二〇〇一年十二月

2001/12/10


「十三歳の小僧に、世界など救って欲しく無いじゃありませんか。そのくらいだったら、皆で滅びた方が増しですよ」

2001/12/11


日々、両手で数えるほどしか訪れぬ頁を更新する事とは、如何なる心持ちになるものか。

そう問われることがあります。

「ここまで少ないと、却って爽なるかな」

と答える自分を夢想し、夜な夜なしとどに枕を濡らすのです。

わたしは愚かな人間です。でも、たれも訪れぬわけくらい、検討つかぬ事もありません。 むしろ、思い当たる節が多すぎて、目眩を覚えるのです。

思うところあり、三ヶ月前の分から、拙き日記を読み返してみました。

――おもしろすぎて死ぬ。

こうして一日が過ぎ去りました。やがて一月が過ぎ、一年が過ぎ、そして、人生が終わり、 世界が破滅していくのですね。

2001/12/12


朝起きて夜に寝る生活を送ってこそ、幸せな人生が保証されるものであると、日々思うのです。

しかし、人様の都合に振り回される仕事故に、それはなかなか叶わぬ夢と成ります。 昨日は、風呂に入らんと早朝に帰宅し、三時間ばかり、ギャルゲーに興じ朗らかに気分を害しました。

師走の青空は大変澄み切っており、人生にはギャルゲーよりも大切なものがたくさんあるに違いないと確信させるようなものがある気がしないこともないような気もしないと言う――よくわからないです。

2001/12/13


寝ずにギャルゲーに興じ、そのまま出社して、不快のあまり机に仰臥しつつ、「人生はつらいものです人生はつらいものです」と読響するのは、たいへん浅まし。

不快を人生とすぐに結びつける俗物性に、打ち震えつつも身悶えするのは許し難い自慰である。

でも自慰は超キモチイイであることよ、と開き直りつつ悶々としていたら、今日もなぜか夜明けになってしまいました。

2001/12/14


夕方の目覚めは、敗北の朝とひとは謂います。それがわかっていながらも、ふしだらな昨日が祟り、寝床で惰眠にふけるおのれに涙をのみます。

罪悪感は、ひとびとに世界の亡びを期待させますが、同時に、ひとびとはそれがおのれの生きている内にはやってこないことを願うのです。

わたしは、そんなひとびとをあいそうとせず、ただただ、じぶんのあいされんことを望みながら、仕事場を漂う内に、またしても一日は軽やかに滑走し、わたしは途方に暮れるのでした。

2001/12/15


悪い予感は常にあたるものであり、故に、ひとは悪いを予感をいだかぬよう神経症的な切迫感で無の境地を目指すのですが、その試みは、ガンマ波の気紛れで常にうまくいかず、こうして今日も冬の雨にうたれ、わけもわからず妄言を書きつけてしまいます。

朝の6時というのに、夜が明ける気配はありません。とぼとぼと家路を行くわたしは、路上で接吻を交わす恋人たちと出会い、こんな時間に人目も憚らず、なんとまあ、なんとまああ、えへへ、しね。

2001/12/16


風邪でもないのに、この気怠さはなんでしょうか。机に俯し、わたしは静かに悶絶するのです。

ビタミン不足でしょうか。果物を毎朝喰えば、幸せが訪れると聞いたことがあります。乱調した生活のため、今週に入ってそのようなものはあまり食しておりません。

同僚の京都人Tは、実家から大量に送りつけてきたと称す蜜柑を、誇らしげに会社に持参します。わたしはそれを取り上げ、果汁53%野菜ジュースを摂取し、10時間ほど布団の中で気を失いました。

こんな生活を続けていれば、いずれ死んでしまいます。でも、そうでなくてもいずれ死んでしまうのですから、なんと救いのないことか、と喜びつつも、やっぱり死ぬのはいやです、と混乱しながら、これから小1時間ばかりギャルゲーをやって、床につきたいと思います。

明日は、しあわせな一日になるとよいですね。

2001/12/17


深夜の青梅街道を西進しつつ、声優ラジオを聞きながら、今日もむくつけき一日であったなと思う。

2001/12/18


今日は帰れませぬ。これから、寒い会議室のイスを並べて寝床を作り、震えながら未だ観ぬ夜明けを待つことにします。どうか、最後には幸福な記憶を――あはは。

2001/12/19


薄暗き会議室で、椅子の寝床でうずくまったとしても、なかなか寝付けるものではありません。沸々といやな空想が駆けめぐり煩悶するのです。

けっきょく眠れず机に座し、よみかけの『こころ』を勢い余って読破。いったい夜明け前に何をやっているのか、それにしても“先生”は三角関係における気の強いおねいさん萌えですね〜と狂い気味になるのです。

会社に泊まれば、朝の目覚めは最悪です。くわえて、昼になっていたのが、いとど哀しいのです。たまたま、本日は特に煩雑な仕事もなく、頭をからにして虚ろにしていると、プロデューサーが箱一杯の蜜柑をもってきました。

蜜柑は、四日前に京都人Tに恵んでもらったばかりなのですが、何はともあれただで食えるものが喜びとなる貧給の身。ほほほと不気味に喜んで、今日はよい日であると思いこむことに致しました。

