[北ドイツ・ドライブ旅行 part 1]
   ドイツへ〜ハン・ミュンデン〜カッセル〜ヴェルニゲローデ〜ハルツ鉄道〜
   ゴスラー〜ハノーファー〜ツェレ〜リューネブルク〜ハイデ〜ハンブルク〜
   リューベック〜


[ドイツへ]
 4月から弟がドイツのデュッセルドルフに赴任したので、その様子を見がてらドイツを旅行することにした。ミュンヘンやロマンチック街道、ベルリンは行ったことがあるので、今回はデュッセルドルフを起点に北ドイツを旅することにした。弟も同時期に休暇を取れるということなので、レンタカーを借りて、二人で北ドイツを1週間で一回りしようということになった。
 デュッセルドルフは日本企業の支店がたくさん集まっていて、日本食料品店もかなりあるのだが、やはり値段が高い。それで単身赴任中の弟からはラーメンやごま油などを持ってきて欲しいと言われていた。それに加えて、義妹からシャツとかカレールーとかそばとかせんべいを預かっていたので、それも持っていかなければならない。普段は手荷物だけで旅行しているが、今回はさすがにそうもいかず、久しぶりにチェックインの時に一つ荷物を預けた。それが後でちょっとしたトラブルの元になる。
 デュッセルドルフへは直行便はなく、ヨーロッパのどこかを経由していくことになるが、今回はパリ経由だった。JALがパリ−デュッセルドルフ間のエールフランスとコードシェアしているので、成田でスルー・チェックイン。まずこのJAL便の出発が、アナウンス機械の故障とやらで1時間遅れた。隣で待っている男性が「アナウンス機械なんて、スチュワーデスが大声出したらいいやん」と言うと、奥さんが「でも非常時にはそれでは困るでしょ」となだめているのがおかしかった。
 JALは最近エコノミークラスをリニューアルして大宣伝をしているが、やはり自分の席にテレビがあり、映画が選べたり、ゲームができたりするのは暇つぶしにはありがたい。映画も10本から選べるし、音楽も20チャンネルくらいから選べる。ただ、映画はいつ始まり、いつ終わるかが分からないのが残念。ファーストクラス、ビジネスクラスでは自分が見たいときに見始めることができるそうだ。エコノミークラスではそこまでは望まないものの、あと何分後に始まるという表示がどこかにあると本当に便利だと思う。それから夕食後にミネラルウォーターのボトルが一人一本配られたのも、新しいいいサービスだと思う。後で弟にそれを言ったら「エコノミークラス症候群対策の一環らしい」と言っていた。

 出発が遅れたことから、パリ到着前にはコードシェア便に乗り継ぐ乗客はタクシング中に席を立ち、出口付近で待っていて、到着次第すぐ降機できるように準備していた。この時点で乗り継ぐべきデュッセルドルフ行きの出発時間まで約30分。ぎりぎりだ。飛行機を降りると、バルセロナに乗り継ぐ人には地上係員がいて誘導していたが、それ以外の案内はなし。自分でデュッセルドルフ行きのゲートを画面で確認するが、画面にはゲートの番号はなくホールBとだけの表示。着いたところはホールAなので、バスで移動しなければならないようだ。バスはすぐ来たものの、なぜだか5分くらい発車せず、ホールBに着いた時にはもう10分くらいしかなかった。ホールBの画面にはクローズとしか出ていないので、近くのカウンターでゲート番号を尋ねる。しかし時既に遅し。「もう間に合いません。そこのトランスファーデスクで変更してください。次の便は45分後です。」
 幸い予約変更はすぐにでき、早速ゲートに向かう。そこにはJAL便で見かけた人もいて、やはり乗り継げなかったんだなと思う。弟にデュッセルドルフ到着が遅れることを電話しようと思ったが、フランス・フランを持ち合わせていないし、すぐに搭乗だし、遅れると言っても45分だから、まぁいいだろうということにした。(ところが、弟はデュッセルドルフの空港に時間どおりに着いていたのに、自分が見たエールフランスの到着機は僕が乗ってきたものだけだと言った。いったい本来乗っていたはずの飛行機はどこに消えてしまったのか...)それにしても45分後にすぐ次の便があったのは幸運だったが、JALの現地対応は今一歩だったと思う。乗り継ぎ客をタクシングの時から待機させていたところまではよかったのだが。コードシェアして乗り継ぎの便を強調しているのだから、それができなくなった時のケアはもう少しちゃんとやってほしい。(コードシェアではなく、全くJALと関係のない乗り継ぎなら、それほど文句はいわないが。)

