正史三国志六十五巻のすべて



魏書武帝紀(曹操伝)
魏書董二袁劉伝ほか(董卓伝ほか)
蜀書
呉書

正史三国志65巻がどういう構成になっているのかを超ダイジェストで紹介してしまうページである。正史三国志ははっきりいって読みにくい。くどい公文書の引用は多いわ、裴松之が愚にも付かない議論をクドクド書いているわ、多分史記より読みにくいと思う。それを人物紹介一行と、内容をメチャクチャ荒く三行でまとめてしまったものである。

留意点としては、正史三国志の文献批判的な要素を多少取り込んだことだろうか。正史三国志には、昔から捏造・誤記の部分があるといわれており、その部分は古くは裴松之、杜牧、司馬光、趙翼、最近では吉川幸次郎、岡田英弘、高島俊男の諸氏による、相当数の文献批判が行われているが、一般にはほとんど知られていない。そこを色々と書いてみた。正史三国志は史料価値が高いとされているが、三少帝紀第四のように、清の趙翼が「此れ尤も曲筆の甚だしき者かな!」(こんなひどい歴史の偽造があるだろうか!)と激怒しているような所もある。一部の学者は「魏志倭人伝(東夷伝倭人条)は、史料価値が低すぎるので日本の歴史教育に使うべきではない」とまで主張しており、実は相当の疑問のある文献なのだが、マスコミが「三国志演義はフィクションに過ぎず、正史三国志こそ真の歴史」というような惹句が好きなので、疑問点が等閑視されている面が多いのである。歴代中国政府が公認した歴史だし、正史とついているのだから正しい歴史だという思い込みもあるのではないか。また、地味な史料批判の本は概して売れないのである。例えば高島俊男『三国志きらめく群像』(ちくま文庫)や、岡田英弘『倭国』(中公新書)は、史料批判を総浚えした本だが、多分一般には今ひとつ知名度が低いだろう。趙翼の廿二史箚記に至っては日本語訳がないのである。

正史三国志には末尾に「評」という後書きがついており、著者陳寿がどんな風に考えてこの巻を書いたのか書いているので、それを元にまとめた。テキストとしては最古の宋本の影印本が台湾の商務印書館から「百衲本二十四史」として出版されているので、これを用いた。各種の日本語訳も参照したが、それより基本的に荒っぽい訳である。

魏書

本紀の部ー超面白い曹操ちゃん列伝と退屈な皇帝の記録ー

歴代皇帝の事績を紹介する「本紀」である。曹操〜5代目で晋に禅譲するまでの人たちの系譜であり、全体の年表も兼ねている。
ぶっちゃけ面白いのは本田済先生が「魏武本紀というよりは曹阿瞞列伝」
(皇帝陛下の伝記というより曹操ちゃん列伝)といった武帝紀だけで、
後は無味乾燥な年表形式である。

1. 魏書一 武帝紀第一 - 曹操

曹操(そうそう)魏の初代皇帝、武帝。官渡の戦いに勝ち華北を統一。劉備・孫権の連合軍に赤壁の戦いで負け天下統一ならず。子の曹丕が魏を建国し、皇帝位を贈られた。

元不良の曹操が改心して官僚になり戦乱に乗じて挙兵する話(どこのヤンキー先生だろう)。
挙兵後もあっちで負けこっちで負けして苦労するが、天下分け目の官渡の戦いで勝利。
赤壁の戦いは、まあ負けたということで。軽く流されています。

2. 魏書二 文帝紀第二 - 曹丕

曹丕(そうひ)。魏の二代目、文帝。善政をしたが若死にした。

親父に比べてくそまじめで堅実な二代目。政治家としての事跡は貧民救済など偉くまじめである。
ただ、どうも戦には親父より弱いが。
裴松之は例によって週刊誌レベルの兄弟喧嘩ネタを延々と書いているが、 ワイドショーじゃないんだから自重したほうがいいんじゃないのか?

