県民は抑え投手を待っていた
前回のコラム「神奈川キュージーズ2002」のつづき
つづいて、神奈川キュージーズの投手陣を紹介しよう。
名前 | チ | 歳 | 出身高 | 試 | 勝 | 敗 | S | 投球回 | 安打 | 四球 | 三振 | 防御率 | ||
先 | L | 高橋 建 | 広 | 33 | 横浜 | 26 | 9 | 14 | 0 | 173 1/3 | 197 | 38 | 142 | 3.84 |
先 | 若田部 健一 | ダ | 33 | 鎌倉学園 | 26 | 10 | 8 | 0 | 147 2/3 | 152 | 36 | 96 | 2.99 | |
先 | 石井 貴 | 西 | 31 | 藤嶺藤沢 | 22 | 8 | 3 | 0 | 130 1/3 | 134 | 36 | 73 | 3.11 | |
先 | L | 山本昌 | 中 | 37 | 日大藤沢 | 21 | 7 | 6 | 0 | 86 1/3 | 90 | 9 | 67 | 3.96 |
先 | 松坂 大輔 | 西 | 22 | 横浜 | 14 | 6 | 2 | 0 | 73 1/3 | 60 | 15 | 78 | 3.68 | |
先 | 川村 丈夫 | 横 | 30 | 厚木 | 3 | 0 | 1 | 0 | 10 1/3 | 15 | 5 | 6 | 6.97 | |
リ | 伊達 昌司 | 神 | 27 | 法政二 | 41 | 2 | 3 | 0 | 57 | 49 | 14 | 40 | 3.32 | |
リ | L | 稲嶺 茂夫 | 横 | 24 | 東海大相模 | 19 | 0 | 2 | 0 | 21 2/3 | 32 | 10 | 22 | 6.23 |
リ | L | 河原 隆一 | 横 | 31 | 横浜商 | 34 | 1 | 1 | 0 | 16 1/3 | 23 | 12 | 21 | 6.06 |
リ | 横山 道哉 | 横 | 25 | 横浜 | 13 | 1 | 2 | 1 | 12 1/3 | 10 | 8 | 13 | 4.38 | |
リ | 部坂 俊之 | 神 | 28 | 横浜 | 9 | 0 | 0 | 0 | 6 1/3 | 4 | 2 | 5 | 2.84 | |
抑 | 河原 純一 | 巨 | 30 | 川崎北 | 49 | 5 | 3 | 28 | 50 | 44 | 6 | 61 | 2.70 |
2002年シーズンの実際の成績。
Lは左投げ。
所属チームは2002年シーズン終了時のもの。
年齢は、2003年4月1日時点のもの(同じ年齢の選手は同学年)。
規定投球回(140回)には高橋建と若田部が到達した。
若田部は自身4度目の2ケタ10勝で、防御率2点台ははじめて。
完投数は7で、ミンチー(ロッテ)とならぶリーグ最多だった。
2002年のダイエーの投手陣は、どうも元気がなく、チーム防御率はリーグ5位の3.86。
そのなかで若田部はベテランの意地を見せ、チーム勝ち頭となった。
高橋健も6完投と馬力はじゅうぶんだ。
ただ、197安打(被打率.283)とはちょっと打たれすぎではないか。
2001年の投球回は173回ちょうどと2002年とほぼ同じ。
そして被安打は、30本も少ない165安打で、被打率は.258。
ずいぶん悪化したと思いきや、広がったストライクゾーンの恩恵があった。
与四球は2001年の60から38へと大幅に減った。
その結果、被安打と与四球を足してみると、225→235とそう驚くほど悪くならない。
逆に防御率は4.27→3.84と、2002年のほうがよくなった。
藤沢出身のふたりは今ひとつの成績に終わった。
山本昌は7勝で100投球回にも届かなかった。
37歳の大ベテランにとって、規定投球回未満の屈辱を味わうのはひさしぶりだ。
1989年に一軍に定着して以来、2001年までの13シーズンで、その屈辱は1995年の1回だけ。
通算150勝を達成した中日の長老は今季に復活をかける。
石井貴は故障が多く、このくらいの成績なら藤沢市民も納得しているだろう。
エースとなるはずの松坂が先発5番手とはなげかわしい。
ただ、プロ1年目からの酷使で疲労も蓄積しているだろうから、ここでじっくりと治療して息の長い投手となってほしいものだ。
伊達はルーキー年に28試合、2年目に41試合と首脳陣の信頼も厚い。
防御率は3.75→3.32と安定している。
横浜ベイスターズから中継ぎ投手が3人チーム入り。
しかし、3人とも投球内容は安定していない。
今までこの神奈川キュージーズは、1999〜2001年のチームを見てきたが、いずれも抑え投手不在に頭を痛めてきた。
ついにその悩みに終止符が打たれるときがきた。
もちろん河原純一である。
28セーブ(33セーブポイント)をあげ、抑えに本格転向したばかりとは思えない投球だった。
原新監督のこの抜擢が、優勝の大きな要因だったことは言うまでもないだろう。
9月24日甲子園での阪神戦、1点リードの9回裏、原監督は胴上げ投手とすべく、河原をマウンドに送りこんだ。
しかし、濱中にホームランを浴びて同点。
試合は延長にもつれこみ、さえない優勝決定試合になった。
時は変わって日本シリーズ第4戦、4点リードの9回裏に河原が登場。
ここはきっちり締めて、今度こそ胴上げ投手の名誉を勝ちとった。
上のメンバーにもれた投手は以下のとおり。
名前 | チ | 歳 | 出身高 | 試合 | |
小野 剛 | 巨 | 24 | 桐蔭学園 | ||
丹波 幹雄 | ヤ | 28 | 横浜 | ||
矢野 英司 | 横 | 26 | 横浜 | ||
川俣ヒロアキ | 神 | 30 | 藤沢商 | ||
L | 菊地原 毅 | 広 | 28 | 相武台 | 4 |
藤沢商は、現・藤沢翔陵。