渤海商人李光玄について

−−『金液還丹百問訣』の史料紹介を兼ねて−−

一、はじめに

　漢代から唐代にかけて、東西の世界を結びつけたシルクロードを往来した人物は、東大寺教学部編『シルクロード往来人物辞典』（同朋舎、一九八九年四月版）によって、ほぼ網羅されている。

　この辞典は、採録者総数二一一二名のうち、海上シルクロードを経由して日本に来た外国人、または外国へわたった日本人を、「記録に残されている限りできるだけ採録することにした」と調査の徹底さを売り物にしているが、まれに収録漏れの人物が時たま文献から拾われる。

　たとえば、慧萼の招請によって東渡した禅僧の義空、円仁の帰帆にしたがって来日し、『慈覚大師入唐往返伝』という円仁の入唐略伝を著わした楽?などがその例にあたる。

　右にあげた二人の事跡については、すでに先学によって考究されているのだが（１）、唐人にかぎらず、渤海や新羅からの来日者をあらたに発見することが、これからも可能であろうか。考古学における新しい遺跡発掘とおなじように、筆者はつねにその期待に夢をふくらませている。

　本稿は「新発見」というほどのものではないが、道教典籍『金液還丹百問訣』にふくまれた史料を紹介しながら、日本の学界では殆ど言及されたことのない渤海人李光玄の渡日経歴などを主として考察したものである。（２） 

二、『金液還丹百問訣』

　『正統道蔵』（台湾新文豊出版公司、一九七七年十月版）第七冊には、著者不明の『金液還丹百問訣』一巻が収録されている。本書の主人公なる李光玄は、渤海国出身であるが、東アジア諸国を結ぶ航路をしきりに往来して交易し、のちにある道士に出あって長寿不老の道術を求めることになった。日本をふくむ海外渡航の経験が豊かで、常人と異なる風貌をそなえているため、世には「海客」と呼ばれた。

　この書は李光玄の海外交易の経歴には触れているものの、主に植物や鉱物などを配合精練して、長寿不死の仙薬を得る秘法を問答体で伝え、道教では「外丹」と分類される著作に属する。

　『金液還丹百問訣』とは内容的にほぼ一致している書物で、『正統道蔵』には『金液還丹内篇』と『海客論』の二点が収録されている。そして同書異名の三書は、いずれも序言と跋語がなく、著者名さえ明記されていない。

　三書の関係について、朱越利氏は、最初に李光玄の自述本があって、五代から北宋の初めにそれを改編した『金液還丹百問訣』が成り立ち、北宋の大中祥符五年（一〇一二）以後その改編本を刪改したのが『海客論』であり、その刪改本をさらに節略したのがほかならぬ『金液還丹内篇』だと考証している。（３）

　右の相互関係を図に示してみると、次のとおりである。 

李光玄自述本　自述本の改編本　　改編本の刪改本　刪改本の節略本

    　　？　→ 　『金液還丹百問訣』 → 『海客論』 →『金液還丹内篇』

   ところが、現存する三書を読みくらべた結果、かならずしも相互にこのような整然とした継承関係があるとは認められない。

　『金液還丹百問訣』が朱越利氏の考証したように原本の改編本なのか、それとも原書そのものなのか、それについてただちに断定できないとしても、少なくとも『海客論』をさらなる「刪改本」と決めつけるには、いささか性急なきらいがあるように思われる。というのは、二書を詳細に比較すれば、同一系統とは思われない相違がはっきり見いだされるからだ。

　たとえば、李光玄が「十有余年」ほど隠居していた海外の島を、『金液還丹百問訣』が「雲島」と記しているのに対して、『海客論』は「長雲島」と表記している。

　また、李光玄が隠居地（雲島）を出て中国の嵩山にたどりついた時期を、前者の「己酉年中八月三日」とは違って、後者は「己巳年八月三日」と明記してる。こういった相違はたんなる誤写とは片づけられない。

　右の二書に対して、『金液還丹内篇』は南宋の初めごろ、曾慥という人物によって、李光玄と道士との問答部だけを抜き出してその著『道枢』の一章に採録し、それと関係のうすい海外交易の経歴などがすべて削除されたものである。ただし書名より推せば、『金液還丹内篇』がむしろ『金液還丹百問訣』との関連がより深く、それを『海客論』の節略本とする朱越利氏の推論には首肯しがたいものがある。

　以上述べてきたように、完本の体裁を整えていない『金液還丹内篇』は論外として、『金液還丹百問訣』と『海客論』の関係については、今のところ結論を下すことができず、今後は内容や用語などをふくめて、二書の比較研究をとおして解明が期待されるだろう。 

