◆ マリアナ沖海戦2 ◆

 ◆ 海戦経緯 ◆

 昭和19年    
 6月15日 0717  あ号作戦決戦発動
  0800  機動部隊主力 ギマラス出撃
 6月19日 0500  索敵機発進
  1100  第2次索敵発進 その後基地航空部隊等と併せて索敵継続
  0730  @ 3航戦 第1次攻撃隊 64機発進 零戦14、戦闘爆撃43 天山7
  0745  A 1航戦 第1次攻撃隊 128機発進 零戦48、彗星53 天山29
  0810  「大鳳」 米潜水艦による魚雷1命中 小松兵曹長機の自爆で1本は消失
  0840  A 前衛味方艦隊からの誤射撃で10機の被害(2機撃墜?)
  0900  B 2航戦 第1次攻撃隊 49機発進 零戦17、戦闘爆撃25 天山7
  0935  @ 迎撃をうけ41機喪失(6機を撃墜)
  1015  C 2航戦 第2次攻撃隊 65機発進 零戦26 九九艦爆27 彗星9 天山3
  1020  D 1航戦 第2次攻撃隊 18機発進 零戦4、戦闘爆撃10 天山4
  1053  A 迎撃を受け96機喪失(12機を撃墜)
  1120  「翔鶴」 米潜水艦による魚雷4命中
  1200  B 迎撃を受け7機喪失(4機撃墜)
  1410  「翔鶴」 沈没
  1432  「大鳳」 大爆発 機動艦隊司令部は「羽黒」に移乗
  1500  C 迎撃を受け26機喪失
  1510  D 目標を発見できず支離滅裂となり9機を失って帰還
  1628  「大鳳」 沈没
 6月20日 0700  機動部隊各艦 補給部隊と合同
  1200  旗艦を「瑞鶴」に変更
  1615  索敵機 敵艦隊発見
  1725  薄暮攻撃を企図し雷撃隊発艦 遊撃部隊には夜戦を命令
  1730  敵機来襲216機 戦闘機85、急降下爆撃77、雷撃54
  1932  「飛鷹」 沈没 補給艦玄洋丸、清洋丸 航行不能
  1945  豊田聯合艦隊長官より離脱命令
 6月21日 1545  小沢長官 最終的に「あ」号作戦を断念
 6月22日 1300  機動部隊 沖縄中城湾に入港

 
 ◆ 各攻撃隊 ◆

 @ 「3航戦」64機は、空母1(実際は戦艦サウスダコダ)爆弾1命中、巡洋艦1に至近弾1
 A 「1航戦」128機は、1機が戦艦に激突、2機は空母バンカーヒルに至近弾
 B 「2航戦」49機は、敵を発見できず、目標変更中に敵機の攻撃を受け退避
 C 「2航戦第2次」65機は、統一行動がとれず艦爆隊と彗星隊に分かれたが、攻撃効果は不明
 D 「1航戦第2次」18機は、一部が予定地点に到着したがその後の行動は不明
    なお、「3航戦第2次攻撃隊」は、他隊の飛行機収容のため期を失し、発進を実施せず

マリアナ沖海戦図  「アウトレンジ戦法」による攻撃の間
 日本艦隊は、米機動部隊から発見される
 ことなく、敵機の攻撃は受けなかった。
 戦果の詳細は不明であったが、
 敵の攻撃圏外からの先制攻撃は
 成功したかに思われた。

 しかし日本艦隊を索敵できなかった米艦隊は
 攻撃をあきらめその分防御を固めて
 我が攻撃隊を待ち構えていた。

 この日の日本側の攻撃中、米機動部隊の
 上空にあって接触を保ちながら攻撃を指示
 していた偵察機があった。
 米旗艦レキシントン通信室では、この電波
 を受信して二世士官が日本語を英語に
 逐一翻訳して日本側の攻撃方向をそのまま
 把握、迎撃機の誘導に成功していた。

 偵察機は撃墜されることなく米側の情報源
 として逆利用されたのであった。

 
 ◆ 「大鳳」の沈没 ◆

 第1次攻撃隊発進直後の0810 急降下爆撃機彗星の1機が突然「大鳳」の右舷海面に向って垂直に突入した。
 それは「大鳳」に向って走る雷跡2本を認め、その1本に対して体当たりしたものであった。
 この特攻攻撃の先駆けを敢行した勇敢なパイロットは小松咲男兵曹長であった。
 (小松機の自爆でも雷跡は消えず、それが命中したという説もある)

 米潜水艦アルバコアの発射雷数は6本で大鳳に向ったのは2本、残る1本に対し面舵一杯で回避したが命中した。
 「大鳳」は竣工後3ヶ月の最新鋭空母で、特に飛行甲板は爆弾防御のため250キロ爆弾に十分堪えられる
 不沈空母として信頼されていた。 しかしこの爆弾防御甲板がその命を縮めることになる。

 被雷後も速力は27ノットから1ノット落ちただけで悠々と走っていたが、前部の飛行機用エレベーターが故障し
 その付近のガソリンタンクに破孔が生じた。そしてそこから漏れる揮発性ガスがしだいに艦内に充満していた。
 1432 突如目のくらむような大爆発を起こした。ガソリンの臭気を抜くためすべての換気栓を解放したことが、
 ガソリンと重油の揮発性ガスを艦内に充満させてしまい、それに排気用電動送風機の火花が引火したのである。
 (引火の原因は判然としていない)
 爆弾に堪えるための厚い飛行甲板が下からの爆発を抑えたために、爆発圧力をさらに強める結果となり、
 甲板を小山のように盛り上げながら2つに割れ、内部の人員を圧殺した。

 直衛する「羽黒」「若月」は「大鳳」への接近を命じられたが、爆発が続くためにあまり近寄れなかった。
 小沢長官以下が「羽黒」移乗から20分後、急に左舷から傾き艦尾から沈んでいった。
 「大鳳」乗員2150名中 生存者は約500名といわれている。

 
 ◆ 「翔鶴」「飛鷹」の沈没 ◆

 1120 米潜水艦カバラは距離1100Mから6本の魚雷を発射した。
 「翔鶴」の右舷に4本命中。被雷箇所は艦橋前部の主管制御室、中部の変圧器室、発電機室、電気工場である。
 電気系統が破壊され艦内照明が消え前部エレベーターは落ちこみ、各所に火災が発生した。
 まず航空機搭乗員に退艦命令が発令された。直衛の「浦風」が付近の海面に爆雷を投下
 「矢矧」は接近して短艇をおろした。
 しかし4本もの魚雷を受けては如何ともし難く、真珠湾にはじまりラバウル攻略、セイロン攻撃に参加した
 武勲輝ける主力空母「翔鶴」は、被雷から2時間50分 前のめりとなって遂に沈没した。

 乗組員830名が戦死、他に乗組んでいた第601航空隊隊員376名も犠牲となった。
 艦長松原大佐は艦と運命を共にしようとしたが果たせず救出された。

 1730ころから始まった米機の空襲では、レキシントン(2代目)からの攻撃機が中心で
 第2航空戦隊「隼鷹」「飛鷹」「龍鳳」に襲い掛かった。
 出雲丸を改造した特設空母「飛鷹」は、マストに直撃弾1、機械室に1本の雷撃を受け航行不能となった。
 さらにもう1本雷撃を受け(誘爆との説あり)艦内大火災となり、1932遂に沈没した。

 
         マリアナ沖海戦3 作戦の総括 戦果と損害など   


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