―LAW?―CHAOS?―

一章「Shamain―Liber Logaeth」

2001年2月19日
作者:Meta


 とっくに秋は過ぎている。外は寒い。
 瞳は室内と外の気温差にうんざりしていたが、貴重な昼休み、わざわざ外に出る気にもなれなかった。エアコンで調節された教室の方が、食堂より遥かに暖かい。
 窓の外に見えるのは学食と購買に走る生徒達だが、瞳の視線はそこには無く、ただ空に向けられていた。
「ねえ、何考えてんの?朝から」
 正面から声が掛かる。窓の傍の席、外は雪でも降りそうだ。
「別に。今日も寒いな、って」
 視線を正面に向けながら言った。少女の顔が飛び込んで来る。
「冬だもん。当然じゃん。ね、はい、300円」
「別に良いのに。ついでだから」
 机の上に置いておいた弁当箱を、細い指が拾い上げて行く。100円玉が3枚、机の上でちゃりちゃりと踊る。
「気にしちゃ駄目。ウチの家訓なのよ。「恩には恩で帰せ、仇には仇で5倍位にしてから返せ」って」
―内容も、使い方も、使う場所も間違ってない?
 瞳も自分の弁当箱の包みを開いた。声の主は既に瞳の前の席に椅子を逆にして座り、包みを開いている。
「んー、凄いね、流石は瞳。今日は洋風? ぱちぱち、調理実習、満点な訳よね?」
「……時間無かったから。あ、これスープね。……でもね、夕実、あなた、私が作らなかったらどうする気? 思うんだけど、いつも」
 魔法瓶を机の上に置く。間を置かずに、夕実が顔を綻ばせて蓋に移す。
 とぽとぽと注がれる音に重なって、湯気と共に刻まれた玉葱の芳香が漂う。洋風にした理由が時間が無かったから、と言うのは真実だ。
「うわー。うん、凄い凄い、オニオンスープ? ……作らなかったら? 別に。食べないよ」
―この子は……全く。
 世話の掛かる子供の気分だった。同じ歳だというのに。
 朝川夕実、瞳と同い年―誕生日がまだらしいから、まだ、15歳だ。身長は163cm、体重は45キロと言うから、痩せている部類に入るのは、間違いない。肩までの黒髪にシャギー、化粧は殆どしていない。目鼻立ちも整っていて、美人、と言って良いだろう。
 座席は瞳の前で、食事の時間になるといつの間にか、椅子を向かい合わせて食べるようになっていた。
 問題としては、何故か食事をいつもジャンクか軽食品で済ませている事で、瞳が聞けば、「めんどくさいし」と返す。聞けば、両親が弁当を作っている時間は無いので、食事はコンビニで買う事にしているらしい。または、朝からやっているジャンクフード店だ。一度瞳が作って来た弁当を渡してからは、えらくそれを気に入り、瞳も一つ作るも二つ作るも手間は同じ、と言う事でこうして持って来ている。簡単に言えば、放って置けなかったのだ。―お人好しだとは、思う。
「……不健全ね」
「そんな事ないよ。うん、ハンバーガー食べる時だって、サラダ頼むし」
「ジャンク食べる時点でね、問題なの」
 最近は天然の植物油を使用していて、カロリーは少ないらしいが。
 ケースからレタスとトマトのサンドイッチを引き出して、言う。夕実は既に8個入れておいたサンドイッチを3つほど食べていた。食欲旺盛だ。
―この体のどこにそんなに入る訳?
 サンドイッチを飲み下し、夕実が口を開く。瞳の表情は呆れ顔だった。
「なるほどねー、うん、瞳のその抜群のスタイルは、そこから来てる訳?」
―嫌味、それ?
 瞳が軽く眉を顰めた。
「……どういう事?」
「え?だってさ、瞳、私より軽いじゃん。言ってたよ? 男子。「葛葉ってスタイル良いよなー」、って」
「―そ」
 興味は無い、が。
 葛葉瞳。16歳。身長は165センチ、体重は42キロ。―確かに、夕実よりも、軽い。身長も、殆ど変わらないから、夕実の言葉に間違いは無い。夕実よりも更に長く、腰まで伸ばした黒髪、化粧は全くしないながらも、元から雪のように白い肌。加えて、幼さを残しながらも、充分に「綺麗」と言い切れる顔立ち。スタイルが良い、と言うのにも、間違いは無いのだ、が。
 瞳が夕実の顔から体へと視線を移す。
「ん? 何?何か付いてる? アタシ?」
「別に」
「そお?あ、それ貰いっ」
 夕実が身を乗り出してケースから唐揚を一つ強奪する。机に抑えられるように上半身が―引いては胸が―強調された。
 胸囲は90cmを超えているらしい。83cmの瞳より、10近く上だ。元より、杏奈の体には余分な脂肪分はまるで無く―それでも、胸囲は平均を上回っているが―野生の猫科動物を思わせる。日々の「鍛錬」の賜物だが、夕実と比べられては、酷という物だった。
 夕実のスタイルは、クラス所か、校内でも、かなり目立つ。夕実がスタイル云々と言っても、冗談にしか聞えない。―無論、本人が本気で言っている事は、よく判っているのだが。
 どの道、二人とも男子生徒からは人気があり、口にしないだけで、瞳を想う者は多いらしい。夕実の弁当の事を羨ましく思う者が多い、というのも、恐らくは事実だろう。
「んー、やっぱ美味し。ね、これ、朝の何時に起きて作るの?」
「6時」
 起きるのは5時だが。
「嘘、絶対真似できないって。私、起きるの15分だよ。8時の」
「学校始まるの、半よね。8時の」
 家が近くなければ、間に合わない。そういう事だろう。
 何にしろ、遅過ぎる気がした。
「私も早く起きようかな?「早起きは3銭の得」、だっけ?」
―三銭?
「間違ってるわよ、それ」
 瞳は軽く溜息を吐いた。
―原因は、別の事だ。最近急増した、妙な事件。今日の朝もそうだった。脇の通学用鞄から、駅前で買った新聞を取り出す。
 夕実がプラスチック製のフォークを揺らしつつ、眉を顰めた。
「ねえ、学校で新聞読むの止めたら?主婦みたい」
「漫画読むよりマシよ」
 辺りで漫画を読んでいる男子生徒の姿は無い。夕実は辺りを軽く見回してから身を乗り出して来た。一面の記事―では無い。端の、小さく切り取られた欄の事件を見ている瞳に、夕実が言う。
「何かある? ……あ、この事件、知ってるよ。ニュースでやってたやつよね」
「へえ、ニュースなんて見てるんだ。夕実が」
 心からの驚きのような、瞳が夕実の顔を真正面から見る。
「あ、酷い。……朝、パン食べながらちらっと。猟奇殺人? 事故? 怖いねー」
 全く、怖そうには見えないのだが。夕実は肘を突いてスープを飲んでいる。
―国津神区、だった。原型を止めない死体―らしき「モノ」。まるで暴走族かデザイナーの如く、大地に塗りたくられたペイント。
 違うのは、色と、臭い。
 色は赤、一色。臭いは、紛々たる死臭。
―話によると、バラバラになった肉片らしき「モノ」がそこかしこに飛び散り、こびり付いていたらしい。
「また、ね……」
「そういえばそうよねー。前は街ごと消えちゃったんだっけ?」
「二回もね」
―根国区、天津神区、だった。一度目、根国区は、手の付けられない状態だった―らしい。大規模な「工事」で住人全員が「一時避難」した時、大規模な爆発が起きた―と「言われて」いる。
 当時の状況はマスコミはシャットアウト、一般市民に現状が表されたのは事件発生の2週間後だ。被害額は莫大、それを全て工事を担当していたスポンサーが支払った「らしい」。
 大地は削り抉れ、全ての建物は吹き飛び、地表の8割が「消失」。正に原因不明の大惨事だった。
―2度目、天津神区はまだそれよりはマシだった物の、それでもかなり酷い有り様だった。
 数個のビル群がまとめて倒壊、大地は強烈な地震が起きたかの如く割れ砕け、消血スプレーで消し切れなかったのだろう、血痕のような物が残っている場所もあった。街の中心、5つの神社を中心として、抉られるように消し飛んでいた。あれだけの事件があって、この町では平然と生活が営まれている。何かが狂っている、だが、人々は平然とそれを受け止めている、どうにも表現し難い歯痒さと不気味さがあった。
―狂う……。こうしている私も、同じかもね。
「正に世紀末、ね」
 少し遅れて来た、ね。溜息は心の中でだった。
「世紀末ねー。あ、それそれ、それで思い出した。ね、センター街でキャンペーンやってるよね、セミナーとか。「神に祈りましょう」って。えーと、サンマ教?」
「ガイア教」
 どうやったら、間違えられるのか? 瞳が肩を大きく落とす。
―母音の二文字しか有ってないじゃない。
 瞳は溜息を実際に吐いて言った。今日、何度目かだ。
「ふーん……。ガイア、ねえ……ね、ガイアって、何?」
「ガイア―GAIA。ギリシア神話の大地母神。まあ、この最近の教団なら、「地球」とかそういう風に使ってるんだろうけど。……幾ら何でも、カオス教とかクロノス教とかじゃ変でしょ?」
―カオス……Chaos、あ、混沌ね、これだと。単語の意味も。
 どの道、ガイアを宗教の名に持って来るのだけが妙だと思った。聞いた話では、ベースはキリスト教、信仰の対象はやっぱりヤーウェ……普通、だと思う。わざわざセミナーを聞く気にはならないし、呼び止めようとしたセミナーの担当員の勧誘も断った。
 夕実が軽く眉を寄せる。
「かおす? くろのす? ……えーと……」
 夕実がこめかみに人差し指を当てて唸る。
「カオスはギリシャ神話の原初の混沌、クロノスはゼウス以前の主神、カオスは「混沌」その物の意味で、クロノスはウラノスを倒してゼウスに倒された主神ね。……時間の神とは違うらしいわ。スペルで」
 早口で、反論の隙を与えずに言う。恐らく―多分、いや、絶対に、夕実は理解していないだろう。
「……え、えーっと?」
「もう言わないわよ。説明するのもめんどいし」
 夕実の先手を打って塞ぎ、瞳はサンドイッチを咀嚼するのに専念する事にした。これ以上、余計な説明をさせられては堪らない。
「むー、でも、ホント瞳って、そう言うの、詳しいよね。成績もトップだし」
 杏奈の眉が僅かに動いた。説明は、嫌な筈だが―。
「―成績なんて、その人間の価値を決める判断材料にはならないわ。優秀優秀って言って、良い大学に入って、自己相対化が出来ずに、自分が正しいと思い込む? 駄目じゃない、そんなの。だから、政治はどんどん腐敗しちゃうの。大学出たからどうなる訳でもないし……えっと、神話が詳しい訳、だっけ?」
 一息に言った瞳に向けて、夕実が除き上げるように視線を向けていた。
「……瞳い、政治家に恨みでもあるの?」
「ないわよ。見てるとムカつくけど。……えっとね、神話は、姉さんが読んでたから私も自然に。本借りたりして」
「瞳、偶に学校でもそういう本読んでるよね、そういうの。……オカルト姉妹?人気あるのに。……彼氏、出来ないよ。それじゃ」
「安心して。いらないから」
 余計なお世話だ。
 夕実が肩を竦めてスープを飲み干した。




