◆沖縄決戦2 海軍作戦◆

◆作戦の背景◆

沖縄が敵手にゆだねられ航空兵力を配備することになると、本土の西半分がその攻撃圏内に入ることになる。
これに硫黄島方面の航空兵力が加わると、本土と大陸・南方資源との交通が完全に遮断され、
いよいよ致命的な事態となってしまう。
陸軍は既に決号作戦−本土決戦の意思を固め、兵力温存に傾きつつあったが、
海軍は、この沖縄を最後の決戦場とみなし、まさに全兵力を投入するつもりであった。

搭乗員の錬成時間を稼ぐことと米軍の侵攻を遅らせるため、
ウルシー泊地の米機動部隊に対する奇襲攻撃が計画されていた。
「丹作戦」である。

昭和20年3月11日  「丹作戦」が、銀河24機によって実行された。
しかし、エンジン不調と日没後ということもあり、突入は11機となり十分な戦果をあげることはできなかった。
このウルシー攻撃により被害を被ることがなかった米機動部隊は九州・四国に殺到した。
3月18日  第5航空艦隊は昼夜にわたり攻撃を実施。敵の一部を撃破した。
だが、我の損害に対し敵機動部隊の被害は軽微であり、さらに沖縄に対して来攻するのである。

 

◆天一号作戦◆

3月23日  早朝より沖縄は米艦載機の攻撃を受ける。
米機動部隊は洋上補給の後、九州沖から直ちに沖縄方面に向かったのである。

3月25日  連合艦隊司令長官は「天一号作戦警戒」を発令
3月26日  「天一号作戦」(南西諸島方面の米軍来襲に対する秘匿作戦)は発動される。

第3・第10航空艦隊は九州に展開し、第5航空艦隊 宇垣纏中将の指揮下に入った。

以下は『米側資料』による海軍航空隊を中心とする戦果。(すべて損傷)

  3月26日   戦艦ネバダ、軽巡ビロキン、駆逐艦5、掃海・敷設駆逐艦2
  3月27日   掃海・敷設駆逐艦2
  3月28日   上陸用資材輸送艦1
  3月29日     − 
  3月30日   重巡インディアナポリス
  3月31日   敷設駆逐艦1、上陸用輸送艦1、戦車揚陸艦2

この期間中、特別攻撃隊として出撃し未帰還となったのは、
第2菊水彗星隊 22名・11機、第1銀河隊 15名・5機で、全軍に布告された。

 

◆海上特攻作戦◆

4月1日、米軍は沖縄島に上陸開始。
4月7日に総攻撃を決した第32軍に呼応し、連合艦隊司令長官は、
4月6日航空攻撃を決行するとともに、海上特攻部隊を編成、米艦隊の撃滅を決意した。

この作戦については、今日はむろんのこと当時においてもいろいろな批判があった。
当時の軍令部第一部長富岡定俊少将は
  「海軍は沖縄作戦を最終決戦として、注ぎ込み得るものは一兵残らず注ぎ込む肝であり(攻略)」、としており
また、連合艦隊参謀長草鹿龍之介中将は、
  「〜いずれ最後は覚悟しても、悔いなき死所を得させ、少しでも意義あるところにと思って(攻略)」
と、述べているが、最終的に豊田連合艦隊司令長官が自ら決断したものと思われる。

4月5日の出撃準備下令に続き、4月6日軍令作第611号により正式に発令される。
なお、これに伴い「大和」「矢矧」乗組みの海軍兵学校74期卒業生67名(77名説あり)と、
各艦の重患・呉での補充要員計30名余も退艦
各士官は「天城」「葛城」へ移乗の措置をとり、10日正式に転勤が発令された。

 

◆戦闘経過◆

  −旗艦「大和」からみたものを主とした。−

 4月6日
  1520  徳山沖出撃
  1620  前路掃海部隊の第31戦隊(花月、榧、槙)を分離解列、待機部隊へ
  1645  B29飛来
  1945  西水道通過 第一警戒航行序列
  2000  之字運動開始
  2020  「磯風」浮上潜水艦らしきもの発見、「矢矧」これを探知
  2130  「矢矧」敵信受信 感度きわめて大

   4月7日
  0200  艦隊、大隅海峡入る 速力16ノット
  0600  第三警戒航行序列
  0630  味方戦闘機5ー10機 上空直援
  1000  味方戦闘機・艦載水上機 指宿に帰投
  1016  敵飛行艇2機接触開始
  1100  「朝霜」機関故障のため視界外へ・・・(のち沈没と認定
  1107  「大和」レーダー 180度方向の敵探知