3. 魏書三 明帝紀第三 - 曹叡

曹叡(そうえい)。三代目、明帝。諸葛亮(孔明)と激戦の末勝利。その後浪費で国力を疲弊させた。

ちょっと宮殿建てすぎ。本紀には書かれていないが、この宮殿建てまくりで魏は相当民衆に負担をかけたようだ。
能力的にはおとうちゃんの曹丕より、おじいちゃんの曹操よりも劣るだろう。
このあたりになると公文書を延々と丸写ししているだけの記述が目立つ。要するに無能な皇帝だということでしょう。

4. 魏書四 三少帝紀第四 - 曹芳・曹髦・曹奐

曹芳(そうほう)・曹髦(そうぼう)・曹奐(そうかん)。魏の皇帝だがいずれも実権はなく、重臣司馬一族のロボットだった。曹奐の時司馬炎に禅譲し、魏は滅んだ。

清の趙翼が「此れ尤も曲筆の甚だしき者かな!」(こんなひどい歴史の偽造があるだろうか!)と、史料批判書『廿二史箚記』で激怒した、完全な捏造部分である。具体的に言えば、司馬一族に全て退位ないし暗殺されたのだが、其の事実が全て書かれない。幸い裴松之が事実を拾い集めて注に残しているので、後世の我々は事実が分かるのである。三人続くが、4代目の曹髦(そうぼう)が司馬炎に実権を握られていることにキレて宮殿から近衛兵若干名を率いて司馬一族の軍に突撃し、あっさり斬り死にしたことが唯一の特筆すべき記事。(ところが、陳寿は斬死の事実を書かず、病死のように装っている)
それにしても司馬炎のロボットという境遇にがまんならなかったのは分かるが、突撃はいけない。陳寿も評で「曹髦は勉強好きだったがついカッとなってキレてしまい、自滅してしまった。」とぼかしながらも斬り死にを匂わせているのは、流石に良心が咎めたのか。

5. 魏書五 后妃伝第五 - 武宣卞皇后・文昭甄皇后・文徳郭皇后・明悼毛皇后・明元郭皇后

武宣卞皇后(ぶせんべんこうごう、曹操の皇后)・文昭甄皇后(ぶんしょうしんこうごう、曹丕の皇后)など。

曹操の奥さん・武宣卞皇后伝がすごい。
元は遊女だった(こういうことを見も蓋もなく平気で陳寿は書くね)が、非常に頭がよくしっかりした人だったようで、旦那が斬られたという話があっても動じないあたり流石。
その他は、まあどっちでもいい。甄皇后に関しては裴松之は例によってゴシップを延々と書いているが、陳寿はどうでもいい扱いである。

世家相当の列伝ー三国志の前半を彩る群雄たち

魏書六〜八までは史記の世家に当たる群雄たちの列伝である。
ゲームの三国志でおなじみの人から、こんな人いたっけ?という人までさまざまである。
三国志最強男の呂布も結構負けているんだよね。張魯伝は道教史の一部として貴重である。

6. 魏書六 董二袁劉伝第六 - 董卓・李傕・郭・袁紹・袁術・劉表

董卓(とうたく、帝都洛陽に君臨し暴虐の限りを尽した後漢の宰相)・袁紹(えんしょう、河北省を支配した曹操のライバル)・袁術(えんじゅつ)・劉表(りゅうひょう)


日本で言えば戦国大名レベルの大きい群雄の列伝。陳寿は「董卓は有史以来の極悪人、袁術は悪政を敷いたどうしようもない奴、
袁紹・劉表は表向きは立派だが結局大したことない」とメチャクチャ書いている。

7. 魏書七 呂布臧洪伝第七 - 呂布・(陳登)・臧洪

呂布(りょふ)、騎馬隊を率い暴れまくった最強男。董卓の部下だが寝首を掻いた。曹操の空き城を乗っ取ったが、攻めつぶされ処刑された。


6巻の群雄に比べると小さい群雄の列伝。三国志最強男の呂布だが、陳寿は「強いがアホで信用できない。こんなのは歴史上潰れなかった試しがない」と手厳しい。陳登・臧洪(ぞうこう)は小さい城の城主で、群雄ともいえないのだが、「惜しい人たちだ」と陳寿は惜しんでいる。どうもこういう弱くても頑張ったというタイプに陳寿は弱いのか?

