文化人類学的認知度


他の解釈が存在するのでしょうか?

ふっちー氏(ハカセ)

まず、ある意味、驚くべきことから報告せねばなるまい。

今回の調査において、「『ネコまんま』ってなんだ?」という問い合わせが1件もないのである。
もちろん

え……それは「人間が食べる,『猫のエサ』のような」食べ物のことですか?
それとも,ほんとに猫が食べるものですか?

VTEC氏(こーむ員)

というような「念のため」の問いかけはあったが、それでも「そんなもの、知らない」と言う方は皆無であった。
それだけ人口に膾炙しているのか、「ネコまんま」。

しかしながら、次のような回答が多かったのも事実である。

 

かつをぶしをぶっ掛けた醤油ご飯ですな、わたくしの場合。
いやあ。わたくし的にはあくまでかつをぶしなので。猫=かつを。基本です(爆)
ほかになにがあるのですか?
(「味噌汁」説を知って)
えー。そんなの猫飯じゃないよう。
かつをぶしの方は、猫=魚好きという理由付けが可能ですけど、味噌汁では。

めぐむ氏(Studio Media代表)

 

あとは思い浮かばないです

ひまわり氏(はの0号)

 

ねこまんまとは「ごはんに味噌汁をかけたもの」です。
ずっと25年間、そう信じて生きてきました。
お隣の和歌山県有田市の女性もそのように言っております。
だから絶対正しい!

みちる氏(こーむ員)

 

「ネコまんま」をどちらか1つしか知らない、という被験者が極めて多かったのである。しかも頑固である。

次のグラフをご参考までに。

2002/05/11 現在

ところが2つとも知っている(そう思われる)方の意見も注目すべきである。

「ネコまんま」というのは、ご飯の上にかつぶしをのせ、醤油をかけた物のことを言うのです。議論の余地無し!

Izumi氏(ネコまんま研究会 会長)

 

さいですなぁ、ベタなトコで行くと『かつぶしかけゴハン』ですかなぁ。
#あ、おツユかけゴハンもネコまんまって言うかも

こい氏(こーむ員)

 

もうひとつは何が出ている?<ねこまんま
うむ。やはりか<みそしる。
あれはうまいが、ねこのくいものではない。

日高トモキチ氏(漫画家)

 

研究所からの質問は「あなたにとっての『ネコまんま』は?」であった。
複数のネコまんまの存在を知りつつも、無意識に取捨選択してしまうものなのか。

最も中立に近い回答は次のとおりである。

田代家では、私が幼少のころから『みそ汁ぶっかけご飯』を指してそう呼ばれておりました。
 
ただ、学校に行くようになってから、世間では『かつをぶしマゼマゼ、オカカごはん』の事も ねこまんまと呼ばれるという事を知りました。
よって、どちらも『ねこまんま』と認識しておりますが、どちらか一方に決めろとおっしゃられるなら田代家の伝統を守り『みそ汁ぶっかけ派』に一票投じさせていただきたく存じます。

田代哲也氏(漫画家)

「ネコまんま」である。ネコである。
ネコらしいフレキシブルさを人間も
見習うべきときなのではないだろうか。

それとも、

幼少の頃、「ネコまんま」とは「みそ汁ぶっかけご飯」を指すモノでした。
んが、学校に行くようになって、
「世間様ではかつお節をかけたご飯を『ネコまんま』と呼ぶらしい」
と、なんとなくラーニング致しました。

ここまでだと「田代哲也さまの回答と変わんねーじゃん」と思われる方もおられましょうが、自分はその後、
「あ、かつお節ご飯のことを『ネコまんま』って言うのね。自分もそうしよ
と、あっさりと拙宅の伝統をひっくり返してしまったのでした。
故に「ネコまんま=かつお節ご飯」です。

キーオ氏(クリエイター)

自分再発見を大事にするべきなのか・・・・

 

「2つとも知ってはいるが・・・・」
とことわった上で

ねこまんま=かつおぶしごはんです。
味噌汁をかけるのは、「しるかけご飯」です。
ねこまんまなんていいません!絶対!!

