◆蘭印攻略作戦◆

◆作戦の背景◆

蘭印作戦は、南方作戦中最大の狙いである資源地域確保の攻略作戦である。
この作戦には困難な点が2つあった。

 1) 蘭印に兵を用いるまでに、マレー・比島の両作戦を経過しなければならない。
 2) 敵の破壊の前に重要油田地帯を占領すること。

マレー・比島他に航空基地を進出させ、ジャワ周辺の制空・制海権を奪う必要があるが、
果たして十分なる航空支援を蘭印に対し発揮できるかどうかという点が、時間的制限と合わせて
作戦遂行上の条件であった。
幸いZ作戦(ハワイ作戦)の成功によって米艦隊の側面からの攻撃の危険はなくなり、
またマレー・比島作戦が順調であったので大本営は予定を1ヶ月繰上て蘭印作戦を開始した。

一方連合軍は、昭和17年1月にABDA戦域コマンド/米英蘭濠 地域連合司令部を設置。
マレー・蘭印への増援を開始、比島・マレーの海空軍部隊は逐次蘭印へ後退した。

 

◆パレンバン攻略戦◆

シンガポール陥落前の2月14日、空挺部隊がパレンバン油田付近に降下作戦を敢行した。
油田と精油所を敵の破壊前に確保するためには、シンガポール陥落以前に実行する必要があった。
この攻撃の為の航空兵力は陸軍機140機、海軍機180機で、主力はボルネオ、一部はマレーにあった。

2月14日 1126 主力はパレンバン飛行場南部に、一部は飛行場西側に降下した。
第1挺身団(団長久米精一大佐)第2連隊からなる降下人員430名である。
投下した武器・弾薬が入手できるまでは、各自携行した拳銃と手榴弾のみで攻撃、飛行場に進撃した。
英・蘭・濠連合の守備隊(約500名)は装甲車で応戦、市街の兵舎より増援部隊が疾走してきたが、
降下した我が部隊はこれを攻撃ののち、2100頃飛行場を占領した。
放火により製油所工場の一部に火災が発生したが、大規模破壊は避けられ作戦は成功した。

2月15日 第2悌団の降下と併せてパレンバン市街に突入、同市を占領した。
  

◆3つの海戦◆

ジャワ海の制海権を巡って米・英・蘭・濠連合海軍と我が連合艦隊との間に4度海戦が起こった。

  昭和17年2月 4日  ジャワ島沖海戦
  昭和17年2月20日  バリ島沖海戦
  昭和17年2月27日  スラバヤ沖海戦
  昭和17年3月 1日  バタビヤ沖海戦

ジャワ島沖海戦は第21航空戦隊の陸攻機による海戦で、撃沈は1隻もなかった。
本格的海戦はバリ島沖海戦からで、ドールマン少将率いる連合海軍/ABDA艦隊は巡洋艦3、駆逐7の艦隊で
2隻の我が駆逐艦の攻撃に対し、蘭駆逐艦「ピートハイン」沈没、軽巡「トランプ」中破の損害を受けた。
スラバヤ沖海戦で連合海軍はほぼ壊滅し、バタビヤ沖海戦はその直後戦場を離脱した
米重巡「ヒューストン」と蘭軽巡「パース」が、我が輸送船団に対して攻撃をしたもので、
我が重巡「三隈」「最上」ら第7戦隊に撃沈された。
連合海軍は結局、夜闇の中4隻の駆逐艦が豪州に辛うじて脱出しここに壊滅した。

酸素魚雷の威力と我が海軍の練度の高さが勝因であった。

   日本側被害   連合海軍側被害 
バリ島沖海戦 駆逐1大破 駆逐1沈没 巡洋艦1中破 
スラバヤ沖海戦  駆逐1中破  巡洋艦2沈没 駆逐2沈没 
バタビヤ沖海戦  輸送1沈没、2大破 巡洋艦2沈没
のち巡洋1、駆逐2沈没
 

この日以降ジャワ近海の連合海軍は一掃され、制海権は日本海軍のものとなったのである。

◆ジャワ攻略戦◆

昭和16年12月中に川口支隊によって英領北部ボルネオ要地占領し、
昭和17年になり坂口支隊によって、ダバオ、バリクパパン、パンジェルマシンを占領した。
海軍もメナド、マカッサルを占領し、艦隊・航空基地を前進させた。
まず石油基地の確保、次に濠州との連絡線の遮断が蘭印戦の前哨戦だったのである。

昭和17年3月1日 4方からジャワ島に上陸した第16軍は、直ちに進撃を開始した。
蘭印守備軍の拠点は3万の兵が守るバンドン要塞であった。
第3飛行集団長(遠藤三郎少将)の援護のもと、第38師団第230連隊基幹の東海林支隊は、
要塞の態勢が整っていないことに乗じ、相次いでスバン、レンバンを占領した。

3月7日 2030軍使が到着し停戦申し込みがあった。
3月8日、バンドン防衛司令官ベスマン少将は降伏した。
同じ頃スラバヤ市を占領した第48師団もジャワ島東部において降伏申し入れを承認させた。
かくて、蘭軍主力の降伏により米・英軍11000をはじめとする各方面の部隊も降伏し、
ジャワ全土の攻略を終了した。
 

◆戦果・損害◆

日蘭両軍の兵力の一覧及び損害は以下の通りである。

  第16軍 軍司令官 今村 均中将
   第2師団 師団長 丸山政男中将
   混成第56旅団 歩兵団長 坂口静夫少将
   歩兵第55旅団 旅団長   川口清健少将
   第3飛行集団 集団長   菅原道大中将

 

  地域連合軍総司令官 ウェーベル大将
  蘭印陸軍司令官 テルポールテン中将
                西部ジャワ兵団
                中部ジャワ兵団
                東部ジャワ兵団
                パンドン地区防衛兵団

                計 81000
                (蘭印正規軍25000名 米豪軍16000名)

   戦果 (第16軍のみ 航空部隊・海軍によるものを除く)
     遺棄死体  ?  確実な資料なし
     捕虜     82618
     捕獲兵器  各種砲940門 航空機177両

   損害
     戦死  255
     戦傷  702
                     比島作戦


テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル