逆転移の定義

 平木氏によれば、逆転移(もしくは対抗感情転移)を、クライエントの転移感情に対してカウンセラーが私的感情を持つこと、と定義することができ、さらに、氏の説明に従えば、次のように要約できる。

 「逆転移は初心のカウンセラーか、自分自身が転移を起すような問題を持っているカウンセラーが起しやすいといわれる」。

 「例えば、実父に反感を持っている母親が、カウンセラーの言動に反感を示したとき、もしカウンセラーもクライエントに腹を立て、クライエントを嫌いになったり、反発したくなるならば、それは逆転移である。同じように、クライエントが、カウンセラーのやさしさに感動して、好感を示したとき、カウンセラーの方もクライエントに個人的な好意の感情を持つならば、それも逆転移である」。

 「カウンセラーといえども人間であるのでこのような感情からいつも自由であるわけではない。しかし、逆転移を起こしたということは、カウンセラーが自分の問題のためにクライエントに巻き込まれているわけであり、相手を援助することが難しくなる。しかし、このようなとき「自分の気持ちに気づいている」カウンセラーならば、少なくとも混乱が起こっていることがわかり、感情に振り回された無意識な言動はしないように心がけることができるだろう」(平木、101頁)。

 また、国分氏は次のように説明している。

 「来談者の言動に刺激されてカウンセラーが自分の私的感情を出すことを対抗感情転移という。学力に自信のない教師が学生に質問されたとき、何か自分が馬鹿にされたように思って怒る場合、父に恐怖を持つカウンセラーが年上の来談者に気合負けして、言いたいことも言えなくなる場合、愛に飢えているカウンセラーが異性の来談者に必要以上に親切になる場合、などがその例である」。

 「対抗感情転移とは、いわば「巻き込まれた」状態である。一度巻き込まれると、アバタがエクボに見え、枯尾花がお化けにみえてくるので相手を援助できなくなる。見るべきものが見えなくなるからである」(1979、105頁)。

 以上、両氏の指摘からも明らかだが、転移と同様逆転移も、治療のプロセスという、いわば、人工的にその目的と枠組やルールが設定されたコミュニケーションの場で出現する現象である。

 そしてその感情は、転移と同様「的外れ」なものであり、治療者・カウンセラーはそのような感情に自分が振り回されてはならないのである。

 もちろんそれは、患者・クライエントの不利益をもたらさないためである。河合氏は、逆転移の危険性について、次のように指摘している。

 「カウンセラーは、しばしば自分自身がクライエントに対して転移を起している場合があります。これを逆転移といったり対向転移といったりします。カウンセラーに甘い考えがある場合は、どうしても、そういう気持ちを持ってしまいます」。

 「あるいは、カウンセラーが自分の父親とか、母親の大きい問題を持ちながら解決をしていない場合、たとえば母親との結びつきが非常に大きくて、離れることができなくて苦労しているカウンセラーがいますと、それに似た問題を持ってきたクライエントがいると、クライエントの言うことがよく分かる」。

 「ところが、わかりすぎて自分の問題とクライエントの問題とが一緒にくっついてしまう」。

 「そして、同情してしまって問題から立ち上がっていく力がなくなってしまう」。

 「あるいは、クライエントが他の問題で来ても、すぐに母親の問題であるかのよう思ってしまうということもあります。これを逆転移といいます」。

 「あるいは、クライエントがある程度カウンセラーに恋愛感情に似たものを持つということがあったとしても、カウンセラーの方までもクライエントに感じてしまうという場合、それは、明らかな逆転移です」(河合、pp.214-15)。

 つまり、逆転移は、起きてしまえば、転移と同様かそれ以上に治療・カウンセリングに有害な側面を持つ。

 ただし、逆転移の感情については、転移と同様のことが言えるのであるが、全くない方がいいというわけでもない。

 例えば平木氏は、次のように述べている。

 「この感情は確かにカウンセラー自身が起している感情であるが、そのクライエントに対して多くの人が持つ感情である可能性もある」。

 「カウンセラーが逆転移の感情に気づいたとき、それについてクライエントと話し合うことができれば、カウンセラーの逆転移の感情を利用した援助の道が開けるかもしれない」(平木、101-102頁)。

 この、「逆転移の感情を利用した援助の道が開ける」場合の例としては、河合氏の挙げる以下の事例がある(河合、pp.216-18)。

 「私が精神薄弱の子供を持ったお母さんに長い間カウンセリングをしていたことがあります」。

 「そのお母さんと話しているうちに私の方がかっとしてしまって、「どうしてうちの子だけが阿呆(あほう)に生まれなければならなかったか。考えてみれば、私も悪いことをしていない。主人も悪いことをしていない。われわれが、そんな無茶をしたこともないのになぜうちの子が精薄に生まれねばならなかったのか。もっと悪いことをした人の子供でも普通の人、あるいは、普通以上の子供を持っている。もし人間世界に精薄の子が何人か生まれなければならないということがあったにしても、なぜ私たちが引き受けねばならないか。何と不公平な世の中だ」といいました」。

 「そうすると、そのクライエントである母親が慰めてくれまして、「先生、私は精薄の子を持ったことによって、どれだけすばらしい人生を送ったかわからない。こういう子を持ったために他の母親が経験しなかったような、母親であることの深い体験をした。あるいは、他人より能力の低い子を持つという負い目を持って生きてきただけ、私は他の人の心がはるかに分かる人間になりました」といわれました」。