 恐る恐る、目を開ける。
 暗闇ではない。漆黒は晴れていた。空は吹き抜け、冷たい雨の痕跡だけが地面を濡らす。快晴だった。
 体に纏っている物を確認した。―コ−ト。黒一色の、ゴアテックス。冷たい風から素の肌を守るように、コートの前を掻き合わせる。
 髪は肩までのボブカット、シャギーの入った黒髪、眉に掛かりそうな髪の下の顔は、幼いながらも、誰が確認するまでもなく整っている。
 軽く記憶を反芻した。
 全てを薙ぎ倒す極光。暖かい光。初めて出逢った「理解者」。―別れ。
 周囲を見渡す。
 あるのは、倒壊したビル群、薙ぎ倒された街並み。まともに残っている物など、どこにあるというのか。無惨過ぎる爪痕が、カタストロフの後を、如実に物語っている。
―誰も、居ない。一人だ。
 死ぬ気にはなれなかった。怖いからか、別の理由か―恐らくは、その両方だ。僅か13の少女に、自ら死を選ぶ事など、出来よう筈が無い。涙が出て来た。
―寒い……。
 ゴアテックスのコートの防風性は大した物だが、それでもコート一枚だけ、冬の寒さを凌ぐには、あまりにも心許無い。
 ふと、薙ぎ倒された商店街の一部に、目をやった。洋服店―既に原型を止めてはいないが、確かにそれは洋服店だった。前面のガラスは完全に粉砕され、コンクリの支柱さえ半壊してはいるが、商品は生きているようだった。
―ごめんなさい……。
 確か、商品を貰う時には、お金を払わないといけない筈だ。でも、そんな物は、今はない。お店の人も、居ない。―寒い。死にたく、ない。
 身に着けられる物なら、何でも良かった。サイズも合わないシャツの上からトレーナーを何枚も重ね着する。ズボンのサイズも合わなかったが、有るのと無いのでは大違いだ。トレーナーの上からコートを羽織り直し、大切な物を抱き抱えるように前を掻き合わせる。
 胸に掛かる、十字のペンダントを両手で握り締めた。コートで涙を拭い、目を擦り、開く。
―お兄ちゃん―
―私を、守って……。

―暗い。
 真の闇が広がっていた。光は完全に遮断されている。僅かな光の漏れすらなく、真の漆黒だった。
―助けて。
 口を開く。―返事は無い。だが、判っている事だった。
 僅かに、光が差した。周りの光景が目に入って来る。いつもと同じ、嫌な光景。
『―サンプルの調子はどうだ?』
『ケースである可能性』
―私には、身寄りがなかった。『ここ』の人達は、私に住む場所……『居る』場所をくれた。でも、違う。
 いつまでも、どこまでも変わらない、『サンプル』としての日々。体にコードを巻かれ、周りにはよく判らない機械が並ぶ。
 痛みは、既になかった。一日に打たれる注射の量を数えるのも、既に馬鹿馬鹿しかった。機械の臭いと、薬の臭い。居並ぶ人間は、白衣の男達のみ。
―「外」の景色は、最近―ずっと、見ていない。外に、出たい。
―水槽のような物の中に入れられる。苦しいれど、息はできる。どんどん、何も考えられなくなって行く。むりやり、眠らされるのと、同じだ。
―眠る時、いつも考える。―「天使」。ここの人達は、いつもそう言っている。
―天使。天使って、何?
―羽の生えた、神様のお使い。一生懸命お祈りすれば、私達を助けてくれる、そう、言っていた。司教様も、そう言っていた。
―どうして、助けてくれないの?
―この人達も、神様のお使いだから? だから、私はそれをお手伝いするの?
―じゃあ、私は?
 既に、どうでも良くなっていた。繰り返すようにコードを巻かれ、注射を打たれる。水槽の中で眠る。

