レス有難うございましたm(__)m。
確かに改革を急激にすると、中国は暴走するのは、確かだと思います。
趙紫陽氏の志向した方向は再評価されるのはおそらく3/40年後ぐらいだと思っております。
それと、中国および台湾の当代史はスリリング過ぎて左右どちらにもよらない
考えは、細心の注意を要しますよね。
中国人物史の中に、歴代の清官や丞相、宰相なども加えて戴けると嬉しい限りです。
中国の歴史では明代、清代はあまり、目立たないようですが…。
たとえば康熙時代の周培公、姚啓聖など
明代の于謙は確認出来ました。
雍正帝を読みました
褒めてるわりには
冷たいひとだなーとの印象を
消しさることが出来ませんでした
全集版で読みましたが
何と!月報には陳さんと
寺田隆信さんが書いておられます
陳さんは宮崎氏の孫弟子に当たられるそうで・・・
プリンセスGOLDで先月から
破龍(長池 ともこ)が始まりました
先月が曹操で(丁夫人が可愛かったー)
今月が孫策です
来月は誰?
>管理人さま
松山にはとんかつパフェというメニューがある
とんかつ屋さんがあるそうですね・・・
食べたことありますか?
桃源郷の中で陳さんは
宋江を耶律大石の部下にしてます
水滸伝での扱いに納得できない方は必読です
>永一さま
亜東書店で『法苑珠林校注』買っちまいました、中華書局の中国仏教典籍の。
なかなか情報満載。
もう大変。
いえね、テレビとかDVDレコーダとか、
買ったあとでしたから。
困窮…。
>ひとりごとさま
>近代の中国を本当に苦しめ、最大の被害を与えたのは国民党を含む軍閥の割拠と混戦でした。
断言できる理由が分からないので、できればここの根拠教えていただけますか?
そもそも抗日戦の犠牲者数からして諸説あったような気がするんですが。
数値的に比較可能なものがあれば、ありがたいです。
1936年の工業生産が、抗日戦と国共内戦を経て、1949年には半減していたとか。
年率5000パーセントインフレとかは見たことあるんですけどね。
軍閥混戦を数値化したものはたぶん見たことないと思いますので。
>毛沢東が言うように、革命とは美化することなど出来ない、殺人が横行する地獄なんです。
美化する必要はないと思いますけど。
一面ではおっしゃるとおりだと思いますし。
別の一面では、皇帝も科挙官僚も弁髪も纏足も宦官も地主も小作もなくなりましたね。
>この半世紀こそが清朝を崩壊させ中国を地獄へと導いた期間だとおもいます
清朝衰勢の時期と列強が猖獗を極めた時期が重なってしまったのは、中国の不幸でしたね。
清朝崩壊は西太后の責任はもちろん大きいです。
ただこれは西太后ひとりに罪を着せてすむ話でもなく。
中国革命で多量の血が流れたというのは、外圧によって体制的にも文化的にも中国が大き
く変わらざるをえなかったからだと思います。軋轢も迷走も多く出てくる。アヘン戦争以
来のウェスタン・インパクトの影響が20世紀はじめに収斂・輻輳した結果でしょう。
>歴史にIFを持込むのは間違いです、そのような意味ではありません。
これは僕の誤読でした。すみません。
>西太后を賞揚する声は聞かれても、粛順は無名に近いという事実が、
西太后はむしろ悪名高いんだと思います。
粛順を世に知らしめるというのは面白いと思いますよ。
>family wifeさま
電腦上語言環境的話:
中文簡體字字符編碼=GB2312
中文繁體字字符編碼=BIG5
日文JIS規格字符編碼=SHIFT-JIS
日文ASCII字符編碼=EUC-JP,
完全不同,同樣的漢字電腦内指定也不相同。
這個掲示板因為是SHIFT-JIS環境,被這個掲示板就那樣貼中文IME被寫了的
東西的話,亂碼做了。
我寫了的「人物事典」張岱的項目純粹歿年沒清楚。
信息提供謝謝。
>石野陽虎さま
礪波護先生の講演見てこられたんですね。
僕も行こうか〜という話もあったんですが、流しちゃいまして。
2月11日の国宝展は絶対流しませんので。
「内藤湖南〜人と学問〜」は、もとの情報源は光璧さんとこで、
教えていただいたのは僕のほうです。
http://www011.upp.so-net.ne.jp/hu-xi/
大坂の町人学者富永仲基を発掘したのが、湖南でないってのは意外ですね。
仲基を褒めたおした講演の文章なんか、そうは思えなかったんですけど。
ちょっと見返すと湖南の文章のとくに講演を起こしたものは褒めたおしが多かった
かな。
富永仲基を褒め、慈雲尊者を褒め、山片蟠桃を褒め、『通典』の杜佑を褒めるとい
う。ふくらまして褒めるのが得意な人だったのかなあ。
永一さんが教えてくれた礪波護教授による「内藤湖南〜人と学問〜」という講演が、抽選に当たったんで聴いてきました。
記憶をたどって受講録をアップしましたので、お暇でしたら、何かのご参考に。
張岱(1597-1679) http://www.sxip.com.cn/mrhc/mrwx05.htm
http://www.china10k.com/trad/history/6/61/61z/61z04/61z042e.htm
http://tech.163.com/2004w11/12741/2004w11_1100858021087.html
http://gb2.chinabroadcast.cn/1015/2003-8-11/113@284372.htm
張岱・1597-1689
Thank you むじん and NAGAICHI Naoto.