 「ところが、これは考えてみますと歎く者と慰める者の立場が全く主客転倒してしまっています。こういう事柄が長いカウンセリングをしていますと「いま」という時におこります」。

 「これは意識的にやろうとしてもできるものではありません」。

 「けれども、長い間二人であっていくうちに、とうとうその人が持ち続けていた精薄の子をなぜ自分だけが持たなければならないかといった怒りや悲しみが私の心の中から本物となって流れてきます。それを聞いて初めてこの人は精薄の子を持った「意味」を自分の体験として語るということが生じてきます」。

 「私たちは、時に、こういうような全く主客転倒したような、あるいはカウンセラーとクライエントの二人の中に、ひとつの問題がわき起こって来るような体験をさせられます。どこまでがカウンセラーで、どこまでがクライエントかわからないということが生じるのです」。(河合、pp.216-17)

 以上見てきたように、転移と逆転移は、治療・カウンセリングの場で起きる現象であり、治療者・カウンセラーはこれに対して対応していかねばならない。

 しかし、河合氏は、転移はない方がよい、もしくは、起こらない方が治療がやりやすいと述べている。

 なぜなら、転移が起これば放置するわけにいかないが、それを取り扱うことは、極めて困難であり、「よほどのカウンセラーが体験と訓練をつんでいなければできないこと」 だからである。

  そして、転移が起きた場合、「激しい愛憎の感情が生じ、それは、しばしば恋愛感情とよく似てきますので取り扱いが非常にむずかしくなります」。

 「そういうことが起こってきたときに、それを受け入れたらよいということを言いますが、なかなか、クライエントがカウンセラーに対してもっている恋愛感情を受け入れるということは大変なことです」。

 「反面、拒絶してしまうとクライエントとの関係が絶たれることになる。受け入れるとこちらの命が危なくなるというわけで難しくなります」(211頁)。

 したがって、転移が起きれば、治療者・カウンセラーは困難な状況に直面することになるのである。

 このように治療者・カウンセラー側は、転移や逆転移といった、時として激しい、治療者側と患者側の双方で起きる感情の波、あるいは、それに伴って患者から治療者に対して向けられる感情のこもった激しい言葉や態度に対面しなければならない。

 その場合、治療者・カウンセラーは、治療・カウンセリングの進展どころか、治療・カウンセリングそのものが危機に瀕していることを自覚しなければならない。

 とはいえ、精神療法は、そのような激しい感情の動きによって、治療の進展が妨げられないために、治療構造というものを事前に設定し、その構造の枠組を遵守しながら治療をすすめていくことを基本とする治療技法であることは周知の事柄である。

 この治療構造を維持することにより、治療者は治療を進展させることが可能となるのである。この点について、以下治療構造で見ていきたい。
付記:転移・逆転移に関する、きわめて一般的な定義

鑪 幹八郎(たたら みきはちろう)

「1 精神分析療法 1・5 転移・逆転移の解釈と分析」『心理面接学』垣内出版株式会社、1993年、144-146頁も参考となる。以下その内容を要約する。

 転移とは、治療者に対してクライエントが理想像(「陽性転移」)やネガティヴな像 (「陰性転移」)を投影することであり、治療関係が、現実と幻想とが入り交じった 状態に陥ることである。

 逆転移は、これとは逆で、治療者から、同様の反応が生じることをいう。陽性転移の中に、「恋愛転移」がある。

 転移は強い情動体験であるから、治療者も平静ではいられない。

 その際には、
治療者は、内面に関する深い洞察を行う。

 しかし、治療者が、内的に問題を処理できない場合、治療者の立場を忘れて 反応することなどによって、治療を破壊的にしてしまうことになる。

 このような破壊的な治療関係が起きないようにするために、治療者は、 情動に対する耐性をある程度持っていることが必要である。

 そのために、精神分析の草創期から、治療者たちは、自分自身に対する分析を 受けることが義務づけられてきたのである
(「1・7・2 治療者の内的統制」148頁を参照)。
付記2:
 カウンセラーのための入門書、氏原寛『カウンセリングの実践』誠信書房、 昭和60年(1985年:第1版)、昭和62年(1987年:第3版)における、 「第五章 共感的理解 第六節 転移と逆転移」において、氏原氏は、要約すれば 次のように述べている。

 「転移」とは、クライエントがカウンセラーに、「不当な期待を持つこと」である。

 このような期待を、カウンセラーが、クライエントに示す「好意」によって触発する かもしれないし、あるいは、そういった好意自体が、クライエントの感情によって カウンセラーに生じた逆転移だということもできる。

 しかし、クライエント側の好意に対する感受性を持つべきであるし、これは重要である。

 ただし、カウンセラーが、たとえば、クライエントの親のような役割を演じるとしても、 それはあくまでも治療関係の枠内に限られる、ということを十分わきまえる必要 がある。

 とはいえ、「役割」を演ずる場合、戦略や筋書きを立てた上で実行する必要がある。

 このような構想がなければ、関係は「私的なレベルに流れ、もはや職業的な 助力を提供できなくなる」のである。

 私的なものは、情愛のこもった関係であれば、治療的には有効だが、 カウンセラーの提供すべきサービスは、そのような私的なものではない。

 以上述べたことを忘れると、「形の上では職業的な関係が保たれながら、 実際には私的な関係に落ち込んでしまっていることが多い」。

 この場合、最悪のケースは、カウンセラーがクライエントを「食いもの」にする ことである。

 こうなると、面接は、カウンセラーの「楽しみ」を優先するものとなってしまう。

 以上が、逆転移が望ましくないケースである。

文献目録

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