臨床現場で見られる転移

  治療者・カウンセラーに対する依存が高まった段階で出現 する転移については、すでに見た。

 ここではさらに、転移についての、専門家の見解をみていこう。


 まず、臨床心理士の平木氏は、転移について、次のように説明している。


 「転移感情にはプラスのものとマイナスのものがあり、プラスの感情を陽性転移、 マイナスの感情を陰性転移と呼ぶ」。

 「陽性転移は、クライエントがカウンセラーに対して愛着や恋愛感情にも似た 感情を持つこと」で、「この世の中でカウンセラーほど私のことをわかってくれる人は いない。この人なしには私はやっていけない」といった気持ちになり、カウンセラー を一人占めしたくなるようなことを言う」。

 「カウンセラーはクライエントの気持や考えをありのままに理解し、受け入れ、 心の深いところで対応してくれるので、クライエント にとってこれまで出会ったことのないすばらしい人、失いたくない人にみえるのは ある意味では当然である」。

 「そうなると、カウンセラーに会うことは、心うきうきする ような楽しみになり、カウンセリングには積極的になるが、カウンセラーの個人的 なことにも関心が向き、次のカウンセリングが待ち遠しくなる」。

 「陽性転移はカウンセラーに対する非常に積極的な気持ちであり、クライエントに とってはごく自然で、カウンセラーに対するよい感情として体験され、表現される」。

 「クライエントは、当然の見返りとして、カウンセラーも積極的な気持を返してくれると
期待したり、思い込んだりする」(平木、98-99頁)。

 以上のように、陽性の転移が起きると、患者側は、治療者への依存心を強めた、 特殊な精神状態へと移行することになる。

 しかし平木氏によれば、「カウンセラーは、温かい、積極的な気持ちは維持しながらも、 カウンセリングの目的にそって、冷静に援助者としての役割で対応する」。

 そのため、それは患者側にとっては「必ずしも望んでいる反応とは限らず、 物足りない」のである。

 平木氏によれば、このような精神状態に移行した場合、患者の側に、 陰性の転移が起こることがある。この点について平木氏は次のように説明している。

 「陰性転移とは、自分の思い通りにならないカウンセラーや、カウンセラーに 反発を覚えたり、カウンセラーの言動を腹立たしく思うようになることである」。

 「黙り込んだり、文句を言ったり、カウンセラーが嫌がることをしたり、直接、 間接に「抵抗」を示すようになる」(平木、99頁)。

 この「抵抗」には、国分氏が挙げる次のような例がある。

 「何回面接しても症状の訴えを繰り返すだけの青年がいた」。

 「やがてわかった
ことは、この青年は思春期になって父が籍に入れていないことを知った」。

 「父にだまされていたというのである。それゆえ私に対しても不信感があり、 自己が開けないのだと告白した。この感情転移が明らかになってからは 症状の訴えを繰り返さなくなった」。

 この場合、治療者である国分氏に対して、患者である青年は、父親に対する 怒りの感情の転移、つまり、治療者にとっては陰性の転移をおこしていたという ことになる。

 したがって、このような転移があるときに患者は、自己の内面を治療者に対して 明らかにできないまま、症状を訴えることを繰り返す。

 こうして、治療が進展しないのである。こういった、治療の進展を妨げる患者の 無意識の心の動きを、「抵抗」と呼ぶのである。

 以上のような場合、治療者・カウンセラーは、いかなる枠組の中で対応して いくべきなのか。

 菅氏は、とくに陽性の強い転移が出現したばあいについて、
次のように述べている。

 「人間は誰しも、実生活の中でオアシスに出会うことを求めている。オアシスに 恵まれている人々は、そもそも心理療法など必要としないことが多いので、 セラピストのまえに姿を現すこともないかもしれない」。

 「クライエントとして訪れる人々は、さまざまな事情でオアシスに出会えて いない人であるといってもよいだろう」。

「様々な「事情」のうちで、
本人の内面的な要因によるところ(部分)を取り扱うのがセラピストの仕事である」。

 「それはその人の実生活という否応なしの表舞台の影にある、密かな 「練習場」兼「休憩所」のようなものであろう」。

 「表舞台でどうにもうまくゆかなくなったとき、人はその練習場兼休憩所で リフレッシュし、これまでの自分のあり方とか生き方を点検し、体勢を立て 直すわけである。ひとりでしばしの休憩を取るだけでそれができる人もあろう」。

 「自分ひとりの力ではそれができないとき、援助のコツを心得たセラピスト という専門職の協力が必要となってくる」。

 「かりに、セラピストという練習場の
主との人間関係が、かつてないほど安らぎに満ちたものであったとしても、 それは実人生で自らの力でであったオアシスではないのである」。

 「クライエントは、
かならず実人生という表舞台に戻り、まえよりも上手にオアシスに出会えるよう にならなければ仕方がないのである。それが生きるということであろう」(菅、54頁)。

 つまり、治療・カウンセリングの場は、オアシス、すなわち、愛情をとめども なく与えられる場ではなく、それを探すための訓練をする場、支障なく社会生 活を送るための訓練の場であり、治療者・カウンセラーから、とめどもない 愛情を与えられる場ではない。

 臨床心理士も精神科医も、通常は、このような
前提にたって治療・カウンセリングを行っている。

 しかしながら、治療者・カウンセラー側のこういった態度、つまり、一方で あたかも「オアシス」であるかのように見える「休憩所」を提供し、 他方では、それとは異なる「訓練所」という場を提供するという態度が、 陽性から陰性への転移の変化、さらにはその変化のゆれ戻し、こういった 動きの繰り返し、という、患者の転移の感情の波をつくりだすことにもなる。

 ただし、治療の場では、治療者の側にも、患者の感情に反応するなどして、 通常、「逆転移」、もしくは「対抗感情転移」と呼ばれる現象が起きる。

 これもまた、
フロイトの時代以来今日に到るまで、精神療法・心理療法においては重要な 分析の対象である。これについて、以下逆転移の定義で見ていきたい。
文献目録

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