昭和16年11月8日 大本営陸軍部は国土防衛計画訓令に基づく父島要塞の戦備について発令し、
昭和16年12月7日 その編成を完結した。
その時の硫黄島防備は監視哨的な意味しか有していなかった。
昭和19年2月25日 大本営は、中部太平洋方面の緊迫した情勢に対処するため第31軍の編成を下令した。
硫黄島は、第31軍の防備計画の中で小笠原地区における重要航空基地として位置づけられるに至った。
昭和19年5月22日 第31軍の戦闘序列(編成)を更改、第109師団を新たに編成した。
第109師団は、小笠原諸島所在の混成第1旅団と、硫黄島所在の混成第2旅団からなり、
師団長として栗林忠通中将が親補された。
サイパンの状況悪化に伴い、第31軍の小笠原兵団に対する指揮は事実上不可能となった。そこで大本営は、
昭和19年6月26日 大陸令1038号をもって大本営直属とし、一層の防備強化を計った。
昭和19年7月20日 海軍も、中部太平洋方面艦隊の機能が喪失したので、南西諸島海軍航空隊と
硫黄島警備隊・第204設営隊を第27航空戦隊に編入し、同司令官に市丸利之助少将を発令した。
大本営は、陸海軍の作戦部長を同島に派遣し防備状況を視察するとともに、栗林兵団長も作戦準備の
ための要望を開陳して大本営の善処を要請した。
軍用資材の急送とともに守備部隊も増強されつつあった。
7月以降、空襲が激化し来襲せる敵機はのべ1669機にも達し、内12月は906機という数値であった。
損耗は、戦死75名を含む191名にのぼり、兵団はますます防空施設・陣地構築を強化し、
戦力温存に万全を期した。
8月、一部軍属等(約200名)を除く島民約800名は全員内地に引き揚げ、いよいよ敵の上陸は目前となった。
◆防備作戦準備◆
大本営陸軍部は、島嶼防衛に関する思想統一のため、「島嶼守備要領」を発表する。
その後、ペリュリュー島、欧州ノルマンディー戦の戦訓から「上陸防御教令案」を作成、
昭和19年10月に参謀次長名で全軍にこれを示達した。
この教令の根本は従来の「水際撃滅」を改め「沿岸撃滅」をねらったもので、
激烈な砲爆撃に耐えながら長期の抵抗可能な陣地を構築し敵戦力の減殺を図るものであった。
硫黄島では全島要塞化をめざして、岩盤等を利用した永久築城を促進した。
各部隊宿営地の地下10Mの洞窟式交通路の構築も計画し、
全島を縦断する形の「一大地下要塞」の築城を急いだ。
昭和19年12月1日 作戦命令甲第43号をもって、訓練7:築城3とし、決戦訓練を重点として
防備態勢の完成をまった。
守備隊を支援する海・空の勢力は微々たる状態で、「第一線の敢闘に期待する」以外に手はなかった。
本土防衛担当の陸軍第6航空軍も、飛行第60戦隊、第110戦隊の選抜少数機をもって
硫黄島周辺の艦船攻撃を行う小規模の「靖4号作戦」を計画実施するにとどまった。
本土近海でありながら、既に制空権は敵手にあったのである。
◆米軍の攻略作戦準備◆
昭和18年9月 米軍統合参謀本部は小笠原諸島奪取の準備計画を樹立。
昭和19年10月 小笠原方面の作戦開始を 昭和20年1月20日の予定とする命令を発した。
具体的作戦目的は以下のとおり。
1) B29の航空作戦に対し、援護する長距離戦闘機(P51)基地の獲得
2) B29の不時着用中継基地
3) 在マリアナ諸島部隊に対する援護用防空基地
4) 日本領土(東京都)の一部を占領するという心理的効果
5) 事後の沖縄作戦の側面援護
◆戦力比較◆
日 本 | 米 軍 | |
陸上総戦力 | 20933名 | 61000名 |
陸軍 | 13586名 | |
海軍 | 7347名 | |
歩兵大隊 | 9個大隊 | 24個大隊 |
重砲兵 | 6個大隊相当 | 14個大隊 |
戦車隊 | 23両 | 177両 |
航空戦力 | 100機(基地兵力) | 1700機(艦載機) |
海上戦力 | 0 | 戦艦15 巡洋艦20主体 |
第109師団長 | 栗林 忠通 中将 | 26 |
師団参謀長 | 高石 正 大佐 | 30 |
師団司令部附 | 大須賀 応 少将 | 27 |
師団司令部附 | 街道 長作 大佐 | 25 |
混成第2旅団長 | 千田 貞季 少将 | 26 |
旅団司令部附 | 厚地 兼彦 大佐 | 23 |
旅団司令部附 | 堀 静一 大佐 | 29 |
歩第145連隊長 | 池田 益雄 大佐 | 27 |
海軍 部隊 | ||
第27航空戦隊司令官 | 市丸利之助 少将 | 41 |
海軍硫黄島警備隊司令 | 井上左馬二 大佐 | 44 |
進攻部隊 総指揮官 | ホーランド・M・スミス 中将 |
上陸部隊指揮官 | ハリーシュミット 中将 |
第3海兵師団長 | グレーブス・B・エルスキン 少将 |
第4海兵師団長 | クリフトン・B・ケーツ 少将 |
第5海兵師団長 | ケラー・E・ロッキー 少将 |