皇甫曾と鑑真和上

　国文学者の蔵中進氏は、その著『唐大和上東征伝の研究』（桜楓社、1976．7）において、皇甫曾の「贈鑑上人」を取りあげて、「鑑上人」はすなわち鑑真であるかどうかを綿密に考証し、肯定的な結論を導き出した。

このショッキングな史料発見は、古代の中日文化交流史のみならず、鑑真の研究にとっても重大な意味を持つものと考えられる。しかし、人文社会系の学問がいまや細分化されすぎたせいか、蔵中進氏の新説はどうやら歴史研究者から見逃されているらしく、あってもよい後続の研究も管見の及ぶ限りではなされていない。

本稿は蔵中進氏の先行研究を全面的に咀嚼吸収したうえで、いくつか気づいた点を指摘し、詩題の「鑑上人」を鑑真に比定する蔵中進説をさらに補強したいものである。

一、鑑上人に擬する人物

 蔵中進氏は、鑑真の周辺を取りまく新たな史実や作品をひろく唐代の詩文にも求め、試行錯誤を繰り返しつつ、最終的には盛唐と中唐を生きる代表的な詩人皇甫曾（七二一〜七八五年）の「贈鑑上人」にたどりついたのである。

この五言律詩は詩題や文中に「倭」「日本」「扶桑」「日東」「海東」といった語句が用いられていないので、松下見林の『異称日本伝』をはじめ、中日交流史の資料として、これまでに取りあげられたことはなかった。この意味で、ひろく知られる作品ではあるが、蔵中進氏の指摘は「新発見」あるいは「再発見」にあたると思われる。

この作品は『全唐詩』（巻二一〇）に「贈鑑上人」と題して収録されているが、校合として「贈別筌公」の別題が付記されている。まず作品を『全唐詩』から引用しておく。（ただし、原文の校合書き入れを省く）

律儀伝教誘    律儀は教誘を伝え

僧臘老煙霄    僧臘は煙霄に老ゆ

樹色依禅誦    樹色は禅誦に依り

泉声入寂寥    泉声は寂寥に入る

宝龕経末劫　　宝龕は末劫を経て

画壁見南朝    画壁に南朝を見る

深竹風開合    深竹の風は開合し

寒潭月動搖    寒潭の月は動搖す

息心帰靜理    心を息めて靜理に帰り

愛道坐中宵    道を愛して中宵に坐す

更欲尋真去    更に真を尋ねて去り

乘船過海潮    船に乘りて海潮を過らんと欲す

さて、皇甫曾から送別詩を贈られた「鑑上人」とは一体、誰のことなのか。蔵中進氏は全詩の字句を細かく吟味したうえで、詩題にいう「鑑上人」に該当する人物の条件として、次の四点を挙げている。

一、僧侶、それも僧臘をつんだ老僧であること。

二、戒律、禅に関係ある僧であること。

三、現在は静寂な僧堂にあるが、それは近く海潮を過ろうとして待機しているものであるらしいこと。

四、なお当然のことながら、作者皇甫曾とは同時代人であること。

そして「これらの条件を満足せしめる人物を求めねばならないが、私はそれを過海大師鑑真大和上に比定したい」と主張している。（蔵中前掲書、P.376）ここで、まず条件一と条件二について、検討を加えてみたい。

条件一は「僧臘老煙霄」に対応するが、真人元開（淡海三船）の撰した『唐大和上東征伝』などによれば、鑑真は唐の垂拱四年（六八八）揚州の江陽県に生まれ、長安元年（七〇一）揚州の大雲寺に出家したことが知られる。

天宝元年（七四二）に入唐僧の栄叡と普照から請われて日本伝法を決意し、足かけ一二年間に六回の渡航を敢行した。この作品を天宝一二載（七五三）に六回目の渡海を試みようとする鑑真に贈ったものとすれば、ときに鑑真は六六歳となり、僧臘も五三年を積んでいるから、まさに「老僧」と呼ぶにふさわしい。