 繰り返した。

『助けて』

 何度繰り返したろう。ばかばかしいと思いつつも、祈る。そんな自分をどこかで嘲笑しながら、繰り返す。
 何日、何週間繰り返しただろう。―もしかしたら、それは何年かも知れない。
 がしゃあっ!!
 ガラスの割れる音。液体が漏れ出し、体が傾いて行く。視界が開ける。冷たい風が吹き荒れている。温度を調整された培養液入りの水層とは違い、外界の風は既に冬、とてつもなく冷たい。
 何か、誰かに抱き止められた。
『……生きてる、のか?』
―見た事のない人だった。黒い髪、黒い瞳、黒い服。判る。日本の人だ。ここの人達は、金色の髪の人達も居るけれど、この人は、私と同じ、日本の人。手に持ってるのは……剣? 昔、絵本で読んだ……騎士の持ってる、剣……じゃない。違う、日本の、お侍さんが持っている、刀だ。
―でも、それは関係無い。日本の人も、違う人も、みんな、私を『サンプル』と言っている。
―怖い。今度は、どうなるの? 私は、どうすれば良いの?
―抱き抱えられている。体を、揺さぶられた。苦しい。
―じたばたともがいてみるけれど、駄目、力が入らない。入っても、きっとこの人には何も感じないのだろう。
―もう、駄目なのかな。
 口を開く。せめて、一言は言ってみよう。「助けて」と。天使様や、神様には、きっと悪いのだろうけど。
「―」
―声が、出ない!? どうして!?
『―何を言ってる?』
―どうして、声がでないの? ……せめて、何か言えたら良いのに……。
 黒い男が、口を開いた。
『―俺は、敵じゃない』
―黒い男の人が言った。黒いコートを脱いで、体に掛けてくれた。そういえば、裸だった。……恥ずかしいけれど、この人も、何も言わない。……だから、良いのかな。コートが、暖かい。
 不意に腕を掴まれた。肩を抱えて、立たされる。―どこかに、連れて行こうとしているのか。
―怖い。……この人は、悪い人なの? ……「敵じゃない」そう、言った。……ここは……天使様達のお家。じゃあ、この人は、悪い人?
 体を、男に抱え上げられていた。まともな生活をしていない為か、安々と持ち上げられる。抵抗すら出来ない。
『―悪いな、名前を聞いている時間も無い』
―どうして、謝るの? ……名前……私の、名前……?
 男が、少女の体を抱えて周囲を見渡す。
『―初めまして、ルシフェル』
―体が震えた。いつも聞く、けれど、聞きたくない声。
『……貴様!!』
 男が吠えた。どこからか聞えてくるぎこちない日本語に向けて、苛立ちを隠そうともしない。
『気に入って貰えたかな? まだ実験段階で申し訳ないが』
―実験……? 実験って、何?
『そう、実験だ。人工的にケースを作る。……ああ、無論天使のだよ。データを取る為に、君達の仲間に協力して貰った訳だ』
『人工的に……だと?』
『そう。「悪魔」が「天使」に変わる。……ああ、素晴らしい事じゃないか。レメゲトンでも、天に帰る事を望む悪魔は多いのだろう?』
―何を言っているのか、全然判らない。でも、声……司教様と、この人は、仲が悪いのだろう。……私も、司教様は嫌い……怖い……。
 男の服を握る手に力を込める。震えは止まらない。コートの暖かさが、妙に体に優しく感じられた。
 車内上部に司教―「大司教」グレイの顔が映し出される。
―司教様!? 見てる……また、司教様が……嫌、怖い……!!
 男が、そっと抱く腕に力を込めた。
―違う……込めて、くれたの? ……この人は、本当に、悪い人なの? 「ルシフェル」……聞いた。確か、悪魔の王様の名前……この人、が!?
『……こいつに何をした』
『……それを、したのか?』
―心配、してくれている……!? 言っている事はよく判らないけれど、「判る」そう「感じた」から。でも、この人は、司教様の敵で……司教様、司教様は、本当に、良い人……?
 強い力で抱きしめられる。何故か、酷く安心できた。しかし、それでも震えは止まらない。原因は、大司教の存在か、それともこの先の未来への不安か―。
 男が右手を振るうや、一撃の下に装甲車の壁が斬り崩れる。
照らし出すサーチライト、囲むのは、数十人の司祭達。
 手に手にSMGを持ち、その中心に立つのは―大司教、グレイ。
 震える少女の薄く開けた視界に、白い影が飛び込んで来る。光が飛び散るような耳障りな音、金属の砕け散る音が響く。
 少女は、見た。
 白い、司祭服に身を包んだ男。
 男は少女を抱き抱え、司祭服の男を一撃で弾き飛ばしていた。
―この人は……誰!? 向こうに居るのは司教様……戦っている!?
『……どこかで見た顔、か?』
―何……か、おかしい。司教様の隣の、大きな人、白い服の、剣を持った人、眼鏡を掛けた人……何か、違う!?
『根国区で一度な。お前と、お前の魔物に皆殺しにされた仲間達の恨みだ……借りは返させて貰うぞ』
『俺の仲間は全員、お前の魔獣に食い殺されるか、お前に灰にされたからな。……俺をあの場で殺さなかった事を後悔させてやる』
―剣の人が言った。……嘘、この人が!? じゃあ、やっぱり……!?
『ふん。……先に仕掛けて来たのはお前達だ』
『……その少女をどうするつもりだ』
『こっちのセリフだ。……偽善者共め』
―司教様は、この人を倒そうとしている……? この人は、一体……。それに、この剣の人……違う、司教様とは、違う。白い、みんなと同じ服……だけど、凄く、凄く綺麗な目をしてる……判る。この人は、「違う」。
『……目を閉じて、耳を塞いでろ』
―頭からコートを被せられた。優しく手を放されて、頭を撫でてくれる。凄く、安心出来る。……どうして?
『殺してやる。……一人残らずだ』
 男の背に、神々しい羽が咲く。大きく、雄大で、暖かい羽。少女は目を見開いていた。コートが被されていて、全身は見えない。が、体から背に掛けて、大きく、雄々しい羽が光り輝いているのが、はっきりと見えた。
―羽……大きくて、綺麗で、暖かい、羽。天使……。天使様!? この人は、天使、なの!? でも、なら、どうして司教様達はこの人と戦うの……!?
 大地さえ割れ砕け、男を中心に螺旋に走った力の波が、司祭達を紙切れの如く吹き飛ばす。
 交される怒号。―グレイが、笑った。
『なっ……!?』
 男が目を見開いて膝を付く。
 二人の足元に光の光芒が走り、オーロラの如く伸び上がる。光は破壊の導き手となり、内部の二人を打ちつけていた。
―痛い……光が、体を打ち付けている。この人が体を抱き締めてくれる。痛みが和らぐ。……この人が居なければ、私は……!? この光を作ったのは司教様……どうして!? 私は、何も、何も悪い事はしていないのに……!! 神様は、神様は私をどうする気なの!?
 司祭達がSMG、グレネード、重機関銃をポイントする。
―どうして!?私は……私は、同じ場所に「居た」のに!!
『ヒャアッハアッ!!兄貴、すまねえ、遅れた!!』
『はっ、グレイ……!!ここに居やがったか!?』
―兄貴……この人の事?……この人の……弟さん……じゃ、無い……と思う。何だか、怖い人達……。怖い……怖い……司教様も、みんな……。
―みんな……?違う、みんなじゃ、無い。……この人は、安心出来る―?
―……助けて!!
 少女は、我知らず、男に抱き付いていた。安心出来ない、周りが全て敵としか思えないそんな中、信じられるのは自分を抱いている男のみだった。込められる力が暖かく、離れたくない。
『はっ、が、がああああああああっ!?』
『ヒャハ……!? これが、結界だと!?』
―二人の男の人が私達と同じ光の中に飲まれて行く。痛そう……苦しそう。どうして、司教様は……。
―!? 司教様達が、男の人に向かって、銃を向けている。どうして!? 司教様は、神様のお使いじゃ、無いの!?
 男の背に咲いた羽が、一瞬の内に巨大化、凄まじい輝きを放ち、全ての弾丸を光の中に溶かしていた。エッジと呼ばれた男を、チェンと呼ばれた男を広範囲の羽が覆い、少女を黒の男が抱き締める。
―暖かい、光の羽……さっきよりも、大きくて、広い。
―……ああ、そうか。―判った。そう、この人は……この人が天使なんだ。司教様でもない……この人は、「私」の「天使」。私の事を守ってくれた、だから……ううん、間違いない。このお兄ちゃんは、私の天使だ。私の事を守ってくれる、昔、本で読んだ……そう、「守護天使」。私を、暗い闇の中から引き上げてくれた、天使様。お兄ちゃんのお友達だから、この男の人達も悪い人じゃないんだろう。怖い感じだけど、きっと、それは見た目だけなんだ、と思う。
『……生きろ!! 生きて、必ずロウウイングを潰せ!!』
―お兄ちゃんが、何かを男の人達に投げた。……石? 何だろう、周りでは、司教様達がまだ銃を撃っている……やめて!!
―……生きろ? ……どういう事?
―お兄ちゃんが苦しそうに笑う。……何を、する気なの!?
『はっ、止めてくれ、大哥!! 俺は、俺は、あんたが居ないこの世に、生きる意味なんて見出せない!!』
『ヒャハ……!! 兄貴!!』
『生きろ!! 俺達は消される必要なんてない!! 狩ろうとする奴が居るなら狩れ!! 思い知らせてやるんだ!!』
―どういう事なの……? お兄ちゃんが笑い掛けて来た。笑い返したい……けど、苦しそう。それに、私は、声が出ない。……どうして……!!
『……すまんな。これまでだ』
―お兄ちゃんの手が、頭の上に置かれた。くしゃくしゃと、髪を撫でられる。
―これまで? ……これまで!? ……どういう事なの!?
―首から下げているペンダントを外して、私に掛けてくれた。銀色の、十字架。
『良いか? お前は道具じゃない。奴等に踊らされる必要もない。……生きてやれ。何処までも、生きるんだ。生きて……最後まで生きて、普通の暮らしを手に入れろ!! お前には、平和に暮らす権利も、幸せになる権利もある!!』
―普通の暮らし、幸せ……この人だけだ。「判って」くれたのも、「そう」言ってくれたのも……でも、どういう事? ……お兄ちゃんは!?
―お兄ちゃんの指が、瞼の下を撫でていた。かさかさした、傷だらけの指。……泣いていたの? 私……?
『……神様は、信じるか?』
―屈み込んで、お兄ちゃんが聞いて来る。……神様。……居る、と司教様は言った。……居る、のだろうと思う。「天使」だって、ここに居るのだから。
『―正しい物は自分で見極めろ。信じるなら、ちゃんと、居る』
―お兄ちゃんが頭を撫でている。お兄ちゃんが、男の人達に何か、言った。
『後は、頼むぞ』
『大哥……!?』
『兄貴!?』
―お兄ちゃんの羽がさっきよりも光って見える。凄く大きくて、暖かい。……後!? ……いや!!いなく、ならないで!!
―長いペンダントの紐を、背中で私に合わせてくれている。お腹のあたりにあった十字架が、首の辺りに来た。
『……そいつはお守り代わりだ。……いいな、必ず生きろ。ロウウイングの奴等になんざ、捕まってもやるな』
―間違い、無い。お兄ちゃんは、どこかに、行ってしまう気だ。お守り!? ……お守りもいらないから、どこにも行かないで!!
「……ぁ……」
―声が、出ない。思うように、喋る事が出来ない。「行かないで」と、そう、一言だけ言いたいのに。―思い切り抱き付く。……コートが開く。寒い。……でも、そんな事はどうだっていい。……行かないで!!
『アタル、バテル、ノーテ、イホラム、アセイ、クレイウンギト、ガベリン、セメネイ、メンケノ、バル、ラベネンシン、ネロ、メクラブ、ヘラテロイ―』
―お兄ちゃんが、何か呟いている。……さっきまで使っていた、不思議な力だろうか。……でも、「判る」。お兄ちゃんは、私達を守ろうとしている。……その為に、居なくなってしまう!!
『大哥、止めてくれ!! 俺は……』
―男の人が、お兄ちゃんに言った。―この人も、私と「同じ」なんだ。……居なくならないで!! もう、暗い所は、一人は、嫌!!
お兄ちゃんが、少しだけ笑って首を振った。
『―パルキン、ティムジミエル、プレガス、ペメネ、フルオラ、ヘアン、ハ、アラルナ、アヴィラ、アイラ、セイエ、ペレミエス、セネイ、カラティム!!』
―お兄ちゃんに抱かれている肩から、体中が光に包まれていた。力が入らない。意識が、どこかに飛んでいくような……そんな感じだ。―嫌!!
『生きろよ!!』
―お兄ちゃんが手を放した。体が浮くような感覚、光が、体を包み込んでいる。―光が、体を粒にして行くような―嫌!! 一人にしないで!! 一緒に―!! 
『大哥!!』
『兄貴ィッ!!』
『……!!』
―男の人が、叫んでいた。私は、声が出ない……何か、喋らなければいけない、喋らないと、お兄ちゃんがどこかに行ってしまう!!
―光に包まれた体が、そのままどこかに飛ばされるような―。お兄ちゃんの「力」なの!?
―嫌、一人は、一人は嫌!! 離れないで、一緒に居て欲しいのに!!
 光が炸裂する。空間を全て青白い光が席巻する。―意識が、別の所に運ばれて行く!!―体さえも―!!
―光に飲まれる―お兄ちゃんが、小さく笑っていた。私は―
―私は―!!