  1232  敵第1波約150機発見
  1235  対空戦闘開始 最大戦速
  1241  後部命中弾2発 後部射撃指揮所・二番副砲破壊
  1245  左舷前部魚雷命中1本 「濱風」「矢矧」航行不能
  1247  「濱風」 沈没 「涼月」直撃弾命中炎上
  1300  「矢矧」航行不能のため第2水戦司令官は旗艦変更を決意

  1302  敵第2波約50機発見
  1323  210度右一斉回頭 速力22ノット
  1325  直撃弾2発、至近弾により「霞」航行不能
  1337  左舷中部魚雷命中3本 副舵が取舵のまま故障
  1338  右舷タンクに3000トン注水 傾斜復元
  1344  左舷中部に魚雷命中2本(累計6本)速力18ノット
  1402  左舷中部に命中弾3発(累計5発)
  1403  タンク注水の限界に達し、窯室、右舷機械室注水
  1405  魚雷7本 爆弾12発をうけ「矢矧」 沈没
  1407  右舷中部に魚雷命中1本(累計7本)
  1412  左舷中部・後部に魚雷命中2本(累計9本)
  1413  片舷で実速12ノット、傾斜左6度
  1417  左舷中部に魚雷命中1本(累計10本)
  1420  傾斜左20度
  1423  傾斜角度顕著 艦底露出ののち前部砲塔誘爆し「大和」 沈没

  1440  敵機は概ね退去 空襲終了
  1500  第17駆逐隊司令新谷大佐 海軍大臣、軍令部早総長あて状況報告発信
  1552  第41駆逐隊司令吉田大佐 同様に報告文打電 生存者救助を各鑑へ信号
  1639  連合艦隊司令長官は電令作第616号で作戦中止を命令
  1657  「霞」 沈没
  1720  第2水戦司令官は「初霜」に救助され、部隊指揮を継承
  1815  残存艦 救助作業終了
  2240  「雪風」の砲撃により損傷せる「礒風」を処分のち全鑑佐世保へ帰投

   

◆戦果・損害◆

 撃墜戦果報告
  「大和」       敵機撃墜3機 撃破20機
  第2水雷戦隊    敵機撃墜19機(沈没艦を含めず)

 沈没艦/収容人員
  第2艦隊司令部 准士官以上4名(参謀長、砲術参謀、副官等)
  第2水戦司令部 異常なし
   ●大和 准士官 副長以下23名 下士官・兵246名
   ●矢矧 准士官 艦長以下37名 下士官・兵466名
   ●礒風 准士官 艦長以下全員  下士官・兵326名
   ●濱風 准士官 艦長以下12名 下士官・兵244名
   ●霞   准士官 艦長以下15名 下士官・兵307名
   ●朝霜 艦長以下全員戦死と推定

 健在
   ○冬月 中破 戦死12名 戦傷12名
   ○涼月 大破 戦死57名 戦傷34名
   ○雪風 少破 戦死 3名 戦傷15名
   ○初霜 被害なし      戦傷 2名

  米側資料
  戦闘機180機 爆撃機75機 雷撃機131機 計386機
  米側被害 撃墜10機

マレー沖海戦の「プリンスオブウェールズ」の戦死者は総員の20%に過ぎなかったが、
大和は90%以上の戦死者を出した。これは残存艦隊に対し日没近くまで攻撃をかけ、
漂流者に対しても機銃掃射を加えたという米軍の徹底した攻撃によるものである。

 主要艦隊幹部
  第二艦隊
   司令長官 伊藤整一中将
   参謀長   森下信衛少将
   先任参謀 山本裕二大佐

  第二水雷戦隊
   司令官   古村啓蔵少将
   参謀    廣瀬 弘大佐
   参謀    松原瀧三郎大佐

   大和艦長  有賀幸作大佐
   矢矧艦長  原 為一大佐
   第17駆逐隊司令  新谷喜一大佐(磯風、濱風、雪風)
   第21駆逐隊司令  小瀧久雄大佐(朝霜、霞、初霜)
   第41駆逐隊司令  吉田正義大佐(冬月、涼月)

第2艦隊司令長官伊藤中将は、戦死後大将に任ぜられ、
大和艦長有賀大佐は、全軍に勲功を布告され二階級特進で中将に任じられた。

  沖縄決戦(海軍作戦) 2


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