治療構造の設定と転移・逆転移

 精神科医であり臨床心理士である成田善弘氏は、治療構造について、まず次のように述べている。

「精神療法を開始するにあたって、治療者は治療者・患者関係のあり方を説明し、面接の場所、頻度、時間を約束しなければならない。これが治療構造の設定である」。

「この治療構造には、それがかえって面接を豊かにしうるという積極的な面と、治療者と患者双方を保護するという消極的な面の両面がある」。

「経験を重ねるうちに、構造の持つこの保護機能のありがたさが実感されてくる。そして同時に、積極的な面をよりよく生かすことができるようになる」(成田、2000年、p.22)。

 では、ここで言われている治療者・患者関係のあり方、とはいかなるものか。

 「多くの場合、治療者と患者は初対面である。両者の間に関係が成立するのは、一方が対人関係や情緒面に問題を持っていてその解決のために援助を求め、他方がその期待に応えうる専門家とみなされているからである」。

 「精神療法の過程で二人の間にさまざまな出来事が起こり、濃密な感情交流が生じてくると、このあたりまえのことが忘れられてしまうことがある」。

 「二人の関係が錯綜としてきた場合、いま一度この出発点に立ち帰ってその関係を見直してみる必要がある」。

 「二人の間にどれほど濃密な関係ができようとも、それが患者自身による患者の問題解決に資するものでなければ、それは治療関係とはいえない」。

 「患者自身による問題解決を促し援助するという治療者の役割を超えた関係は」、「少なくとも治療者の意図し目的とするところではない」。

 「関係を治療的たらしめるには、治療者と患者が互いにその役割をはっきりさせ、それを守ることが必要である」(成田、200年、pp.17-18) 。

 つまり、治療者は、自分と患者との関係を、常に患者自身による問題解決を促し援助する、という目的にそって構築しなければならない。

 そのような治療者と患者との関係とは、具体的にはどのようなものであるか。成田氏は次のように述べている。

 「患者が心を開き秘密を語るのは、必ずしも関係が親密になるからではない」。

 「治療者と患者の役割がはっきりするからこそである。つまり、治療者は患者のことをわかろうと努め、かつ患者自身による問題解決を援助しようとしているだけで、それ以上に患者を個人的に愛したり、憎んだり、利用したりしないということが患者にはっきりわかってくるからこそである」と(成田、2000、pp.18-19)。

 また、成田氏は、土居健郎氏の次のような言葉を引用している。

 「治療者が患者にとって個人的利害得失の上で無関係であるゆえに、患者は安心して通常は外に出さない赤裸々な自分の姿を治療者に示すことができる」(土居健郎『精神療法と精神分析』金剛出版、1961年)。

 つまり、この関係を構築することにより、「患者が心を開き秘密を語っても基本的には変わらない、こういう安心感が得られる」のである(成田、2000、pp.18-19)。

 それゆえ、成田氏によれば、治療を目的とした精神療法は、必ず治療者と患者の関係の明確化が、まずもって必要なのである。

 以上のように、成田氏によれば、まず、治療者とは、「患者自身による問題解決を援助する」という役割に徹する者である。

 そして、それによってのみ、治療は可能なのである。

 なぜなら、そのような役割に徹している、ということにより、患者は日頃話せないような事柄でも、治療者の前で安心して話すのであり、それによってこそ、治療が進展するわけである。

 したがって、このような治療者と患者とのコミュニケーションは、日常的に行われているものとは異質であると言える。

 なぜなら、成田氏によれば、日常的な人間関係では、当事者は、口頭でのコミュニケーションで吐露される感情に影響を受け、何らかの形で変化するものであり、さらに、当事者の関係もまた変化しうるものである。

 だが、精神療法の場では、いかなる感情が吐露されようとも、治療者と患者であるという基本的枠組が変化しないのである(成田、2000、p.19)。

 つまり、このような関係は、非日常的であり、だからこそ、医療行為が可能な関係なのである。

 それゆえ、このような治療者と患者との枠組を構築することが極めて重要なのである。

 そのために治療者が守るべき事柄は、まずもって、治療者・患者関係(非日常的関係)と、現実の日常的関係の混乱が生じないようにすることである(成田、2000、p.20)。

 つまり、いわゆる公私混同が起きる危険性を避ける、という意味である。

 したがって、成田氏によれば、まず、治療者と患者は初対面の方がよい。

 また、自分の親類、友人、上司、同僚、その家族といった人たちを患者として引き受けるのは避けた方が良い。

 これは、先に述べた公私混同を避ける、ということ以外にも、治療者の側にその患者をぜひ治さなくてはならない、という負担がかかったり、気負いが生じたりして、治療関係が歪んだものになりやすい、という点からも、避けねばならないのである(成田、2000、p.20)。

 このような点を、慶応大学医学部教授である小此木啓吾氏は、次のようなかたちでまとめている。

 「医療スタッフは「医療スタッフとしての分別」をわきまえ、患者との間に適度の心的距離を保ち、私生活的な面での接触を避け、患者との心理的なれあいに陥らぬよう、社会的役割関係からの些少な逸脱にも慎重な態度をとるべきである」。