 この辺りで、そういえば預けた荷物はどうなるかなぁ、と心配になってきていたのだが、デュッセルドルフに着いたとき、その心配は現実のものとなってしまった。ターンテーブルから僕の荷物は出てこなかったのだ。パリで見かけた同じように乗り継げなかった人の荷物も出てこなかったようで、僕が空港係員にロストバゲージはどこへ行けばいいのか尋ねていたら、近づいてきて、お互い「困りましたね」と目で苦笑しあった。僕の海外旅行歴において、乗り継ぎ失敗は2回目だが、ロストバゲージは初めての体験。ロストバゲージのカウンターではタグを見せて、カバンの形を写真から選び、色を言い、ドイツでの連絡先を告げる。デュッセルドルフの弟の家が連絡先だが、明日から1週間そこにはいない。しかし、預けた荷物は全て弟に渡すものなので、ドライブ旅行には支障はない。(そういう風に荷物を分けたというところは、既に何か知らないうちにロストバゲージを予感していたのだろうか。それはどうか分からないが、自分の機転を内心自画自賛している僕であった。)明日の朝レンタカーを借りに空港に来るので、その時聞いてみることにする。
 弟が「ドゴール空港、エールフランスはロストバゲージが結構あるんだよね。何で預けたの。いつも全部機内持込みだから預けないと思った。預けるんだったら、フランクフルト経由にした方がよかったのに。」と言う。何か預けた僕が悪いような風にも聞こえ、ちょっとムッとしつつも「そんなこと言ったって、奥さんから預かったものもあって量が増えちゃったんじゃない。持てるだけ持ってきてくれればいいと言われても、やっぱり全部持っていってあげようと思うでしょ。そうすると荷物を抱えてえっちらおっちら乗り継ぎするのはしんどいから預けたの。」と答える。弟が「ごま油大丈夫かな。結構乱暴に扱われるから割れちゃうかもしれないよ。そういうのは手荷物にしなきゃ。まさか裸で入れてないよね」ご明察!「割れてシャツなんかに染みたらどうしてくれるの。せめてビニール袋に入れるとかしないと」ごもっとも。そこまでは頭が回ってませんでした。今は荷物の無事を祈るばかり。
 翌朝8時前に空港に来て、早速ロストバゲージのオフィスをのぞいてみると僕の荷物はありました。ホッとひと息。中を確かめてみると、何も壊れておらず、何もなくなっていませんでした。ホッともうひと息。本来なら弟の家に直行する予定だったこの荷物も、僕たちと一緒に1週間の北ドイツドライブ旅行をするはめになりました。

[ドライブ第1日]
 デュッセルドルフの弟の家を7時過ぎに出て、空港に8時前に到着。気合入ってます。
 弟の家から空港までは、まずバスで中央駅まで約10分、中央駅から空港駅まで約15分、待ち合わせ時間を含めても40分弱で到着。近い! 弟は半年間市内のバス、トラム、DB(ドイツ鉄道)に乗り放題の切符を定期券代わりに持っているのだが、この切符がスグレモノ。なんと、平日の夜7時以降と土曜・休日の全日、その1枚の切符で2人乗れるのである! 今日は日曜日。よって僕も無料で空港まで行けるのであった。到着した昨日も土曜日だったので、無料で弟の家まで来れたのです。昨日空港駅で、弟が切符を買わずに、ホームに行って電車に乗ろうとしたので、「切符を買わないと。いくらヨーロッパでは改札がなく、検札もめったにないとはいえ、ただ乗りはいかんでしょう」と言ったら、弟は「これで2人乗れるんだよ」と教えてくれたのだった。たぶん、自家用車の利用を抑え、公共交通機関の利用を促進するための措置だと思うが、とっても得した気分だった。

 デュッセルドルフで借りたレンタカーはベンツのAクラス。色は黒。ただし、ディーゼル車。ガソリン車に比べると、やはり少しうるさいし、加速も少し劣る感じだった。いつものとおり、ドライバーは弟で、僕はナビゲーター。僕は国際免許証も取ってきていない。緊急時は国際免許証なしで運転するつもり。
ガイド役は弟の持っているミシュランのヨーロッパ道路地図。デュッセルドルフを起点に北ドイツを時計回りと反対方向に、カッセル、ハノーファー、リューベック、ハンブルク、ブレーメンと回る。途中、木組みの家が並ぶ小さな町や、ブロッケン山に登る鉄道、ピンクのエリカが満開(のはず)のハイデなどに立ち寄っていく。時間に余裕があれば、ブレーメンから西に向かい、オランダにも足を伸ばすかもしれない。レンタカーゆえ、時間を気にせず、マイペースで進もうということになっている。

 さて、デュッセルドルフ空港を出たベンツは早速アウトバーンに乗り、東に約200キロのカッセルに向かう。弟はすっかり左ハンドルにも慣れているようだ。ただ、時速140キロくらいになるとちょっと怖い。これ以上スピードは出さないようにと頼む。しかし、その横をあっという間に追い越していく車多数。彼らは200キロくらい出ているのだろうか。さすがアウトバーンという感じである。そのスピードは、ドイツ人に我々が持っている勤勉・堅実といったイメージとはずいぶん異なっている。スピードはいいのだが、追い越しが結構強引である。ひやっとすることもある。それに200キロも出している割には、車間距離が短いといったら短い。日本の高速道路のように車間距離を測る白いラインも引いてないし、スピードよりもこっちのほうが怖い。これではもし1台が事故ったり急ブレーキをかけたりしたら、何十台と玉突きしそうだ。
 それからインターチェンジやジャンクションのカーブの半径が日本より短いようだ。200キロ近くで走ってきた車もジャンクションでは40キロくらいに落とさないとカーブは曲がりきれず、このギャップが大きい。ここでの事故は多くないのだろうか。逆にジャンクションのカーブを曲がってアウトバーンに乗るときのアプローチの直線の距離も日本より短いような気がする。時速40キロからスピードをぐっと上げて合流しなければいけないのだが、走行車線に車がいると合流できない間にアプローチが終わってしまいそうだ。といっても、そういうことは一度も起きず、ちゃんと合流できたのだが、どきどきしてしまう場面も何回かあった。
 無料ということもあってと思うが、インターチェンジ間の距離は日本より随分短い。特に市街地に近づいてくると、次々にインターが現れてくる。知らない場合は出口に迷ってしまいそうだ。出口の前には2度くらい次の出口の地名を記した看板が現れるのだが、肝心の出口の所には出口を示す矢印があるだけで地名が書かれていない。いくら直前の看板で確認しているとは言え、最後の最後で記憶を試されるかのように地名の記載がないと、一瞬ちょっと不安になったりする。ドイツ人はそんな風に感じないのかなぁ。日本だったらすぐ道路公団に苦情が行くような気がするけど。

