二〇〇二年一月

2002/01/01


元旦早々ギャルゲーに勤しみ、髪の長い盲目の先輩に恋をする。

2002/01/02

業務の滞りが危惧され、早々と帰京。昨日からつづく萌えの余韻で獣の如く身悶える身体に心のむちを加え、凋落する人生と戦はんと、空っぽの勇気を奮うのです。

しかしながら、所詮ただただ人生を楽しく生きることだけを願うへっぽこの身に、真冬の限度を知らない冷たき風は耐え難く、楽しい人生に誠実になるほど、苦しくなってしまうような気がしてなりませぬ。

会社に向かはんと、自転車をこぎ出せば、極寒の逆風。わたしは身を縮ませて、寂しく微笑むのでした。

2002/01/03


新年には、何かしら願をたてるものと聞きます。ならば、今年こそ規則正しい生活を末永く送らんと心の底から願うのですが、なにやら小学生の願いが如く思えてきて、恥ずかしき心持ちに至るのです。ただ、よくよく思慮をめぐらせると、夕方起床するまでに不規則な生活を送る小学生の背後には、刑事ドラマのネタになるかのような荒廃した家庭環境を予測させるようで、恥ずかしいどころの話ではないのです。

会社の計算機を立ち上げ、メールを起こしてみれば、上司からなにやら新年を祝う便りが届いております。顔を引きつらせ開いてみれば、「生き馬の目を抜く勢いでがんばる―――」。

生きた馬の目など抜きたくはないのです。やや気が違い気味なったわたしは、この惑星が世界中のひとびとの優しい愛に包まれたらよいのに、と願うのでした。

明日は出張のため、更新はお休みです。

2002/01/05


帰りの機内は大揺れに揺れ、自由落下の不快な心地に破局の宴を感じながら人生もかようなものかとベタに嘆き、会社に戻れば、机上にたまる未処理な業務。重ねて悲嘆にくれる朝の六時なのでした。

2002/01/06


年始はお気楽な日々をすごしたいと願うのですが、今年の正月はそれに逆行する日程が襲いかかり、根性なしの身に堪えます。休日にて、いろいろ遊戯せん。時流に対するその助平根性が心の中では発動されるのですが、へたれ身体がうにゅうにゅとそれを拒み、布団から出られませぬ。

心は焦れど、体は動かぬ。かような境地にひとは、心持ちの乱調を来すのが常のこと。なにやら、「もうだめだめですの〜、でもそんなおのれがいとおしいですの〜」と心の中で奇声を上げ、気色のあまりよくない自己陶酔な心持ちに混乱いたします。でも、致し方ありませぬ。たれも愛してくれないのなら、せめておのれが愛してあげなくてはなりますまい。

ほどよく狂うたところで、ようよう布団から抜け出します。頭の精根は尽き果てたようで、何することもなく『ちびまるこ→サザエさん→こち亀』の日曜日・魔の三連星を眺めていれば、殊更に、いたたまれなくなってしまい、容赦なく過ぎゆくに日曜日におろおろしてしまうのです。

2002/01/07


ようやく今日になって、たまった業務の片づけを行います。紙袋を抱えて悲鳴を上げながら社内を奔走し、キーをばこばこ叩きてデータ入力に勤しむ実に会社員らしき一日。労働の喜びを感じ、『未来世紀ブラジル』のサントラが頭の中で流れ始め、思わず興奮してしまういけないわたしなのです。

2002/01/08


「ひとをどつくのは、愛情表現の一種ぢゃないですか」

同僚の京都人Tはそう謂って憚らず、それを聞いたわたしは、何と恐ろしきことか、とまたしても関西を誤解して打ち震えるのです。

人生は投げやりになるものではないと思いますが、たまにはやりを投げたくなるのもまた人生。人を決して打擲できぬわたしは、ものに蹴りを入れて、やりを投げる行為の代わりとなすおろかな人間です。ただ、今夜、ゴミ箱に描かれた京都人Tの落書きに向かってぼこぼこ蹴りを入れたのは、決して、京都人Tが憎うてそうしたのではなく、むしろその落書きに愛を感じて蹴りを入れたのですが、すこしはかれの謂う意味がわかるような気がしたのです。

では、ものは蹴れても人は殴れぬわたしは、人を愛せぬ身なのでしょうか。やりを投げたき時も笑顔を絶やさぬ私は、たしかに、やりを投げたい相手となる人を決して愛してはいなかったのです。

