大東亜戦争開戦経緯2


===== 昭和15年概観 =====

汪兆銘政権は事変解決に貢献する存在ではなく、桐工作等の和平交渉も進展しなかった。 一方軍事的には、昭和15年5月から陸海軍航空部隊が重慶に対する奥地進攻作戦を反復実施し、支那派遣軍は宣昌を占領、また共産党軍に対しては粛清討伐戦を実施した。これらの反復によって支那側に打撃を加えていたが、英国は借款を与え米国は膨大な物資を供与して援助を続けていた。
大本営は事態が硬直化する前に事変の解決を図るべく中原会戦、清郷工作、長沙作戦等を実施したが、支那大陸はあまりにも広く解決の決め手にはならなかった。

昭和15年5月 独軍は攻勢を開始、仏は敗退した。欧州の戦局は仏印、蘭印などの植民地に変化を来たすものと思われ、わが国の目は南方に注がれた。独軍が勝利し英国が敗退すれば世界の勢力分野が変革する。日本がもし南方資源を取得できれば、米英依存経済から脱却し。自給自足態勢が整備できるであろう という楽観的情勢判断であった。
昭和15年7月 近衛内閣は画期的な新政策を採択した。
高度国防国家体制を目指す国内政策を重点とした「基本国策要綱」、ついで「世界情勢の推移に伴う時局処理要綱」を採択した。時局処理要綱には 1対独伊政治的結束強化 2対ソ国交調整 3国内戦時態勢と戦備の充実 等を定め、南方への武力行使を想定していた。

===== 日独伊三国条約の締結 =====

松岡外務大臣の構想は、

    1 日独伊ソ4カ国提携を実現して英米に対する立場を強化しそれを背景に米国の参戦を阻止する
    2 米国に日本と蒋介石政府との関係を斡旋させ
    3 さらにソ連ないし米国とともに英米とドイツとの関係を斡旋し世界平和の実現を図る

という大掛かりなものであった。即ち、ドイツと結びかつ仲介としてソ連と結んで日独伊ソの連携をつくることは、支那事変処理にも有効であり対英米戦をも回避することができる、と考えていたのである。

一方ドイツには独自の目算があった。当時英本土空襲にもかかわらず屈伏させる見通しはたたず、一方の和平交渉も見込み得ない情勢にあったので、長期戦に備え日本に接近してきたのである。 8月20日にアメリカが、米駆逐艦50隻を英国に供与することと、英国が米国に基地供与を見とめることを発表したので、アメリカを牽制し参戦を阻止することもドイツにとっては必要であった。昭和15年8月23日 ヒトラー総統の信任厚いスターマーを特使として日本に派遣、これはドイツと日本との新協定締結の布石であった。

軍事同盟締結について陸海軍事務当局の支持は受けていたが、海軍省首脳は反対で、板ばさみにあった吉田海相は病にたおれ、9月4日に辞職、後任には及川古志郎大将が就任した。9月12日の4相会談で松岡外相は、スターマーからの案について受諾を主張したが、及川海相は同意を保留した。さらに松岡外相と海軍側との意見調整した上、14日に下打合せが行われた。
スターマーとの間に三国同盟の交渉が進んでいる中で、海軍だけが反対の態度を固執することには限界があった。また海軍中堅層には締結に積極的な者もあり、これ以上の反対は政治情勢が許されなかったのも事実である。 海軍は「やむを得ず賛成するが、軍事上の立場からはアメリカを相手に戦う自信はない。この上は三国同盟による軍事上の援助義務が発生しないよう、外交上の手段によって防止されたい」として、参戦の場合の締結国の判断などに条件を出してやむなく賛成に至ったのである。

昭和15年9月19日 三国同盟締結について御前会議が開かれ、質疑応答の後三国同盟条約の締結を承認した。
海軍・軍令部総長からは

    1 本同盟を締結しても、日米開戦を回避せよ
    2 南方問題は極力平和的に行い無用の摩擦を起こさないこと
    3 有害な排米英言動を取締ること
    4 海軍軍備の強化促進に協力を望むこと

などが表明された。

昭和15年9月26日 枢密院本会議において最終的に三国同盟は可決された。この本会議において石井菊次郎顧問官からは 「ドイツ及びその前身たるプロシアと同盟を結んだ国でこの同盟より利益を受けるものがなかったことは顕著なる事実である(中略) 総統ヒットラーは危険きわまる人物にて(略)ヒトラー総統率いるナチスドイツが永きにわたり日本の忠誠なる友と考えることはできない。(中略) イタリアはこれまたドイツに劣らず頼り難き国柄にして(中略)前の欧州大戦においてドイツよりも大なる損害を受けたことは之によるものである。」 とする意見を表明した。
だが、このような意見表明がありながらも締結は最終的に決定され、昭和15年9月27日 日独伊三国同盟が締結された。

