観光客が減ってるのだと判る。 アオザイの綺麗な女性(店員)と話して生春巻き、フエ料理のサトウキビに海老のすり身を 巻いて蒸したもの、現地のビール大瓶を飲んで1000円位で納まった。 流石に贅沢だとは思ったけど街中の食堂は衛生状態が非常に気になるので 身体の弱い自分は暑い国へ行った時には特に気を付けてるのである。 フエは昔から来たかった町なので今回の旅行で一番楽しみにしていたし 念願叶い今この地に自分が居る事がとても嬉しかった。 明日はいよいよフエの遺跡観光に出かけます。 旅行記No.2へ |
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フエ駅に到着したE2超特急編成。 ベトナム鉄道は国境を越えて中国へも 乗り入れるが国際列車のみが何故か 切符はスイスフラン建てなので運賃は その日のレートによって変わる。 もちろん電化されてないので客車は ディーゼル機関車が引っ張るが 流石に蒸気機関車ではない。 |
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