2002/01/09


椅子にぽつんと座しておりますと、上司の沖縄人C氏が、おもむろに声をかけてまいります。

「今月中にアップ大丈夫だよねぇ」

答えて曰く、

「今月中だったら、大丈夫ぢゃないですか、はっはっはっ」

そのとき、わたしにはわかっていたのです。そう謂って何とかなったことが一度もないことを。

2002/01/10


わたしは、自分には人並みの数だけ親友がいると信じておりました。むしろ、友達はうざいのぢゃと思うときもある小学生でした。ただ、通知表の保護者への連絡欄には、人付き合いの偏狭性がすでに指摘されており、不吉な未来が予言されていました。

やがて、良くを言えば孤高な小学生は、成長するにつれて友達を失ってゆきました。或いは、初めから親友などひとりもなく、大きくなるにつれてそのことを発見していったのかもしれません。

世界は、イギリス製レシプロ戦闘機のコックピットのようなものと思うのです。つまり、床板がないので、なくしたものは容易に見つからないのです。そして、ひとはなくして初めて、なくしたものの価値を知ってしまう因果な生き物です。

小学生は、今や、なくしてしまったものが生んだ空白を埋めるが如く、モニターに顔面を押しつけ、疑似概念空間のおねいさんに涎を垂らしてしまう厭な20代半ばになってしまい、気づけば、なにやら今日も知らぬうちに恥ずかしきことを書いてしまうのでした。

2002/01/11


暖かき日々が少し続き、寒さに弱い陰鬱な九州人のわたしも、陽光に誘われ、外の回りの途中で秋葉原に下車いたしました。

かの地にて、陳列されたギャルゲーグッズを見回しておりますと、ふつふつと小さな幸せがわきあがってきて、人生これでよいのだと思うのです。

でも、よくよく考えれば、いや、よくよく考えないでも、やっぱりこれではいけないかと。では、どんな人生がよいのかと問われても、答えに窮してしまうわたしなのでした。

2002/01/12


人様の週末はお休みな昨今。それなのに、土曜が休みにならない職業に就いてしまったわたしは、せめて、その日が業務で渋滞せぬよう心がけ、すこしでも週末でハッピーだぜぇ気分を味わいたいと願うのですが、そうもいかぬのがこの世界の如何ともし難いところ。

よりにもよって、日が変わらんとするときに、正気を疑う規模の業務が降りかかってくるこの救いの無さ。へとへとになってしまったわたしは、呪いの言葉を吐きながら、相も変わらず心をあさっての方向へ吹き飛ばしてしまうのでした。

2002/01/13


「ほしいですか、かわいい妹を」

ほしいに決まっているぢゃありませんか。離婚した片親が再婚し、連れ子がわたしの義妹になり、「わたし、お兄ちゃんがほしかったんだあ(はあと)」としたわれ、やがて時は流れ、義妹は過度にわたしを愛するがゆえに、兄妹という世間様の目の厳しい関係に苦しみ、「わたしをやさしくしないでください。わたしをくるしめないでください」と叫ぶのですが、そんなことを謂われてしまっては、ますますやさしくしてしまいたいのがひとのの浅ましいところでして、ぎゅっと抱擁するわたしの胸の中で、「お兄ちゃん、あったかい」となみだし、「もうだれにも渡さないんだから」とポツリと言われてしまった日には、もう―――ああっ、何時の間にか日曜の夜ではありませんか。

2002/01/14


今日は半年振りに映画の神様が降臨し、生きる勇気がわいてきたのでした。

2002/01/15


出張先でのおもいで。

かの地の道路事情はあまり良好ではなく、取引先のKさんの運転する車は、がたがたと揺さぶられます。そんな車内での会話。

Kさん曰く「えろびでおがたくさんあるので、同僚の京都人Tさんのおみやげにしてください」。

わたし「ありがとうございますぅ。京都人Tもさぞかし喜ぶことでしょう」

そして、わたしたちは朗らかに笑い、Kさんの車は再びがたりと揺れるのでした。

2002/01/16


巨漢を誇る同僚の徳島人Yが傍らを過ぎたとき、わたしはそばにいた同僚の京都人Tに「ギャルゲーを二百本を抱えて四畳半という牢獄にこもるから、身体が巨大化するのですよ」と悪口を謂い、徳島人Yをいぢめるのです。