 ひやっとする場面がたまにあっても(といっても、助手席の僕が感じるだけで、運転席の弟はもう慣れっこになっているのか何とも思っていない様子)、さすがアウトバーンの走行は滑らか。ただ、少なくとも今回旅した北ドイツでは景色はあまりよくなかった。「よくなかった」というより「変わり映えせず、退屈な感じだった」という方が正確だろうか。山がほとんどなく、平らな畑や小高い丘が綿々と続くだけだし、街から離れたところを通っているため、家並みもほんの時々見える程度。この点、日本の高速道路は景色が移り変わっていいなぁと思う。
 そんな退屈な風景の中、時折目立つものが2つある。一つがテレビ塔のような高いタワー。全くの感覚だが、100〜200キロに1つくらいの割合で丘の上に立っているようだ。そしてもう一つが風車である。風車といっても、オランダにあるような古きよき風情のあるものではなく、風力発電用の1本の細い柱のてっぺんに3枚の細長い羽根が回っているシンプルなデザインのもの。色はほとんどが白。高さもかなりある。これが緑の畑の広がる中に、2〜3基から十数基立ち並んでいる。風力発電は環境にやさしいということで、今急速に普及しつつあるのだろうが、景観にはあまりやさしくないように思えた。なんだか、無機的というか機械的というか宇宙的、SF的、未来的というか、そういう感じがして、ヨーロッパの田舎の平凡だけど穏やかな空間の中に、場違いなものが侵入してきたという感じがずっと拭えなかった。もっと色やデザインを景観フレンドリーにできないものかなぁ。

 アウトバーンの話が長くなってしまったが、ベンツは快調に走り、早くもカッセルに近づいてきた。ガイドブックによると、カッセルの大きな見所の一つが「水の芸術」と呼ばれるもので、それは水曜と日曜・祭日の2時30分から3時30分まで行われるという。そして今日は日曜日。これは見逃す手はないということになったが、2時半までにはまだ随分と時間がある。そこで、カッセルをいったん通り越して、20分ほどのところにあるハン・ミュンデンという木組みの家が並ぶ小さな町を訪れることにした。こういう臨機応変の行程をとれるのもレンタカーの旅ならではである。

 ハン・ミュンデン。1つめの木組みの街。メインストリートは5階建てほどの木組みの家がずらっと並び、美しい。「絵本のような」とか「おとぎ話に出てくるような」という使い古された比喩がぴったりくるような雰囲気。家々は高さの割に間口は狭く、細長い家が連なっているという印象。だいたい5階建てというのは統一されているが、高さは微妙に異なっていて、破風の三角が連なってできているギザギザのラインも微妙なリズムを作り出している。道も石畳で風情があり、商店の軒先にぶら下がっているいろんなデザインの金属製の看板も楽しい。
 ただ、日曜日のため商店は閉まっており、人通りも少ない。歩いているのはほとんどが観光客という感じである。教会の広場に面したパン屋兼カフェで昼食代わりにソーセージパンとコーヒー。メインストリートから枝分かれする小径には、本道より少し低めで、少し地味な木組みの家並みが続く。表通りと横丁では木組みのデザインが異なっていて、表通りには細かいばってん状のところが多いが、横丁ではほとんど縦横だけである。
 街自体は非常に小さく、ゆっくり歩いても一回りするのに1時間もかからないほど。でも、木組みの街初体験ということで、バシャバシャとやけにたくさんの写真を撮ってしまった。このペースで写真を撮っていくと、フィルムが足りなくなりそうだ。川向こうの丘の上に立つ塔から見下ろしたハン・ミュンデンの町は、明るいレンガ色の屋根の波の真ん中に石造りの教会がそびえる、きれいなこじんまりとした町だった。

