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君の名は



 走り慣れた赤城の峠を昇りきって、駐車場に車を停める。
「啓介さん、来てるんだって!? どこ!?」
 車を飛びだして、顔なじみに尋ねると、苦笑しながら奥のベンチを指さした。
「あいつも来てるぜ」
「え?」
「秋名のハチロクだよ」
「ふ〜ん、そう」
 浮かれていた気持ちが、少し萎える。それでも、啓介の顔を見るのは久しぶりで、ケンタは逸る気持ちを抑え、ベンチに向かった。
 車の影に、投げ出された長い足を見つけて。
「啓介さんっ!」
 ひょいと顔を覗かせたケンタは、その光景にぴしりと固まった。
「ん〜、ああ、ケンタか。久しぶり〜」
 のんびりと手を上げた啓介は、プロジェクトの相棒の膝枕で、屈託のない笑顔を浮かべた。
「……こ、こんばんは」
 恥ずかしさに顔を赤らめて、拓海はぺこりと頭を下げた。
(だから、嫌だっていったのに……)
 肩慣しに、と赤城の峠に誘われた。啓介の呼び出しを断れるわけもなく、ひょこひょことついてきたのが間違いだった。今も、顔を引きつらせたレッドサンズのメンバーが、こっちを睨んでいる。
(この人とは、レインバトルやったよな……)
 けれど、今、啓介が呼ぶまで名前を思い出せなかった――というより、憶えてすらいなかった。
「あ、ケンタ。悪ィけど、ジュース買ってきて」
 寝転がったまま、啓介が尻ポケットの財布を引っ張り出す。頭が動いて、擽ったい。
「……藤原は?」
「え?」
「奢る。何がいい?」
 見上げてくる顔と、睨むケンタとを交互に見て。
「じゃあ……あの……冷たいコーヒーでいいです」
「……啓介さんは『いつもの』ですよね?」
 いつもの、というところを強調して、ケンタが笑った。明らかに、拓海に向けて発せられた言葉に、啓介は頷いた。
「あと、お前もなんか好きなの買っていいから」
「ありがとうございます」
 打って変わった満面の笑顔で去っていく後ろ姿を、拓海はぼんやりと見送った。
「……あの人と、仲いいんですね」
「ああ、ちょっと見どころのあるやつでさ。よく、運転教えてたんだ」
 つまりは、啓介の『お気に入り』ってことで。
(だからって、あんなに睨むことないじゃん……)
 年上だろうに、と拓海は思う。自動販売機に辿り着いたケンタを見ていたら、下から頬をつつかれた。
「やきもち、妬いてるだろ」
「妬いてません」
「ウソつけ」
「嘘なんか、ついてません」
「大丈夫。俺、面食いだから」
 手を取られて、指先にくちづけられた。慌てて手を引っ込めて、誰かが見てやしないかと辺りを見回す。ほっと息をつくと、啓介がくすくす笑った。
「ここなら、平気だよ」
「そのつもりで、ここに座ったんですか?」
「うん」
「膝枕……見られちゃいましたよ?」
「いいじゃん、それぐらい。アニキとしょっちゅうやってたもん」
 いくらプロジェクトに参加しているとはいえ、兄である涼介とよそ者の自分では、立場が違いすぎる。そう言うと、啓介は考えるように少し唇を尖らせた。
「じゃあ、今度、広報部長の膝借りてみようか」
 絵が浮かんで、拓海はぷっと噴き出した。
「あと、松本とか……」
 安易に提案するあたり、啓介にとって、膝枕とはその程度の行為らしい。 頭の中に、ケンタの膝に懐いている啓介の姿が浮かんだ。
「……あの」
「うん?」
「さっきの……ケンタ、さん? あの人とも、膝枕したことあります?」
「うん? ……どうだったかなぁ」
 足音に啓介が振り返る。ケンタが、お待たせしました、と二人の前に立った。
「お、サンキュー」
 啓介がむくりと起き上がった。財布と一緒に渡されたレモネードの缶を見て、どきりと胸が鳴る。拓海の口の中に、あの味が蘇った。
 子供みたいに泣いて、困らせて。今にして思えば、他人に対して我儘を言ったのは、初めてだった気がする。女みたいに優しく抱きしめられたのも、蕩けるほど気持ちいいキスを貰ったのも初めてで―――。
「ほら」
 目の前に突きだされた缶に気付いて、取り落としそうになりながら受け取った。
「あ、ありがとうございます」
「あのさぁ、ケンタぁ」
「はい?」
「俺、お前に膝枕さして貰ったことってあったっけ?」
「……いえ」
 ケンタの顔が、少し悲しそうに曇る。なんで、今、この場で聞くんだろう。
(この人、本当に鈍感だなぁ……)
 ケンタの視線がちくちくと刺さった。色恋に疎い拓海ですら、ケンタの視線がただのチームメイトのものではないことぐらいわかる。気付いてないのは啓介だけで、他にも同じ想いを抱いている者がいるだろう。女だけでなく、男も。
「あっそ。んじゃ、今度な」
 啓介の何気ない言葉に、ケンタの機嫌は直ったようだ。あっちへ行け、と邪険に手を振られても、ケンタは大人しく引き下がった。
 どうやら、啓介には人を惹きつける才能が、生まれつき備わっているらしい。知らず知らずのうちに、敵を作っている自分とは大違いだ。
「ああ、ここにいたのか」
 一度聞いたら忘れられない、深みのある声が二人に近づいた。目下のところ―― 一方的ではあるが――啓介の兄・涼介は、拓海の恋敵である。
(……一生、敵わねぇだろうけど)
 バトルでは強気の拓海も、ため息しか出てこない。
 綺麗で頭が良くて、なんでもそつなくこなす。自分とは全く正反対の涼介には、啓介が生まれたときからの絆がある。とても太刀打ちできる相手とは思えない。そのせいか、変な気負いもなく接することができる。緊張するのは毎度のことだが、顔を赤らめたりはしなくなった。
「こんばんは」
 膝枕を見られなくて、本当に良かった。
「あ、アニキも来てたんだ」
 一緒の家に住んでいながら、啓介は実に嬉しそうな顔をする。涼介もまた、極上の笑みを惜しまない。
「ちょっと、借りていいか?」
 これは、啓介に対しての言葉。つまり、用があるのは自分らしい。 少し離れたところに待たされて、聞くともなしに聞いていた二人の会話は、なにやらただならぬ雰囲気で。
「……って、アニキ!?」
「言っておかないと、まずいこともある。わかるだろう?」
 不安そうな啓介と、苦笑する涼介。二人の視線は、拓海に注がれていた。