I have find the content I want.
You are so modest. I am very ashamed for call of teacher.
You teacher me more then me.
Because I want to know the era background of the book so I have searching a lot of way.
I admire your nationality that absorption quintessence and abandon the dross.
I suspect many things the history book tell me.
As same time, I have a lot of things don't understand and I wish help each other.
I wish my motherland as strong happy and peace as ohter country.
thanks for your help again.
そういう意味では、粛順は地方軍を掣肘しようとしたとか、
西太后を殺害しようとしたとか、いろいろと言われていますが、
おそらくは、言われる通りで、太平天国軍が鎮圧された後では地方軍を解散させたでしょう、
また西太后を政治的に徹底的に追込むまで攻撃を止めなかったでしょう。
曾国藩自身は、即座に自軍を解散しており、
彼の息子である曾紀澤も、軍閥でなく中央の外交官として活躍したのも知られる通りです。
また西太后については、政治的混乱を半世紀にわたって継続させました、
この半世紀こそが清朝を崩壊させ中国を地獄へと導いた期間だとおもいます。
歴史にIFを持込むのは間違いです、そのような意味ではありません。
中国において、また日本においてさえ、
西太后を賞揚する声は聞かれても、粛順は無名に近いという事実が、
歴史的人物の評価として正しいのだろうかと思われただけです。
これは辛亥革命正当化や満州族中傷にも言える事ですが、
歴史を政治に悪用するのは漢民族の性のですから致し方ないのかもしれません。
今現在でも軍閥割拠時代の影響を拭えていない中国では、抗日が政治的言訳にされていますが、
近代の中国を本当に苦しめ、最大の被害を与えたのは国民党を含む軍閥の割拠と混戦でした。
曾国藩の地方軍は評価されていますが、一方で軍閥の萌芽でもあるわけです。
実際に曾国藩の世代は、粛順の指令を厳守して中央からコントロールが可能でしたが、
彼の次の世代になると、軍閥による利権の自己再生化が進んで、
清仏戦争も日清戦争も統一した清の全国軍として戦う事ができなくなり、
義和団戦争にいたっては中央の指令を地方軍が無視するようになり、
最終的には三世代目の遠世凱によって辛亥革命を許してしまいました。
辛亥革命、革命の理念といえば聞こえが良いですが、ようするに軍閥混戦時代の始まり、
略奪と殺人が全土的に展開されるようになった、地獄の幕開けです。
中国では、辛亥革命や文化大革命を爆発といいます。
いまだかって本当の意味の革命を経験した事の無い日本人には理解できないですが、
毛沢東が言うように、革命とは美化することなど出来ない、殺人が横行する地獄なんです。
満清は別人種だから裏切ってよい、というのが買弁や反乱者、自称革命家らの言訳でした。
実際には、むしろ、各地の地方軍を強化する方針が出た後では、満族への俸給を滞らせ、
乱の続発で貧窮した旗人をさらに追詰めています。
また、アイグン条約を巡る前後の事情を見ても、
満族の故地である東北部を、他の地域のために犠牲にしている。
もし、清朝が、辛亥革命礼賛者が言うような満州族至上の差別的な政権であれば、
漢族を列強に切り売りして満州族の利益を保っていたでしょう。
実際には各地の八旗兵は、辛亥革命によって、彼らが守って来た漢族から襲撃されるまで、
中国人として、貧窮化する中でも持ち場を守っています。
むしろ元が漠北に逃れて北元を建てたように、中国を列強に切り売りしても良かったのに、
それをしていません。
彼ら自身は、中華民族としての責任を自己の民族よりも重視し続けたのだと思います。
>殷景仁さま
桓温の名前が出てくる字謎なんか、後世に作られたにおいがしますね。
200年を102年って、東晋の終焉などは後付け解釈で取り繕ってますね。
予言者として成功するには、たくさん予言しておくことと、どうとでも取れる
ようにしておくことが大事らしいですけど。(^^;)
>family wifeさま
指教感謝。
Thank you for teaching.