調子に乗って、「では、似たような牢獄にいるわたしは、なぜ巨大化せぬのですか」と京都人Tに向かってわたしは謂い、暗に身体が巨大化できないおのれの神経のか細さをあぴーるしようとする卑しき魂胆なのですが、京都人Tは答えて曰く「それは、貴男の中身が狂っているだけぢゃないですか」。

そして、わたしたちは朗らかに笑い、そうこうしているうちに小雨の降りしきる冬の夜は更けていき、今日という世界が終わってしまうのでした。

2002/01/17


昨日までは実に暖かく、地球が温暖化して実によきことかなと思う一方で、次の瞬間、「日本の砂浜、7割が消失!」、「冬小麦の生産量は2100年にはインドで55%、中国で15%減少!」などという不吉な言葉が心に浮かんできて煩悶とし、心の中で土下座を重ねていたわたしなのですが、今日起きてみれば寒く、自転車のペダルをこぐ足取りも重くなるのでした。

寒きときには、変な妄想に走りがちなのが人の世の常、かどうかはわかりませぬが、「明日は燃えないゴミの日であったかな〜」などと思案をめぐらしていると、いつのまにやら“燃えない”ごみが“萌えない”ごみへと脳内変換されるのに気づき、“萌えないごみ”って何なのでしょう?――と人知れず心持ちが狂ってくるのでした。

一体いつから、わたしはこんなにもみにくい人間になってしまったのでしょうか。

2002/01/18


極めて謹直な予備校生であったうら若き頃のわたしは、ある真夏の日、駅を降り立ち青ざめた顔をしながら入道雲の広がる空を見上げました。空はこんなにも青いのに、心持ちはどうしてこんなに惨めなのでしょう。わたしは気落ちして、予備校への道のりをとぼとぼ歩いていきました。

それからしばらくして、わたしは関東平野に住むようになり、当然のように見ることができたあの青空が貴重なものになって数年の歳月が流れました。今日、通勤途中にふと空を見上げると、懐かしい青色をしていることに気がつきました。わたしは、その青空に押し潰されそうになってしまうのでした。

会社にはいると、斜め後ろに座する新潟人Oさんが、自宅から持ってきたカレーを食べていました。よくは覚えてはいないのですが、新潟人Oさんは、今週に入ってそのカレーばかりを食べているような気がするのです。どれほどの量を作れば、かように毎日喰って尽きる事なきカレーを誕生せしめるのか、わたしにはわかりませぬ。ただ明らかであるのは、この世界は不思議なことでいっぱいで、頭をくらくらさせているわたしが今ここにいる事だけのように思えるのです。

2002/01/19


さすがに納期も押し迫って参りますと、目の回るような一日がつづくようになり、怠慢で後ろめたき気持ちであった日々が、懐かしくも思えてくるのです。

わたしのよく用いる社用車、通称サニー1号はボロい車でして、大切に乗るよう日々心がけております。人生をギャルゲーで知った男、同僚の徳島人Yは、他に車が出払っているため、サニー1号を貸せと申して参りました。徳島人Yは、いとど運転の荒い男。「サニー1号は老体がゆえに、処女の如く扱って下さいよ(老体なのに、処女。この組み合わせの不可思議さに、直後、わたしは気づき、人生の深遠さはどこにでも転がっていることを知るのでした)」とわたしは徳島人Yに注意を促します。徳島人Yは、とびっきりの笑顔で申しました。

「だったらなおさら、乱暴に扱わなければならないぢゃないですか(はあと)」

ひとの投げかけた問いかけに対して、世界は時として、想像を絶する答を容赦なく投げ返すのです。

2002/01/20


休日の午後、わたしは小津安二郎二本立てを敢行し、心は笠智衆人格へ移行してしまいます。脳内の仮想古女房に向かって、「いつまでもみんなでいっしょにいたいんだがのう」としみじみと語りかけ、興奮するのです。

その後、休日出勤。手短に雑務を済ませそうそうに帰宅し、夕飯を喰いながら、録画しておいた『プロジェクトX』を鑑賞いたします。そういえば、同僚の新潟人Oさんが、申しておりました。「今週は吉野ヶ里遺跡? だめなのでは。ネタ切れか」と。もの作りこそかの物語の感動の本質ではないかと新潟人Oさんは、謂うのです。わたしは無責任にも、「だから前謂ったとおり、戦前・戦中プロテクトを解除すべきなのですよ。真珠湾を攻撃させて、『ヘッドライト・テールライト』で山本五十六や源田実のその後の物語をやったら、大泣きですよ」と放言したのに、なんということでしょうか。わたしは録画したその物語を観て号泣し、知らぬ間に五杯目のご飯を平らげ、満腹の苦しさに布団にもぐり込むという訳の分からぬ事になってしまったのです。