 アウトバーンに乗らずに田舎道を通ってカッセルに戻る。市内をざっと見てから、水の芸術の会場へ。ここは小高い丘になっていて、頂上にヘラクレスの像が立つ展望台のようなものがあり、そこから水路が伸びていて、水が流れ落ちていき、所々で滝を作ったりし、最後には丘のふもとの池で噴水として噴き上げる。見学者はその水の流れにあわせる形で丘を降りていくのだ。ヘラクレスまで登るのはけっこうしんどくて、30分くらいかかってしまった。ヘラクレスからはカッセルの市街地が遠望でき、かなりの高さを登ってきたことが実感できる。
 2時30分になった。ヘラクレスのすぐ下にある噴水が吹き出して、水が流れ出した。意外に水量が少ない。噴水の下の階段状のところを落ちていってもあまりしぶきは上がらない。小さくてもいいからそこにも噴水があれば、華やかなのに。もう少ししたら水量も増えて見応えも出てくるだろう、そしたらヘラクレスを降りようと思っていたが、水量が増える様子は全くなく、それどころか10分くらいしたら一番上の噴水が終わりそうな感じになってきた。あわててヘラクレスを降りたら、やはり最初の噴水は終わっていた。小走りで階段を下りて、中間地点の池に向かう。水の階段を見上げる形になるので、見学者もたくさんカメラを構えていたが、水の流れはばしゃばしゃというより、ひたひたという感じで迫力なし。ここから脇道に入って、最初の滝(シュタインホーファー滝)のところに行く。高さ5メートル、幅15メートルくらいで、いくつかの流れに分かれた、どちらかというと穏やかな滝。こんなの日本なら二流の観光資源という感じだが、結構こっちの人達は喜んでいて、僕にとってはそういう顔を見ている方が面白い。そこから再びゆっくり降り第2の滝へ。
 しばらく待っていると音がしてきて、第2の滝が現れた。ここは最初の滝より男性的だ。滝の真上には橋(悪魔の橋)もかかっていて、そこから滝を見下ろしている人達もいる。そこから今度は森の中を渓流のようになっていく。「ちょっと奥入瀬みたいな雰囲気だね」と弟がいう。確かにそうだが、奥入瀬の方が断然情緒があることは間違いない。そのミニ奥入瀬の横を歩いて降りていくと、その流れは水道橋にさしかかり、それは途中で途切れているものだから、そこから流れ落ちて第3の滝となる。これは幅は1mくらいだが、高さは15mくらいあるし、水道橋とのバランスもよく、なかなかよかった。その前で抱きあうカップルが妙に絵になっていた。
 そこから更に下って、ふもとの池の前で待っていると、高さ50mという水柱が上がった。さすがにこれはなかなかの迫力である。時刻は3時15分。あと15分噴水が噴き上げるということだろう。カッセル最大の見所と言われる「水の芸術」はこれで終わり。かなりあっけない。いや、これが昼の間ずっとこういう状況なら納得する。でもこれは週に2回しか行われないのだから、相当スペシャルなもののはず、と期待に胸をふくらませて来た者には、ちょっと期待はずれ。自然の傾斜を利用した壮大なものであり、水の流れとともに歩いて下りながら見るという趣向はそれなりに楽しいことは確かなのだが。サンクトペテルブルグ郊外のピョートル大帝の夏の宮殿は、同じく水を使った庭園だが、断然そっちの方が面白く、迫力もあって見応えがあると思う。

 カッセルを出て、今夜の宿泊予定地2つ目の木組みの町、ヴェルニゲローデに向かう。着いたのは6時半だったが、サマータイム中で、まだ明るい。町を歩きながらホテルを探し、市庁舎近くのメインストリートに面したRathaus Hotelに泊まることにした。ホテルの名前を直訳すると「市役所ホテル」である。いくら市役所の近くにあるからといっても、この命名のセンスは日本人には理解できないと思う。(ドイツには結構ある。)ホテルの部屋は改装したばかりのようで、シンプルながらきれいで申し分のないものだった。翌朝の朝食もハムやゆで卵、チーズ、ヨーグルトなどがついていてマル。
 夕食は市役所の地下にあるラーツケラー。ドイツでは市役所がラーツケラーと呼ばれるレストランを併設しているところが多い。手軽にビールとドイツ料理を楽しめるところである。公営企業の業績が最悪の日本から来た僕は、レストランの経営は黒字なのだろうか、と心配になる。まぁそれも一つの公共サービスとして定着していて、多少赤字でも税金でまかなえばいいということなのか。また「民間でできることは民間にやらせる」というスローガンの国から来た身には、「市がレストランを運営するのは(委託しているのにしても)、民業圧迫と言われないのだろうか。ブレーメンのラーツケラーはドイツ最大のワインセラーを誇っているというし。」とも考えたりするが、まぁそんな固いことはさておき、おいしいポークステーキとグヤーシュを食べて、満足。本日の走行距離520キロ。

[ドライブ第2日]
 今日はまずハルツ狭軌鉄道に乗ってブロッケン山を往復する。ホテルから駅までは徒歩10分。8時40分の一番列車に乗る。団体客が多いのではないかと思っていたが、第一便は朝早いということからか個人客ばかりで、全部で20人くらいか。50人くらい乗れる車両を6〜7両つないでいるから、拍子抜けするくらいのがら空き状態である。(ただ、山から下るときにすれ違った列車はほぼ満員の盛況だった。)
 ハルツ鉄道は蒸気機関車がブロッケン山頂上駅(1125m)まで標高差900m、34キロの距離を1時間40分かけて登る。料金は往復42マルク。SLはやはり独特の迫力がある。そしてその石炭と煙のにおい。曇り空で山の天気が心配。40分走って分岐点の駅を過ぎると、完全に山岳鉄道となり、森の中のかなりの勾配を登っていく。カーブのところでは、吹きっさらしのデッキから身を乗り出して蒸気機関車の雄姿をカメラに収めようとするが、なかなかタイミングが難しい。考えることはみんな同じで、ドイツ人観光客もしっかり窓からカメラを出している。だんだん霧が濃くなってきて、霧雨も降り出した。
 森をぬけると、クリスマスツリーのようなきれいな三角形の丈の低い木々が目立つようになり、葉が落ちて幹と枝だけが残った枯れ木も現れてくる。霧の中にそうした木々が浮かび上がると、本当に魔女か何かが出てきそうな雰囲気だ。そう、ブロッケン山はまさに魔女の山なのである。この山は昔から神秘の山といわれ、ワルプルギスの夜には魔女が集まるという伝説があるのだ。だから山頂やヴェルニゲローデのお土産屋には魔女の人形がたくさん売られている。(僕たちも、ヴェルニゲローデで50cmくらいの大きめの人形を一つ弟夫婦へのお土産に購入した。)
 山頂には30分くらいで一周できるトレイルもあったが、霧で何も見えないし、霧雨でかなり寒くもあったので、がらんとしたレストランで昼食がわりにソーセージとポテトとビールを食べながら休憩。1時間後の下り列車に乗り込んだ。ブロッケン山は1年の3分の2くらいは霧に包まれているとのことだが(摩周湖みたいだ)、晴れていればどんな景色が見えるのだろう。ヴェルニゲローデ着13時20分。