8. 魏書八 二公孫陶四張伝第八 - 公孫瓚・陶謙・張楊・公孫度・張燕・張繍・張魯

こうそんさん、とうけん、ちょうよう、こうそんど、ちょうえん、ちょうしゅう、ちょうろ


いわば「三流群雄伝」。陳寿は「公孫瓚・陶謙・張楊・公孫度は悪の限りを尽くして滅亡した、小僧どもだ。元から話にならない連中だ。
張燕・張繍・張魯などは盗賊の親玉で益々話しにならん」とムチャクチャ書いている。

魏の武将列伝ー軍師・文官・猛将伝…

まとめると、魏書のうち、次の伝は捏造ないし誤記の疑いが指摘されている。曹真伝、荀ケ伝、郭嘉伝、曹沖伝、東夷伝(いわゆる「魏志倭人伝」(東夷伝倭人条)を含む)。その他にも、細かい誤記まで含めれば、

※魏の武将たちの列伝だが、どうも陳寿の目論見として同類の人物を一まとめにする傾向がある。仮にニックネームをつければ、
軍師伝(荀ケ荀攸賈詡伝)、文官伝(程郭董劉蒋劉伝)、名将伝(張楽于張徐伝)、猛将伝(二李臧文呂許典二龐閻伝)、謀反人伝(王毋丘諸葛ケ鍾伝)となるだろうか。
ちなみに私が一番読んで面白かったのは計略ばっかり立てている荀攸伝と、 三国志演義がかすむほどの大暴れを豪傑が繰り広げる張遼・許褚・典韋伝である。いずれも名文として名高い。
ちなみに中国ではなぜか正史三国志のアンソロジーでは必ず荀ケ伝・毛玠伝が取り上げられる。なぜだ。汚職役人に対する警告か何かなのか?

9. 魏書九 諸夏侯曹伝第九 - 夏侯惇・夏侯淵・曹仁・曹洪・曹休・曹真・(曹爽)・夏侯尚

このうち、曹真伝の記述が功績に比べて遥かに少ない上、司馬懿の政敵だった曹爽の列伝を立てず、ボロカスに書いているなど、相当な捏造が行われた節がある。陳寿が弱い立場の人間で、西晋に逆らえなかったために、司馬懿に敵対した人間に対しての記述がことごとくねじ曲げられているのである。これは岡田英弘氏・本田済氏・林田愼之助氏の指摘がすでにある。

10. 魏書十 荀ケ荀攸賈詡伝第十 - 荀ケ・荀攸・賈詡

このうち、荀ケ伝は捏造(よく言えば潤色)が多く含まれていると古くからされている。荀ケの発言はほとんどが捏造のようだ。司馬光が「荀ケが実際に言ったことではなく、史家(陳寿?)の創作が入っている」と指摘しているほか、趙翼も「袁紹が敗北するときに、武将が取る行動を予言したかのように書かれているのは捏造だろう」と指摘している。この趙翼の説を元に考えれば、荀ケ伝の発言は全てのちの歴史の予言のような発言ばかりで、具体的な政治的功績が不明である。荀ケの一族が西晋の大物政治家だったために、相当な捏造が行われたのではないか?とも考えられなくはない。

具体的な行動の記述が多いのは荀攸伝のほうである。なお、唐の『通典』には、「荀攸は軍師として一切を取り仕切っていた」という記述があり、荀攸(この一族は後に断絶し、再興されている)の功績を荀ケにつけたということもあるかも知れない。