しばらくうずくまっていたら苦しさもなくなり、布団からのそのそ這い出て、今度は浅ましくもギャルゲーを始めました。そして、ああああ―――。

こうして、わたしはこの日曜日をせいいっぱい生き抜きました。また、月曜日がやってくるのです。

2002/01/21


わたしは、いつしか思うようになりました。結局ひとは、その内実において、幼年期を免れることはないのではないかと。そして、わたしは、老齢になっても「まるち〜」とみっともなく目をはらしているのではないかと。

2002/01/22


ある日、罫線の一部欠ける見苦しい書類を上司の沖縄人C氏に提出したところ、「集計表には命を懸けるきみらしくもないぢゃないか」なとど謂い、データ管理には変質な興味を示しても、ひとの扱いには腰を引かしてしまう臆病なわたしを暗に批判し、いぢめるのです。

ぷんぷんしたわたしは、数日後、「ほら見て下さいよ。すごいですよ」と血相を変えて沖縄人C氏に書類を差しだし、なにやら大事でも起こったのかと沖縄人C氏に思わせ、あわてさせるのです。

「完璧なのですよ。見て下さい、この罫線。切れていないですよ」

うららかな昼下がり、わたしは誇らしげに絶叫したのでした。

平和でした。いつの日か、納品直前の疲弊した現場で、わたしが思い出す最後の平和な日々なのでした。

2002/01/23


どんな些細な行為も、青春という時代には、ギャルゲーな状況を作りうるもの。それほど、かの時代は特別なものであったわけです。薄暗きじめじめした高校生活を送ったわたしでさえ、今ではそう思うのです。それは、わたしが年老いてしまったあかしなのでしょうか。

白き靴下を好む同僚の新潟人Oさんは、高校時代、いたいけな女子高校生から「いつも白い靴下をはいていますねえ」と謂われ、白いそれを頂いたことがあるそうです。

それから十数年後、新潟人Oさんのくつしたは薄汚れ、穴がぽつんとあいておりました。

かみさまはいるのでしょうか。その靴下を見たわたしは、そっと心の中で謂ってみたりするのでした。

今日は良き天気でしたね。

2002/01/24


木曜日が、もう終わってしまったではありませんか。どう謂う事でしょうか。誰か責任をとるべきぢゃありませんか。

ときどき、わたしは思うのです。忙を多くすればするほど、そして、暇をいとおしく思うようになるほど、主観的な体感時間が加速していくのは、世界がひとびとに与えた罰なのではないかと。

何をやっていたらこうもあっさりと一日が終わってしまったのか、もうわたしは思い出すことさえできなくなっているのです。

2002/01/25


会社にて、それまでおのれのマシンを持っていなかった同僚の大阪人Mは、やっとそれを支給され、嬉々としてなにやら怪しげな事をしているように見受けられます。何事かと背後からのぞき見れば、けしからぬ事にNESのエミュレーターを落としている様子。

勤務時間にかような私事をしているとは。わたしは、普段のじぶんのことは棚に上げておいて、大阪人Mに社会人の何たるかを知らしめるべく、大阪人Mが席を外した隙に、おもむろに彼のパソコンを“みさき先輩らぶらぶ〜”壁紙で埋めてやるのです。

席に戻った大阪人Mは、この素晴らしき壁紙を取っ払ってしまったのですが、彼にはもっと恐ろしき試練が待ち受けており、大阪人Mの隣に座する制作のA氏が、かれのデスクトップを自社作品えろあにめ壁紙で飾り立ててしまったのです。

目も当てられないモニターの前で、わたしどもは朗らかに笑うのですが、よく見れば、このえろ壁紙、なかなかどうしてよくできている代物であり、発情を思わず覚えてしまった救いなきわたしは、共有サーバーの制作A氏フォルダからこの壁紙を奪い取り、よろこぶのでした。

2002/01/26


「私たちはみんな一人。でも私たちは夢をみる」
榛野なな恵 『Papa told me』


そうなんですよ。最近、よく夢を覚えているのですよ。寒いから布団から抜け出せず、二度寝の浅き眠りの時、よく夢をみるのですよ。問題なのは、妙にしみったれた悪しき夢ばかりということで、よき夢は皆無なのです。わたしは、もう怖くて、二度寝ができなくなりつつあります。