===== 日独伊三国条約の内外の反応 =====

国内世論一般は左右を問わず「親英米外交」から「枢軸外交」への転換を支持していた。その中で木戸日記によると陛下は「今度の場合はかつての日英同盟のようにただ慶ぶのではなく、情勢の推移によっては重大な危局に直面するのであるから親しく堅所に参拝して報告するとともに、神様の御加護を祈りたいと思う」と仰せになったといわれている。

海軍が三国同盟に踏み切った以上、国内における反対勢力は微弱であり、政府・軍統帥部などの立場にある者や、政界言論界の大勢は三国同盟を支持したものと認められる。戦後三国同盟に反対したと言われている人々=木戸内務大臣、元老西園寺公望、前内務大臣牧野伸顕、米内光政海軍大臣、来栖駐独大使などは、反対したというよりは、その結果に対して危惧の念を抱いたというのが実状のようであった。

9月27日 ハル国務長官は記者会見で、三国同盟によって米国政策が変更されることはないとの見解を発表したが、米国一般民衆に与えた衝撃は大きかった。即ち、日本が独伊と同盟を結んだことは、欧州戦争とアジアの戦乱が同じ戦争であることを確信させ、日本は独伊の仲間に入り米国等の支持する世界を破壊せんとするものである、という意見に米国世論が同調するに至ったのである。 親日家のグルー大使ですら「極東の問題はヒトラーの世界制覇の企図によって発生した世界危機の一要素となった」といわしめたのであった。

近衛首相をはじめとする当時の政府及び統帥部が、英米の勝利・ドイツの敗北を予想し得なかった不明は免れないであろう。 要は世界情勢判断の誤審にこそ批判が向けられるべきである。

その後欧州戦局は小康状態となり、期待していたドイツの英国本土上陸作戦は実施の見込みは立たず、ABCD包囲網はますます強化され、日本の資源入手は細りつつあった。蒋介石政権との和平の望みを捨てて長期戦を覚悟するとともに武力南進を検討するも、その場合は対米戦は不可避であり、見通しは全く暗く、完全なる閉塞状態であった。
この中での最大の関心は蘭印の石油取得とタイ・仏印への勢力伸張であった。

===== 日蘭会商決裂 =====

先の時局処理要綱に基づき、蘭印/インドネシアに対しては外交的措置によって重要資源を確保することとしていた。昭和15年9月 小林一三商工大臣が特使として派遣され、同行の三井物産向井会長・協和鉱業本多常務らと、ロイヤル・ダッチ・シェル及びスタンダード社との折衝によって、72万余トンの石油確保に成功、東京での交渉分他をふくめて計130万トンの買付が成立した。(他に65万トンを確保) しかし日本は315万トンを要求、なし得れば380万トンを期待しており、大きな隔たりがあった。その上石油以外の物資の入手を強く希望していたのである。

対する蘭印側の反日的態度は明確で、英米友好国への供給を犠牲にして日本への大量輸出は不可である、としていた。ホーフストラーティン通商局長は 「平時なら300年の日本=オランダの友好関係に鑑み、いかようにでも譲歩する方法はあるが、食うか食われるかの戦時下においては日本側の要求を満足させることは不可能である」、としてオランダとの交戦国ドイツとの同盟を締結した日本の対独再輸出を警戒した。

昭和16年2月 蘭印経済省は一方的に、日本向け輸出商品の割当額を通告、強硬な態度で臨んだ。なおも交渉は続けられたが
昭和16年6月6日 オランダ側の最終回答が提出された。これは日本にとって満足すべきものではなかった。 一部の合意点を除き、生ゴム、錫、コプラ、ボーキサイトなど日本が希望した物資については妥結には至らなかった。

===== タイ・仏印国境紛争 =====

昭和15年11月23日 タイ軍はカンボジア西部で越境、軍事行動をとった。19世紀末からの仏のタイ領占拠以来の失地回復行動であった。 我が国は、日泰緊密関係を確立すると共に仏印に対する勢力拡充を図り、以って大東亜における指導的地位を確立 との立場から国境紛争の調停を決定した。 調停斡旋との引き換えに日タイ提携と南部仏印に対する日・仏印軍事協定締結が目的であった。 タイ・仏印は、ともに表面的には親日的ではあったが、裏面では英国と仏亡命政権の策動があり、提携は困難であった。

昭和16年2月 日本は「対仏印・泰 施策要綱」を決定、やむをえない場合は仏印に対して武力を行使すると定めたもので、具体的南進政策の最初のものであった。南部仏印進駐の基礎構想がここに決定決まれたのである。
昭和16年3月12日 東京での調停が妥結、5月9日には正式にタイ・仏印間平和条約が締結された。

昭和16年4月13日 日ソ中立条約が結ばれた。松岡外相の構想では、日独伊ソ4カ国提携を背景に対米国交調整を有利に行おうとする伏線を持っていた。
しかし既に独ソ関係は悪化し、その実現は不可能であった。


       大東亜戦争開戦経緯3


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