―チェン。
 そう名乗り出したのは、いつだったか―。
―『俺が、出て行く。お前は、ここに居ろ』
―『兄さん……』
 双子だった。
 15「まで」。
―駄目だった。隠し切れない。ここでは、この国では、二人目の子供は、「許されない」。世間的に、だ。政府からの援助が受けられないのは、一般の家にとっては致命的だ。社会主義、平等?……まやかしだ。そんな物は。
 どうすれば良い?……「一人」ならいいのだ。幸い、双子だ。後悔は無かった。
 生き抜くのに必死だった。九龍城さえ渡り歩いた。「生きる為」に、初めて手を血に染めたのは、その年だった。生温く、嫌な臭いに「感じた」。そう、思った。
 一時期、教会に身を寄せていた。15の、一時期。神父が、行き倒れになりかけたのを拾ってくれた。
 「神」に祈りを捧げ、流れるグレゴリオ聖歌に身を任せる。質素な生活、普通とは違った規則正し「過ぎる」生活―。だが、良かった。「生きて」いられたのだから。誰とも争わず、愛を歌い、神を謳う。―「神」―?
―神。信じれば、救われる。―救い!?
 けして変わらない、それ所か、ここに居ては帰る場所すらないのに、か?
―救われる訳が、無い。
 救われる訳が無いのだ。「信じる」だけで救われるのか!? 変わらない生活、変わらない迫害……。社会主義が悪いとは言わない。ここでも―ここだからこそか。貧富の差は激しい。
 何故だ!? 「信じる」だけで救われるなら、何故「神」は俺を救ってはくれない!! 救われる為には条件でもあるのか!?
 置手紙を残して教会を去った。感謝はしている。だが……駄目だ。信じられない……信じ切れない。何故かは判らないが。
 15の子供には辛過ぎる生活だった。
 拠り所は、自分の「力」。他人とは―常人とは違う、特殊な「力」。
―渡り歩き―着いた。「日本」。密航しての事だ。21になっていた。
 日本語も理解した。用心棒、ヤクザの下働き……大丈夫だ、俺は「生きている」。高天原市……新しい首都。日本の、だそうだ。
 裏通り。喧嘩……慣れている。問題無い。―着けている奴が居た。縄張り荒しか、逆恨みだろう。面倒事は、早々に片付けて置くに限る。
 響くラピッドファイヤ、連続するマズルフラッシュ。
―違った。「喧嘩」!? そんな物じゃない。彌敦道や九龍城でも殺し合いは何度もした事があったが、違う、これはそんな物じゃない……相手は、明らかに「戦い」のプロだ。
―死ぬ!?
 体が反射的に動いていた。懐からオートマチックを抜き出す。トカレフではない。デザートイーグルだ。弾はフル装填してある。
 殺らなければ―殺られる。
 何度も味わった筈の感覚。肌が泡立ち、毛が逆立つような錯覚さえ覚える。
 路地裏の過度に素早く逃げ込み、構える。―土地勘は、こちらが上の筈だ。防弾チョッキは無い。一撃喰らえば、終わりだ。
 隠れた路地のコンクリートブロックが吹き飛んでいた。ラピッドファイヤに合わせて、異常な口径の弾丸が、コンクリートさえ砕き穿っている。
 男の一人が走りこんで来る。手には―SMG。
 はっきりと、男が驚愕するのが「判った」。そこには何も無い空間が広がるだけで、影は無い。驚愕は、「上」に有ると気付いた時だった。
「死ねッ!!」
 男がSMGをポイントするよりも、貯水タンクに連なるパイプを握るこちらからの射撃が早かった。
 一発は胸に、もう一発は顔面に命中、大口径の弾丸が頭をザクロに変える。
―胸からは、血が無い!? ……防弾チョッキか!!
 対衝撃吸収の特殊スーツ、ケプラーを幾重に重ね、特殊繊維で上から覆う。セラミックとカーボンを粉末状にして織り込んだ最新型だ。
 用意周到、武器も最新型、訓練も積んでいる―土地勘が無ければ、どうなっていたか―。まだ、終わっていない。
―生きなければ―
 足音が近付いて来る。悲鳴を聞き付けた、他の連中だ。男の死体からSMGを剥ぎ取り、ベルトに下げられたハンドグレネードを引き千切る。
走り、逃げ、迷路のような路地裏をデタラメに駆け回る。
―殺されて堪るか!! 何故、狙う!? 殺される理由など、無い!!
 荒くなった息を整え、SMGを構える。
―足音―。
 セーフティピンを引き抜き、指をピン代わりにしていたグレネードを、2秒のタイミングで振り投げる。
 止まる足音、驚愕の声。
 刹那の閃光、爆風。
 ビルの壁さえ砕き抉り、数人を巻き込んだグレネードは、数人のグレネードと誘爆し、一面を火の海に変えていた。
―どういう破壊力だ!? 普通の手榴弾じゃ、無い!? ……一体……何なんだ、こいつらは!?
 街中でこんな物を使えば警察の手が入るのは明らかだったが、証拠など残らないだろう。第一、こんな武器は日本で手に入れるのは難しい。SMGもそうだ。ベースはウージーか、ウージーピストル……フルオート、マイクロウージーか。弾数は段違いだ。巨大なマガジンが、グリップを大きくハミ出して付けられている。
 悪寒が走った。反射的に脇に飛び、未だ燃えさかる火の海の路地に走る。
 僅か数秒の間を置き、立っていた場所は巨大な爆圧によって吹き飛ばされていた。
 フル装備、防弾チョッキを仕込んだ白いローブに、ロケットランチャーを構えた司祭の姿が見える。
―馬鹿な!? 俺一人に、俺一人を殺す為に、か!? 一個小隊クラス……何故!?
 考える時間は無い。走り、逃げ、マイクロウージーのトリガーを絞る。反動を押え付け、男に狙いを定める。
―馬鹿な!?何故、死なない!?顔面に命中して、なお―!?
 男の口元に笑みが浮かぶ。不可思議な紋章が足元に渦を撒き、弾丸は全て拉げて落ちていた。
―そういう事か……「俺」と同じ、だが、俺には使いこなせない……くそ!!これまでなのか!!
 男がランチャーを構える。―逃げ場は、無い。
―「恐怖」、か?足枷になっているのは、この感情なのか!?……くそ!!
 まだ残っていた他の男達が集まって来る。
 数人の白と、黒の服に身を包んだ男達……その手に握るのは、紛れも無い、プルニトンの輝きを放つ、黒い塊。
 白い服、黒い服……何だ? 神父? 牧師、か? 英語か……? 何を言っているのか判らない、何だ……? 「アイム」?
―死にたく、ない。くそ、「力」さえ……何故だ!? これまでなのか!? 殺される理由など……何処に有る!!
一斉に男達がポイントする。―駄目か!?
 ラピッドファイヤが響く―。
 そして、それはすぐさま轟音に飲まれて消えていた。
 俺と「同じ」男の頭が飛んでいた。
 吹き荒れる烈風が大地を砕き、叩き付ける炎が空間を薙ぎ払う。何だ!? 自分の周りにだけ、狙った様に全ての破壊が避けられて行く。
 爆発、怒号、悲鳴……。
 気付いた時には、銃をポイントしていた神父か牧師らしき者達はその存在その物が消え去っていた。
―不思議と恐怖感は無かった。
『大丈夫か?』
 男が俺の顔を覗き込んでいる……誰だ?俺を、助けた? 何の目的で? 黒いコート、剣……倭刀、ここでは「刀」か? 黒い瞳に黒い髪、喋っている言葉は日本語……間違いない、日本人だ。武器を大っぴらに携帯するのだ、堅気の人間ではないだろう。隣には、同じく日本人と判る男が立っている……背が高い。190近いのではないだろうか。
―何だ? この力、この男は? 何をした? 銃を、刀で? ……俺と、「同じ」力?
『ロウウイングか……チッ、クソが』
『ヒャハ、ケースも混じってたらしいな。ヒャッハ、黒焦げで何が何だか判んねえけどよ? ヒャアッハハハハハハッ!!』
『ここは……危険だな。来い。俺と』
『ヒャハ、良いのか? 兄貴』
『放っては置けんだろう? この街にはロウウイングの手が回ってる。……ミズガルズの連中の動きが無いのが幸いだな』
 男の手が差し出される。体を強引に起こされ、肩を担がれた。
『―俺と、来い』
―「信じられる」……違うな。「信じたい」のか。
 男の手を振り払う気にはなれなかった。
『よく生きてたな。……俺達が着くのが遅かったらマズかったかもしれんが』
―ロウウイング、デビルバスター……「悪魔」を滅ぼす組織。何故、そんな物が? いや、俺を狙ったのは?
 連れて来られたのは安いホテルだった。照明さえ薄暗く、普段さえこんな場所には泊まらない。そこらのアパートよりも酷いのではないか? ……生きているだけ、マシだが。
『……成る程な。お前もケースか』
 男が説明を始めた。到底考えられない話……悪魔?
―悪魔? この力……何だ? 契約? 俺が、何?
 昔から、自分の力には気付いていた。「この」力で生き抜いて来たのだから。「炎」。ああ、この力があるから、俺は家と―家族と別れた。これで、戸籍上は弟が「俺」だ。
『何故、力を使わなかった?』
「使わなかった」―違う。「使えなかった」。不完全……自分の思うようには力を発動できない。話した。
『まあ、慣れだ・・・これから、どうする?』
―これから? ……どうするか。考えた訳でもなかったが、あんな連中がまた狙って来るのなら、下手に動き回る所か、普通に生活するのさえ危険だ。どうする? 組に手が回っても厄介だ……。
『……そうだな、俺達の所に、来るか?』
―同じ力を持つ者が居る事を知った。「ケース」。そう、呼ばれているらしい。「アイム」―そう、呼ばれた。
 「クリフォト」と言う組織。自分と同じ力を持つ、何人もの仲間達。……そうか、俺は一人じゃない。
 目の前の男が優しく感じられた。何年ぶりだ? 家族……違う。だが、この男は信頼出来る……。
 次の日にはヤクザ達とは手を切っていた。追っ手が掛かるのも気になったが、相手はヤクザよりも遥かに性質が悪い。だが、理由はそれだけではない気がした。自分でも、判らなかったが。
―「力」を使いこなすのは簡単だった。男に習った通りやるだけ……それだけで、あれほど思う通りにならなかった力が、自在に使いこなせるようになった。「召喚」?ああ、この力か。「悪魔」を呼び出し、遣う者達―サマナーの集団、「クリフォト」。
 印を組み、名を唱える。「召喚」の基本。男に習ったやり方だ。
『もう、召喚も出来るようになったのか? まあ、イメージ化が済めば簡単か。……判らない所があれば、俺に聞け』
―信頼、出来る。
『……お前、名前は?』
―本名を名乗る―必要は無い。そう思った。
『チェン? ……判った』
 上背のある男―いつも、あの男の隣に居る男だ。肩を叩かれた。
『ヒャハ、オイ、チェン。飯でも食いに行くか?』
 素直に、良いな、と返す。……どれだけぶりだ?
―仲間、そう呼べるだろうか。男の傍に常に居る男―エッジ、とか言った筈だ。気は、合う。悪くない……「安らげる」。
『タークー? おいおい、何だ、それは?』
―男が困ったような笑みを浮かべて見返してくる。……信頼出来る、従うのに相応しい……ああ、「大哥」だ。
『親分や、ボス? ……まあ、構わないが』
―この人に仕えるのは間違いじゃない。信頼出来る、この人だけは。「チェン」。適当に付けた名前だったが、これで良い。これが「俺」の名、これがこの人に仕える、俺の―。
『有り合わせだけどな……食うか?チーズと、コーンフレーク。あ、いや、嫌なら良いが』
『ヒャハ、お、兄貴、何しけたモノ食ってんだ?』
『悪いか? ……お前も食うか?』
『ヒャハ、兄貴、な、遊びに行こうぜ』
『お前だけで行け。俺は寝る。……色町は、嫌いだ』
『ヒャッハ、相変わらず固えな?……そっちの気でも有るのか?』
『……一度、炭になるか?』
『ヒャハ、冗談だよ。チェン、行くか?』
―楽しい。この二人と居るのは。
 戦いは嫌ではなかった。大哥が居れば、恐怖など無いに等しい。むしろ、大哥と一緒に居られるなら、戦いは愉悦さえ誘う。
 ロウウイング、世界最大、最強の退魔組織。
『奴等が俺たちを狙う理由?……奴等にとっては、「悪魔」の存在その物が「悪」で、「正義」の実行こそが「神」の意思、だそうだ』
―ふざけるな!! 何の理由も無しに、「そう」だから殺す!? 「神」―それが、「神」か!?
 大哥はこの組織の長の一人であり、最強を誇る「バチカル」のルシフェル。ロウウイングなど、敵では無い。
―だからこそ、思う。「神」の存在はどこにでも、「有る」。何に神を見るか、それは自由だ。俺の神……それは、大哥に他ならないのだ、と。
『くたばれ、クソが!!』
―大哥が巨大な竜を召喚する。爆炎が地面を割り砕いて伸びる。ロウウイングの司祭共が悲鳴ごと飲まれて消え去る。
―強い。
 光の羽が展開する。光が拡散し、司祭の部隊が一瞬にして灰になる。……ああ、所詮はゴミだ。大哥に勝てる筈が無い。
 大哥の力は絶対、大哥こそが自分の力であり、真理「だった」。
―「だった」……? 違う!!
『滅びろ、「明けの明星」!!』
 ロウウイング―司祭達……殺した。大哥に近付く者、傷付けようとする者……許す訳にはいかない。
『バチカルに相応しい? 駄目だな、あの男では役不足だ』
 クリフォト―幹部候補だった。マオ。殺した。大哥を侮辱した。……許す訳にはいかない。
『明けの明星? ルシファーの力を持つ者? 下らん、だから、何だというのだ?』
 殺した。クリフォトの者だろうが、大哥を唾棄する事は許されない。
 殺した……殺した殺した殺した……罪悪感は無い。大哥に逆らう者には、罰が下されなければならない。俺は審判を下す判官だ。―大哥!!
 大哥……大哥大哥大哥大哥大哥……。死んだ!? 有り得ない!!
『ははっ、おいおい、何やってるんだ?』
―優しい笑顔。
『大丈夫か?』
―俺の、唯一の主人。
 いつまでも、仕えていたかった。俺の太陽だった。微笑んでいてほしかった。
―『ありがとう、な』―『生きろ!! 生きて、必ずロウウイングを潰せ!!』―
―有り得ない!! 大哥は無敵、大哥こそが真の理、大哥こそが正義、絶対にして完全な、俺の真理……!!
―俺のミス……!! 俺の所為か!? 大哥が、大哥が!?

