「将棋と認知科学」を聞く
このページは、2003年6月7日に行われた認知科学会全国大会20周年特別記念講演「将棋と認知科学」で、演者の羽生善治四冠とはこだて未来大学の松原仁教授が話した内容をメモ書きしたものです。Below the Baseline 2003年6月7日の文章に一部追記修正などを行いました。
当日現場で取ったメモを元に書き起こしましたものですが、話された内容とは開きがあることにご注意下さい。下でリンクしたページの文章もあわせて読まれると、より内容を把握できることと思います。
概要と感想
認知科学会全国大会20回大会の一部として行われた「将棋と認知科学」の講演を聞いてきました。羽生善治四冠とコンピュータ将棋の分野でも有名な松原仁氏の対談です。
講演は、はじめに松原氏からコンピュータ将棋について簡単な解説があったあと、羽生四冠が松原氏の質問に答える形で進められました。羽生四冠はさすがに質問され慣れているだけあって、面白い視点を交えながらよどみなく答えていました。リップサービス的な答えはないのですが、ボキャブラリーが豊富でしっかりした考えに裏付けられているため、頭に入りやすかったです。講演の行われた二時間がとても短く感じられました。
参考リンク
講演メモ
コンピュータ将棋に関する基礎知識
はじめにオーガナイザーの伊藤毅志氏による紹介があったあと、コンピュータ将棋などに関して、松原氏による簡単な解説がありました。
- 将棋は終盤になると手が広がる性質がある。(divergence game)
- チェスよりも将棋の方が場合の数が大きいため、コンピュータにとって難しい。
- 必勝法を見つけるためにおおよそどのくらいの局面を読む必要があるかというと、チェッカーは1030、オセロは1060、チェスは10120、将棋は10220(≒80115)、囲碁は10360。
- チェッカーですら、必勝法は見つかっていない。将棋の必勝法が見つかることは半永久的にない。
- 数千の棋譜を調べた結果、一つの局面で指せる合法的な指し手の数は平均80くらい。終局までの手数は平均115手くらい。この結果から上の数字が計算された。
- コンピュータ将棋では、評価関数の要素10〜20で7〜10手を先読みしている。
- あまり指摘されないが、金銀のような小駒の多さも、コンピュータ解析が難しい原因の一つ。小さな動きで局面が良くなったか悪くなったかを判断するのが難しい。
- 初めてのコンピュータ将棋対局は1979年に指された。電話で指し手を相手に伝えたため、一局終わるのに2ヶ月かかった。
- 現在のコンピュータ将棋の実力はおよそアマ4.5段だが、その中身は序盤アマ2,3級、中盤アマ2,3段に対し終盤はアマトップを上回るというバランスの悪い構成になっている。
- (ここで第13回世界コンピュータ将棋選手権本戦のIS将棋 対 YSS の棋譜が紹介される。)
- 「コンピュータ将棋は大駒を抜くのが好きなようです。この将棋でも何度も出てきます。」
羽生の生い立ちと学習方法
これで松原氏の解説が終わり、ここからは松原氏が羽生四冠に質問する形で対談が進められました。
- 将棋を覚えたのは6歳のとき。しかし、当初はそれほどのめり込んではいなかった。
- 初めて道場に行ったときは15級と認定された。
- その後1年でアマ初段になり、さらに1年後にアマ4段になった。
- その間は週に一度道場で実戦を指すほかは、本や新聞など普通の勉強しかしなかった。将棋に関して誰にも教わらなかった。
- 12歳でプロを目指すことを決めた。奨励会に入っても将棋を上達するためにすることは基本的に同じ。レベルが上がる以外は、普通のことしかしていない。
- プロになって一年目、持時間の多い将棋で突き詰めて考えたことにより、実力が大きく上がった。
- 将棋のプロを目指すのに早く始めなければならないということはないが、10代の前後半でその人の将棋の骨格が決まるので、そこでの土台をどれだけ大きなものにできるかが重要。
- 特に将棋の「感覚」は10代前半での鍛え方が影響する。
- 将棋を遅く始めた人は常識的な手を選ぶ傾向が強いが、早く始めた人は子供のような自由な感覚を残していることが多い。