三､李光玄の「過海」経歴

　書誌学のことは簡略な紹介にとどめておくが、以下は史料の紹介と解読とに考察の重点を移してゆきたいと思う。テキストとしては『金液還丹百問訣』を使うが、論考の必要な限度内にだけ『海客論』を参照する。

  『金液還丹百問訣』は「昔、李光玄者、渤海人也」から書き出し、つづいて「少孤、連気・僮僕数人。家積珠金巨萬」と家庭の状況を伝える。つまり、渤海人の李光玄は幼少にして両親をうしない、兄弟および家僕ら数人と生活していたが、「家に珠金巨萬を積む」ほど裕福な家庭に生まれ育ったことがわかる。

　「弱冠」すなわち二十歳になると、李光玄は、故郷を出て「郷人」すなわち渤海商人らの貿易船にのって、「青社淮浙の間」を往来し、遠距離交易に携わるようになった。

　「淮」は淮河の下流域つまり今の安徽省あたり、「浙」は銭塘江流域つまり今の浙江省あたりを指して問題はないが、「青社」については様々な解釈がある。古くは東方の土神を祀るところを言うことは『史記・三王世家』にみえ、唐では斉の故地で、山東省北部を領有する青州の別称であった。

　「青社淮浙の間」とは、あくまでも大まかな範囲であり、おそらく中国の東海岸に面する莱州・登州・海州・楚州・揚州・明州・越州などの海港都市を、李光玄は「貿易巡歴」したのであろう。

　前文につづく「後却過海」の四文字は、李光玄が加わった渤海商人団が、「青社淮浙の間」を行き来する海岸沿いの貿易ルートから、もっと危険度の高い遠海貿易の航路へと切り替えたことを示唆する。

　現時点では収録語彙がもっとも豊富である『漢語大辞典』（漢語大辞典出版社、一九九三年一一月版）を調べてみれば、「過海」の二字熟語は見当たらないが、「過海和尚」の見出し語には「唐の高僧鑑真を指す。かれが東渡して日本に至り、仏教の教義を伝播することに因って、故に称する」という解説が施されている。

　「過海和尚」の称号は、鑑真の弟子らによって付けられたようである。唐・李肇の『唐国史補』巻上に「天宝の末、揚州の僧鑑真は始めて倭国に往き、大いに釈教を演ず。黒海蛇山を経たり。その徒、過海和尚と号す」とある。

　また唐の梁粛が「過海和尚塔銘」を作成したことは、唐・崔恭の「『唐右補闕梁粛文集』序」に「過海和尚塔銘・幽公碑銘を作り、釈氏の制作、以て抗敵する無し」とある記述から伺われる。この「過海和尚塔銘」は、かつて鑑真ゆかりの揚州竜興寺に立てられていたが、現存しない。しかし幸いなことに、円仁の『入唐求法巡礼行記』に「過海和尚碑銘」と題して、その一部分ながら抄録されている。

　　和尚は過海して悪風に遇い、初めに蛇海に至り、長さ数丈あり。一日行って　既に尽きたり。次に黒海に至り、海の色は墨の如し。

　「過海和尚」の呼称は中国から日本に伝わり、平安時代には定着したと思われる。たとえば、最澄の『註金剛?論序』に「伏して願わくば、遠くは上宮太子を仰ぎ、近くは過海和上を憑んで、この宗を建立し、この徳に報謝せん」とみえる。

『唐大和上東征伝』には、鑑真自身も日本への渡航を「過海」と表現する例がある。

  このように、鑑真のことを「過海和尚」と称する例に象徴されるとおり、唐では中国（わけても江南地方）から東シナ海をわたって日本へ渡航する行為をとくに「過海」と表現することが多い。したがって、「後却過海」とは、李光玄らの渤海商人団が中国の沿岸貿易から日本貿易へ切り替えたことを意味するものと理解される。

　そして日本からの帰り道に、李光玄はたまたま便乗していた百歳ばかりの中国道人（道士のこと）と出あい、朝夕となく「新羅・渤海・日本諸国を巡礼し」た道人の遊歴を聞かされ、ついに道教修行の啓蒙を受けることになった。

　船中で交わされた二人の会話につづいて、「後至東岸下船、道人自欲遊新羅・渤海、告別光玄」の一文が記される。

　ここに「東岸に至って下船す」とあるのは、いささか理解に苦しむ。『海客論』には「後却過海、而同舟有一道人（二人の会話を中略）道人到東岸下船、欲遊新羅、遂相告別。光元帰渤海」とあり、道人との出あいは日本への船中で、「東岸」は日本の海岸とも読みとれる。