「はっ!!、死ね!!ゴミが!!」
 チェンの腕が一振りされるや、迸る火炎は大地を這うマグマとなり、超高熱の波が、並み居る司祭を押し包んで行く。
―高天原市、ロウウイング、支部。1週間ほど前のクリフォトとの総力戦で「大司教」グレイが行方不明となったにも関わらず、統制の取れた行動が続けられている。チェンとエッジを出迎えたのは、数百にも上る司祭だった。エーテルブリッドの洗礼が二人を出迎え、土砂降りの雨かと思える弾幕が注がれる。
 紅い風と化したチェンが姿勢を屈めて走り抜け、マイクロウージーを構えた司祭の頭を破裂させた。即座に、司祭達の視線が一点に集中し、自分達の中に飛び込んで来た「悪魔」にポイントする。
 それよりも早く、チェンが高々と舞ったマイクロウージーを掴み取り、端から流すように男達にトリガーを絞っていた。通常の人間には9ミリパラベラム弾として作用するエーテルブリッドが、連射装置付きのピストルとなって司祭達を襲う。グリップから大きく突き出たマガジンの装弾数は150発、通常のマイクロウージーとは大きく掛け離れた弾数が、次々と骸を製造する。
 2秒間をフルオートで絞り切り、弾の切れたSMGを一団に投げ付け、同時にチェンは右腕を振るっていた。ぽつりと燈った蛍の光が血の色に染まる。帯となった火炎が渦を巻き、銃弾よりも遥かに殺傷能力の高い破壊と殺戮を撒き散らす。
 同時に、背後で声が聞こえていた。―「マベロードッ!!」
 空間と一緒くたに皮を、肉を切り裂いて、血を求めて巨大な刃が疾駆する。まさしく剣、漆黒の巨大な剣だった。3メートル近い「剣」だけのそれが、司祭の頭を砕き、体を断ち割り、突き破り、縦横無尽に飛び交う。地獄絵図の再現だ。
 司祭達の悲鳴を打ち消すように、声が響いた。
「ヒャッハアッ!! 無駄だ無駄だ無駄だ無駄だァ!! 諦めて死ねよ……ああ、聞えるぜ、星の声が……!! お前等を捧げろってなあ!!」
 剣に守られるように、自ら殺戮を行なうエッジだった。既に人間の腕の原型を止めていない鉤爪に紫電を宿らせ、指差す先に自然の物ならぬ、打つ者を即死させる魔界の雷を降らせる。振り払う爪の中に走った雷光は一条の殺戮の光を生み、接触する者を黒焦げの死骸に変える。
 周囲の者達には、何を言っているのか理解出来なかっただろう。或いは、本人にしか判らないのかもしれない。
―「星の声」―
「聞こえて来た……ヒャハアッ!! 聞こえてきたぜえ……聞こえる聞こえる聞こえる!! 星の声がッ!! お前等を捧げれば、帰って来るんだよ!! 兄貴が!! 見えるんだよ、星の瞬きが!!」
 紫電がエッジの足元に渦を巻く。掲げられた右手に紫電が集中し、紫の雷が司祭達を打ち付ける。
「生きてる……お前等が? 間違ってるだろ!? 兄貴は……どこに居るんだよ!? ああッ!?ヒャハッ、そうさ……お前等は生贄なんだよぉ……!!」
 司祭達の悲鳴の中心、エッジが哄笑を上げていた。身を折り、額に手を当てて髪をかき上げる。
「俺に星が言うんだ……ヒャハ、ハラわたぶちまけろおッ!!」
 エッジの姿が風に溶ける。次の瞬間、笑っていた場所から数メートル離れた位置で、血と臓物片の滴る爪を掲げ、エッジが笑っていた。風が通った後には、体を抉られた司祭が崩れる。笑うエッジの笑みは、泣き笑いのようだった。
 支離滅裂なその言葉には、しかし強力な力と、常軌を逸した殺戮が付いて回る。行動を止めた瞬間を狙い、司祭達の集中した弾幕の嵐が降り注ぐ。
「ヒャハ、無駄な事……してんじゃねえ!! 供物の分際でよおッ!!」
 エッジが掲げた右腕が紫電に包まれ、次の瞬間、青い雷光となったドームがエーテルブリッドごと、幾人もの司祭を黒焦げの塊に変える。
「ヒャハアッ!! チェン、殺れ!! ブッ殺せえッ!!」
 開けた弾幕の中、チェンがエッジに並ぶように両手に炎を燈す。
―大哥……大哥大哥大哥大哥大哥大哥大哥大哥!!
 大哥は言った。「必ずロウウイングを潰せ」と。潰さなければ……そう、大哥が言った言葉だ。
 ああ、そうだ、きっと、そうだ。ロウウイングを潰せば、大哥は帰って来てくれる。こいつらが居なければ、大哥は、もう一度俺に顔を見せてくれる。笑い掛けてくれる・・・こいつらが、死ねば。
―どうすれば、良いか。
 簡単だ。
 こいつらが、みんな死ねば……消えてしまえば、良い。
「はっ、はははははっ!! そうだ・・・そうだろぉ!? ははははははははははははははっ!! 死ね……死ね死ね死ね死ね死ねェッ!!」
 チェンの変化した両手が振り回され、勢い良く地面を叩く。
 同時に、地面に無数の亀裂が走り、司祭達の間に生まれる亀裂から、炎の柱が天に逆らって吹き上がっていた。
 一撃は核熱級の超高温の火炎、触れるだけで魂まで焼き尽くす魔界の業火が、司祭達を骨一つ残さず焼却して行く。
「はっ、死ィねェェェェッ!!」
 太陽のフレアかと思う光球が炸裂する。
 ロウウイング、高天原市、第五支部。隊員数350名は、20分足らずでこの世から完全に消滅していた。
 積み重なる瓦礫と屍の中、オレンジ色の火炎に照り返しを受け、「炎帝」が悲しき哄笑を上げる。