- 子供が指しているのを見ると、駒運びの積極性・論理性などから上達の早さがわかる。
- しかしそれはアマ上位までの話で、プロになるかどうかは努力を継続できる力があるかどうかが大事。
- 将棋界には職人的なところがあり、師弟制度で師が弟子に教えることはほとんどない。
- しかし、最近は「心配なので」(会場笑)教えることも多くなってきた。
- 記録係をするのも勉強の一つ。
- プロになった頃までは読みを訓練することに重点を置いていたため、序盤は苦手だった。
- 序盤が体系化され細かい手順が大事になってきたのはここ10年くらいのこと。
- そのため、最近は知識の勝負の比重が高くなってきている。
- 最近は詰将棋を解くときもあまり長いものは敬遠して、序盤研究に時間を使うことがある。
読みの様式
- ある局面を読むときは、最初から2つ3つに手を絞り、そこから読みを深める。
- 斬り合いの局面ならどんどん先に読み進めるが、構想が大事な局面では一手ずつ確認しながら読み進める。
- ルール上指せる手がたくさんある局面でも、ほとんどはマイナスの手。それをはずせば読む量を減らすことができる。
- ある手に対応する手が決まっているとき、それを後回しにするかなどを考えることにより読みの量を減らせる。
- 相手に先に何かやってもらってそれに手を返す方がいい。いかにしてうまく手を渡すか。
- 陣形が最善に近づいていくとプラスの手が減っていく。動かせる駒をいかに残しておくかが重要。
- 互いに最善になったときに手番を持っている方が困る。
- 読む力は25歳くらいの方が深くまで読めるが、今の方が「ずるさ」(会場笑)があるので今の方が強い。
- 1000局以上指した現在では、多くの局面は昔の局面と類似したものとして扱えるため、経験が生きる。
ここで、前もって行われた記憶実験の結果が松原氏から紹介されました。将棋の局面をどれだけ記憶できるかというテストです。
次の一手を考える
次に右図において次の一手をどう指すか考えさせるテストが紹介されました。『読みの技法』のような感じでしょうか。『これが最前線だ!』218頁D図(▲中原△羽生 全日本プロ 1995年)から▲7六飛△5四角▲6六飛と進んだ局面の先後逆です。プロでも意見が分かれる局面で、次の一手問題としての正解はありません。この局面を見て、羽生四冠は次のように話しました。(山下氏撮影の写真)
んー、、そう、ですねぇ。えと、、まず、4六歩を受ける手はちょっとやりにくい。味が悪そうなのでやりにくい、、です。で、ま、ま、その時3六歩が、ま、気になるところですけれど、ま、2五飛車と浮いてかなり、、第一感かなり指せそうな感じ。あとま、7七歩もかなり有力、、ですけれども、取って取って4六飛車、4七歩、4四飛車、んー、で、5六の角がいじめられそうなんで、ちょっと有効ではないかな、と。
9五歩突きます。
- 嫌な形になりそうなら、その先は読まずに、その形を避けるようにする。
- この局面の場合、▲4七歩を打たされると角との関係が嫌な形。
- その形に対する判断が棋士によって違うところ。
そしてまた普通の対談に戻りました。
- 相手によって手を変えることは基本的にしないが、序盤が決まっている人に対しては指し手を決めておくこともある。
- 20人程度の限られた相手としか指さないので、相手の得意戦形をはずしても、次はどうするのかということになるため、意味がない。
- よく指す相手なら、しぐさ、駒の並べ方、手つきなどを見ると、相手の調子がわかる。
- 藤井システムのように独創的な手は誰にでも指せるというものではない。新手でも従来の手を少し変えただけのものが多い。
- 児玉七段のような独創的な手は100年かかっても指せない。
- 独創的な手を指すだけなら簡単だが、それで有利にするのは難しい。
- 序盤では結果よりも有利さを求めて良い棋譜を残そうとするが、どこかで悪手を指したあとはその場をいかに何とかするかを考える。
- 頭の中で読み進めるとき、指し手は符号で進み、駒が頭の中で動くことはない。最後に局面を判断するときになって、局面が浮かんでくる。