 ミニバスで山に登り、ヴェルニゲローデの町を見下ろす城を見学した後、通りを散歩しながら、土産物屋をのぞく。50cmくらいの大きめの魔女の人形と瓶詰めのチョコレートを買った。(このチョコレートは形も色も様々だが石のように見えるもので、帰国後職場のバイトの女の子にあげたのだが、僕が翌日チョコレートだというまで、石だとばかり思っていたそうだ。)酒と変わった形のボトルを集めている弟は、でっぷりと太い2リットル入りのベリー酒を買っていた。ヴェルニゲローデはハン・ミュンデンと同じく、木組みの家並みが美しい。木組みはばってんではなく、格子状のものがほとんどで、所々ダイヤ型がある。町の大きさはヴェルニゲローデの方が少し大きな感じだが、1軒1軒の家の高さはハン・ミュンデンの方が高い。ヴェルニゲローデの市庁舎は2本のとんがり屋根を持ち、外壁の上半分がサーモンピンクという独特の形と色をしていて、ほんとにおとぎの国という雰囲気。ハン・ミュンデンでは目立たなかったが、ヴェルニゲローデでは、2階の窓の下にプランターを置いている家が多く、赤やピンクのゼラニウムが美しいアクセントになっていた。
 ヴェルニゲローデを一とおり見たけれども、小さな町ゆえ暗くなるまでにはまだ時間があったので、車で1時間ほどのところにあるクヴェトリンブルクに行ってみることにした。ここがレンタカーならではの臨機応変、小回りの効くところ。ここも小さな木組みの町(3つ目)で、1時間ほど散策した。クヴェトリンブルクはヴェルニゲローデよりも小さく、木組みも地味な感じだった。今日の夕食は、ヴェルニゲローデを歩いていて見つけたジャガイモ料理の店。本日の走行距離はクヴェトリンブルク往復のみで、50キロ。

[ドライブ3日目]
 今日はいくつかの町に立ち寄りながら、木組みの町としては最も有名なツェレに向かい、宿泊する予定で、ヴェルニゲローデを8時45分に出発。まずはゴスラーの町をちょっと歩いてから、ハノーファーへ。ゴスラーはヴェルニゲローデのように町全体が木組みの家並みというものではないが、そういう家もあるので、一応4つ目の木組みの町に数えよう。木組み自体はシンプルな格子模様だが、窓の下に赤や緑で塗り分けられた様々なデザインの扇のような形をした飾りがついているのが特徴的。市庁舎前の市場では巨大なカボチャがごろごろ売っていた。

 ハノーファーではまずヘレンハウゼン王宮庭園に行った。僕は庭園とか植物園に弱いのだ。つい行ってみたくなる。小雨模様であいにくの天気。噴水を中心に整然とデザインされた大きな庭をメインに、高さ3mほどの樹で10m四方くらいに区切られた小さなガーデンがいくつか。これらの小さなガーデンはそれぞれにルネサンス風とかロココ風とか異なるデザインで作られている。花壇というよりも、緑の低木と池や石で作られた庭なので、華やかさという点には少し欠ける。噴水といえば、ここのも午前中は11時から12時まで、午後が2時から5時までしか噴き上げないのである。それも4月から10月までのみ。カッセルの水の芸術といい、どうしてなんだろう。水資源を大切にしようということなのかもしれないが、ちょっとケチなのではないか。僕たちが庭園に着いたのは11時50分だったので、かろうじて噴水を見ることができたが。
 ところで、ハノーファーは大都市であり、ルネサンス調の壮麗な市庁舎や、ゴシック調の立派な建物が並んでいる。旧市街の小さな通り(ここも木組み)の入口に巨大な包丁が吊り下げられていたが、あれはどういう意味があるのだろうか。はっきり言って怖い。ハノーファーの旧市街では駐車スペースを見つけるのにちょっと苦労した。なかなか空いたところが見つからず、反対側に見つけてUターンしようとしたら、先に入られてしまったり。そうはいっても、ドイツの市内の駐車場はかなりしっかりしている。大都市だけでなく、小さな町でも町に入ってくると駐車場の名前を記した標識がたくさん立っているし、電光掲示板であと何台止められるという空き状況を示しているところも多い。駐車料金は町によって異なるが、1時間2〜3マルク程度。日本のように入口出口にゲートがある所もあるが、たいていは自動販売機で必要な時間数のチケットを買い、前面ガラス内側に見えるように置いておくというパターンである。これは路上に止める場合も同じ。このパターンの場合は、平日の夕方以降及び土曜・休日は無料になっていることも多い。絶対的な車の数の違いはもちろんあるが、街中に車を止めるのに苦労することの多い日本でも見習えるところはあるのではないかと思う。屋内マーケットの立ち食いの店で地中海風料理のランチ。