 「特に、心理学的な機能が活発になればなるほど、この種の慎重かつ分別ある態度が望ましい」(小此木、1998、52-53頁)。

 他方、治療者は、そのような、いわば公私混同をおこさないためにも、患者とは原則として「治療場面(面接室で、定まった時間に)以外には会わない方がよい」のである。

 たしかに、「患者の病態によっては、面接室以外で会ったり行動を共にしたりが必要な場合」もあるかもしれないが、その場合は、「それが原則の逸脱であって危険を孕んでいることを十分承知した上で、そうすることが治療上本当に必要かどうかを常に問わなければならない」のである。

 こういった事柄と同じ理由から、「治療者のプライバシーはなるべくあからさまにしない方がよい」のである(成田、2000、p.20)。

 以上のような治療構造を設定して維持することは、実際に治療が開始されれば、困難な局面に遭遇することがある。

 なぜなら、治療構造における治療者-患者関係は、治療契約を媒介とした理性的で相互に自律した契約者間の関係であるにもかかわらず、いざ治療が開始され、転移や逆転移が起こった場合には、両者の関係が、あたかも変化したかに見えてくるからである。

 たとえば、転移が起きれば、すでに述べたように、患者が治療者に向けてくる感情には、治療者との現実的な関係以外に、患者の幼児期から現在に到る様々な人間関係や問題が反映されている。

 そのようにして患者側は、治療者に対して、「的外れな感情」を向けることにより、治療関係の持つ、理性的で現実的な性格を揺さぶるのである。

 他方、治療者の側が、患者の表出する感情に巻き込まれる場合、つまり逆転移をおこす場合、そして、患者との関係が、本来の理性的で現実的な関係であることを忘れそうになり、さらには、患者に対して恋愛感情を抱いたり、あるいは患者を憎悪したりすれば、治療構造は崩壊の危機に瀕する。

 これはまずもって、治療という患者の利益に資する医療行為の破壊を、治療者自らが生み出す危険性なのである。

 したがって、このような危機に直面した場合、治療者側は、一番最初に設定した治療構造を再確認しなければならない。

 その場合、治療者が担う役割とは次のようなものである。

「治療者の役割

1、依頼者に答えうる知識と技術を持つ(と想定される)専門家として患者の依頼を受け入れる。

2、治療構造を設定し、維持する。

3、患者に傾聴し、理解する。

4、理解したところを患者に言葉で伝達する。それによって患者を今一度患者のなかに差し戻す。

5、面接の仕事の中での治療者の分担を少しずつ少なくする。つまり治療者でなくなるよう努める。」

 他方、治療者は、患者に対して、患者の担うべき、次のような役割について、再度確認しなければならない。

「患者の役割

1、自身の問題の解決を求めて専門家に助力を依頼する(依頼者になる)。

2、治療構造を守る。

3、自分の内界を包み隠しなく言葉にする。

4、治療者の介入を受け入れて自分の言動の意味を理解できるようになる。
それによって自分の問題(不安や葛藤)を今一度自分の中に引き受ける。

5、自分の問題に自分で対処できるようになる。つまり、患者(依頼者)でなくなるように努める。」(成田、1997、238-9頁)

 以上のような枠組から治療者が逸脱する原因は、すでに述べたように、患者側が治療者に転移の感情を向けたときか、治療者が患者に対して逆転移の感情を向けたときである。

 したがって、治療者は患者の転移が起きない方が治療を進展しやすいのである。

 しかし、河合隼雄氏は、むしろ、治療者(カウンセラー)が患者(クライエント)の転移を誘発させる場合もあると、次のように指摘している

 「まるで転移を起させるようにしているカウンセラー」がいる。

 「知らぬ間に転移を起させる」カウンセラーは、たとえば、約束の時間より長くクライエントが話し込んだりする。

 これにより、転移が強められると河合氏は警告する。それは、以下のような理由からであると氏は説明する。

 まず、クライエントは本来自律的であることが要請されている。

 これは成田氏が述べているように、精神療法における治療構造が患者に要請するものと全く同じである。

 しかし、河合氏は、クライエントにとってこれはきわめて厳しい要請であると述べている。

 それはおそらく、クライエント(患者)が、菅氏の表現するところの「砂漠の旅人」であるからであろう。

 他方、カウンセラーは、たとえクライエントが自分の母親を憎いといっても、殺したいといっても、その話を聞く。

 そこで次第にクライエントは、カウンセラーがクライエントのことを、クライエントとしてというよりは、個人として、カウンセラーにとって重要な存在であるはずだと考えるようになる。

 治療構造という点から言えば、そのようなことはありえない。

 しかし、患者はそのように考え、この点を治療者に確認したいという欲求を抱く。

 それにもかかわらず、通常、患者はそのようなことをあからさまに治療者に対して聞くことができない。

 そこで、時間や場所の制限を越えて治療者が面接してくれるかを試すことになる。

 「クライエントがカウンセラーとの約束をほんの少し曲げてでも私のためにしてくれるかということに敏感になります」。

 「この時に、カウンセラーが不用意にクライエントの動きにのってしまうと、クライエントはカウンセラーが自分のために何もかも尽くしてくれる人だと思い込むような強い転移感情を持ってしまうのです」(河合)。

 このような、転移を誘発したり強化したりする行為が、どのようなかたちで
患者の不利益をもたらすのか。以下転移の危険性で、この点について見ていく。

参考文献
精神科医を訴えるTop

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