    □□□


 ベンチのある場所から、さらに茂みの奥へと連れてこられた。駐車場の喧騒が遠くなる。ここへはよく来るのか、涼介の足運びに迷いはない。 よほど大きな声を上げなければ、誰も気付かないだろう。
(啓介さんと来る、のかな……)
 どんな話があるかよりも、その方が気になった。 前を歩いていた涼介の足が、止まった。
「啓介は……」
「え?」
「キスが上手だろう?」
 振り返らないままの問い掛けに、一瞬、体中の血が凍りつく。
 何度も涼介とは顔を合わせたが、気取られるような素振りをした覚えもない。まして、啓介から漏れたとも思えない。涼介に知られて困るのは、むしろ啓介のはずだった。なのに―――。
「なんのこと、ですか?」
 普段と変わりなく、言えた。けれど、振り返った涼介の唇は、意地の悪い薄笑みを浮かべていた。白い指が、ゆっくりと差し伸べられ、拓海の頬なぞる。
「もう、隠さなくていいんだぜ?」
 馴れた仕草で顎を上げられた。親指で唇を撫でられて、吸い込まれそうな瞳が間近に迫ってくるのに、拓海は身じろぎすらできなかった。
 艶を含んだ瞳も、赤い舌が舐めて湿らせた形の良い唇も、確かに涼介には違いないはずなのに。拓海の知っている『高橋涼介』は、そこにはいなかった。たぶん、これが啓介を虜にしている、男、なのだ。
「なるほど……『美味しそう』だ」
 朱い唇が近づいて、思わず顔を背けた。逃げるように胸を押すと、涼介の唇はなんの抵抗もなくゆらりと遠ざかる。上目遣いに睨みつけた拓海に、くすくすと楽しそうな笑い声が応えた。
「……俺、わかりません」
「……」
「なんで、涼介さんがこんな……」
「……二人目だ」
「え?」
「俺のキスを拒んだ人間。……お前で二人目だよ」
 くっと自嘲気味な笑みを漏らし、涼介は拓海から離れた。その白い顔からは、先程の艶が消えている。元通りの――拓海の知っている、『高橋涼介』だった。
「俺のこと試したんですね?」
「ああ」
「どうして……アンタに、そんな権利はないだろ!?」
 声を荒げた拓海に、そっと人さし指を立てて見せ。涼介は、朱い唇に苦笑いを浮かべた。
「確かにな。俺にそんな権利はないのかもしれない。けれど、試さずにいられないんだ。本当に、啓介を……啓介だけを愛してくれる人間がいるのかどうかを、な」
「……」
「俺なんかに惑わされるような相手には、啓介を渡せない……ただ、それだけだ」
 拓海の肩を掠めるように。涼介は駐車場へ向かって歩きだした。その背中へ―――。
「俺、啓介さんのことが、好きです」
 涼介の足が、止まる。
「啓介さんと、ずっと、一緒にいたいと思ってます」
「……」
「でも、涼介さんは……?」
「……」
「涼介さんは、それで……俺なんかが割り込んで……それでいいんですか?」
「啓介が……それを望むならな」
 顔の見えない呟きは、切なさに滲んでいて。毅然として見える背中は、どこか寂しげで。
(俺には……わかんねぇよ……)
 好きなら、離さなければいいのに、と思う。
 ぽつんと、月明かりの差し込む茂みに中に一人取り残され、夜露で湿った草の上に座り込んだ。
 星が、綺麗だった。