ひろさん氏(凄い問題意識保持者)

断固としている・・・・

次のような大論文も届いた。

私の家でねこまんまと言へば、それはかつおぶしご飯のことでありました。
そしてそれは食してはならぬもの、とされておりました。
現在に至るまで私はねこまんまを食したことがございません。

なお、味噌汁ぶっかけご飯につきましては汁かけ飯と称し、農繁期には毎日のように昼食として食卓に上ったものでございます。
無論、現在の如く保温機能を持った炊飯器なぞございませんから、冷や飯に暖めなおした味噌汁をぶっかけるだけといふ、きわめてシンプルな食べ物でありました。

つけ加へますと、私どもの家庭では、汁かけ飯を食す際、つけあわせとして長ねぎを丸かじり、或いは大蒜を生のまま丸かじりし、その辛味をも同時に楽しんだものでございます。
その種類はラッキョウ・あさつき・野蒜など多種に及びましたが、なぜか翌日学校で嫌われるハメになるのがつろうございました(涙)

私どもの家庭では汁かけ飯と言ふ場合、必ず味噌汁ぶっかけご飯を指したものでございます。味噌汁以外の汁がかかる場合、それらには全て名前がございませんでした。いわゆるタレかけ飯の場合ですら、あえて名前をつけることはなかったのでございます。

このことから察するに、汁かけ飯とは単に汁をかけた飯ではない、何か特別な意味を持つ食物ではなかったのではないか、と。
いえ、決して小学生のとき「ニンニク男」などと言ふ有難くないニックネームを頂戴していた悔しさを紛らす為に申しているのではございません(汗)。

斎藤道三は、陣中において長男義竜が自分の飯に味噌汁をかけて掻き込み、汁の量が足りぬと知るや更に味噌汁をかけるのを見るに至って「嗚呼、斎藤家もこれで終わりか」と嘆いたそうでございます。
自分が掻っ込む為に必要な味噌汁の量も測れぬ男に、なんで自国を治めることができようか、と。事実、斎藤義竜は織田信長によって殺されております。

ことほどさように味噌汁ぶっかけご飯は歴史に影響を与へてきました。
「汁かけ飯」の称号を独占できる所以です。
ねこのメシたる「ねこまんま」とは出自が違うのでございます。
つけあわせにニンニクを丸かじりにし、その結果子供が翌日学校でいぢめられようとも、汁かけ飯は汁かけ飯として常住坐臥、そこにあるのでございます。けして「ねこまんま」としてではなく。

私の家では汁かけ飯(またはそれに類するもの)を食す場合、まずご飯を汁椀によそい、その上に汁をぶっかけるのがしきたりでした。
その理由としては、汁碗の方が茶碗で食すよりも圧倒的に食べやすいことが挙げられます。

が、それより何より「汁かけ飯」を語るにおいて忘れてはならないことがございます。それは、「汁かけ飯とは、メシをかっ込む為に編み出された食事の方法である」といふことでございます。
この場合何よりも優先されるべきことは、如何に速くメシをかっ込むことができるか、といふ点でありましょう。使用する碗の選択に始まり、汁かけ飯として完成された際の温度、その量、はてはぶっかける味噌汁の具の種類に至るまで、全てはメシを素早くかっ込むといふ一義の為に存在するのでございます。

従いまして、熱々のご飯に熱々のお茶をかける「料理屋のお茶漬け」などといふものは論外であります。私かの永○園のお茶漬けを食す場合、ご飯が熱々ならば水を、冷や飯ならば熱湯を使用致します。
また「牛丼大盛りつゆだくで♪」なぞ、もってのほかでございます。
如何に優れた食事であろうとも、つゆはあくまでもかっ込む為に必要な最小限の量でなければなりません。だくだくのつゆでは、「かっ込む」と言ふより「流し込む」になってしまいます。それらは全て「汁かけ飯」の定義とは違う、別の食べ物であると私は認識しております。


以上、汁かけ飯に関して一家言を持つ者として発言させて頂きました。
御静聴ありがとうございました

松雪剣太郎氏(パレスチナゲリラ)

 

「ネコまんま」はかつおぶしだがヒトの食うべきものではない、味噌汁ぶっかけご飯は他の汁かけ飯と違い神聖にして侵すべからざるもの。
歴史的見地に立ったネコまんま界の「極右論」とも言える。

あれ?極右?

「汁かけ飯」ファンは多い。

うち(茨城県中部)では、ネコまんまは「かつぶしごはん」でしたが、「味噌汁ぶっかけ」をネコまんまと言っていた友達もいました。
ところが、うちには別に、決してネコまんまと称されることがないのみならず、冬の風物詩として定着していた「味噌汁ぶっかけ飯」がありました。
具は根深ネギ
味噌汁は濃いめに、さらにみりんも加えて味を濃厚に仕立てます。
そして、その鍋を食卓のまん中に置き、家族全員でお玉ですくい、御飯にかけて食するのです。
濃厚な汁が御飯にしみて、非常にうまいです。
こういう家庭料理、他にもあるのでしょうか?