「グレイが行方不明?」
 アメリカ・L.A、「ミズガルズ」第五支部。
 ミズガルズ―ロウウイングとは、根本的に異なる。「神」の名の元、「秩序」を掲げるロウウイングと違い、「悪魔」を滅するという目的は同じだが、唯一神を崇めている訳では、無い。ロウウイングは道教から修験道までを集めた精鋭部隊だが、ミズガルズは、教義その物を別にした、あくまで別の「退魔組織」だった。
 ユウ・橿原が軽く眉を潜めた。
 年の頃なら25前後、だが、外見だけで見れば10台の半ばにも見える美青年だ。
 短く揃えられた柔らかな黒髪、男にしては白すぎる肌。国籍は日本との事だが、海を越えてやってきたこの美青年は、ここにおいても、あっという間に支部の人間の心を掴んでしまった。怪しいまでの美貌と、何者の目も捉えて放さない雰囲気。
 報告を持って来たダークスーツの男に軽く手を振り、自室を退出させると、マホガニーのデスクの上に置かれた白い封筒を手に取る。
「……へえ。やっぱり日本は怖いね。エーテルの集まりが凄いや」
 男性らしからぬ、繊細で白い指先が封の接着面をそっと撫でる。次の瞬間、封筒はゾーリンゲンのナイフで切り取ったような断面で入り口を開いていた。
「まつろわぬ神々と天下る神々は、と……僕達はどう動こうか?」
 言うや、親指と中指で挟んだ封筒を弾き上げる。
 室内の一角、誰も居ないと思われた影が―正確には、誰も居ないと思わせるほどに、気配が無かった―動いた。
「永遠の秩序を望むか、改革と破壊の混沌を望むか、か?」
「まあね。……君さ、止めたら? そういうの。報告員が居るのに」
 長身の影だった。185cmほどだろうか。黒い髪に黒い瞳、アジア系を思わせる、長身痩躯の男。宙に舞った封筒を指先で器用に挟み、自然な動作でスーツの懐に仕舞い込む。
 ユウが困ったような笑みを浮かべるのに対し、その表情は変えぬまま、マホガニーデスクの前のソファセットに腰掛ける。
「天津神は問題あるまい。今の所は。……国津神も下手には動かんだろう。当然だが、結ぶ可能性は、ゼロだ」
「だろうね。そんな事は判ってるけどさ。……ね、僕達はどうする?」
「……白々しい。「ゲート」を使おうとしていると聞いたぞ」
 視線は正面に、男が言う。
「あれれ?誰がそんなコト言ったのさ」
 ユウが肩を竦めつつ、席を立つ。
 足元のミニクーラーからペットボトルを引き出すと、コップ二つを手に、男の正面に回る。
「日本直送だよ。オレンジジュース。……飲む? ワインは無いよ。悪いけど」
「貰おうか。……ロウウイングとクリフォト、潰し合ってくれるのは嬉しい事だがな」
「氷は3個ね。……そうかい?」
 オレンジジュースが音を立てて氷を浮かせる。目の高さでグラスを揺らせ、ユウの白い手から男がグラスを受け取る。
 ユウがジュースと一緒に引き出したトレイに載せたケーキをテーブルに置いた。
「まつろわぬ神は地の底に封じられ、天津神は動きが取れん。……俺達も下手には動けんだろう?」
「確かにね。……けど、あくまで僕達は彼等から見れば第三者だ。その上、ロウウイングの影響力の強さは知っての通り。……フリーメーソンを取り込み、アメリカさえ裏で支配してるってさ。グレイ、彼、何て呼ばれてるか知ってる?」
 ユウがケーキからセロハンを引き剥がした。
「「皇帝」だろう? 知ってるさ。フリーメーソンさえ取り込んだ……まあ、奴の功績とも思えんが」
―フリーメーソン。膨大な数の文献資料科が存在し、その数は、これまで判っているだけで6万冊に達する。しかし、それでいてその正体は依然として誤認されつづけている。とりわけラテン諸国においてはそうで、一般に知られている最初期の近代的フリーメーソンが誕生したのは、1717年6月24日に当たる。聖ヨハネの祝日、正にこの日、「ロンドン・グランド・ロッジ」が創設されたのだ。四つの実践的フリーメーソンのロッジが一つに統合され、四つの勲章を一つに纏め、「アンダーソン憲章」と呼ばれる文章が作成される。
「憲章」の企画者アンダーソンはこの疑問に二通り、象徴的な答えと歴史的な答えを用意した。即ち、組織の起源が遠くアダムにまで遡ると述べる一方で、アングロ・サクソンの王、アセルスタンから初めて公認を受けたともいう。
 その影響力は絶大、アメリカの1ドル紙幣にまで及ぶともいい、大統領の中にまでフリーメーソンに属する者が何人も居たほどだ。
イニシエーションに基く組織を目指し、一方では優れて博愛的、哲学的、進歩的な機構たらんとする団体。テンプル騎士団系、薔薇十字団系、ヘルメス系、エジプト系……イニシエーション的な側面と歴史的な側面、社会心理的側面を持つ、巨大組織。
―それを、取り込んだ―
「ロウウイングの勢力に追いつく組織は―多分、もう無いだろうね」
「……ふん。教義その物が気に入らんな。美徳? ……「俺達」を「追い込んだ」奴らが、か?」
「気に入らないのかい? 「今」の僕達には関係ない気がするけど……あ、食べない? ストロベリームース」
「関係ない、か」
 男がユウの言葉を無視して言った。
 ユウが半分に切ったストロベリームースを口に放り込む。
 適温に保たれた部屋の中、オレンジジュースに氷が溶け出し、水滴がグラスの表面を滑り落ちる。からんと音を立て、男の手の中で液体が揺れる。―「……知っているか?」―「何を?」―
「日本の・・・高天原市の、天津神区が「壊滅」したそうだ。……一日でな。あの巨大結界都市が、だ」
「怖いね」
 男がユウに視線だけを向ける。
「ヴァチカンからの報告は?」
「……何が、言いたいのかな?」
 ユウの視線が、男の瞳に集中する。男はその視線を涼しげに受け流し、グラスを手の中で遊ばせた。
「磁気レベルで確認したエーテルレベルは、召喚のみでDL―Sランクだそうだ」
「……へえ。詳しいね。ロウウイングの定義を使うの? 嫌いなんでしょ?」
「複数、な」
 ユウの問い掛け―皮肉―を無視して、男は続けた。視線の受け答えが逆になる。
「凄いね。どこから知ったのかな?」
「……」
 ユウの瞳から、感情の変化は感じ取れない。男が先に視線を外していた。
 DL―Sランク―ロウウイングの定義だが、神霊では最上位クラス、魔王、主神クラスの反応だ。通常、召喚師が召喚出来るレベルとは一線を別にした、アストラル界から顔を覗かせる、混沌の一片。出会う可能性は、巨大儀式の失敗、国掛りの大規模な儀式―意図せずに召喚するにしろ、出会えば滅びは免れない。「召喚」する事など、本来不可能なクラスの神霊だからだ。出来るとするなら、より高位の存在が、無理矢理に呼び出すが、それその物が付き従っているという可能性だ。
 これまでに、国が動く大きな戦争や、不可思議な現象、大規模な自然災害―ほぼ全てに、「悪魔」は関わっている。何故か?全ての事柄は「悪」から生じ、それを司る者が「悪魔」だからだ。DL―Sランクといえば、一匹で楽に一国を滅ぼす力を持っている。能力的に、DL―Bランクで、水爆クラスの力を秘め、DL―Sランクに至ってはノヴァクラス、やろうと思えば、星さえ消せるのだから。
「別に。……さて、俺はこれで失礼する」
「女神様がウルサイのかな?」
「そんな所だ」
「飲まないの?」
 ユウが口元にだけ笑みを浮かべて言う。
「もう飲んだ」
 男が両手をポケットに突っ込み、ユウに背を向ける。
「勝手な行動は慎む事だな。あまり大きな者を動かせば、間違い無くロウウイングも、クリフォトも動く」
 男が指を弾いた。―ぶん……―羽虫の羽音が鳴る。次いで、黒い霧がユウの目の前に広がっていた。
「―動けるなら、ね」
 一人「だけ」の空間で、空のグラスを前に、ユウの顔に小さく微笑が浮かぶ。
「ユルグ、テスカトリポカ……」
 くすりと笑い、ユウは高い天井を見やった。
「ね……トリックスターが居ないとさ……歴史も神話もつまんないよ。……変化が無い時間なんて、ね」
 ロスの既に黒い空に、雲が掛かる。
 雷雨だった。