条件二は「律儀伝教誘」と「樹色依禅誦」に対応するが、前句は『唐大和上東征伝』に「淮南と江左、浄く戒律を持する者は、ただ大和上独り秀れて倫なし。道俗は歸心して、受戒の大師と仰ぐ」とあるように、鑑真は律宗の名僧として崇められている。後句の「禅誦」について、蔵中進氏は『唐大和上東征伝』から次の一節を引いて、鑑真が智満より禅門を教わったと指摘する。（蔵中前掲書、P.385）

　　その父は、先に揚州の大雲寺智満禅師について、戒を受け禅門を学ぶ。大和尚は年十四にして、父に随って寺に入り、仏像を見て心を感動す。因って父に請うて出家を求む。（中略）便ち智満禅師について出家して沙弥となる。

鑑真と禅の関連をさらに裏づけるならば、鑑真来日の直後に淡海三船の書いた「初謁」詩には「禅林」、鑑真没後に石上宅嗣や藤原刷雄そして高鶴林の詠んだ追悼詩には、それぞれ「禅草」「禅光」「禅院」が用いられていることを指摘しておく。（これらの詩は『唐大和上東征伝』の巻末に添えられている）

要するに、鑑真の素行を描く言葉として「禅誦」はとくに違和感を与えない。

二、作詩の場所と時期

「贈鑑上人」に描かれた年齢と経歴そして宗派と素行から推し量れば、「鑑上人」を鑑真とする二つの条件にうまく合致している。残りの場所と人間関係の条件をも満たせるならば、蔵中進氏の仮説はかなり有力になってくる。

条件三に出てくる「静寂な僧堂」について、蔵中進氏はその場所を揚州の延光寺か龍興寺と想定する。天宝一二載（七五三）一〇月一五日、藤原清河を大使とする遣唐使ら一行は長安から南下し、出港地の蘇州へ向かう途中、揚州の延光寺に鑑真を尋ねて渡日を懇請した。当時の様子を、『唐大和上東征伝』は次のように活写している。

　　天宝十二載、歳癸巳に次る十月十五日壬午、日本国の使（中略）延光寺に至りて大和尚に白して云わく、「弟子等、早く大和尚の五回も渡海して日本国に向い、将に伝教せんと欲せしことを知る。（中略）願わくは、大和尚自ら方便を作せ。弟子等、国信物を載する船四舶あり、行装具足す。去くも亦た難することなし」と。時に大和尚、許諾すでに竟れり。

一〇月二九日に、鑑真は役人から監視されていた龍興寺を脱出して、遣唐使船の泊まっていた蘇州の黄泗浦へ赴き、一一月一〇日に大伴古麻呂の船に乗りこみ、同一六日に遣唐使船は日本をめざして出港した。

鑑真らが待機していた場所として、蔵中進氏は「詩中に老僧の現に住まう僧房やその庭前の光景が活写されていて、鑑真大和上がまだ揚州龍興寺あるいは延光寺にあったころ」と述べ、延光寺か龍興寺かの特定を避けている。（蔵中前掲書、P.382）

作詩の時期について、蔵中進氏は、鑑真らが龍興寺を脱出したのを「一〇月一九日」として、次のように推論する。

　　一五日は前記のように日本からの遣唐使一行を迎えて、招請を受けたばかりで鑑真渡海の風聞が皇甫曾の耳に入るには、なお二三日の時間が必要であったのではないかと思われ、それを考慮に入れると、ほぼ確実なところとしては一七日、一八日、一九日の三日間を考えることができる。（蔵中前掲書、P.382）

さらに『唐大和上東征伝』に「戌時に龍興寺より出て江頭に至り、船に乗りて下る」と記される一九日の状況、また詩中に「深竹を風は開合し、寒潭に月は動搖す」と描かれた景観などを手がかりに、「十月一七日あるいは一八日の深夜」とまで詰めている。（蔵中前掲書、P.383）