我也想試著去如皋水絵園和無錫寄暢園。
I want also to go to Shuihui park in Rugao and Special jichang park in Wuxi.
對日本人來説理解中國的古典的背景有的典故和習慣不容易。
As for the understanding of the tradition and the custom the Japanese is in
the background of classics of China,
一邊安上註釋一邊理解著那些。
they are understood while applying not easiness but the annotation.
在文化和制度和政治上,我們從中國受到了的影響有很大的東西。
The influence that we received from China on the culture, the system, and
politics has the large one.
我想考慮這個事的時候,通過中國的古典和歴史學習的東西還多。
When thinking of this, I think that the one learnt from classics and the
history of China is still a lot of.
到這裡在建前,作為業餘愛好者的愛好享受學習著,不過。
It enjoys as amateur's hobby in the polite fiction and it learns here.
>ひとりごとさま
はじめまして。
粛順を高く評価されてますね。
太平天国の乱がなかったら、粛順が八旗を立て直していたかもしれないですし、
清朝ももう少し長く続いたかもしれませんが。
太平天国がなかったゆえに、曾国藩や李鴻章のような人物が実力を持つ機会は
失われたかもしれないですし、北洋海軍の建設なども遅れたかもしれませんよ。
辛酉政変で粛順が殺されていなかったとしても、いずれ西太后らと共存できた
かどうかは怪しいので、かれの本意のとおりに歴史が進んだかどうかは分かり
ません。実力を保持し続けられれば、西太后らの保守政治は掣肘受けたでしょ
うね。
歴史のIF、思考実験、センス・オブ・ワンダーってのは、難しいです。
歴史の最小部分に事実と異なる要素を代入することで、その後の歴史がこんな
に変わるんだというのを考えるものですが。
下手打つと、小説家の空想やご都合主義に陥りかねませんから。
でも歴史見てると、誘惑には勝てないんですよね。
>方壺島主さま
ひとりごとさんの問題意識に対する回答にはなってないですよ、それは。
たまに名君や名宰相が出ても、しょせんは専制だ、むしろそういう人たちは
専制に幻想を与え、専制を長持ちさせるから、かえって害悪だ…という逆説は
理解できますけどね。
この逆説を当てはめて、西太后や恭親王が粛順を倒してくれてむしろ良かった、
結果的に清朝の寿命を縮めてくれたからだ、ではたぶん納得できないですよ。
単に清朝の命数の長短だけでなく、もし改革が進んでいれば、列強にいいように
食い物にされなかったかもしれない、という視点は依然残るからです。
太平天国の乱が滅満興漢イデオロギーと結びつき、のちの中国革命に深い影響を
与えたという点がひとりごとさんの議論から抜けてるのはたしかですけど。
>むじんさま
旧王朝の旗を掲げつづけたというところではそうですね。
劉備ほどのしぶといバイタリティーは持ってない人ですけど。
方壺島主さま:
今偶然『シベリア出兵の史的研究』(細谷千博、岩波現代文庫)を読んでいるのですが、そこでは「ウィルソンがソヴィエトに対する武力干渉には非常に積極的であった」という解釈には、いくつかの留保が提示されていました。
この書によれば、確かにボルシェヴィズムを「醜悪で有毒な存在」(1919年)とし、干渉を決定したのは事実ですが、そこに至るまでの経緯は必ずしも直線的ではなく、殊にロシア革命直後に取った態度からは、強硬派の国務長官ランシングと容認派の最高顧問ハウスの双方対立する主張の間で決定を下せない状態にあったことがわかります。つまり頭から革命を否定するのでもなく、かといってその存在を全面的に容認するほどでもない、というのが当初の(あるいは基本的な)政治態度だったといえます。こうしたウィルソン本来の態度が変化したのは、国内の世論の高まりと、英仏の再三にわたる要請、日本の動きなどの複数の外的要因によるものであるとこの筆者は述べています。