ののまる氏(日本語教師)

ふと、「深川めし」を思い出してしまった。

両方を食する方の中に、このような意見もある。

うちの「ねこまんま」も「かつおぶしかけごはん」でした。
しかしごはんの温度、かつおぶしを別容器につくるなどはこだわりがなく、ごはんとかつおぶしが一緒ならなんでもよい!ってことみたいです。
個人的には醤油は外せないと思っていますが、親は醤油なしで食べていました。二人ともかつおぶしです。生粋のかつおぶしの中で育ったのでやはりかつおぶし派になりました。
「味噌汁かけごはん」についてはやはり「かけごはん」であり、「ねこまんま」ではないようです。

ただし、ねこまんまは混ぜるのが面倒なので比率的にはねこまんま2に対して、かけごはん8の割合で食してます。
だってかけごはんならかけたらもう混ざってるわけで、楽じゃないですか(笑)

いま思ったんですが、ねこまんまって混ぜて食べますよね?
かつおぶし層とごはん層が分かれた状態で口に運びませんよね?
カレーライスを混ぜて食べるか否かと似ているんですけど・・・・

えごら氏

見る前に飛べ。
考える前に食え。
それも楽して食え。

ということ。

 

次のような家庭環境もある。

ネコまんまって言うのはは味噌汁かけご飯ですけどね。
わたしの家では、かつおぶしにお醤油かけたのをご飯に乗っけて食べてもなにも言われなかったけど、ご飯にお味噌汁かけて食べると「行儀が悪いっ」っていっつも叱られましたよ。

かねぴぃ氏(こーむ員)

「ネコまんま」と命名されただけで
突然、品性がなくなる、とはどういう現象であろうか?

そして・・・・
松雪論にも匹敵する熱き提言が今!

 古来より日本では「ネコ」と言う動物はあまり良い表現には用いられませんでした。「ネコをかぶる」、「ねこばば」等はその最たる物。他に「ネコの目」「ネコの額」「猫背」「ネコの手」等々、どれもマイナスイメージの物ばかりです。手許の辞書を見るに、「イヌ」に関して慣用句に用いられるケースは「ネコ」程多くは在りませんでした(マイナスイメージを伴う物は「手先」と言う意味合いの「イヌ」、「犬死に」、「犬畜生」の3つだけ)。どちらにせよ、日常生活の上で身近な動物であった以上、当然と言えば当然でしょう。もしこれでインドの牛等のような信仰の対象であったり、キリスト教圏の蛇などのように、宗教上忌み嫌われていたら、このように、「日常生活におけるマイナスイメージ」を背負わされる事は無かったでしょう。

 さて、「イヌ飯」「ネコ飯」に関してであります。呼び方・バリエーションはまちまちでありますが、一般的には以下のような特徴を持ちます。
  1. 温度、固さ、調理後の経過時間などは多種多様であるが、基盤は白飯である事。
  2. 基本的に味噌汁・かつお節の2大副菜の内、片方を伴う事。
  3. 料理との認識はされないが、それぞれ飯と味噌汁、飯とかつお節を別々に摂取する事は無い。
    「食材を加工して、摂取する事、もしくは物」という意味合いに於いては「料理」よんでも差し支えない。
  4. マイナスイメージを伴い、時に戒めの対象となる。
  5. 個人ごとの認識は多種多様であり、おそらく特定する事は不可能である。