　ところが、『金液還丹百問訣』のおなじ個所には、動作の継起を意味する「而」の一字がなく、また後続する「道人自欲遊新羅・渤海」「光玄（中略）帰還故里」の記述によって、道人との出あいは日本からの帰途のはずであり、「東岸」も日本以外のどこかを想定しなければならない。

　そこで、朱越利氏は、日本から東方へ向かって航行すれば、「渤海国に到達するのは、まさに東海岸というべきである」と主張するが（４）、それはおそらく方角を間違えた誤認だったのであろう。

　可能性として考えられるのは、貿易船が日本を発って西岸の中国海港（青社淮浙の間）にいったん立ち寄り、商品を売ってから、北東の渤海（鴨緑江口の丹東あたりか）に迂回するという中継貿易ルートしかない。

　ちなみに、中国の歴史書では、渤海国のことを「海東盛国」と称し、その位置が「海の東」にあると認識されていた。

　右の推測がさいわい的中するならば、その上陸地から、道人が「新羅・渤海」を巡遊するのも近道だし、また道人と別れた李光玄が「故里に帰り還る」のも順路のはずである。 

四、李光玄の求道経歴

　以上の推測にしたがえば、李光玄は日本への貿易に出かけ、その帰りに中国の東海岸の貿易港（明州あたりか）に立ち寄ったあと、北東へ迂回して渤海に帰郷した。

　そこで、李光玄は貿易から手をひき、船中で出あった道人から教わった「至道」を奉じて、「繁華を顧みず、遂に却って郷里を離る。重び蒼海を遊び、雲島の中に駐居す」ることになった。

　そして、この雲島に隠居すること十年あまり、どことなく仙人の風貌があらわれ、往時の同船の人々から「海客」と呼ばれた。ここからも、雲島とはかつてともに「過海」した貿易仲間らがその後もたびたび訪れる場所だったことがわかる。

　雲島への隠遁は故郷（渤海）から蒼海をわたっての「重遊」と表現されており、また十余年後には雲島を出て中華に赴くように記述されていることから、その場所はあきらかに渤海あるいは唐ではなく、陸続きの新羅よりも荒海をへだてた日本にあったと考えるのが妥当ではなかろうか。

　古代の日本に、「雲島」と名づく海島があったかどうか、まだ確かな手がかりはなく、今後の地名調査などに期待をかけるほか仕方がない。ただし、前にもふれたように、「雲島」は『海客論』では「長雲島」と表記され、そのほうがより原形に近いかもしれない。

　その後、李光玄は雲島をはなれ、「漸く中華に届き、名山を巡礼したり、五嶽を尋遊したり」して、仙人達士との奇遇を求める旅をはじめた。はじめは泰山にのぼり、「己酉年中八月三日」に少林寺のある嵩山にたどりつき、そこで図らずも「玄寿」と名のる道士にめぐりあい、仙人になるための練丹術の奥義を伝授された。

　ここの「己酉年」は、李光玄の経歴を考えるうえで、重要なポイントとなる。干支紀年の曖昧さで、それだけでは正確な年次を割り出すことが難しいが、さいわい二人の問答中から推定の手がかりとなる情報がいくらか得られる。

　つまり、玄寿が「今、兵革まさに興らんとするに値たり、干戈すでに作れり。四海を揺動し、中原を践踏す」と述べ、嵩山が今や兵火に巻きこまれる危険な地だから、李光玄を揚子江より南の名山へ行くよう勧めた一文である。

　任継愈主編の『道蔵提要』（中国社会科学出版社、一九九一年七月版）の『海客論』解題では、北方が戦場と化し、南方が平和を保つ時期といえば、「北宋の末期」だろうと推定しているが、有力な証拠がない。

　もし「己酉年」は渤海国の存続中（六九八〜九二五）に限定すれば、七〇九年、七六九年、八二九年、八八九年のいずれかに当たることになる。そして、「四海を揺動し、中原を践踏す」るほどの全国規模の大戦乱は、唐代において「安史の乱（七五五〜七六三）」か「黄巣の一揆（八七四〜八八四）」ぐらいしか考えられないが、唐王朝の実質上のラストエンペラー昭宗の即位（八八八）以後、有力節度使らが玉座をめぐっての熾烈な争いを示唆するものかもしれない。

　ただし『金液還丹百問訣』の「己酉年中八月三日」を、『海客論』が「己巳年八月三日」と記しているのも無視できない。この場合は七二九年、七八九年、八四九年、九〇九年が候補となる。さらなる考究が必要である。