 ハノーファーからおよそ1時間で、5つ目の木組みの町ツェレ。さっそく散策に出てみると、木組みの家のオンパレード。「北ドイツの真珠」と呼ばれていると聞いていたので、何となくしっとりと落ち着いた町を想像していたが、平日の午後で人通りが多かったこともあり、落ち着きというよりは活気を感じた。街自体もハン・ミュンデンやヴェルニゲローデより大きい。木組みのデザインはここも格子がほとんど。ツェレの木組みの家の特徴として、上の階になるごとに前面が50センチほど道路側にせり出しているということがある。これは昔は1階の床面積が税金の基準になっていたので、1階は狭くし、2階以上は少しでも広くしようとした結果だそうだ。また、窓の下に、金文字でラテン語らしき言葉で何か書いてある細長い板が渡してある家もけっこうあった。
 ホテルを探しながら歩くが、木組みの市街にはそれを利用した高級ホテルがいくつかあるが、僕たちに手ごろなものは、市街の端の車道に面したところに数軒見えただけだった。別にここに泊まっても市街には徒歩5分で何の問題もないのだが、何となく気が乗らず、とりあえずカフェで休憩することにした。大きなケーキとコーヒーでひと息入れる。ツェレの町はガイドブックを見ないで、足の向くままぶらぶらと歩いていたのだが、コーヒーを飲みながら一応ガイドブックを見てみた。すると「いちばん美しいと言われている木組みの家」と「いちばん古い木組みの家」は見ておくべきという記述があった。でも写真は載っていないので、それらがどういう家なのかは分からない。一休みしてから、その2つの家だけは再度チェックすることにした。
 時刻は午後5時。このままツェレに泊まっても、あとは夕ごはんを食べるくらいしかない。もちろんぼーっとカフェでマンウォッチングでもしながら過ごすという手はあるが、僕たちはあまりそういうことが好きなわけでもない。まだ日は高く、幸い車もある。次の目的地として考えていたリューネブルクには、まだ日の落ちない7時前には着けそうだ。という訳で、ツェレを出て、今日のうちにリューネブルクまで行ってしまうことにした。駐車場に戻る前に、ガイドブックの地図を見ながら、さっきの「いちばん美しいと言われている木組みの家(ホッペナー・ハウス)」と「いちばん古い木組みの家」を見に行った。そしたら両方ともさっきの散歩の途中で見ていて、ちゃんと写真も撮ってあった。ホッペナー・ハウスは余り木組みは目立たず、壁はレンガ状に塗られ、窓の下にはいろんなデザインの木片がはめこんである。全体としては深緑色で1階は洋服屋。最古の家の方も壁は深緑で、1階は本屋。やはり小さな町だから、ぶらぶら歩いても見逃すことはないようだ。 これで木組みの街を5つ見たことになるが、全体の印象であえて順位をつけるなら、ハン・ミュンデン、ヴェルニゲローデ、ツェレ、ゴスラー、クヴェトリンブルクの順だろうか。もちろん感じ方は人それぞれだが、ハン・ミュンデンでは家並みの高さとばってん模様中心の木組みのデザインが印象に残っている。(加えて、初めての木組みの街ということもあるかもしれない。)

 リューネブルク、19時着。街中にホテルが少なく、ちょっと焦った。夕食はまたもビアレストランでドイツ料理。ここではポークソテーのきのこソースを食べた。きのこはプフェファリンゲという舞茸に似た平べったいもので、ドイツでは夏から秋の味覚として大人気なのだそうだ。確かにその後のレストランでも「本日のおすすめ」のところにプフェファリンゲが出ているところが多かった。一応ガイドブックは見てはおいたものの、ホテルもレストランも自分たちでいいところを見つけたので、二人で僕たちもなかなか鼻が利くよねと自画自賛していた。でも、ホテルに帰ってまたガイドブックを見ていると、ホテルの方はレストランとして(ただし4室だけだが宿もあり)掲載されていたので、笑ってしまった。本日の走行距離274キロ。

[ドライブ4日目]
 リューネブルクはガイドブックにも昔塩の町として栄えたということくらいしか記載がなく、あまり大したことはないと思っていて、単にハイデに行くための基地としか考えていなかったのだが、これがなかなかの町だった。ここは木組みの町ではないが、黒や赤茶のレンガづくりで独特の形をした破風を持つ家並みは木組みの家並みにも負けないほど魅力的。木組みの町は日本にいるときから期待していたが、リューネブルクはそういう意味ではまったく期待していなかったので、逆に強く印象に残っている。独特の破風の形とは、階段状のピラミッド型である。丸型や星型にくりぬかれている所もあって面白い。それから特徴的なのが、破風のピラミッドのてっぺんに風見鶏のように取り付けられた飾り。船や馬、人魚などいろいろな形のものがある。こういう建物が旧市街のほとんどの通りに立ち並んでいるが、なかでもザンデ広場の一画は素晴らしい。ザンデ広場から伸びる通り沿いにある老舗らしい薬局の建物が構えや装飾の点で素敵である。薬屋といえば、ドイツ語でアポテケというようだが、その頭文字のAとてんびんを組み合わせたデザインの赤い看板がどうも全国共通らしく、ほとんどの薬屋が同じ看板を掲げていた。リューネブルクはちょっとオランダやベルギーを思わせるような町で、どちらにしてももっとガイドブックに詳しく紹介されてもいいと思う。