ここから見ると、ウィルソンのソヴィエト干渉は、彼のパーソナリティよりも、国内の世論と国際情勢によって形成されたと見る方が妥当であるといえます。その点では、当初からボルシェヴィキに感情的な嫌悪を抱いていたランシングの態度とは、一線を画す必要があるかもしれません。
もちろんこれは、あくまで細谷氏の見解に従ってのことなので、これと異なる見解があることと思います。そうした見解、あるいは他の著書について、何かお教えいただければうれしく思います。
また、歴史の上である人物の行為を判断する場合、「結果として帰結するところは同じである」という見方と「帰結するところは同じでも、その思惑において差異が見られる」という見方のどちらを優先するかということが問題になると思いますが、これについては、その場その場の状況によるというのが私の判断です。これについても、何かご意見をくださればうれしく思います(でもやっぱり近現代史は難しい…)。
劉備みたいなもんですね>弘光帝
清朝支配下の漢人にとっての、理念としての「反清復明」。
満清じしん、漢土を「自国」と思っていたのでしょうか。深層心理のどこかで
「よそもの」意識を持ち続けていたのでは。その意味で、たとえ太平天国の混
乱期に多大な被害があったにせよ、満清という「外国」の支配からの解放の意
義は大きいと解されるのでしょう。そういう歴史的変革の胎動における、破壊
的創造をかの国は常に受容してきました。その意味では、逆に闖王・李自成の
ように明朝を滅ぼしたものの、かえって満清に利する結果となった反乱の評価
が低いのも頷けるのではないでしょうか。
清末〜民国初のころの人物としては、自分は魏源や章炳麟などの思想家をこそ
もっと注目すべきだと思っています。確か『老残遊記』の中に、「清官の罪は
濁官よりも甚だしい」というような言葉があったと思います。これは当時の腐
敗した官僚主義を批判している言葉なのでしょうが、ちょっと飛躍して考えれ
ば、「よい政治家」というものの存在は、「悪い政治家」の存在よりも性質が
悪いと解しえますまいか。
清末の改革派に対する評価はそれとして、世の中に「悪い政治家」しかおらね
ば、人々は「ああ、世の中には悪い政治家しかいない。世の中闇だ」と納得も
できるし、政権に絶望もできるし、覚悟もできる。しかし数百人、数千人に一
人、「よい政治家」や「よい官僚」が現れると、「世の中捨てたもんじゃない」
と淡い期待も抱くし、政権の本質じたいから目を背けて誤解が進むし、また場
合によっては愛国心のようなものまで喚起してしまう。それこそが人民に塗炭
の苦しみを与える過ちなのではないでしょうか。
それに「よい政治家」というものも、じつは往々にして「ある一面において」
よい政治家であるのです。例えば幣原喜重郎の平和外交は、膨大な借款や投資
によって中国経済を完全に支配することによって、武器を使わずに中国を半植
民地化できる、というものでしたから、帰結するところは強硬派と同一でした。
ウィルソンは国際協調の平和路線の夢想家でしたが、ソヴィエトに対する武力
干渉には非常に積極的でした。つまり彼が夢想したインターナショナリズムと
は、「アカ」のいない世界観に基づくものだったのです。
中国近現代史については大した知識を持ち合わせていないので、詳しくは岩波
新書の『中国近現代史』小島晋治・丸山松幸著や、『文化大革命と現代中国』
安田正士・太田勝洪・辻康吾著などをご参照ください。
一人の人間の生死が、いわば中国数億人の運命を、以後の百年にわたって左右した。
そのわりには、この人のことは、あまり注目されていないようです。
太平天国の乱で、八旗が役に立たなかったという話が往々に見られますが、
先立つ阿片戦争では広州、鎮江、作浦の戦いなど、奮戦している所からみると解せない。
そもそもが各地に分駐していた正規軍が、阿片戦争の打撃が止まず、
今またアロー号戦争が開始されたような状況で、纏まって対応する事が出来たんだろうか。
どうも、太平天国の乱を贔屓の引き倒して正当化するが為に、
八旗などを不当に貶めている感がします。
粛順について、このサイトで見せていただきましたが、
曾国藩などを重用したと聞いて色んな事が思い浮かびました。
両次にわたる阿片戦争で、纏まった八旗軍を内乱に振り向けられない状態で、
緊急避難的に郷士が大規模な軍隊を持つ事を許したんじゃないかと。
つまり、彼が政争で殺害されず生き延びて軍政を改革していれば、
清は自国を混乱に陥れる事はなかったのかもしれない。
太平天国の乱こそは、中国人を塗炭の苦しみに陥れる端緒だったのではないか。
Special jichang park who is in Wuxi Jiangsu. Because there has a same name Pavilion in the park with your web.