 私服校が多い近年、瞳と夕実の高校は未だに制服を採用しており、以外に目立つ。制服というか、ベースはセーラー服なのかブレザーなのか、まるでカノニカルを無理やりミニスカートにしたような制服が女子の物だった。何故か評判は良く、雑誌に取り上げられたり、制服を目当てに―信じられない事だが―入学する者や、制服のみを購入する他校の生徒もいる―らしい。
―これが、そんなに良い物だろうか?
 正直、着にくい上にひらひらしていて、私服の方が数倍マシだと、瞳は常々そう思っている。宗教校でもないのに、それを基調にしたようなデザイン、その上、白ではなく、主張の強い赤。
―何を考えているのか? デザイナーは。学年分けは男子はワッペンの色、女子は同じくワッペンと、スカーフだ。
「―あ、そういえば、ね、瞳」
 隣を歩く夕実が言った。瞳が視線だけを向ける。「何?」
「昨日さ、あれ? 昨日だっけ?今日の朝……ま、良いけど、会ったのよ」
「誰に」
―主語を抜かして喋らないで。頼むから。
 瞳は軽く額を抑えて聞き返した。
「んっとね、イイ男」
―またか。
 夕実の振って来る話題は、大きな事件か、男の事が多い。割合で言えば、80%を楽に超える。
 瞳は内心ウンザリしつつも、話を促した。無視しても、どうせ喋り続けるだけだ。早く終わらせた方が良い。
「背は結構高くてねー、えっと、目元がイイ感じなの。クールで。冷たい雰囲気だけど、熱そうで、んー、セクシーな感じのイイ男?」
「―そ」
―外見から、「冷たそうで熱い」はおかしいでしょ?
正直、夕実の言う「イイ男」とやらの基準には、区別が付きかねた。テレビで見るアイドル、モデル……夕実が偶に持って来る芸能雑誌とやらに、夕実が指を指すが、さして良いとも思えない。どこが、良いのだろうか? 外見だけで決める……とは思えないが、外見にしろ、瞳にはそれが良いとは思えなかった。実際、良い等と言っても、夕実が付き合っている男とやらを見た憶えが無い。男友達なら、沢山居るらしいが。
 商店街を歩きながらも、二人に視線を向けてくる者は多い。学校の中だけでなく、二人の整った容姿は目立つ。
 声を掛ける者には、取り合おうとする夕実を瞳が強引に引き、あしらっていた。
「ただ、ファッションセンスは無かったなー。何て言うか、こう……」
 夕実が途中で言葉を途切らせる。
 囲むように、数人―4人―の男。夕実が知る限り、瞳が「最も」嫌いなタイプの男達だ。
「久し振りだなあ」
 正面の長髪がダルそうな声を上げる。瞳は肩を竦めると同時に、首を傾げていた。
―どこかで、会っただろうか?
 会ったかもしれないが、何の特徴も無い、ただの馬鹿か阿呆の顔など、記憶に止めて置く義理は無い。目の前の男達は、充分にその範疇内だ。その上、数も多い。ゴキブリのような物か?
「あら? どこかで会いましたか?」
 悪びれもせず、瞳が言う。長髪だけでなく、隣のピアスも顔を引き攣らせる中、夕実が瞳に言った。
「あ、ほら、瞳。アレだよ。2週間位前、ナンパしてきた」
「そう?」
―そんな事が―あった、だろうか?
 やはり、思い出せない。あったとしても、思い出したくない。
「そう……じゃ、失礼します。忙しいので」
 夕実の手を引き、囲みから抜け出そうとする瞳の前に、長髪の隣の、髭の男が立ち塞がる。逆側には茶髪の男がにやにやと笑っている。
 どれも似合っていない。最悪だ。
「……邪魔ですけど。退いて頂けます?」
 周りの人間は遠巻きに見ているだけで、誰も関わろうとしない。じりじりと距離を縮められ、路地裏に追い込まれていた。
 瞳は溜息を吐いた。
「良いからさあ、付き合えよ。な」
 長髪が言う。言うのと同時に手が伸びていた。
 瞳は身を一歩引き、強く夕実の体を振り回していた。夕実を庇う様に立つ瞳の前に、下卑た笑みを浮かべて長髪が立つ。
「力ずく……ですか」
 言う瞳に、長髪が笑う。
「良いじゃん、遊ぼうぜえ」
 長髪が気安げに手を伸ばす。
 瞳が大きく溜息を吐いた。
 掴み掛かろうとする長髪に、瞳は夕実を後ろに走らせざま、身を屈めて間合いを詰めていた。触られるつもりも、ない。
 長髪の腕が空を切る。―「判った」。明らかに、素人だ。
 瞳の長い髪が風に揺れる。瞳は白く細い指を抜き手に絞り、長髪の鳩尾に打ち込んでいた。長髪が驚愕の表情から苦悶の表情に移行し、身を折る。大丈夫、だと思う。力は入れていない。胸骨は折れていないだろう。健康であるなら。
 最近の若者の傾向として、どんどんと体力が減っている傾向にある。同世代、6年前と比べても、明らかに脆い、らしい。テレビでもやっていた。
 ピアスが怒号を発して瞳に掴み掛かろうとしていた。距離は約1メートル、男のリーチなら殆ど1秒だ。
 瞳は更に早かった。抜き手を打ち込んだ姿勢のまま、間合いを詰め、擦り上げるように手の甲を突き上げていた。弧拳となった瞳の手がピアスの顎を打ち抜き、戻す勢いの手が掌低となって顔面を襲う。鼻を打ち抜いていたが、威力は手加減した。鼻の骨は折っていない。―筈だ。
 少女からの突然の反抗に、全員が怒りの表情を露にしていた。
「てめえ!!」
 髭が、常道と言うか、決まりきった文句を吐いていた。
―本当に言うのね、そういうセリフって。
 髭が間合いを詰めるのに合わせ、瞳の体が重心を落としていた。立ち位置から右足を踏み出し、左足が揃えられるように重心を押し出す。 自分の突き出す重心と、僅かなストロークで打ち出された瞳の小さな拳にサンドされ、髭は身を折り崩していた。綺麗な寸剄だ。
 倒れ掛かるように自分側に崩れる髭を脇に捌き落とす。胃液でも吐かれるか、嘔吐されては堪らない。
 ベースは古流武術に、六合拳。姉と、父と祖父から散々仕込まれている。曰く、「天武の才」があるらしいが、大会に出た事は無いし、道場にも通った事は無い。通うか、出れば、有名になれたらしいが、別に良かった。なるつもりも無いのだし。
 第一、姉にまだ一度も勝てないのだ。まだまだ未熟だ、と思う。もっとも、素人に遅れをとるつもりなどさらさら無いが。
―手加減、した。力も、重心も残したままだから。痛いだろうが、病院に担ぎ込まれるほどじゃない。―多分。
 これで引いて欲しかったのだが、茶髪の男が走り寄って来ていた。被害者としてはこちらだが、このままでは警察まで来てしまう。茶髪の男が右足を絞っていた。蹴り上げるつもりか。
―最悪ね。性格も、あと、腕も。
 瞳はサイドステップで前蹴りを避けていた。空を切る右足に驚愕する茶髪に間合いを詰め、打ち下ろすような右足を関節蹴りにして打ち込む。いかに体重の軽い瞳とて、関節、しかも上側から打ち下ろす蹴りに耐性が、不健康な若者に有る訳が無い。体制を崩して倒れかける茶髪に、瞳は突き刺すように肩を押し出していた。中国拳法、日本古武術で称される靠だが、スピードも何もかも申し分無い。打ち込んだ瞬間に体重が衝撃に転化して突き抜ける。茶髪は吹き飛んで動かなくなっていた。
―大丈夫、だ。痛いだろうが。スカートでなければ、もう少し強い蹴りでも手加減して打てるが、今は無理だ。―第一、バランスを崩してまで戦う相手でもない。
 粗方片付いた時には、かなりの惨状になっていた。やったのは自分だが。時間にして八秒足らず。これが実状だ。
―夕実は上手く逃げただろうか。
 周囲を見回し、瞳が心の中で溜息を吐く。
 やはり、失敗だった。
「う、動くな!!」
 声を発したのは、最初に突き崩した長髪だった。当たりが浅かった―当然だ。手加減したのだから。
 フォールディング……違う、バタフライナイフだ。瞳の前にはオモチャ同然の代物だが、刺せば血は出るし、急所に当たれば、悪くすれば死ぬ。
 悪いのは、向けられたのが瞳ではなく―男に羽交い絞めにされた、夕実だという事だ。
「ごめん、瞳」
「……逃げてなかったの?」
「だって、心配で……」
 夕実が小さく言う。
 あなたが居る方が、余程心配よ……。
 二人の会話を打ち切るように、長髪が言う。
「良いかあ?動 くなよ……」
「瞳、良いから。私。逃げて」
「そういう訳にはいかないでしょ?」
 刺す度胸があるかどうかは知らないが、逆上している。素人だからこそ、どうするか判らない。
―マズい、な……。
 場所は路地裏、人は通らない。大通りなら、いくらでも方法はあるのだが……。
「使う」か?駄目だ。夕実が居るし、姉さんのように力の加減が出来ない。悪くすれば―絶対に、死ぬ。
 瞳が両手を下ろす。
「良いか、そのまま……」
 長髪のセリフが強引に断ち切られていた。夕実の体が突き出されるように前に振られる。瞳が夕実を受け止めるのと同時に、異音が響いていた。
 脇にあった木箱に激突した長髪だった。
―何!? 私、まだ、何もしてない……。
 長髪は、自分で何が起こったのか理解していなかっただろう。木箱に激突し、泡を吹いて白目を剥いている。
「え?」
 瞳に視界に飛び込んで来たのは、一人の男だった。黒のジーンズ、汚れたトレーナー。左目の脇に傷の有る、表現し辛い雰囲気を持った男だった。助けてくれた理由など判る訳も無いが、助けてくれたという事実は確かだ。―殆ど、人外の力で。
 虚ろな瞳が瞳を正面から見据え、長髪を吹き飛ばしたと思われる右腕は払われた姿勢で宙に停止していた。
―助けて、くれた? 知っている人……? 違う、と思うけど……。
 瞳は慌てて頭を下げ、まだおろおろしている夕実の頭を掴んで頭を下げさせていた。
「ありがとうございま……す?」
 夕実の頭を掴み、頭を下げ、また戻した時には、長髪が泡を吹いて醜態を晒しているだけで、男の姿などどこにも無かった。
―一体、何なのよ、今日は……。
 瞳が軽く首を振る。
「う……もう、痛いよ、瞳。……何があったの? 私……」
「さあ? 判んない。……もう、心配掛けないで」
「ん、ゴメン……」
 夕実が苦笑いしながら体重を預けてくる。瞳は小さく微笑んで肩を抱いた。
 強い子だ、と思う。以外に、芯はしっかりしている。そんな所が、瞳の友人である理由かもしれない。
 頷く夕実の頭を撫で、瞳は早々に場を立ち去る事にした。もしかしたら、警察が来るかもしれない。事情聴取などゴメンだった。被害者はこっちなのだし。夕実の手を引き、走る。
「……ね、瞳。さっきの、何だったの?」
 自分を助けた者の正体を、恐らくは理解していない夕実が言う。仕方が無い事だ。瞳さえ、まるで判らなかった。
 運動神経の良い瞳に、それでも喋りながら走り合わせる夕実は大した物だろう。
「そうね……私かあなたの守護天使、って所じゃない?」
 不意に、口を付いて出ていた。冗談のつもりだったが、何故か、だ。
「へえ。ね、守護天使って……」
 夕実の質問には答えなかった。説明し辛かったからだろうか。自分でも、判らなかった。