 さて、今回の旅の大きなお目当ての一つリューネブルガー・ハイデに向かう。ただガイドブックにはリューネブルクからハイデ・ツアーが出ていると書いてあるだけで、自分で行くにはどこへ向かったらいいかは書いてない。ハイデは原野の一帯を指すものだから、闇雲に車を走らせてもダメである。それでリューネブルクのツーリストインフォメーションで尋ねた。インフォメーションは市庁舎内にあるが、市庁舎はあのリューネブルクらしい破風を持つ建物ではなく、がらっと趣の異なる薄いクリーム色をしたバロック風のファサードを持つ美しい建物だ。この立派な市庁舎も塩から得た富が可能にしたものだそうだ。カウンターで「エリカに染まる草原を馬車で行くにはどこに行ったらいいのか」と尋ねると、地図とともにデューレという小さな村を教えてくれた。市庁舎前の青空市場では、赤や紺のおいしそうなベリー類に混じって、エリカの鉢植えも売っていて、期待が高まる。エリカは高さ30センチほどで、上の25センチくらいにピンクの小さな花がびっしりついていた。

 田舎道を1時間くらい走ってデューレ村に入り、ハイデのインフォメーションの看板に従っていくと、インフォメーション前の駐車場に馬車が数台客待ちをしていた。馬車は10人くらい乗れるものと4人乗りの小さいのとがある。御者たちは駐車場に車が入ってきても、客引きをしたりはせず、御者同士で話していたり、御者台の上でのんびりしている。小さい馬車に一人だけおばさんの御者がいたので、尋ねてみると「3時間コースは一人60マルク、1時間半コースは一人40マルク」とのこと。これが高いか安いかは分からないが、ぼるような顔の人ではなかったし、ガイドブックによるとリューネブルクからのハイデ・ツアー(馬車観光付き)が40マルクとのことだったので、まぁこんなものだろうと判断し、1時間半コースに乗ることにした。(でも今から考えれば、ぼったくりとは言わないまでも、ディスカウントは可能だったような気がする。)
 おばさんは英語を話すことは話すのだけど、ちょっと聞き取りにくい。馬車は2頭立てで、パウルという名の雄はベテラン、もう1頭の雌(名前は忘れた)は新人だそうだ。馬の名前を呼びながら、ときどき軽く鞭を入れながら、馬車は動くが、スピードは遅い。歩くより少し早い程度。まぁ道も少しでこぼこしているということもあり、馬はほとんど歩いていて、ほんの時々路面がいいときだけ、ちょっと早足になる。自転車は軽く馬車を追い抜いていく。ところで、野原をのんびりと馬車は進んでいくのだが、ピンクのエリカは全然見えてこない。いったいどうなっているんだ! 30分くらいしてからようやく見えてきた。おばさんは馬車を止めて、「どう、きれいでしょう」と振り向く。まぁ一応きれいはきれいなんだけど、期待していたような一面ピンク色にはほど遠い。その上、それは10分くらいで視界から消え、馬車は森の中に入ってしまう。そしてまた30分くらいとろとろと進む。途中で10数人が乗った団体用の馬車とすれ違った。
 「なんかこれで終わりだったら、納得いかないよね」と弟と二人で顔を見合す。「でもそろそろ1時間半たってしまうし、終わりなんじゃない?」と半ばあきらめ顔。と言っていたら、森が終わり草原が開けた。今度はさっきよりずっと広範囲にエリカが咲いていて、ピンクのじゅうたんと言える風景。もう期待をなくし始めていただけに、二人で「おー、これはいい。これくらいでないとね。これならここまで来た甲斐があった」とちょっと興奮気味に喜び合う。馬車を降りて、エリカの原っぱの中に入ってみる。エリカはイギリスではムーアと呼ばれる原野に咲くヒースと呼ばれる植物で、小さなピンクの花がちょっとした房のように集まって咲く。それが一面に咲いていて、ピンクというか薄紫というか、そういう色になっている。天気もよくて、このままここで昼寝でもしたいような気分。歩きながら写真をとったりして、15分くらいはピンクのハイデを眺めていた。再び馬車に乗ると、10分ほどで駐車場に戻った。うーん、これなら最初からこっちのハイデを見せてくれよ、それで十分なのに、というのが素直な感想。こっちなら馬車に乗らなくても、十分歩いて見に来れる距離。まぁこれでは観光馬車業が成り立たないわけだが。まぁ気のいい御者のおばさんに免じて、ここはよしとしよう。

 ハイデを後に、ハンブルクへ。ハンブルクは北ドイツ最大の都市であるが、観光的には特に有名なものを思いつかない。軽くランチでもとるつもりで立ち寄ることにした。町の真中にアルスター湖という湖があり、大噴水が水を噴き上げている。繁華街はその湖畔から始まっている。パサージュというアーケード街がいくつかあり、ショッピングの中心となっている。その一つハンゼ・フィアテルの駐車場に車を入れて、辺りをぶらついてみる。パサージュは、アーチ型のガラス天井で、店も雰囲気もなかなかおしゃれな感じ。後で聞くと、ハンブルクはドイツ随一のおしゃれな町で、有名ブランドのブティックも多く、街ゆく人たちもファッショナブルなのだそうだ。湖畔には遊覧船がとまり、美しい建物が軒をつらね、向こう側をICEが通過していくのが見えた。爽やかな夏の日。近くの市庁舎が壮麗で大きい。なんでもバッキンガム宮殿よりも部屋数が多いとか。時計塔がアンバランスなほど高く、回りを睥睨している感じ。さすがハンザ同盟の雄である。
 そういえば、ハンブルクやブレーメンは今でもハンザ同盟に一員であったことを強く誇りに思っているようだ。というのは、ドイツでは車のナンバープレートの頭のアルファベットは都市名を現している。例えば、ベルリンはB、ミュンヘンはM、デュッセルドルフはD、ケルンはKという具合に。こうした主要都市はアルファベット1文字だが、小さな町になると2文字、3文字になり、例えばヴェルニゲローデはWERとなる。そして、ハンブルクはHH、ブレーメンはHBで、大都市なのに2文字。なぜかというと、最初にハンザ都市の頭文字のHをつけているからなのだ。ハンザ同盟は13〜16世紀にかけて栄え、その後新大陸貿易に押されるように衰退していったのだが、その足跡恐るべしである。
 ランチは結局、市庁舎前のインビスでまたもソーセージとなった。インビスとは街角にある軽食を出すキオスクみたいなもので、ドイツの街のそこここにある。ソーセージ、ポテトが主であるが、トルコ系の人がやっている店ではドネルケバブなども出している。ファーストフードには違いないが、マクドナルドに入る気はしなくても、インビスならドイツらしいものに触れたという気になれるのがいい。
 ハンブルクから再びアウトバーンに乗ってリューベック方面に向かうとき、ハンブルク港のそばを通過した。厳密にいうと、海ではなくエルベ河に開けた港なのだが、ヨーロッパではオランダのロッテルダムと並ぶ大きな港で、大きなクレーンが何十台も並び、巨大な貨物船からコンテナが積み下ろしされている様は壮観である。