    □□□


「拓……藤原? そこにいるのか?」
 慌てて目をこすって振り返る。茂みの隙間から、逆立てた髪がひょこりと顔を出した。
「こんなとこに居たのか」
 ほっとため息を漏らして。啓介は、立ち上がろうとする拓海を制して、その横に腰を下ろした。
「アニキが『言い過ぎた』って。慰めてこいってさ。そんな……泣くほど、きつく言われたのか?」
「いえ……」
 俯いた拓海の髪に、啓介の手が伸びる。子供をあやすように撫でられて、すっかり涙腺の弱くなった自分が情けなくなる。
「それだけ……必死なんだよな」
「ええ、わかってます」
「今回のことは、アニキの『走り屋』としての集大成だもんな」
(……え?)
 話が、かみ合っていない。
「だからこそ、俺達が頑張らないといけないんだ。……わかってくれるよな?」
 啓介の顔には、いつもと変わらない優しい笑顔だけが浮かんでいる。
「あの、俺達のこと……涼介さんに……」
「え?」
 きょとんと目を見開いた啓介に、翳りはない。 拓海は、慌てて手を振ってみせた。
「あ、いえっ! ……俺、啓介さんとのことが、ばれちゃったのかと思って」
「アニキに?」
「ええ。だから……あの……プロジェクトの話だったんで……その、気が抜けちゃって……」
 啓介が話したのではないとすれば、いったいどこから漏れたのだろう。
「お前、それで泣いてたのか?」
 なぁんだ、と笑って、啓介は拓海の肩を抱き寄せた。
「絶対、ばれてねぇって」
 楽しげに囁いた唇が、耳朶をやんわりと食む。
「拓海のことは、家でもあんまり話さないようにしてるし――」
 唇が、頬を掠めるように滑る。
「アニキの前では、名前じゃなく『藤原』って呼ぶようにしてるし――」
 気がつけば、拓海の体は草の上に横たえられていて。
「……たぁくみっ」
「あ……やだ……ぅン……んんっ!」
 抗議の声は唇で蓋をされて。いつの間にか潜り込んできた手が、シャツの中を這い回る。この茂みの向こうには、レッドサンズのメンバーがいて。その中には、涼介がいて―――。
「だ、誰か……来たら……!」
「来ないよ」
「……や……擽ったい……っ!」
「そうだよ。俺、拓海のこと、擽ってるんだもん」
 くすくすと笑いながら、首筋を舐められて。逃げ出したいのに、腕に力が入らない。啓介の指は、胸の尖りからなかなか離れてくれない。それどころか、弄ぶように抓られて。
「ふ……ン……」
 思いかけないほど甘い声が出て、恥ずかしさにぎゅっと目を閉じた。へぇ、と感心したような呟きが、羞恥に拍車をかける。
「拓海って、さ……」
「……」
 それ以上言ったら、許さない―――。
 半べその顔で睨んでも、脅しにはならないだろうけど。啓介は、くすりと苦笑いを漏らした。
「弱いんだよな……その顔」
「……」
「その、ウルウルのでっかい目で睨まれると、さ」
「……」
「なんか、自分がスケベなおっさんで、イタイケな子供に悪戯してる気になっちゃうんだよな」
「なんですか、それ」
「いや、なんていうか……もっと……」
「……もっと……なんですか?」
 ぐすん、と鼻を啜った拓海に、少し言い淀んでみせて。啓介は、耳に吹き込むようにそっと囁いた。
「拓海の身体に……色んなこと、したくなる」
「け、啓介さん!?」
 慌てて身体を起こした拓海に、啓介は声をあげて笑いだした。からかわれたのだと思うと、熱くなってしまった身体が恨めしい。
「そういう冗談、嫌いです!」
 笑い続けている啓介をそのままに、拓海は立ち上がった。
「お、おい!」
 駐車場に向かって逃げだすと、拓海、拓海と追ってくる啓介の声は―――。
