機動部隊は、12月3日に山本長官に賜った勅語とこれに対する長官の奉答文の伝達並びに長官の激励の電報を受け、
12月7日 0700(現地時間1230) 旗艦赤城のマストに、『 皇国の興廃この一戦にあり 各員一層奮励努力せよ 』
の信号を掲げ、速力を上げてオアフ島からの敵飛行哨戒圏内に突入していった。
このころハワイのラジオ放送はまったく異常を示さず、音楽の放送を続けていた。
海軍航空隊の伝統に育まれ、この攻撃のため鹿児島湾などで血のにじむような訓練を行い
しかも世紀の大決戦に参加する光栄に感激していた搭乗員たちは、生還など考えられず、
あるいは遺書を認めながらも最後の点検を行い、心静かに最後の眠りについた。
0120 東の空が明るくなるころ一斉に風上に向首し、 0130 第1次攻撃隊 ついで上空警戒機を発艦させた。 0200 4機の水上偵察機を射上発艦、索敵警戒配備につき 0245 第2次攻撃隊を発艦させた。
このように母艦から百数十機が一度に発艦するのは |
◆第一次攻撃◆
第1集団 | 水平爆撃隊 | 艦上攻撃機 49機 | 指揮官 淵田中佐直率 52 |
雷撃隊 | 艦上攻撃機 40機 | 指揮官 村田重治少佐 58 | |
第2集団 | 急降下爆撃隊 | 艦上爆撃機 51機 | 指揮官 高橋赫一少佐 56 |
第3集団 | 制空隊 | 艦上戦闘機 43機 | 指揮官 板谷 茂少佐 57 |
急降下爆撃隊は2隊に分かれ、主隊はフォード、ヒッカム両飛行場に向かいハワイ攻撃の第1弾を投じた。
また坂本大尉率いるもう1隊は、ホイラー飛行場を急襲、敵戦闘機に壊滅的な打撃を与えた。
雷撃隊は敵戦艦群に攻撃を集中した。
雷撃は順調に実施され、この日のために改良された浅沈度用魚雷は訓練時よりも良好で
発射した魚雷はほとんど命中、敵艦に甚大な損害を与え、予期以上の戦果を挙げ得たと判断
「各機攻撃成功 効果甚大」を報じた。
水平爆撃隊は、各中隊(10個中隊)ごとに爆撃を開始した。
幸運にも真珠湾上空だけが晴れあがり高度3000Mからの水平爆撃が可能であった。
沈着かつ正確な爆撃によって予想以上の命中率をあげ、しかも徹甲爆弾の威力は絶大であった。
この間、敵の防御砲火は見られたが、撃墜された水平爆撃機は1機もなかった。
制空隊は攻撃隊の上空にあって敵戦闘機の反撃に備えていたが、迎撃してきた敵戦闘機はわずかに4機に過ぎず、
これらもすぐに撃墜したので6群に分かれて飛行場への地上機を銃撃した。
第1次攻撃隊は攻撃を終え0445から0600にかけて帰艦したが、風による母艦の動揺が大きく着艦は困難であった。
◆第二次攻撃◆
第1集団 | 水平爆撃隊 | 艦上攻撃機 54機 | 指揮官 島崎少佐直率 57 |
第2集団 | 急降下爆撃隊 | 艦上爆撃機 78機 | 指揮官 江草隆繁少佐 58 |
第3集団 | 制空隊 | 艦上戦闘機 35機 | 指揮官 進藤三郎大尉 60 |
制空隊は、オアフ島の制空権を第1次攻撃隊から引継ぎ、反撃してきた若干の敵戦闘機を撃墜して制空権を持続
続いて地上の飛行機攻撃に移り大戦果をあげた。
水平爆撃隊は、フォード、ヒッカムなどの飛行場に殺到、0437から爆撃を開始した。
急降下爆撃隊は、0432から在泊艦船の攻撃を開始、終了後は付近の飛行場を銃撃した。
第2次攻撃隊の攻撃を開始したころは真珠湾は煤煙や火焔に覆われ、目標の視認は困難であった。