11. 魏書十一 袁張涼国田王邴管伝第十一 - 袁渙・張範・張承・涼茂・国淵・田疇・王脩・邴原・管寧
12. 魏書十二 崔毛徐何邢鮑司馬伝第十二 - 崔琰・毛玠・徐奕・何夔・邢顒・鮑・司馬芝
13. 魏書十三 鍾繇華歆王朗伝第十三 - 鍾繇・華歆・王朗
14. 魏書十四 程郭董劉蒋劉伝第十四 - 程c・郭嘉・董昭・劉曄・蒋済・劉放

郭嘉伝に捏造記事が多いことが趙翼に指摘されている。

15. 魏書十五 劉司馬梁張温賈伝第十五 - 劉馥・司馬朗・梁習・張既・温恢・賈逵
16. 魏書十六 任蘇杜鄭倉伝第十六 - 任峻・蘇則・杜畿・鄭渾・倉慈
17. 魏書十七 張楽于張徐伝第十七 - 張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃
18. 魏書十八 二李臧文呂許典二龐閻伝第十八 - 李典・李通・臧覇・文聘・呂虔・許褚・典韋・龐悳など
19. 魏書十九 任城陳蕭王伝第十九 - 曹彰・曹植・曹熊
20. 魏書二十 武文世王公伝第二十 - 曹昂・曹鑠・曹沖など、曹操・曹丕の息子たちの伝記

曹沖伝の象の重さを量る話が、インドの仏典からのコピーであることはすでに指摘がある。

21. 魏書二十一 王衛二劉傅伝第二十一 - 王粲・衛覬・劉廙・劉劭・傅嘏
22. 魏書二十二 桓二陳徐衛盧伝第二十二 - 桓階・陳羣・陳矯・徐宣・衛臻・盧毓
23. 魏書二十三 和常楊杜趙裴伝第二十三 - 和洽・常林・楊俊・杜襲・趙儼・裴潜
24. 魏書二十四 韓崔高孫王伝第二十四 - 韓曁・崔林・高柔・孫礼・王観
25. 魏書二十五 辛毗楊阜高堂隆伝第二十五 - 辛毗・楊阜・高堂隆
26. 魏書二十六 満田牽郭伝第二十六 - 満寵・田豫・牽招・郭淮
27. 魏書二十七 徐胡二王伝第二十七 - 徐邈・胡質・王昶・王基
28. 魏書二十八 王毋丘諸葛ケ鍾伝第二十八 - 王凌・毋丘倹・諸葛誕・唐咨・ケ艾・鍾会

<それ以外の人々列伝>

29. 魏書二十九 方技伝第二十九 - 華佗・杜夔・朱建平・周宣・管輅
30. 魏書三十 烏丸鮮卑東夷伝第三十 - 烏丸・鮮卑・夫餘・高句麗・東沃沮・挹婁・濊・韓・倭人(魏志倭人伝)
※魏ではない人たちの列伝。烏丸鮮卑東夷伝のうちの倭人伝がすなわち有名な魏志倭人伝だが、この部分が三国志の 一部であることを知っている人は案外居ないんじゃないのか。

蜀書

本紀相当の列伝-劉備乗っ取り疑惑

1. 蜀書一 劉二牧伝第一 - 劉焉・劉璋
2. 蜀書二 先主伝第二 - 劉備
3. 蜀書三 後主伝第三 - 劉禅
※蜀といえば劉備…のはずなのだが、実は劉備以前に一族の劉焉の地盤だったのである。 その子の劉璋が蜀を治めていたのだが、この劉璋の出来が悪く、援軍にきていた劉備が乗っ取ってしまった というのが蜀の歴史なので、こういう列伝の立て方になっている。この劉備の乗っ取り事件は、 三国志演義では華麗にスルーされているが、朱子学のほうでは実は結構問題になっており、 正義の劉備がなんで蜀を平和に治めていた一族の劉璋の地盤を乗っ取っちゃうんだ?!という 議論が一時盛り上がったことがある。いわば蜀の黒歴史である。

列伝

4. 蜀書四 二主妃子伝第四 -劉永・劉理
5. 蜀書五 諸葛亮伝第五 - 諸葛亮(孔明)
6. 蜀書六 関張馬黄趙伝第六 - 関羽・張飛・馬超・黄忠・趙雲
7. 蜀書七 龐統法正伝第七 - 龐統・法正
8. 蜀書八 許麋孫簡伊秦伝第八 - 許靖・麋竺・孫乾・簡雍・伊籍・秦宓
9. 蜀書九 董劉馬陳董呂伝第九 - 董和・劉巴・馬良・陳震・董允・呂乂
10. 蜀書十 劉彭廖李劉魏楊伝第十 - 劉封・彭羕・廖立・李厳・劉琰・魏延・楊儀
11. 蜀書十一 霍王向張楊費伝第十一 - 霍峻・王連・向朗・張裔・楊洪・費詩
12. 蜀書十二 杜周杜許孟来尹李譙郤伝第十二 - 杜微・周羣・杜瓊・許慈・孟光・来敏・尹黙・李譔・譙周・郤正
13. 蜀書十三 黄李呂馬王張伝第十三 - 黄権・李恢・呂凱・馬忠・王平・張嶷
14. 蜀書十四 蒋琬費禕姜維伝第十四 - 蒋琬・費禕・姜維
15. 蜀書十五 ケ張宗楊伝第十五 - ケ芝・張翼・宗預・楊戯
※蜀の人々は余り記録をちゃんと取らなかったのか、どうも記述が簡単すぎる。 関羽・張飛も何やったんだろという感じの記述である。余りにも簡単なので、 陳寿は蜀の歴史が簡単すぎるので、他の部分でも手抜きをして簡単に書いちゃったんじゃないか という疑惑を称える人もいる。

蜀書増補『季漢輔臣賛』・『益部耆旧雑記』より

蜀書の末尾には楊戯著『季漢輔臣賛』、陳寿の自著『益部耆旧雑記』を載せている。これは蜀書で書ききれなかった人物を増補する狙いと、蜀を三国志の正統王朝であると暗に主張するために載せたのだといわれている。「これを載せたいというのは一つの冒険であったはずである。季漢(漢の末)とは、蜀を漢朝につなげようとする称であるから」と、本田済氏はいう。
趙雲に次ぐ武功があったという陳到の伝記が載っているのでちょっと詳しい三国志ファンにはおなじみの箇所だろう。

呉書

本紀相当の列伝ー陳寿先生言いすぎです

1. 呉書一 孫破虜討逆伝第一 - 孫堅・孫策
暴れん坊の孫堅・孫策が、呉を荒らしまわって勢力を築きましたが、結局二人とも短命でしたという話。
陳寿は呉には点が辛いが、この二人は褒めている。
が、「孫権は兄貴の孫策の子供にろくな位をあげなかった。ケチだ」といっている。 2. 呉書二 呉主伝第二 - 孫権
赤壁の戦いで勝ち、呉の基盤を作った名君・孫権。陳寿もさすがにそこは評価するが、
「孫権は性格が悪く、多くの人を殺し、晩年は益々ひどくなり、政治もメチャクチャ。滅亡するのは当たり前」とボロボロだ。
この評、以前に駒田信二氏が孫権の伝記を書いたときに「この評はおかしい。陳寿は正当な評価をしていない」と批判していた。
3. 呉書三 三嗣主伝第三 - 孫亮・孫休・孫皓
孫権の跡継ぎ三人だが、実は全員無能である。陳寿はボロボロにいっており、孫亮は「子供でいい補佐役もいないからダメだった」、
孫休は「学問好きでも無能じゃしょうがない。孫亮を殺すのはやりすぎだ」。
孫皓に至っては「極悪非道な奴だ。首チョンパにして民衆に謝罪すべき。降伏後領地をくれてやっているのは甘やかしすぎ」とバッサリ。
4. 呉書四 劉繇太史慈士燮伝第四 - 劉繇・太史慈・士燮
太史慈を「信義に厚い」といって褒めている以外は例によってボロカスである。
5. 呉書五 妃嬪伝第五 -
妃の伝記だが、お家騒動の伝記でも有り、陳寿は「孫権は見識はあったが…お家騒動でメチャクチャだ。古今の物笑いだ」と批判。陳寿先生、もうやめて!呉のライフはとっくに0よ!
6. 呉書六 宗室伝第六 - 孫静・孫賁・孫輔・孫翊・孫匡・孫韶・孫桓
珍しく陳寿が褒めている。
※蜀より記述が多い。

