阿 波 丸 事 件

  概 要
昭和20年4月1日
緑十字船 『阿波丸』 が米潜水艦の雷撃によって撃沈した。
安全航行が保障された船を警告もなく攻撃することは明かな
国際法違反であった。 この事件でタイタニック号の犠牲者
1500余名を大きく上回る2004名の人名が失われた。
アメリカ政府は責任は認めたものの、事件の真相が明らかに
されることはなかった。

これが 『阿波丸事件』 である。

日本郵船所属 阿波丸

  事件の背景

 昭和20年4月1日夜 台湾海峡を1隻の緑十字船が北に向かっていた。
 すでにこの海域の制海権・制空権ともに日本の手にはなかったが、護衛も附けることなくたった1隻で航行していた。

 アメリカ政府が当時中立であったソビエト政府を通じ、日本軍占領地帯にある連合軍捕虜・抑留者への
 救恤品(きゅうじゅっひん)−国民が軍・兵隊に対して送る金品・煙草・医薬品等の見舞品のこと
   いわゆる慰問品で『恤兵』とは軍事用語である−を送るよう要請したことに基づく行動であった。
 ゆえに連合国から「安導券」( Safty Conduct 安全なる航行の保障)を与えられていたのである。

 この船は、貨客船阿波丸(11249T 日本郵船)で、昭和18年3月に竣工した当時在った数少ない新鋭船であった。
 昭和20年2月17日門司を出港、香港、サイゴンを経て3月24日シンガポールに到着し、その帰路であった。
 船体を白く塗り、両舷舷側と煙突には大きい緑十字のイルミネーションが点燈し、夜間は明々と灯がともされていた。
 しかも航路と船の全景写真は全世界に通知されており、誤って攻撃されないよう十分な配慮がされていた。
 この船を攻撃することは、国際法上違法行為であった。

 一方日本側は、この阿波丸を最大限利用しようと考え、
 シンガポールを中心とした南方地域から人員や物資を輸送しようとしていた。
 阿波丸の安導券は病院船に準じて適用されたものである。病院船に対する制約・制限は
 そのまま阿波丸に適用される。戦時禁制品の積載や病人以外の人員を輸送することは、
 国際法上違法の可能性が高かった。
 (100%違法とは断言できない。 例えば昭和15年の英国巡洋艦による浅間丸事件は、
 『軍事上の目的』を拡大解釈したものである)

 シンガポールで積みこまれた物資は膨大な量であった。
 錫 3000トン以上 生ゴム 3000トン タングステン、水銀等 計 9812トン
 他に貴金属やダイヤモンドなど、軍政地域から買い上げたりバンゼルマシン近郊で採集されたものが多数あった。
 このほかに帰国者が持参したり残留者より託された貴金属類も少なくなかった。

 便乗者は本土決戦に備え必要欠くべからざる人材として、多くのなかから選ばれた。
 大東亜省の竹内次官、東光課長、外務省の山田調査局長、倉上参事官、以下総領事以下の外交官
 三井物産支店長などの民間人、技術者、乗船を失った船員、少数の軍人など 計1856名であった。

 船員148名と合わせて 計2005名。  乗船できた者はこの時までは確かに幸運であった。

 2200 密かに近づいていたアメリカ潜水艦「クィーンフィッシュ」がレーダーでこの船をとらえた。
 1時間追跡ののち、距離3600Mから魚雷を4本(3本説あり)発射、
 2330 17ノットで航行中の阿波丸はSOSを発進する間もなくほとんど即座に沈んでいった。


  事件発覚

 日本側ではこの事件をすぐには知ることができなかった。
 事故3日後の4月4日午後 門司港外の六連沖に予定通り到着しなかったことから事件が発覚した。
 門司には外務省、大東亜省及び陸海軍関係者が阿波丸の到着を待ち受けていたが、
 翌5日になっても入港せず、しかも無線連絡がないことから阿波丸に重大な事故があったことが推察され、
 捜索が開始された。

 当初日本側はアメリカによって撃沈されたことなど考えていなかった。
 4月10日 スイス政府を通じてアメリカ側に対して消息を照会した。

 そのころ既にアメリカ側は、クィーンフィッシュからの報告を受けていた。
 困惑したアメリカ側は生存者救出と積荷の証拠になるものを収集することを「クィーンフィッシュ」と
 付近を航行していた潜水艦「シーフォックス」に命じた。

 4月12日 ワシントン発ロイター電は、アメリカ海軍省の発表を以下のように報告した。
  『 連合国の安導券を有した日本船阿波丸は4月1日夜12時ころ潜水艦によって撃沈された。
   魚雷の発射は多分アメリカ潜水艦によるものと思われる。 』

 日本が阿波丸の最後を知った第一報であった。


  戦時下の日米交渉

 愕然とした日本政府は、中立国を通じて直ちにアメリカ政府に対して詳細な続報を要求した。

 4月18日 アメリカ政府の回答
  『 4月1日深夜 阿波丸の予定の航行位置から約40浬離れたところで潜水艦によって撃沈された船舶がある。
   同沈没船からの1名の生存者は、同船舶が阿波丸であることを語ったが、もしこれが間違いないとすれば、
   この事件の発生を深く遺憾とするものである。本事件の調査は目下継続中である。 』

 4月26日 日本政府 第1回抗議
  『 阿波丸はアメリカ政府の要請に基づき、しかも安導券の下に航行していたものである。
   所定の照明を点燈し、予定どおりの航行位置にあったことは明かである。同船撃沈の責任は一にアメリカ側にある。 』

 5月16日 日本政府 第2回の抗議
  『 1 アメリカ政府の陳謝
   2 責任者の処罰
   3 乗船者・船舶及び積載貨物の損害に対する賠償義務の受諾
     以上を米国政府に要求するものである。』

 5月29日 アメリカ政府の回答
  『 本事件の調査はなお続行中である。
   基本的な責任の所在が明かになる前に、責任はアメリカ政府にある という日本政府の非難は承服できない。
   官吏を含む多数の日本人が阿波丸を利用して脱出したことの当否について多少の問題がある

   (米国はその情報は知っていた)けれども、多数の人名を喪失したことについては遺憾の意を表するとともに、
   遺族に対しては同情の意を表明する。 』

 7月 5日 アメリカ政府の回答
 1 阿波丸が安導券に関する規定に従っていたと認めるので、アメリカ政府は同船を撃沈した責任を認める。
 2 同船を撃沈した潜水艦艦長に対しては懲戒処分を手続中である。
 3 賠償問題は、その複雑性に鑑み戦争継続中は満足な解決は不可能と考え、戦争終結まで延期することを提議する。
 4 その際アメリカ政府は、その時の政治情勢の如何に関係なく、賠償問題を審議する用意がある。

 5月29日の立場を翻し、アメリカ政府は全面的にその非を認めるに至った。

 僅か3ヶ月間で、戦時中にその交戦国が非を認め謝罪した という事態がこの事件の特異性を現している。


         阿波丸事件 2   


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