『ガンパレードマーチ』に見る多足型歩行兵器の意義について
言い訳の成功と失敗
その存在意義を汎用性に求める坂上先生の言説は、一見して合理的である。第二次大戦において、歩兵戦車(重くて遅い)と巡航戦車(軽くて速い)が統合され、今日の主力戦車に至った事例や、一機種で制空と地上攻撃を兼ねる機体の度重なる登場[注]は、実際の戦場においては運用に躊躇を感じるような多足歩行型兵器を使わざるを得ないときのひとつの言い訳を与えつつあるのではないか。
しかし、一機種が戦闘機に攻撃機にもなれるという「汎用性」には、見落とされがちな点がある。機体自体は、汎用的な運用に耐えられるのだが、それを操縦する人間の方は、多種にわたる使用目的に対応できないのである。
ゆえに、機体は汎用的であっても、人間の方はいずれかに特化して訓練をしなければならないので、同一部隊が、例え機体が制空と攻撃をなし得る能力があっても、実際に両面にわたって大々的に運用されることはない。性格の異なる部隊が、同じ機体を使用するという感じになると思われる。
坂上先生の言う「汎用性」は、あきらかに、同一の運用者が、同一の戦場において、多彩な選択肢を持ちうることが出来ると言う意味で使われている。だが、われわれが見てきた兵器史の上での汎用性への収斂は、むしろ、運用・管理・生産上の利便が強調されるのであって、決して、ごく限られた戦術面においての汎用性を意味しているのではないのではないか。操縦者は、結局、ある方面に特化しなければならないことを、「機体の汎用性」が覆い隠しがちのように思えてしまう。
議論はどんどん怪しくなってしまうのだが、もうひとつ、多足歩行兵器の有用性を強調するに当たって「戦車より遅い、でかい、でも汎用」という言い方はどうかと思う。
機体への汎用性の付加は、発動機やソフトウェアの余剰をひとつの技術的な保証にして、実現できたと考えるのなら、その余剰はカタログ値としてわれわれの目の見える形となって表出しなければならない。F-15を見て「これだったら、爆弾10トン、積めそうだぜい」というあの実感である。だから、戦車より汎用的なことを誇る兵器が、「戦車より遅い」では納得性が欠ける。対戦車ヘリの方が良さ気だと思ってしまうのである。
[注] F-18,F-15E。そしてJSFでF-16,A-6,AV-8B,F-15Eなどを統合。