「拓海ってば! おい、た……藤原!」
 茂みを出た途端、変わった『名前』。
(あ、そっか! 名前だ!)
 拓海からでもなく、まして、啓介からでもない。それなのに、どうして二人のことが涼介に感づかれたのか。それが、今、ようやく分かった。
「どうしたんだよ?」
「いえっ……なんでも、ないです」
 怪訝そうな啓介に、笑いをかみ殺して首を振る。
「ずいぶん、楽しそうだな」
 ふと目を上げた先に、涼介が微笑んでいた。
 今夜―――。
 あの涼やかな瞳が、どんな艶に変わるのかを目の当たりにして、自分がいかに手強い相手と対峙しようとしているのかを思い知らされた。
(俺、とんでもない人に惚れちゃったのかな……)
 自分に芽生えた想いは、今更、変えられないない。けれど、屈託のない啓介の笑顔を見ながら、拓海は思い出していた。啓介の、名前を呼び違える癖と、あの晩の親しげな会話。最初のバトルの晩に、わざわざ夜食を差し入れてくれた彼を、啓介が何と呼んだか。
(涼介さんを拒んだ『一人目』って……やっぱ……須藤さん、かな?)
  須藤京一と、彼ら兄弟の間に何があったのか、拓海にはわからない。ただ、一つだけはっきりしているのは、啓介を取り巻く人間が、自分より『大人』で『凄い人』ばかりであること。
「藤原」
「は、はい!」
 涼介に呼ばれて、我に返る。
「さっきは、悪かったな」
「あ、いえ。……気にしてませんから」
 短い会話の中に込められた、暗黙の約束。それを取り交わす二人の顔に、どちらともなく苦笑いが浮かんだ。
「これから流して帰ろうと思うんだが……お前達は?」
「あ、俺も行く! た…」
「はい、俺も行きます。そろそろ帰らないと、配達に間に合わなくなるから……」
 失言をかき消すようにかさず答えた拓海の横で、啓介はほっと小さなため息をついていた。
(これで、いいんですよね?)
 ちらりと見た涼介は、微かに頷いていた。にっこりと、優しげな微笑みまで浮かべて。
(やっぱ、涼介さんってすげぇや)
 不思議なことに、先程までの気負いが消えていく。それどころか、秘密を共有する『同志』にでもなったような、誇らしささえ感じられて。
(涼介さんの、お墨付き……ってことかな)
 そんなふうに、都合よく自分を納得させた。一つずつ、少しずつ。自分らしく、啓介と付き合えばいい。つまりは、そういうことらしい。
「あのさ、拓海」
「え?」
「さっきの、アレ。冗談じゃないんだぜ?」
「……啓介さん」
「ん?」
「全部が終わったら、ですよね?」
「あ、ああ」
 顔を寄せて囁いていた啓介は、驚いたように茶色の目を見開いた。
「俺……楽しみにしてます、から」
 言ってしまってから、急に恥ずかしくなった。逃げるようにハチロクに乗り込むと、窓をこつこつと叩かれた。
「あのさ」
 開けた窓から啓介が顔を入れてくる。ほんの少し顔を近づければ、キスが出来そうな距離。
「拓海、俺も……」
 啓介が言い終わる前。耳打ちをするように手を添えて、拓海は啓介の耳に掠めるようなキスをした。
 

 動きだした3台の車に、駐車場にいた走り屋達がどよめいた。スタートラインに向かう優美な白いFCと、それに付き従うようについていく夜目にも鮮やかな黄色のFD。そして、新たに加わった小柄なパンダトレノを、羨望と嫉妬の入り交じった視線が追いかけてくる。
 FCのハザードが2度、瞬いて。
 唸りをあげて走り出した3台には、もう、誰もついて来れない。



END


えっと……すいません、こんなオチで(爆)



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