ちなみに、現存する『唐大和上東征伝』の諸本には、鑑真らが龍興寺を脱出した時期をひとしく「二九日」と明記しているが、「（一〇月）二三日庚寅に、大使は大和尚巳下を処分して、副使巳下の舟に分乗せしむ」という記述と齟齬しているとして、「二九日」は「一九日」の誤写であると考えられている。

最後に条件四として、皇甫曾が鑑真と同時代人であるかどうか問われる。皇甫曾その人について、『全唐詩』（巻二一〇）に

　　字は孝常、冉の母の弟なり。天宝一二載に進士第に登り、侍御史を歴て、事に坐して舒州司馬·陽�媼令に徙さる。詩名は兄と相上下し、当時は張氏の景陽·孟陽に比すという。『集』一巻あり。今、詩を一巻に編む。

という略伝があり、また『中興間気集』（巻下）、『新唐書』（巻二〇二）、『唐詩紀事』（巻二七）、『唐才子伝』（巻三）などにも大同小異の記録がみえる。

皇甫曾の進士及第は『全唐詩』にしたがえば、「天宝一二載」のことである。まさにこの年に、藤原清河率いる一二回目の遣唐使は使命を全うして長安を発ち、その一〇月一五日に揚州にまで下り、延光寺に立ちよって鑑真の渡日を要請したのである。

天宝一二載（七五三）という年に、皇甫曾が進士の栄冠に輝いたこと、藤原清河らが揚州を通過したこと、鑑真が六回目の渡航を決意したことは、たまたま重なったと思われるが、皇甫曾が鑑真に送別詩を贈るのも、ただ偶然の出来事として片付けられるだろうか。これについて、蔵中進氏はこう語っている。

　　この年、三三歳にして進士に登第した皇甫曾は、初冬一〇月のこのころ、たまたま江都楊州にあって、鑑真大和上の過海行の決意を耳にし、大きな感動を受けて僧房を訪ね、一詩を賦して惜別の情をこめて鑑真大和上に贈ったものではあるまいか。（蔵中前掲書、P.383）

蔵中進氏が新たに発見した史料の概要は、ほぼ右に紹介した通りである。その功績はまことに大きなものである。しかし、発見者はすべての疑問をすでにクリアしたわけではない。たとえば、別本の詩題に出てくる「筌公」とは誰か。鑑真と皇甫曾を結びつける接点はないのか。次に、この二つの問題を考察し、蔵中進氏の唱える新説をすこしでも前進させたいと思う。

三、「筌公」なる人物

皇甫曾の「贈鑑上人」詩は『全唐詩』（巻二一〇）のほか、『中興間気集』（巻下）や『文苑英華』（巻二一九）および『唐詩百名家全集』所収の『皇甫御使詩集』にも収められている。

これらのテキストに見られる文字の異同は、蔵中進氏によって綿密に校勘されている。ここで煩瑣な紹介を省くけれど、ただ詩題の「鑑上人」と「筌公」の関係については、これまでに納得の行くような解釈がなされていないので、まずこの問題を切り口にして検討してみたい。

前述の通り、『全唐詩』には「贈鑑上人（一作贈別筌公）」とあり、「贈鑑上人」を詩題にしながら、「贈別筌公」という別題があることを明らかにしている。他本を調べると、『文苑英華』と『皇甫御使詩集』はいずれも「贈鑑上人」と題しているが、『中興間気集』だけは「贈別筌公」としている。

諸本のうち、年代的には『中興間気集』の成立がもっとも古く、貞元元年（七八五）に高仲武が粛宗と代宗の二朝につくられた秀作を集めたものである。同時代人による「唐人選唐詩」に属するもので、その史料的な価値は後世に編まれた詩集に比べて断然と高く、したがって原本にもっとも近い善本として歴代に珍重される。