Sorry for chinese word.
Thanks for you and the web you give me. Thanks very much.
Wish best regards in the future each other.
I have been to the garden "拙政園" in Suzhou too. But I think the park
that became the model of "Dreams of the Red Mansion" isn't one only.
For exerple, Shuihui park(水絵園) in Rugao Jiangsu and Special jichang park(寄暢園) who is in Wuxi Jiangsu. Because there has a same pavilion in the park.
About The Dreams of the Red Mansion I think the writer was write as history.
But the Way he used was very concealed. In the same time, he used a lot of Chinese Idiom・Folk adage and Historical allusion in the book.
But, Chinese old men would be understand it.
I guess they know who is the wuiter too. But they don't talk out.
Probably it is unsafe.
Thanks nice.
六朝期では、郭璞が有名ですね。『晋書』によれば、その妙術は世にならびなく、漢の京房や魏の管輅すらしのいだと言われるぐらいです(文学者としても有名ですが)。というわけで、その予言の一端を紹介しましょう。
王導の幕下で、司馬睿の行く末を占った時の予言。
「(建業の)東北にある郡の『武』のつく県で鐸が発見されるでしょうが、それが受命の印です。西南にある郡の『陽』のつく県で井戸が沸きだすでしょう」。その後、晋陵の武進県の者が畑から銅鐸五枚を発見し、歴陽県では井戸が何日も沸きつづけた。
桓温の出現を占った予言
「人有り、李を姓とす。児、征戦を専らとす。譬えば車軸の如し、脱するは一面に在り。爾来爾来、河内の大県」
(「児」は「子」であり、「李」から「子」を取り去れば「木」が残り、「車」から軸棒を取り去れば「亘」の字になる。これを合わせれば「桓」の字ができる。「爾来」とは「元始」の意味であり「元子(桓温の字)」に通じる。河内郡の大県とは「温県」のことであり、ここから「温」の字が現れる)。
東晋の終焉を占った予言
元帝が丁丑の歳(317)に晋王を称した時、郭璞に占わせたところ「二百年で終わります」と予言した。丁丑の歳から禅譲の行われた庚申の歳(420)までは、百四年であるが、丁丑の始めと庚申の終わりはそれぞれ西晋・宋の歳であるので、それを除けば、残りは百二年となる。郭璞は百二年では短いと思ったので、数字をひっくり返して二百年と言ったのであろう。
他にも「王導に降りかかる災いを未然に予知し、柏の木を身代わりにして防いだ」とか面白いのがあるのですが、このあたりにしておきましょう。まあ、これらの予言もオカルト解釈のパターンを踏み外したものでありませんね。
>太白さま
「中国のノストラダムス」
宣和堂さんが日記で言ってたやつですね。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~xuan-he/cgi-bin/nicky/nicky.cgi?DATE=200501?MODE=MONTH
WPB元記事読んでないので、コメントしずらいですが、『推背図』はじめて聞きました。
中国史も掘り返せば、オカルトアイテムてんこもりですわあね。
だいたい正史や通鑑読んでたって、それらしい瑞祥・凶兆がその後の王朝興衰の予兆だった
ことにされてたり、だれそれの予言にもとづく助言に従わなかった君主は失敗したとかいう
話、ごろごろしてますし。
籤緯も、易や春秋の経典解釈から出発して、微言大義のオカルト解釈に進んでいった流れ、
軽視するわけにいかないですけど。後代には籤緯の解釈が必要になるのね。(笑)
トイレの紙のはじめの話ですが、
夭逝した皇太子チンキム自身の話ではなく、チンキムのお妃さんの話です。このお妃さんが
察必皇后のために紙を柔らかくして差し出した、と。そう書いたつもりだったんですが、
ごめんなさい。
『元史』巻116列伝3后妃二に裕宗徽仁裕聖皇后伯藍也怯赤と尊称されている人。何てカナ当て
ればいいんでしょうか?