〜To be continiued〜


葛葉瞳 また、ウチに居るキャラに似てますが……。17歳。名字でも判る……かも知れませんが、アレです。ヒロイン……?名字の元ネタは、一応安倍清明の母親。……これで、どんなキャラかバレバレです。

朝川夕実 瞳の友人。何か、目立ってしまいました。瞳の弁当が好きらしい。

ユウ・橿原 「ミズガルズ」第五支部の担当「司教」。本人のセリフと、性格から判るかもしれませんが……正体は。バレバレ?25歳の、美青年。結構イイ性格をしているらしい。計画遂行中で、楽しい事が好きっぽいらしい。多分、漢字だと「橿原邑」。尤でもいいかも……。別の意味に取れますけど。中国の。

黒の男 「ミズガルズ」に来た、ユウの客人。色々と知っているらしい。組織名に関係あります。これは。オレンジジュースよりも、ワインの方が好きっぽいらしい。


ミズガルズ 詳しい説明をしていない理由は、これから……。名前でバレバレですか。

フリーメーソン 実際は、アメリカの建国などにも関わる……とか色々ですけど、真相で言うなら、「それに関わる事になったものが多い」と言う所でしょうか?この話では、ロウウイングに取り込まれてます。正確には、魔術的意味合いだけじゃないですね。

黄金の夜明け 説明不要。イコールでカバラですね。マジで。教義は結構好き。


 2話目ですが…。

 すみません。

 北欧が混ざって来た辺りです。アスガルドとかじゃない理由は、まあ。日本神話も、国が国ですから、絡んでは行かせたいですが。判り辛いネタが多い事、申し訳ありません。

 メール……お願いします。

 HP

 それでは、失礼致します。


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