最後にみたよき夢は、何だったのでしょうか。記憶の糸をたどれば、あれは小学3年生の春だったでしょうか。未だにファミコンのなかった我が家に、それが来た夢をみたのでした。ただ、残念なことに、ファミコン本体を目にするまさに直前、夢は覚めてしまいました。

それから、長い月日が経ってしまいました。わたしは、これを越える夢をみたことはけっきょくありませんでした。

2002/01/27


風が強く、洗濯物がはやく乾いてたいへん結構なことと思うのですが、どっか温暖なところでへなへな生きたい願望抱くへたれなわたしには、身に堪えることなのでした。

帰宅して、『コメットさん☆』最終回に興奮し、飯を五杯たいらげたわたしは、もう腹一杯で動けないですの〜と布団にもぐり込み、前の日曜とおなじような事をいたします。最近、何を観ても嗚咽しているような気がしてなりませぬ。

目を覚ませば、不思議なことに、日曜日が終わっているのでした。

2002/01/28


土曜日はわりかし閑でありました。そこで、おろかなるわたしは、掲示板用のアイコンにするため、ギャルゲー画像をせっせと加工し始めました。会社で。なかなか萌え萌えしたものができあがり、後席に座する同僚の京都人Tに自慢いたします。

わたし「いや〜、きれいに抜けましたよ、高校生“茜”。見て下さい。天国って、この世にあったのですね」

一人興奮するわたしを見て、京都人Tは顔を歪ませるのですが、ここでわたしは、自分の発言に恐怖するのです。

わたしの回想「きれいに抜けましたよ」

ここで抜くとは、画像をマスクで抜くことを意味していたのですが、ひょっとすると京都人Tは、物理的自慰行為と勘違いしているのでは。

わたし「ちがうのですよ、ちがうのですよ。けっしてアレをしたわけではないのですよ」

すると京都人Tは生意気にも謂うのです。

「そんなこと思っているのは、貴男だけですよ。はは〜ん、墓穴を掘りましたね」

ああっ、そうなのです。わたしは自分のはいる墓を掘ってしまったのです。

2002/01/29


人生、自己消滅までの暇つぶし。そう斜に構えて考える年頃ではもうないはずなのに、ときどき、気づけばそんなことを思ってしまうわたしは、青臭い人間なのです。

おのれの意志に関わらず投げ出されてしまったこの世界を、この存在がなくなってしまうまでの間、どのように暮らしたらよいのでしょうか。できれば楽しくやっていきたいと思うのです。

かくしてひとは、楽しき事物を過剰に追求する動機をもってしまうのですが、ある日、楽しきことが飽和して、なにを為せばよいかわからず、おろおろしている自分に気づいてしまうときがやって来るのでした。

思えば古の哲学者は知っていたのですね、近代組織論の出発点を。すなわち、選択肢の多さが、意思決定の不可能性を誘起しうることを。

もっとも、それがわかったところで、死ぬほど嬉しくもないのです。

というか、今日は寒過ぎなのです。

2002/01/30


家族に他人行儀は無用なことと思うのですが、わたしの暴言に傷つたびに、布団に潜り込んでしまう気弱な父親の背中をみると、考えることもあるのです。むかしは、こうではなかったような気がするのになあ、と。

家族はどこからかやってきて、やがてどこかへ行ってしまうもの。よけいな神経を互いに払わざるを得なくなった家族は、もうその役割を終えようとしているように思えて、なかなか寂しいものではありませんか。

が、そこは自由な近代人の特権をいかして、神経を使わない間柄を他に求めればいいだけのこと。いくらなんでも、わたしにだってかような関係のひとつ、ふたつくらい――。

しばらく考え込んだ後、わたしは孤独の海に飲み込まれていくのでした。

2002/01/31


お昼過ぎたる頃、事務のHさんが、新潟人Oさんの机上に置かれた“スーパーカップ・鶏ガラしょうゆラーメン”と巨大な弁当箱を見て、「新潟人Oさんのお昼ご飯はすごいですねえ」と驚嘆し、「よくものを喰うひとですから」とわたしは返しました。

それから2時間後くらい。会議中にプロデューサーが述べました。

「時間が経つと情熱が冷めちゃうんだよ。みんな冷めちゃうんだよ」

そして、最後は世界が冷め切ってしまうのですね。不可逆過程ではエントロピーが増大してしまうのですね!

人知れず興奮するわたしを余所に、なぜか、地球に二月が訪れました。


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改訂版: 2006.10.26


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