>斉太公さま
はじめまして。相互リンクのお誘いありがとうございます。
こちらからも貼らせていただきます。
先秦諸子と『史記』の紹介、『史記』の部分はすごく網羅的に作られてますね。
立ち上げたばかりと謙遜されるのに、そう見えませんよ。
最近『史記』について思うことといえば、
滝川資言『史記会注考証』欲しい〜、でも高い〜ということだったりします。
三家注がネットで見られる昨今、これもネット上にあったらいいのですけど。
こちらこそよろしくお願いします。
>tomohiroさま
亡くなられましたね。ここ15年表舞台には出てこられてない人でしたので、
ただちに中国政界への大きな影響はないと思うのですが。
長いスパンで考えたときに、趙紫陽氏の志向した方向は再評価されるんじゃないか
と思ってます。
ただ現実の歩みはあまりにのろいし、いまの中南海も考えているとすればライトラ
ンディングで斬進的な方向で考えてるでしょうね。地方の一部で無所属候補も含む
限定選挙をやってたりするのも、孫文の「三序」構想みたいな発想が北京にあるん
じゃないかと思ったりもします。
中国はあまりに巨体なので、急激な変革をやると、必ず急進と反動がせめぎあって
流血沙汰になります。体制安定と経済発展が至上命題のいまの中国では、民主化は
二の次、三の次の課題に押しやられているわけで、苛立つところも多いわけですが。
現代史(中国的にいえば当代史)の人物については、たびたびせっついていただい
てまして。期待していただいているのは、たいへんありがたいです。
いい資料があれば、増やしたいところです。
>むじんさま
弘光帝は崇禎帝の後をうけて立った南明の最初の皇帝です。
http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/chuushi36.html#437
人によると、福王朱由ッといったほうがぴんと来るかもしれません。
もし「僭号者」というのであれば、清の順治帝入関後の話ですから、
清代の人ということになります。
>方壺島主さま
>だとすると、「でかい!」。鼻に入らない!
【棗】なつめ/クロウメモドキ科ナツメ属/落葉高木/中国原産
●花と実:6〜7月、葉腋から短い集散花序を出し、径5〜6mmの淡黄色の花が2〜3個つく。
実は球形〜長楕円形で長さ2〜3cm。秋に暗紅色に熟す。
──片桐啓子・金田洋一郎『樹木』(西東社)より
長楕円形のやつなら入るのかなあ?
>family wifeさま
初次見面,歡迎在。
(Welcome! Nice to meet you!)
我叫永一直人,是网站"枕流亭"亭主。
(My name is Nagaichi Naoto. I'm a webmaster of this site "枕流亭".)
我關於曹雪芹《紅樓夢》不太詳細。對不起。
(As for Cao Xueqin "Dreams of the Red Mansion", I'm not so well informed. I'm sorry.)
可是我去過成為了《紅樓夢》的模型的蘇州的庭園"拙政園"。
(However, I have been to the garden "拙政園" in Suzhou that became the model of
"Dreams of the Red Mansion".)
弘光帝的名字是朱由ッ。
(The Emperor Hongguang'sname is Zhu Yousung.)
今後一起請多關照。
(My best regards in the future.)
>Guang-Biさま
ごぶさたしてます。駄文読んでいただきまして、お目汚しでした。
情報ありがとうございます。
明末から清にかけて、蘇州中心に士大夫文化が豊かになっていったというのが、紙を通じて
伺い知れる話ですね。
>殷景仁さま
>映像がストーリーに従属せず、それ自体で雄弁に存在するという点では、
ええ、映像はすごかったです。街の雑踏やパレードシーンやハウルの部屋のオモチャ箱ぶりは
見ていてすごく楽しかったです。
>「エンターテインメントだからといって、何かを倒せば問題解決というような方法で、観客にカ
>タルシスを与えばいいというような嘘はつきたくない」
宮崎映画で何かを倒して問題解決だったのは、カリ城とラピュタくらいで、ほかはそうでな
い映画ばっかしだったですけどね。たとえば「もののけ姫」なんか文脈は難解なものを含ん
でましたが、テーマ自体は一見して痛いほどよく分かったものですけど。
今回「ハウル」は文脈は平易なものに見えて、テーマや寓意がさっぱりぴんと来なかったも
のだから、ラストになるほど醒めてしまって、アンチクライマックスにしか思えなかったの
です。もう一回くらい見れば感想が変わるでしょうかねえ。
弘光帝って聞いたことないなと思ったら明代の僭号者なんですね。
Who can tell me about the Emperor name's Hongguang (弘光) of the China?