さて、『中興間気集』の詩題に記された「筌公」は一体、どんな人物なのだろうか。これについて、蔵中進氏は次のように論考している。

　　「筌公」なる人物については、唐人であるのか、それとも周辺諸国中のいずれから唐国に留学している人物であるのか、よくわからない。（中略）「筌○」あるいは「○筌」なる人物を唐代の主要文献中に求めても管見に入らず、『釈氏疑年録』、『唐人行第録』等の類にも見出し得ない。あるいは、「別筌公」という人物であるかとも思われるが、この場合もかかる人物を見出し得ない。また、わが上代文献中にも検出することができない。何よりも「筌公」という呼称は、詩の内容から規制される仏家たるにふさわしくないもののように思われる。（中略）やはりこの詩の題としては、「贈鑑上人」をとるべきであろう。（蔵中前掲書、P.381-2）

右文の主旨は、「筌」を名にする唐人が見つからないこと、「筌公」という呼び名が僧侶にふさわしくないこと、この二点にあると思われる。蔵中進氏はこうした判断によって、「贈別筌公」を捨てて、「贈鑑上人」を詩題に取るべく主張するわけである。

しかし、詩人とほぼ同時代人によって編まれた『中興間気集』の詩題を捨てるには、理由があまりにも貧弱すぎる。海を渡ろうとする鑑真への送別詩という性格から考えると、むしろ「贈別」がたんなる「贈」よりも適切である。蔵中進氏の判断に間違いはないか、検証してみよう。

まず僧侶に対して「公」と呼べるかどうかを考えてみる。唐代では、僧侶の尊称としてその名に「公」をつけて称するのは一般的である。『宋高僧伝』をひもとくと、こうした例が多く、まさしく枚挙に暇はない。たとえば、玄奘三蔵の弟子に唐人の窺基と新羅人の円測がいるが、この二人を敬って呼ぶときには「基公」や「測公」が用いられるといった具合である。

ただし諱名が二文字の場合、「公」を後の字につけるのが慣例のようである。したがって、「筌公」とは「○筌」なる人物の敬称ということになる。このような名前を持つ人物が唐代にまったくないわけでもない。たとえば、『仏祖統紀』（巻一五）に「李筌」という唐人がその例にあたる。

もし以上の分析に間違いがなければ、鑑真は「筌」のついた俗名あるいは法号を持っているのではないかと推測される。この推測をいくらか支持してくれるのは、『延暦僧録』（従高僧沙門釈思託伝）にみられる次の一文である。

　　思託は『和上行記』を述べ、兼ねて淡海真人元開に請うて、『和上東行伝�恃』を述べしむ。

これまでに研究者は「�恃」という文字の解釈に頭を悩まされ、それを合理的に説明することができなかったのである。蔵中進氏はこの字を書名の一部としつつも、「『和上東行伝�恃』というのが直ちに書名であったのか、それとも『唐大和上東征伝』の別称、あるいは略称的なものであったのか、大いに疑問の残るところである」と吐露している。（蔵中前掲書、P.10）

この邪魔者のように扱われる「�恃」という漢字に、ひょっとしたら大きな秘密が隠されているかも知れない。というのは、「�恃」と「筌」とが異形同字に属するからである。

「得魚忘筌（魚を得て筌を忘る）」の故事について、『荘子』（外物篇）に「�Wt者所以在魚、得魚而忘�恃」とあるのはその出典であるとされる。原典には「�恃」に作られているが、意味は「筌」とまったく同じである。

『文選』に収められた郭璞「江賦」について、唐の李善は「羅筌」という語句を解釈して、「筌は魚を捕る器、竹を以って之れを爲る。蓋し魚�辧の屬なり」と述べている。つまり、竹で作られた魚捕りの漁具であるから、本字は「筌」と書くべきであろう。また香草を意味するものとしても、二字が併用されるが、この場合は「�Wt」を正字としなければならない。