2001/12/20


昨日、あきれるほど爆睡したため、気分は良く、うまく回っていない物事も、回っているように感じられるではありませんか。あくまで、感じられるだけですが。

日々、小さな仕合わせを見つけ過剰に喜ぶのが、人生の醍醐味と思うのです。平穏に終わろうとする一日に、喜びのたうち回るのです。

ああ。こんな心にもないことを書き連ねていたら、気分が悪くなって参りました。さっきまでのほんわか高揚した心持ちを返して下さい、かみさま。

2001/12/21


ほほほ。

別に狂うたわけではありません。二週間、ずっとダウナーな心持ちであったというのに、この心の軽さは何事なのでしょうか。思えば、二十代半ばは、躁鬱の激しい敏感な年頃と聞きます。と調子に乗って妄言を吐いておりますが、本当は聞いたことがないのです。

今日は早めに切り上げられそうな予感が致します。できれば、日の変わらぬうちに帰りて、ビデオのつづきを見ねばと怪しく興奮しておりますと、よけいな仕事が舞い降りてきました。

2001/12/22


日々、自転車通勤にいそしむわたしですが、雨の日はそうもいかず、バスにて出勤いたします。バス停までの道のりで、あまりの寒さと不快に、やけくそ気味に高らかに笑ったりはもちろんせず、顔を歪めながら背を丸めます。

帰りは、バスなどなくなっており、ああっ、極寒のなか歩いて帰らねばとじめじめな心持ちで家路につくのが冬の雨上がりの夜となります。

外へ出てみれば、思うたよりは寒くはなく、心高揚する深夜。「In the cool cool cool of the evening」を聴いて歩けば、なにやら個別誘導複数目標弾頭の片割れが降り注ぎ世界が終わる夜のように思えて、愉快になりました。

2001/12/23


日曜日、起きてみると笑点が始まっていて絶望する、とは、よく聞くお話です。できれば、そんなギャルゲーの主人公のようなことは避けたいところ。日曜は貴重なのです。

朝の八時まで、モニターの前に座して悲鳴を発しながら身をよじりつづけたにもかかわらず、目覚めたのはお昼の2時でした。ひさしぶりに、効率的なお休みが過ごせると感激のあまり、なぜかお部屋の整理を始めました。

そして、気づけば夜になっております。わたしは○ゥーハートの浩○なのでしょうか。でしたら、せめて、かわいい幼なじみくらいいたっていいじゃねえか、と今日も錯乱するのでした。

2001/12/24


こうして、昼夜が逆転してしまいました。

いつの頃からか、一日をいかに有効に活用せんと思いを募らせるようになったのか、今となってはわかりませぬ。多くのひとは、おのれが大人になったとの実感を死ぬまでもつに至りませんが、ひょっとしたら、この一日への神経症的な執着が、おとなになったとの客観的な証になりうるのかもしれません。

暗くなりて布団を出、やらねばならぬことはたくさんあれど、『回路』『BROTHER』『ワイルドブリット』『ニンゲン合格』をそれぞれ終幕だけおもむろに鑑賞し、うひょひょと喜死す。

何と無駄な一日。なのにどうして、サンクスのステーキ丼はこんなに禍々しくもうまいのでしょう。

2001/12/25


外の回りから帰社いたしますれば、なぜかケーキがぽつんと机の上にのっかっております。これは、この日を寂しく過ごさねばならぬわたしに対する天からの当てつけなのでしょうか。

2001/12/26


何もなき平穏な一日。喜ぶべきですが、この平穏が後に破局へとつがることは目にみえておりますゆえ、平穏は煉獄なのです。

手持ちが無沙汰になりて、ネットから落とした『人間失格』をふむふむと読めば、主人公がモテ過ぎで腹立たしくなります。

2001/12/27


明るい内は閑なれど、夜が更ければ多忙になり、心持ち悪くなる。タクシーの大群に紛れ、深夜の靖国通りを東進すれば、三たび、救急車とすれ違う師走のあわただしさ。

今日もいっぱい人が死ぬのですなと思うのでした。

2001/12/28


忘年会にも行けずあくせく働く。外出先の本屋にて、仕事の為、えろびでおを三本ばかり購入した際の店員の目がたいへん痛い、ような気がした。

正月は、ギャルゲーざんまいで、取り敢えずは、みさき先輩に身を捧げる予定である。

2001/12/29


『PSまるちプレイ録画ビデオ(二時間)』をおもむろに鑑賞して号泣す。

2001/12/30


こたつに潜りて半ば記憶を失いながら、去年やっていた『三億円事件ドラマ』の再放送を鑑賞し、場末の酒場で管を巻くジョーのわかりやすいメイクに、昨年と同様喜ぶ。

続けてこたつに潜り続けて記憶は彼方にとぶ。我に返れば夜深く、弟が『ヤマト』の最終回を眺めておる。ヤマトはごちゃごちゃしているので作画がイヤ〜ンですな。

その後、酒を呷りつつ『空耳アワー』を腹を抱えて鑑賞すれば、怠惰な一日が消滅してしまう。あきれんばかりの非生産性に気を病むも、「お正月は餅を食って、腹をこわして遊ぶものではありませんか」と思い、正当化せんとする。

2001/12/31


紅白の司会者女「にじゅういっせいきを生きる私たちに大切なのはゆめですぅ(はあと)」

Hahahaha、しにそう。


<来月

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改訂版: 2006.10.25