Thanks very mach!
趙紫陽氏が亡くなりましたね。
彼は天安門事件の時に国家主席で学生に理解を示した人として覚えております。
彼がなくなった事により、これからの中国などうなるか。興味がある一方で
怖いです。
今1番興味があるのは、中華人民共和国の現時点の政治家と、台湾の
李登輝以降の政治家の動向なので、前近代よりスリリングなものを感じるので
貴殿のサイトで情報を充実させてください。
はじめまして。斉太公と申します。今日初めて来ました。「中国歴史 奇貨おくべし」から来ました。ここのサイトも情報量が多いですね。これからもよろしくお願いします。
ところで、相互リンクを募集されているということなので、お願いしたいです。
わたしのサイトでは、『諸子百家』『史記』を紹介しています。まだまだ立ち上げたばかりですが。リンクされるとき、バナーを使ってくださるのであれば、トップページの下のほうにあります。どうぞ、これからもよろしくお願いします。
なんか昨日ボーっと新聞見てたら雑誌の広告に「中国のノストラダムス」の文字が(笑)
モノは試しとその雑誌、週間プレイボーイ見てみたら、なんか唐代に書かれた予言書
のようなものを引っ張りだしてきて中国や北朝鮮が危ないとか戦争起こるとか何とか(笑)
しかし今更籤緯書とか持ち出して来られてもなぁー(^^;
>厠の話
「新聞で拭く時は揉め」ってのは、以外とチンキムが起源だったりするのかも(笑)
私も「ハウル」は去年の12月初めと末に二回見ました。
初め見たときは戸惑いましたが、二回目見たときにはずいぶん印象が変わりました。
二回目見たときはものすごい映画だと思いました。映像がストーリーに従属せず、それ自体で雄弁に存在するという点では、おそらく宮崎の最高峰でしょう。「ソフィーがローソクを掲げてハウルの部屋のドアを開ける」という何気ないワンカットでさえ、身震いするような思いがしましたから。
一回目見たとき戸惑ったのは、娯楽映画としてのお約束を、この映画がチャラにしたことによるのかもしれません。もちろん非常に密度の濃い映像についてゆくのが大変だったということもあるのでしょうが。
この作品について結局言いたかったのは、「エンターテインメントだからといって、何かを倒せば問題解決というような方法で、観客にカタルシスを与えばいいというような嘘はつきたくない」というようなことではないかと思います。だからといって、シニシズムやニヒリズムに行きたくもない。そういうことから、戦争を打倒するものとして描くのではなく、そうしたものが無意味なものとなって解消されてしまうという風になったり、呪いもまた然りで、解かれなければならないネガティブものとしてありつづけるのではなく、ソフィーの心理状態や周囲の状況によって、意味が変わってゆき、最終的に呪いが呪いとしての役目をなくしてしまう、というような感じのエンディングになったのではないのでしょうか?
こうしたやり方は、一歩間違えば、何もかもなあなあで済んでしまうという危険がありますが、さすがに宮崎駿の雄弁で明快な映像が、そんな危惧を吹き飛ばしています。私はそんな風に思いました。
あと、興味があればこちらもどうぞ。
トイレのコラム読みました(^^;)
『中国社会風俗史』は、私の場合、卒論でお世話になった文献の1つです。
それで、最近読んだ井上進『中国出版文化史』の226頁に、16世紀後半ごろには
「少なくとも江南諸都市の士人にとって、落し紙の使用は当然のことであった。」
などとあり、その元ネタの厠談義を記しているのが、
胡応麟『甲乙剰言』という書の「厠籌」という項だそうです。
貴重品の紙が、このくらい安価な消耗品と化して、
ようやく中国の出版文化が盛り上がっていったというのが、
もともとの話ですが、偶然タイミングよく見つけましたのでご報告まで。
How are you?
I am chinese. I like history too.
I Only a women.
I don't understand Japenese.