以上をまとめると、『延暦僧録』における「�恃」の用途は今のところ不明であるが、『中興間気集』の記した詩題「贈別筌公」とは何らかの関連があり、鑑真を意味するもののようにも思われる。

ただし、『延暦僧録』の文中における位置はきわめて不自然であり、憶測を許すならば、その前後に脱字があったか、もしくは錯簡が生じているためだったかもしれない。それはともかくとして、この作品を収録する最古の詩集に「贈別筌公」とある詩題を捨てがたく、「筌公」を鑑真の別名と考えておく。

四、皇甫曾と鑑真の接点

蔵中進氏の新説にも脆弱な部分がある。それはすなわち鑑真と皇甫曾を結びつける接点なるものを何もつかんでいないことである。

鑑真の度重なる渡航は、私的な渡海を厳しく禁じる唐の法律に触れる密出国にあたる。天宝一二載（七五三）一〇月一五日、遣唐使らが延光寺に鑑真を訪ねた後、「大和尚、日本国に向かわんと欲す」という噂がたちまち揚州城内に広がり、役所はさっそく龍興寺の警備をいっそう固めることにした。

こうした情勢下にあって、進士に登竜門したばかりの三三歳の青年詩人は、どうして今にも国禁を破ろうとする六六歳になった盲目の老僧をひそかに尋ね、惜別の詩を贈ったのだろうか。その必然性を合理的に説明できなければ、「筌公」または「鑑上人」を鑑真と特定する決定的な証拠があったことにはならない。

鑑真と皇甫曾をめぐる人間関係をコツコツと調べているうちに、「霊一」なる人物が徐々に浮上してきた。その伝記は『文苑英華』（巻八四六）所収の孤独及撰「唐故揚州慶雲寺律師一公塔銘」、『唐才子伝』、『宋高僧伝』、『全唐詩』などに収められている。

これらの伝記資料に基づいて、霊一の生涯を概観してみると、開元一五年（七二七）に生まれ、俗姓は呉氏、広陵（今の揚州）の人である。九歳にして出家し、揚州龍興寺の法慎に師事した。その後、揚州の慶雲寺や延光寺、会稽の南懸溜寺、余杭の宜豊寺などを転々と移りすんだが、宝応元年（七六二）一〇月一六日に杭州の龍興寺において円寂した。仏教の著作に『法性論』があるほか、『全唐詩』に詩一巻が収められている。春秋わずか三五歳で夭折した、詩僧の名にふさわしい希有の俊才である。

霊一は律学と詩文の両方において、造詣が高いと評される。そして、律学のほうでは鑑真と関わりを持ち、詩文においては皇甫曾と親しく交流する。もし鑑真と皇甫曾の間に接点があったとすれば、私見では霊一をおいて他にないと思われる。

まずは霊一と鑑真をめぐる人間関係についてみると、揚州龍興寺の経律院に鑑真の先輩にあたる法慎（六六六〜七四八年）が住していた。その門下からは、「慎門の三一」と呼ばれる曇一・懐一・霊一の名僧が出ている。鑑真と法慎が同宗同寺のこともあって、門下の弟子たちは自由に交遊していたらしい。

たとえば、『唐大和上東征伝』に「超群抜粋にして、世の師範と為る」弟子として名があがっている霊祐は、法慎にも教わり、「慎門の三一」と親交を結んでいた。『宋高僧伝』（巻一四）の「唐揚州龍興寺法慎伝」に「上首」の弟子として、霊一と霊祐を並んで挙げている。同書（巻一五）の「唐余杭宜豊寺霊一伝」に、伝主の「友善の者」として慧凝・明幽・霊祐・曇一・義宣らの名がみえる。

また『全唐文』（巻九一八）に収められた「唐蘇州開元寺律和尚墳銘並序」によれば、辯秀という僧侶は天宝四載（七四五）に「東海大師鑑真に戒を受け、会稽大師曇一より講を伝う」と記されている。