- (これに対する松原氏のコメント)そろばんに関する研究によると、そろばんがうまい人は頭の中でそろばんが動く。もっとうまい人は頭の中にそろばんが出てくることはない。そろばんが出てくると速度が制限されるから。羽生四冠は「もっとうまい人」にあたるのでは。
- 記録係から棋譜用紙を見せてもらうのは、現局面までの指し手の流れを見るため。それが次に指す手のヒントになる。
- 局面が有利になれば時間がなくてもいいので、基本的に時間を使っても有利を目指したい。しかし、先が長くなりそうなときは、わからなくても決断して急いで指すことがある。
- (これに対する松原氏のコメント)コンピュータ将棋では時間の設定の仕方が難しい。
- 形勢判断そのものには時間はかからない。ほとんど直観的に判断できる。
- しかし難しい局面では思わしい手が見つからずに思考が止まることがある。
- (不調を意識したときはどうするかと聞かれて)自分があたる人は好調な人が多いので(会場笑)、自分も一緒に良くなることが多い。
- 勝率は特に気にしていない。連勝していても連敗していても「あ、そうか」という感じ。
- ある局面での読みなど個々の部分では、プロ同士の差はない。
- 勝率が低い棋士でも、一般に思われているほどの差はないと思っている。
他のゲーム、コンピュータ将棋
- チェスは将棋でいう序盤がなくて、いきなり中盤から始まる感じ。
- チェス以外に韓国・中国の将棋などもあるが、日本の将棋が最も変わり者、ユニーク。他への応用が利かない。
- チェスは終盤になると駒が少なくなり静かになっていく。将棋とは終わり方が違うので本質が違う。
ここで、あらかじめ対局した羽生四冠対激指の棋譜(平手戦)が紹介されました。横歩取り8五飛戦法でしたが、定跡をはずれたとたん激指が△6一金型のまま△3一玉△2一玉と寄ったのが、素人目にもバランスが悪く、そのあと激指も粘りましたが左辺の金銀が働かないのをとがめられて順当に負けました。
- 玉を寄った手のように、コンピュータ将棋はマイナスの手を指すことがあるが、そこから容易に崩れない。受けがしっかりしている。
- 大悪手はないが、戦略としておかしいことがある。
- コンピュータ将棋相手に二枚落ちだと大変そう。
- コンピュータが名人並みに強くなっても、将棋そのものの魅力が薄れることはない。
そしてまた質疑応答の形に戻りました。
- 以前は将棋は先手有利と思っていたが、今は後手でも最低互角にはなると思う。囲碁のコミのようなものが必要になることはない。
ここでYSSを開発した山下宏氏が登場。IS将棋との対戦で3五歩をなぜ取らなかったのか、松原氏から質問される。(人間なら▲3五歩△同歩に▲同角しか考えないが、どうしてほかの手を指したのか。)
- △7五歩からの攻めを恐れたため▲6六歩の方が良く見えた。
- (羽生四冠のコメント)3五歩を取らずに別の手を指しても、後手が歩を守りきれないこともあるので、一手一手考える方がよいこともある。この将棋ではだめだったが。
会場での質疑応答
ここで時間がなくなってきたため、会場での質問に移りました。
- 2つの別の手順を同時に読むのは無理。
- 先に目標とする手順が見えて、そこから現局面に線をつないでいくことはある。
- (攻めと受けは根本的に違うものかという質問に対して)攻めは見た目よりも難しい。間違えたときの被害は攻めの方が激しい。受けの方が楽。
- しかし、攻めなければ将棋は終わらないので、攻めるときは攻める。有利な局面を想定してそこから線をつなぐということに関しては、攻めも受けも同じ。
- 多面指しのときは局面を覚えてはいないが、歩がずれたりすれば自分の局面でないことはわかる。
- (中盤や序盤で勝ったと思うことがあるかという質問に対して)「勝ちやすい形」というものが一般的にある。
- 有利不利まではわからなくても「好きな流れ」はある。しかし少し手が進むと思いもよらない局面になることがあるので、早い段階での予感はあてにならない。
- 終盤でなら予感が当たることはある。例えば自玉が詰まされそうだと思ったら、読み切れていなくてもたいてい詰まされる。(会場笑)