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厚木高校が横浜高校に勝った?

(前回のコラム「神奈川キュージーズ1999」の続き)

では、「神奈川キュージーズ1999」の投手陣を紹介しよう。

 
    名前 チーム 出身高 年齢 試合 勝利 敗戦 セーブ 投球回 防御率
  川村 丈夫 横浜 厚木 27 26 17 6 0 183    3.00
  松坂 大輔 西武 横浜 19 25 16 5 0 180    2.60
  石井 貴 西武 藤嶺藤沢 28 26 13 8 0 178 2/3 3.07
  若田部 健一 ダイエー 鎌倉学園 30 26 10 6 0 158 2/3 3.29
L 山本昌 中日 日大藤沢 34 25 8 5 0 158 1/3 2.96
L 高橋 建 広島 横浜 30 36 3 7 0 102    4.68
                     
  矢野 英司 横浜 横浜 23 30 2 5 1 64 1/3 6.16
L 阿波野 秀幸 横浜 桜丘 35 40 2 8 1 62 2/3 6.32
  小桧山 雅仁 横浜 桐蔭学園 30 20 4 1 0 45 1/3 3.77
L 菊地原 毅 広島 相武台 24 21 3 5 0 36    7.75
L 河原 隆一 横浜 横浜商 28 27 0 1 0 27 2/3 3.90
  横山 道哉 横浜 横浜 22 43 4 3 2 69 1/3 4.93

※・・・成績は1999年のもの。
先は先発、リはリリーフ、抑は抑え。Lは左投げ。
年齢は、1999年の誕生日を迎えての満年齢。
ただし、早生まれの選手は1歳繰り上げたため、年齢が同じ選手は同学年である。

チーム最多勝は川村。
3完封などで17勝を挙げた。
183投球回で与えた四球はわずか43。
見事な投球内容だが、この年のセ・リーグの投手タイトル争いはハイレベルだった。
野口(中日)が19勝、新人の上原(巨人)がさらにその上を行く20勝で最多勝。
川村は惜しくもタイトルに手が届かなかった。

勝ち数では川村に劣る松坂は、高卒1年目でパ・リーグ最多勝に輝いた。
高卒新人の最多勝は、1955年の宅和本司(南海)以来、44年ぶりの快挙。
やはり怪物である。
この年、西武には、松坂、石井貴、西口、豊田と4人の10勝投手がいた。
それにもかかわらず、西武は優勝を逃した。
敗因は、リーグ最低の得点だった打線の力不足である。
こればかりはいくら怪物でも如何ともし難い。

先発4人目の若田部までが2ケタ勝利を記録した。
若田部は自身3回目の10勝。
もはやベテランの域に入る若田部だが、いい年と悪い年との差が激しい。
1999年はいい年のほうで、防御率3.29は自己ベストだ。

いっぽう、山本昌は毎年着実に勝ち星を積み重ねる。
防御率2.96はリーグ3位と好投し、8勝をマーク。
この後、2000、2001年と2ケタ勝利し、プロ18年で通算144勝。
最多勝3回の左腕は、神奈川県民の誇りだ。

規定投球回(135回)をクリアした投手が5人、2ケタ勝利が4人、左腕が2人とバランスが取れていて先発陣は申し分ない。

 

阿波野は、8月3日の広島戦で先発し、勝利投手になった。
近鉄に所属していた1993年以来、6年ぶりの先発勝利だった。
しかし、先発は8試合のみで、32試合はリリーフ。
とはいえ、防御率6点台では大事な場面で登板させにくい。
矢野、菊地原の防御率もひどい。

ベイスターズの守護神佐々木は、この年かぎりでアメリカへ旅立った。
日本最後のシーズンは途中リタイアで、23試合登板だけだった。
横山が後釜として期待されたが、わずか2セーブ。
内容も悪く、抑えの大役を任せるのはまだ早かったようだ。

 

上記12人以外の投手は以下のとおり。
今関、白坂は、海外で野球しているらしい・・・

 
  名前 チーム 出身高 年齢

試合

  河原 純一 巨人 川崎北 26 8
  部坂 俊之 阪神 横浜 25 16
  今関 勝一 日本ハム 大楠 28 6
  川俣 浩明 ロッテ 藤沢商 27 5
  丹波 幹雄 ヤクルト 横浜 25

0

L 白坂 勝史 中日 横浜 24

0

※・・・藤沢商は、現在の藤沢翔陵。

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