このように、法慎や霊祐それに曇一などを通して、鑑真と霊一との間にもなんらかの交流があったと推測される。二人の接点は、彼らを取りまく人脈だけでなく、揚州という生まれ故郷、延光寺や龍興奮寺といった活動の場もそれを可能にしていると考えられる。

鑑真と霊一との接点について複数の可能性を提示したけれど、次の問題として霊一と皇甫曾の関係にスポットを当ててみよう。

霊一は三三年という短い人生の道程しか歩まなかったが、生命の豊かさと奥深さを遺憾なく演出してみせた。彼はその生涯において、仏教と文学をほぼ同時進行的に推し進めるのである。詩にすぐれた僧侶は、世に「詩僧」と敬称される。このような人物は唐代におよ六〇人前後いたと推定されるが、霊一は霊�斐・皎然・無可・法振・貫休・斉己らと並んで、トップクラスに立っている。

彼の作品は、高仲武の『中興間気集』と姚合の『極玄集』に、それぞれ四首ずつ採録されている。また『全唐詩』は詩一巻を収めて、次のごとき略伝を添えている。

　　霊一、姓は呉氏、廣陵の人なり。余杭の宜豊寺に居す。禅頌の暇に輒ちに詩歌を賦す。朱

放・張継・皇甫曾の諸人と塵外の友を為す。

ちなみに『宋高僧伝』（巻一五）の「唐余杭宜豊寺霊一伝」は「塵外の友」として「天台の道士潘志清、襄陽の朱放、南陽の張継、安定の皇甫曾、范陽の張南史、呉郡の陸迅、東海の徐嶷、景陵の陸鴻漸」を列挙している。

『全唐詩』を検索すると、霊一と皇甫兄弟（皇甫曾と皇甫冉）の間に、唱和送別の詩が多く交わされており、親密な交遊関係があったことははっきり見てとれる。ここに、関連する作品の詩題だけを掲げておく。

（０１）劉長卿　寄霊一上人初還雲門（一作皇甫曾詩）（巻一四八）

（０２）劉長卿　寄霊一上人（一作皇甫冉詩、一作郎士元詩）（巻一四八）

（０３）李嘉祐　同皇甫冉赴官留別霊一上人（巻二〇六）

（０４）郎士元　赴無錫別霊一上人（一作劉長卿詩、一作皇甫冉詩）（巻二四八）

（０５）皇甫冉　西陵寄霊一上人（一本題下有朱放二字）（巻二四九）

（０６）皇甫冉　赴無錫寄別霊一淨虚二上人（一本有還字）雲門所居（一作劉長卿詩、一作郎士元詩）（巻二四九）

（０７）皇甫冉　小江懐霊一上人（巻二五〇）

（０８）霊　一　酬皇甫冉西陵見寄（一作西陵渡）（巻八〇九）

（０９）霊　一　酬皇甫冉將赴無錫於雲門寺贈別（巻八〇九）

（１０）霊　一　贈別皇甫曾（巻八〇九）

（１１）霊　一　同使君宿大梁駅（與清江喜皇甫大夫同宿大梁駅詩小異）（巻八〇九）

以上によって、霊一は「塵外の友」として皇甫曾と頻繁に詩文の応酬を交わし、それと同時に「友善の者」として霊祐と親密に交遊していたことが明らかにされたと思う。前にも述べた通り、霊祐は鑑真の門徒であり、霊一を鑑真に結びつける重要なパイプ役として注目される。

かたや皇甫曾は詩僧の霊一と親しく交わっていたこと自体、仏教とくに律宗に対する深い理解を持っていることを示唆してくれる。彼は霊一およびその周辺から鑑真渡航の一部始終を聞き、その壮絶な冒険行に強く心を打たれたのであろう。もしこれが事実ならば、官憲のお咎めを覚悟したうえで、こっそり龍興寺に鑑真を訪ね、惜別の詩を贈呈させる動機となったはずである。