列伝

7. 呉書七 張顧諸葛歩伝第七 - 張昭・顧雍・諸葛瑾・歩騭
8. 呉書八 張厳程闞薛伝第八 - 張紘・厳o・程秉・闞沢・薛綜
9. 呉書九 周瑜魯肅呂蒙伝第九 - 周瑜・魯粛・呂蒙
10. 呉書十 程黄韓蒋周陳董甘凌徐潘丁伝第十 - 程普・黄蓋・韓当・蒋欽・周泰・陳武・董襲・甘寧・凌統・徐盛・潘璋・丁奉
11. 呉書十一 朱治朱然呂範朱桓伝第十一 - 朱治・朱然・呂範・朱桓
12. 呉書十二 虞陸張駱陸吾朱伝第十二 - 虞翻・陸績・張温・駱統・陸瑁・吾粲・朱拠
13. 呉書十三 陸遜伝第十三 - 陸遜
14. 呉書十四 呉主五子伝第十四 - 孫登・孫慮・孫和・孫覇・孫奮
15. 呉書十五 賀全呂周鍾離伝第十五 - 賀斉・全j・呂岱・周魴・鍾離牧
16. 呉書十六 潘濬陸凱伝第十六 - 潘濬・陸凱
潘濬(はんしゅん)は元々劉表や関羽の部下だった人。
茶坊主の呂壱というのが、孫権を色々とだまして呉の政治をくちゃくちゃにしていた時に断固抵抗して呂壱を引きづり降ろした硬骨漢。
ただ、蜀から見れば裏切り者であるから蜀書や『三国志演義』では「小物」呼ばわりされて散々な目にあっている。
陸凱は陸遜一門で、これも硬骨漢である。呉は孫権は名君であったが、その後が贅沢三昧のバカ殿ばかり。
そのバカ殿の中でも最もバカな孫皓に真っ向正面から抵抗した上、陳寿によれば本気でクーデターを起こそうとしたというから真面目な人を怒らせると怖いものですね。
陳寿は両名とも褒めている。 17. 呉書十七 是儀胡綜伝第十七 - 是儀・胡綜
孫権の部下の文官連中の伝記。
18. 呉書十八 呉範劉惇趙達伝第十八 - 呉範・劉惇・趙達
この三人は占い師である。陳寿は「所詮占いだね、くだらん」といっているが、
裴松之は例によってクドクドと「いやそんなことはない、占いというのは大したものでこんな例もあり…」と反論しているのだった。
19. 呉書十九 諸葛滕二孫濮陽伝第十九 - 諸葛恪・滕胤・孫峻・孫綝・濮陽興
この伝は呉の孫権末期からその後の権力闘争をやった悪徳政治家連中の記録であり、ドロドロした政治の暗闘を伝えている。
陳寿は「こんな連中は悪いことばかりして、みんな碌でもない死に方をしたのは当然だね」とバッサリ。
20. 呉書二十 王楼賀韋華伝第二十 - 王蕃・楼玄・賀邵・韋昭・華覈
バカ殿孫皓にひどい目に会わされた官僚列伝である。
陳寿は「みな真面目だったが、こんなひどい政治の中で高級官僚をやっていたのなら、
ひどい目にあってもしょうがない」と突き放した見方をしている。
※呉は意外と歴史が充実している所で、結構武将も多いが、陳寿がひどく突き放したような見方をしている伝が多い。

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