　玄寿との対話中に、李光玄は自分の遍歴をふりかえって、「二十余年、海内海外、到らざる所なし」とか「二紀年中、かつて船中に於いて一道人に遇えたり」と述べている。「二紀年」とは、言うまでもなく「二十四歳」のことである。

　以上では、簡略ながら李光玄の求道経歴の大筋をいちおう考察してきた。ここでは、不確定な要素をふくめて、その主要な事跡を年代順に整理してみる。

　○幼年期（十歳以内か）に両親をうしなう。

　○弱冠（二十歳）から中国東海岸を中心とする海上貿易をはじめる。

　○その後（二十三歳ごろか）「過海」して日本への貿易にたずさわる。

　○二紀年（二十四歳）中、帰郷の船中で百歳の道人とめぐりあう。

　○帰郷後まもなく（二十五歳ごろか）海外（日本か）の雲島（あるいは長雲島）に隠遁し、のちに海客と呼ばれる。

　○十余年後（四十歳前後か）雲島をはなれて、中華巡礼をはじめ、泰山にのぼる。

　○己酉年中八月三日（弱冠から二十余年だとすれば、四十五歳ごろ）嵩山にいたり、玄寿と出あい、南方への避難を勧められる。 

五､李光玄の著述

　李光玄が『金液還丹百問訣』に登場してきた主要な人物であることは、右の考察によって明らかにされたが、一方この著の作者も李光玄その人であると推定される。

　たしか『正統道蔵』所収本には著者の名が記されていないが、明の白雲霽の撰した『道蔵目録詳註』（『四庫全書』所収）巻一に「金液還丹百問訣　一巻　渤海李光玄　集」と著録されており、翁独健氏の編んだ『道蔵子目引得』（哈仏燕京学社、一九三五年七月版）も著者を「李光玄」としている。

　今のところ中国の学界では、李光玄を作品中の虚構人物よりも歴史上の実在人物として取りあつかうのがむしろ一般的になっていると思われる。たとえば、前述の『道蔵提要』は『金液還丹百問訣』の著者を李光玄と明記し、朱越利氏は『金液還丹百問訣』の依拠した原書が李光玄の自述本であると主張している。

　事実上、著者を李光玄に擬するのは、たんなる推測ではなく、それなりの根拠がある。すなわち『金液還丹百問訣』の巻末を結ぶ一文である。

　李光玄は中原の名山を巡礼中、嵩山で「玄寿」という老人に出あい、道教の奥義を教わってから、老人がどことなく姿を消した。そこで、李光玄は「先生、凡世に居るに非らず、あに是れ常人ならんや」と悟り、そして

　　便迴所止、写先生所言之秘論、流布世間、用求同好。上士君子、幸宜思究之　矣。

という一文をもって、全巻がむすばれる。

　この結びの一文によれば、この書は明らかに李光玄の自叙伝的な性格を帯びたものと認められる。ただし、本書の冒頭にみえるの表現は、著者の口振りではなく、第三者の口吻という疑いが持たれがちである。

　朱越利氏はこれによって、まず李光玄の「自述本」つまり原書の存在を設定し、『金液還丹百問訣』がその改編本であると考え、改編本の作者を李光玄とは別人で、「五代から北宋の初め」の人物と推定するのである。（５）

  しかし「昔、李光玄は渤海人なり」云々の表現は、わざと著作を古めかしくさせる手法とも考えられるし、この一文のみを根拠にして『金液還丹百問訣』を改編本と断言し、また李光玄をその作者候補から外してしまうのは首肯しかねる。ちなみに、『海客論』の書き出しには「海客李光元、渤海人なり」とだけあって、問題となる「昔」の一字は見えない。

　このように、『金液還丹百問訣』が原書なのか改編本なのか、さらに議論する余地があるとしても、現時点でその著者として李光玄以外に候補者はいない。また、『金液還丹百問訣』の異本とされる『海客論』について、『道蔵目録詳註』はその著者を注記していないが、前述の『道蔵子目引得』と『道蔵提要』はともに「李光玄」としている。

　李光玄の著作として世に伝わるものとして、もう一つ同じく『正統道蔵』所収の『太上日月混元経』（「日月混元経」と略すことがある）一巻がある。この書について、南宋・鄭樵の『通志・芸文略』は道家外丹類のなかに「日月混元経　一巻　元光撰」と著録し、明・焦�刪の『国史経籍志』は道教の項にこの本を収録し、作者を「李光元」と記している。

　李光玄を李光元と記すのは、おそらく朱越利氏の指摘したとおり、北宋の真宗の大中祥符五年（一〇一二）から「玄」への避諱があったことが原因だったのであろう。（６）また『通志・芸文略』に「元光」とあるのは、「光元」の誤写としか考えられない。