そのため水平爆撃は高度をさげて1500Mから1800Mで爆撃を行い、
急降下爆撃隊の中には、やむをえず雲や煙をつたって敵の打ち上げる対空砲火の弾道を逆に辿って
目標を確認した上攻撃したものもあった。
このような不利な視界状況に加え、敵も防御態勢を整える時間的余裕があったので防御砲火は激烈となり、
もはや「奇襲」ではなく「強襲」であり、第2次攻撃隊は第1次攻撃隊に比較して被害が大きかった。
◆潜水部隊の攻撃◆
機動部隊の行動とは別に、先遣部隊として潜水艦は配備位置にあって開戦を待ち続けていた。
12月7日夜 開戦時の配備についた先遣部隊のうち特別攻撃隊の特殊潜航艇5隻は、
同夜真珠湾外において各々母艦を発進した。
その後特別攻撃隊はラナイ島の西方海面で収容配備についたが、1隻もかえることはなかった。
しかし8日夜、1隻の特殊潜航艇から「われ奇襲に成功せり」の電報があったことや、同夜港外から真珠湾方面で
爆発らしい火焔を望見したところから、特別攻撃隊は攻撃に成功したが、遂に脱出できなかったものと判断された。
米側資料によると、米哨戒艇は現地時間0342 真珠湾港外で特殊潜航艇1隻を発見、その後飛行機と協同してこれを撃沈、
また1隻は故障のためベローズ航空基地沖に乗り上げ、搭乗員の1人が捕虜となった。
その後港口防潜網が開かれ2、3隻の特殊潜航艇が潜入した。
1隻は在泊艦を攻撃したが魚雷は命中せず、逆に撃沈されてしまった。
また1隻は湾口付近で巡洋艦に対し魚雷を発射したがリーフに命中爆発と記録されている。
戦後の調査では、岩佐直治大尉の艇と横山正治中尉の艇は湾内潜入に成功し攻撃を決行している。
戦後真珠湾外で引き揚げられた1隻と酒巻和男少尉の艇が潜入に失敗したことは確実であるが、残る1隻の消息は不明。
◆参加艦艇と主要指揮官◆
部隊名 | 艦 名 | 職 | 官 期 | 姓 名 |
第1航空艦隊 司令部 |
司令長官 参謀長 首席参謀 航空甲参謀 航空乙参謀 航海参謀 |
中将 36 少将 41 中佐 48 中佐 52 少佐 57 中佐 51 |
南雲 忠一 草鹿龍之介 大石 保 源田 実 吉岡 忠一 雀部利三郎 |
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第1航空戦隊 |
赤 城 加 賀 |
南雲中将 直率 | ||
第2航空戦隊 |
飛 龍 蒼 龍 |
司令官 首席参謀 |
少将 40 中佐 49 |
山口 多聞 伊藤 清六 |
第5航空戦隊 |
翔 鶴 瑞 鶴 |
司令官 首席参謀 |
少将 40 中佐 48 |
原 忠一 大橋 恭三 |
第3戦隊 |
比 叡 霧 島 |
司令官 首席参謀 |
中将 38 中佐 48 |
三川 軍一 有田 雄三 |
第8戦隊 |
利 根 筑 摩 |
司令官 首席参謀 |
少将 39 中佐 50 |
阿部 弘毅 藤田 菊一 |
第1水雷戦隊 |
阿武隈 駆逐艦9隻 |
司令官 首席参謀 |
少将 41 中佐 50 |
大森仙太郎 有近 六次 |
第2潜水隊 |
伊19潜 伊21潜 伊23潜 |
司 令 | 大佐 44 | 今和泉喜次郎 |
第1補給隊 | 補給艦4隻 | 指揮官 | 大佐 39 | 大藤 正直 |
第2補給隊 | 補給艦3隻 | 指揮官 | 大佐 40 | 新美 和貴 |