 ここから先はあくまで私なりの推察でありますが、おそらくこれが「イヌ飯」「ネコ飯」の真実の姿であります。
 古来この種の料理は各位からの報告にあった通り、繁忙時等に急いでいる時に食べるものという認識が有りました。農繁期の農家の例、戦国時代の例にも有る通り、そのステータスは現代における駅の立ち食いそば程度であったと考えられます。決してお上品な物では無いが、戦う(=働く)人々の胃袋を満たし続けて来た訳です。ところが昭和に入り、食生活の向上に伴う、いわゆる「おかず」の普及により、「イヌ飯」「ネコ飯」は影を潜めてゆきます。今までに無かった美味しいおかず、急いでかき込みたい時にはファーストフード(まさに駅の立ち食いそばはその代表)、そんな物が有りながら、わざわざ「イヌ飯」「ネコ飯」を選択するでしょうか?
 ところがそれでも「イヌ飯」「ネコ飯」は選択され続けて来ました。これらを選択した人々は経済的あるいは状況的にそれ以外の選択肢が非常に少なかったのかも知れません。だから、選択肢の広い人々(食生活に困らない、急いでかき込む必要も無い人々)からは『お行儀が悪い』などの評価を与えられる訳です。
 そう言った状況がさらに「イヌ飯」「ネコ飯」のステータスを著しくおとしめたかと考えられます。ですから、海外の異文化においても、そう言った状況下で摂取する、「異文化のイヌ飯」「異文化のネコ飯」は存在するのでは無いかと思うのです。しかし、これらは決して衰退する事は無いでしょう。それはなぜか?
 事日本人はお米の御飯に何かをかけて食べるのが好きです。かけないにせよ、口の中で混ぜ合わせる事を日々行っている訳です(依然何かの本に載っていました。『口中調理』と言うんだそうです。)
 どこの家庭にでも有る味噌汁、あるいはかつお節、中には醤油や味噌(個人的にはマヨネーズやバターも)等が、最も手軽に、かつ安価に『口中調理』を楽しむ為のアイテムであります。そんな物が常に身の回りにゴロゴロしている訳です。
 そしてここからが重要なのですが、「やってはいけない」と言われる事程やってみたくなるのが人の常。ましてやその行為が快感(この場合は食べる快感、味わう快感)を呼び起こす物だとしたら?日本人にとって欠かせない『口中調理』がそこにある。据え膳食わぬはなんとやら。
 そして日本人にとって「日常生活におけるマイナスイメージ」の具象化たる「イヌ」「ネコ」の名前が冠せられた、まさに「日本人の暗い欲望の一側面」が現れた料理が「イヌ飯」「ネコ飯」なのです。
 さらにリビドーは人それぞれであるように、この欲望は様々な形をとってあらわれます。その2大勢力が「味噌汁派」と「かつお節派」であります。しかし、広い意味に於いては各位の報告の通り、ラーメンの汁派、煮魚の残り派、そして先にあげた私的見解、マヨネーズ派やバター派も呼び名はともかく「イヌ飯」「ネコ飯」の一部である訳です。「sex」「まぐわい」「よるのいとなみ」等、呼び名はまちまち、またいわゆるノーマルから、アブノーマルまで、スタイルも様々な性行動。しかし、結局性的快感もしくは種族保存の欲求、さらに対人的愛情を求めた結果の現れには変わらないのと同様であると考えます。
 異文化においても同様であります。ある文化に属する人々の、根源的欲求が現れた料理が存在するはずなのです。

文化(=習慣)の違いこそあれ日本人が米の飯を捨て去らない限り、我々の欲求から「イヌ飯」「ネコ飯」は消え去る事は無いのです。

最後に私は声を大にして言いたい。

派閥党争より、団結を!
新世紀を迎えた今年、我々は伝統有る「イヌ飯」「ネコ飯」のスタイルを踏襲しつつ、また、古来日本に無かった生活習慣、ならびに海外の異文化との融合をはかりつつ、未知の可能性を秘めたこの食文化の未来を模索してゆくべきである!!

たか氏(神奈川在住、33歳男性、飲食業在勤)

熱い!燃えている!!
今、まさに「ネコまんま組合」が結成されるのか?
いよいよ真の「連立政権」か?
それは人間が、歴史が求めているものなのか!?

そしてついに・・・・
「あの人」が動いた!!

たいへんおもしろい高度な学術的研究を拝見し、これはいずれノーベル賞ものだろうね、ねこまんまの研究が完成したら、人類みなねこまんま兄弟で平和になるだろうと思ったのであります。
で、わたしもねこまんまについて執着があって、ついに1年半ほど前に『ぶっかけめしの悦楽』なる、みなさまのように真面目な学術的研究に励むひとたちが憤るフザケタ本を書いてしまった男なのです。

じつは、『散歩の達人』を見たとき、ねこまんまが味噌汁ぶっかけめしのことなので驚いて、ライターの方に会って話を聞きました。
すくないわたしの体験では、ねこまんまはめしにカツオ節と醤油をかけたもので、本にもそのように書いていたし、それしか知らなかったのです。
そのライターの方を問い詰めますと、彼は東京の下町、上野から浅草にかけての古い下町育ちで、その地域では昔からねこまんまといえば味噌汁ぶっかけめしのことだったといいました。だから、なぜじゃ、と問い詰めても、
自分には罪はないというような顔をして、昔からそうだったというだけなのです。たしか30歳ぐらいのかたです。
それなら、めしにカツオ節と醤油をかけたものはなんなのだ、と問い詰めると、やっぱり
自分には罪がないというような顔をして、そんなものに名前はない、というのです。
で、ほかの知り合いの下町育ちにもあたりましたら、確かに、古い下町の地域ではそのようなのです。
しかし、東京も山の手だと、ねこまんまはかつお節と醤油をかけたものと答えるひとが多いようなのです。
それでわたしは、しばらく一人で悩みました。そのころは、わたしパソコンを持っていなかったし、パソコンはごく最近買ったばかりで、60歳近いジジイになってからこんなもの覚えなきゃいけないなんて、と、この世をのろいながら覚えたばかりなのです。だから、このような研究室があるとは知らず一人で悩んでいました。
で、まえおきが長くなりましたが、わたしは、そのときこう考えたのですが、どうでしょうか、よくわからないのです。

つまり、これは、もしかすると、
昔のネコとイヌの分布に関係しているのではないか。
東京下町といえば、昔から畳一枚に二人三人が暮らすといわれたほどすごい密集地帯です、こんなところではイヌなど飼えるスペースはなかっただろう。そこへいくと、いまでも下町の貧乏人は金持ちになって山の手の広い邸宅に住みたいと思うやつがいるほど、山の手は広々としていてイヌを自由に飼えた、あるいは番犬用に飼っていた金持ちも多かったし、そもそも山の手というが農村地帯で農家が多かったのだからイヌも飼いやすかったであろう。
そういう背景があって、ネコとイヌと人間は
一緒に味噌汁ぶっかけめしをたべていたのに、ネコがたくさんいる地域ではねこめしということになり、イヌがたくさんいる地域ではいぬめしということになった。
どうです、かなり学術的見解だと思うんです。ところが、検証のしようがないのです。

アレッ、「ねこまんま」がいつのまにか「ねこめし」だけど、わたしはガキのころから「ねこめし」といっていたもんで。生まれも育ちも新潟県の山奥ですが。
それから、個人的には、こういう体験もあります。
わたしには、戦後の事情で一緒に育てられた6歳上の女のいとこがいまして、彼女はよくカツオ節と醤油をかけるねこめしをやっては母におこられていました。で、当時、化け猫騒動みたいな映画がよくありまして、それは決まって女が化け猫なのですね。それで女とネコとねこめしは関係がありそうだと思ったことがあります。彼女と一緒にねこめしをたべたわたしは、とても醤油の味の刺激が強すぎて、やっぱり味噌汁をかけたいぬめしのほうがいいや、女はやっぱりヒステリーだからああいう刺激の強いのがいいのだろうな、などと女についてわかりもしないガキのわたしは思ったものです。かなり女性心理生理学的学術であります。

そういうわけで、みなさまがたの学術が成果を上げられるよう祈っています。


ついでながら、わたしいま、ネコかイヌかのほかにも、ラーメンライスについて悩んでいまして、酒飲んで悪い酔いしそうなんです。関西から始まったという説が強力なんですが……わたしの実感ではちがうんです。あるいは、あの食べ方として、ラーメンの麺を食べてしまってから、スープにメシを入れてたべるのが正しいとか。関西ではうどん付の定食がありますが、あれはうどんをたべてしまってから、汁にめしを入れてたべるのが正しいのでしょうか。こういう悩みや疑問が、つぎつぎと湧いて、酒を飲みすぎてしまうのです。そもそもラーメンライスというのは文化人類学的には、どういうことになるのでしょうか。これはいぬめしなのでしょうか、ねこめしなのでしょうか。などなど。そのうち、ご検討いただければ幸いです。

遠藤哲夫氏(不安定自由文筆労働者)

 

「気どるな、力強くめしをくえ」と語る、「大衆食の会」代表、遠藤哲夫氏
その著書は「大衆食堂の研究」、そして「ぶっかけめしの悦楽」。そう、まさしく「ネコまんま」研究における大家から、上のようなレポートを頂戴した。

下町と山の手。目からうろこが落ちる思いである。「関東と関西」にあまりにもこだわりすぎていなかったか。かつおぶし文化圏と昆布文化圏に目を奪われすぎではなかったか。
今一度、ミクロコスモスでの比較文化検討が必要なのではないか。

さらには「ネコまんまにおける性の区別」まで!

「大衆食の会」や遠藤氏の著書については、ウェブサイト「ザ大衆食」をぜひご覧いただきたい。


また、ネコまんま以外の汁物とごはんの関係については、項を改めて語ってみたい。

 

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