　ところで、『正統道蔵』には、右の『太上日月混元経』は『太上洞神五星諸宿日月混常経』（「日月混常経」と略すことがある）と合卷して収められている。後者の著者が不明とされるが、同じく李光玄の手になったものかどうか、今後は内容や字句などの比較照合をとおして、検討してみる必要もあるかと思われる。 

六、むすび

　李光玄はいつの時代の人物なのか、これについては諸説さまざまである。『道蔵提要』の付録に収められた「編撰人簡介（著者略歴）」は李光玄を「宋渤海人」とし、同書の『海客論』の解題では「文中にしばしば中原のことを中華と称し、作者はあるいは遼人であるかもしれない」と推定している。

　これに対して、道教研究の大家として知られる陳国符氏は『金液還丹百問訣』の作者を「五代の人」と推測し（７）、朱越利氏は『金液還丹百問訣』の依拠した原書の作者として李光玄は「唐の渤海人である」と力説する。（８）

  李光玄の著述と思われる『金液還丹百問訣』（または『海客論』、『金液還丹内篇』）と『太上日月混元経』をひもとくと、書中には先人たちの詩文が大量に引用されていることがわかる。

　これらの引用書および作者名については、まだ一々精査はしていないが、ほとんどすべてが唐末以前のものだったことは、まず間違いなかろう。したがって、李光玄を「唐の渤海人」とする朱越利氏の推論には傾聴すべきものがある。

　九世紀を中心として、渤海と日本の間に、頻繁な公私交渉が行われていた時代背景を考慮に入れれば、渤海人としての李光玄が書中に述べられた渡日の経歴をもつことは、けっして不可能ではなかったと思われる。

　以上見てきたように、李光玄は両親をうしなった悲惨な幼年期を経験し、二十歳になってから海外貿易によって身をおこし、のちに道士にめぐりあい、道術の修練に没頭しながら、その知識と体験とを生かして、何冊かの著書をこの世に残したのである。

　かれの商人から道士への変身が、当時としては常人の体験しがたい海外遍歴、なかでも東方の「仙島」と信じられる日本往還の経歴と、深いかかわりがあったことは、ことさらに多言を要すまい。

[注釈]

（１）義空については高木�殱元「唐僧義空の来朝をめぐる諸問題」（『高野山大学論叢』第一六号、一九八一年二月）を、楽?については小野勝年「『円仁三蔵供奉入唐請益往返伝記』について」（『東方宗教』第四〇号、一九七二年一一月）をそれぞれ参照されたい。

（２）朱越利「唐気功師百歳道人赴日考−−以『金液還丹百問訣』為拠」（『世界宗教研究』、一九九三年第三期）。

（３）（４）（５）（８）朱越利前掲注（２）論文。

（６）『続資治通鑑長編』卷七九によれば、宋の真宗は大中祥符五年（一〇一二）、夢のなかで趙氏先祖の名を趙玄朗と称するという神託を受けたとあり、それより以後、詩文などで「玄」への避諱がにわか目立つようになった。

（７）陳国符著『道蔵源流続考』（明文書局、一九八三年版）第三三二頁。

[付録]『金液還丹百問訣』抜粋

　昔、李光玄者、渤海人也。少孤、連気・僮僕数人、家積珠金巨萬。

　光玄、年方弱冠、乃逐郷人舟船、往来於青社淮浙之間、貿易巡歴、後却過海。遇一道人、同在舟中、朝夕與光玄言、話巡歴新羅・渤海・日本諸国。

　光玄因謂道人曰：「中国豈無好事耶？争得過海遊歴。」

　道人曰：「我於世上喩若浮雲、心無他事、是以過海。」

　光玄異之、因更日夜與道人攀言論。

　道人乃謂光玄曰：「郎君家更有何資産？」

　光玄曰：「余少孤、兄弟・僮僕数人、家産巨萬。」

　道人曰：「既家資如此、何得遠渉風波、更求其利？漫漫大海、浩浩長波、一旦傾危、蟲魚得便。此何智也。」

　光玄答曰：「我非為財渉此風波。余暗思、人世皆如夢幻。朝霞暁露、豈可久長？石火電光、瞥然則滅。人生若此、寧可思惟。舊塚未乾、新墳相次。壘金遍地、全不關身。積玉倚天、豈能留命？所以經渉海浪、直入外方。意在尋訪真人、問求達士、欲有何術、可救生前。及到外方、又無所遇、不逢英哲、遂且帰郷。誠意如斯、非為財貨。」

　後至東岸下船、道人自欲遊新羅・渤海、告別光玄。