米長邦雄永世棋聖は2003年3月30日、米長邦雄ホームページで引退を表明しました。少し経てばリンク切れになりそうな気がしますが、産経新聞の記事にもなりました。私は米長が強かった時期をよく知らないので特に感慨はないのですが、将棋界への貢献が大きかったことは知識として知っています。とりわけ幾多の名言を残したことは米長の希有な才能の一端を示していると思います。
例えば、「矢倉は純文学」という名文句がありました(注1)。ちゃんと引用するなら次のような文です。
私は矢倉の序盤こそ、まさに将棋の序盤戦術のだいご味と確信し、それ故にこそ、これこそ純文学といいきるのである。
『ヤグラ将棋好局集』 はしがき
よく考えると、矢倉が「序盤戦術のだいご味
」だから「純文学
」だという比喩は飛躍がありすぎるような気がしますが、だからといって名文句の価値が落ちるわけではありません。それは、他の発言と比べるとはっきりしてきます。上記の文章が書かれた3年後の名人戦観戦記に次のような文章がありました。
「加藤が名人になるには、中原をヤグラで負かしてでなければならないのです。中原もまた、加藤の挑戦を退けるには、ヤグラでなければなりません」
北村八段は続ける。「ヤグラは、将棋の表芸なのです。」
『第40期将棋名人戦全記録』 第一局観戦記 赤木駿介
北村昌男八段(当時)のこの言葉は米長の文章と違って論理的に明快で、前半の発言が「表芸
」を説明する構造になっています。それだけに頭に入りやすい言葉ではありますが、普通すぎて記憶には残りません。逆に「矢倉は純文学」という言葉は一見したところは逆説的に響くだけに、人々に記憶されることになりました。もちろんただおかしな言葉遣いをすればいいというものではありませんから、米長の秀でた言語感覚のたまものと言えるでしょう。
米長は詰将棋に関しても造詣が深いことで知られています。米長の有名な名言の一つに「無双と図巧を全題解ければ四段になれる」というのがあります(注2)。
若くて将棋が強くて、奨励会の入会試験に受かるだけの才能があれば、『詰むや詰まざるや』と『図巧』の二百番を解くだけで、奨励会を卒業できるだけの終盤の力が備わるはずだ。
『逆転のテクニック 上巻』
三代伊藤宗看の「将棋無双」(「詰むや詰まざるや」)と、伊藤看寿の「将棋図巧」は古典詰将棋の最高峰として現在でも高い評価を受けています。『逆転のテクニック 上巻』によると、米長はこの二つの作品集を中学卒業までに全て解き、そのほかの詰将棋作品集にも二十歳までにはほとんど目を通したそうです。そのような姿勢は、般若一族とその時代の第7回のエピソードにも現れています。「実戦では普段の力が出ないことがある
」からこそ、プロであるならば最高の練習をしなければならないという信念に基づいたものと言えるでしょう。
それを怠るとどうなるかという実例が載っています。右図は奨励会の有段者どうしの対局で、勝った方が昇段が確定的になるという一番
です。実戦はここから▲3二歩 と部分的な必死をかけましたが、そこから△7九角 ▲9八玉 △9七銀 と進行して後手の逆転勝ちとなりました。かわりにどう指せば良かったかは書くまでもないと思いますが、右図の先手のようなことになってしまわないためにも、詰将棋は重要ということです。(注3)
『逆転のテクニック 上巻』の冒頭で、米長は将棋上達における詰将棋の役割の重要性を指摘しています。終盤での逆転には読みの力が不可欠であり、読みの力を養うには詰将棋が一番という内容です。これだけなら誰でも書きそうなことですが、この本の独特なところは、その一環として名作として知られる「将棋図巧」第一番を解説していることです。宗看や看寿が詰将棋を創作するとき指将棋の上達のことなど眼中になかったはずですが、「詰将棋の勉強では、詰ましてみようかという気持ちと、詰将棋に取り組んでいることが楽しいという、この二つが非常に大事である。
」という文にもある通り、名作の感動を多くの人に共有してもらいたいという考えがあったのでしょう。
右図は米長の実戦(1974年度王位戦)で図巧第一番のような打歩詰回避が出現した将棋です。右図から▲7八角 △同馬 ▲4六銀 △4四玉 に▲4五歩 を打てて詰みとなります。しかし、このような将棋に備えて図巧を解くという動機では長続きしないでしょう。楽しいから解くのです。普通に将棋を指している人が本物の詰将棋に出会う機会があまりにも少ない現在の状況で、この本のような試みは他でも真似してもらいたいものだと思います。
この本を書いた前後の時期、米長は四冠王を達成するなど棋士として脂ののりきった時期でした。それだけに文章にも自身が満ちあふれています。上巻第二章では相手の実戦心理を読むことにより逆転する方法が述べられていますが、これを読むとどんな不利な将棋でも勝てるのではないかという気さえしてきます。「苦しい将棋でも頑張っていれば、必ず一度や二度は逆転のチャンスが訪れてくるものである
」から、それを逃さなければよいという考え方ですね。しかし、現在のプロ将棋はすでにそのような考え方では勝てなくなっています。
この本を書いた翌々年、米長は約9年ぶりに無冠へ転落します。「今までの修行において、序盤作戦というものは全然考えないで、終盤での大局観を養うことだけを勉強してきた。
」と豪語していた米長も、そのような状況の中で序盤研究に活路を見出そうとして、森下卓八段に「弟子入り」したことは有名です(注4)。現在のプロ将棋は終盤に入った時点でリードされていたら、そのまま勝ちきれるのが普通です。それだけ優勢を勝ちにつなげる技術が発達したわけですね。棋風を序盤型に変えて名人を勝ち取った米長の生き方は、そのまま将棋界の変遷を映していると言えるかもしれません。
米長の「さわやか日記」によれば、引退は「60才からの挑戦のため
」だそうです。今後は行政に関わる仕事をしていくのかもしれません。私は米長の言動はあまり好きではありませんが、将棋界の行く末を真剣に考えているという点で評価しています。対局をしなくなっても、米長が将棋界に貢献できることはたくさんあります。今後の活動に期待したいと思います。
著者のことばかりで本の内容についてはほとんど書きませんでした。上巻の終わりは米長玉の特集で、将棋史には興味深い部分があるかもしれません。下巻は駒落ちおよび平手の自戦記で、特筆するものはありません。