 さて次に訪れたリューベックもハンザ同盟の中心都市として栄えた由緒ある町。(でも車のナンバーはLKで、ハンザのHはついていない。)初めに聖ペトリ聖堂にのぼって町を見渡す。リューベックのシンボル、ホルステン門や凝ったデザインの市庁舎が見える。ホルステン門は左右に太い円柱にすぼめた菅笠をかぶせたような形の柱を持っているが、よく見るとそれが少し内側に傾いているのが面白い。2本の柱の間には、リューネブルクで見たような、階段状の破風がついている。
 マルクト広場に立つ市庁舎は修復中で、足場が組んであるのが残念。その市庁舎は独特の外見をしていて、本当は2階建てなのに、壁だけその上に2階分くらいあり、面白いデザインになっている。ハンザ都市の紋章が飾られ、その上には直径1mくらいの穴が横に6個くりぬかれている。この穴はバルト海から吹きつける風を通すためのもの。穴の上は青緑色のとんがり帽子のようになっていて、その上にはポールで波打った旗の形をした飾りがついている。ハンザの盟主としての立派な市庁舎にしようとがんばった成果なのだろう。でも今日は外に組まれた足場のために、丸い穴も隠れてしまっていて、写真がうまく撮れないのが悔しい。
 市庁舎のすぐ裏手には名物マジパンを売る老舗ニーダーエッガーの店がある。マジパンは日本でもよくケーキの飾りなどに使うアーモンドの粉から作るお菓子で、動物や人形、花などいろいろにかたどったものが売られている。家をかたどったものは、ヘンゼルとグレーテルに出てくるまさに「お菓子の家」。ウィンドウにはマジパンで作った高さ1メートルもあるホルステン門が飾られていた。マジパンは後で小さなエスプレッソ味の箱を1つ買って、翌日車の中で食べたのだが、これがとてもおいしかった。チョコボールくらいの大きさでアーモンドのほのかな甘さとエスプレッソの香りが絶妙にマッチ。1箱といわず、もっと買っておけばよかったと後悔。その通りには金管四重奏団が演奏をしていたが、その近くには大きな犬を連れたヒッピーまがいの人たちがいて、ちょっと怖かった。顔を合わせないようにして、足早に通り過ぎる。リューベックにもリューネブルクに似た赤茶色のレンガづくりの風格のある建物が多い。一見教会と工場を足して2で割ったような建物は養老院で、これはハンザ商人たちが社会福祉のために建てたものだそうだ。
 リューベックでマジパンと並ぶ名物はロートシュポンと呼ばれる赤ワイン。ドイツでワインといったらライン、モーゼル流域で、北ドイツではそもそも葡萄が生産できない。それなのに名物が赤ワインとは。実はボルドーの赤ワインをここで樽に入れて寝かせると独特の風味になっておいしいのだそう。
 夕食は「船員組合の家」というハンザ時代の船員たちの会を改装したレストランで、サーモンのプフェファリンゲン(キノコ)・ソースとロートシュポン。ここも屋根が階段状の破風になっていて、てっぺんには帆船の飾りがあり、玄関上にも帆船の絵がある立派な建物。1535という年号が見える。往時の船員は裕福だったのだろうと思わせる。内部はちょっと暗かったが、天井から船の模型がいくつもぶらさがっていたり、ベンチの飾りが船首に模してあったりと、船をモチーフにしたインテリアになっている。(ここは個別のテーブルと椅子ではなく、大きなテーブルを囲むようなベンチに座るビアホール風のスタイル。)団体客があったこともあって、かなり混んでいたが、何とか座ることができた。料理はおいしかったのだが、ちょっとタバコの煙が気になった。ドイツでは禁煙・嫌煙運動があまり盛んではないらしく、レストランも禁煙席・喫煙席が分かれていない所がほとんど。道を歩く人たちもかなり多くの人がタバコをくわえている感じ。日本で禁煙席に慣れている身には、久々にちょっと煙いなという気がした。そういえば、ドイツは環境先進国でゴミの分別もかなり細かいという話も聞いていたのに、デュッセルドルフでは分別一切なしだそうだし、タバコといいゴミといい、必ずしも進んでいるわけではないようだ。本日の走行距離170km。



  北ドイツ・ドライブ旅行 part 2



  Photographs from North Germany

  Photographs from North Germany part 2

  Photographs from North Germany part 3




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