I would talk history with you before qingchao. Wouldn't you?
For example chinese fomous writer caoxueqin who write
The dream of red building.
Wish good ludk!
「雪隠」ねた、なかなか面白うございました。
快哉のついでに一つ自分も、と思ったのですが、ねたが出てきません。
なにか見つかったら、また書き込みます。
ところで、気になったのは、王敦が食べた棗。よく超級市場で売っているドライフルーツの
ようなやつだったのでしょうか。だとすると、「でかい!」。鼻に入らない!
たぶん晋の昔は品種改良されていない原種だったのでしょうが。
大きな棗を鼻に詰めようと奮闘しているうちに、ついうっかり裸のまま穴から
落ちませんように。
遅ればせながらハウルの動く城見てきました。
絵とアクションの質は相変わらずジブリです。
楽しく見れたのは確かなんですが、何かひとつ足りないという気がしました。
何が言いたかったの?宮崎監督。
可愛いのを集めてる、中国AA。
http://blog.livedoor.jp/koro_/archives/12252680.html
なぜトイレなのか?
http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/column11.html
いつも殺伐とした話ばっかり書いてるような気がするから。
いかん!ワシは偽りの平和を愛好する最後の使徒なのじゃ。
もっと文化的な薫り高い文章を書かなくては…
と思ったら、なぜか廁になりました。
さくっと読み流せるものを目指したので、中身は薄いです。
大筋でしっかりとしてるっぽい唐太宗の紹介文
http://homepage2.nifty.com/kazeutai/daimei/dai-00.htm
やるべきことは沢山あるけど、どうも気が乗らないので、本の整理。
いっとき『捨てる技術』なんて本があったけど、本を捨てられない。
二度と読まないだろうと自分で分かってる本が段ボールにうなってるけど、
いざ整理する段になると勿体ないお化けに取り憑かれるんだね。
とりあえず段ボールの中を点検。藤川圭介とか深沢美潮とかひかわ玲子と
か、ほとんど二十年もののライトノベルとかまだ取ってたよ。bye(;_;)
漫画…CLAMP〜聖伝とか東京バビロンとか初期のものは好きだったけ
ど、Xなんて読まないだろ。bye(;_;)
清水玲子〜初期のSF短編は好きだけど、輝夜姫とか長編はどうでもいい
だろう。bye(;_;)これも玄宗と楊貴妃の子孫とかいう荒唐無稽な設定あったな。高力士なんて人もいたし。
いろいろひっくり返したあげく、百冊単位で始末することにしたが、
あまり減った感じがしない。実際大して減ってない。だめだこりゃ。
>鹿角さま
>また内子町のことが載ってました
両親の実家が南予だから、南予方面いくときには通るんですけどね。
内子を目的に行ったことはないですね。去年の町並博も結局行かなかった
ですしね。
僕にとっては通過点、古い町並の残ってるところ、大江健三郎の故郷で、
そこまでです。
>天竺熱風録を読みました
坊さん二人とかは相変わらずの田中節で楽しんで書いてると思いますよ。
文体に対する苦吟とかいうより迷いの産物のような気がしてなら
ないですね。
>方壺島主さま
ぼかぁ、世の中の正月モードというのには縁遠いので。
一年でいちばんセコセコあくせくしてる時期というのが刷り込まれてしま
って。ふだん正月モード。万年おめでたモード。これでいいのだ?
>perdidoさま
新年の挨拶が遅れました。この場を借りて失礼の段をお詫び申し上げます。
>鹿角さま
平凡社の中国古典大系は、小輩も史記や三国志演義を持ってますよ。
左伝については小島でも拙訳を作ろうと思っています。とりあえず冒頭の「隠公」全部
を杜注ともども訳して、公羊伝・穀梁伝と比較できる形にしたいと思っています。ただ公
羊伝に善いテキストがなく、手元の四部備要本だけでは心もとないので停滞中です。頼み
の綱の中華書局の清人注疏本が一向にリリースされないもので。
鍵を紛失してしまいました(T_T)
これってネタバレカキコの報いなんでしょーか?
>管理人さま
二日前の日曜版に
また内子町のことが載ってました
しかも一面!松山から30分だそうですね
訪問したことありますか?
>方壷島主さま
私が読んだのは平凡社の中国古典大系版です
これって資治通鑑ですら一冊にまとめるという
ある意味犯罪者的なことやってくれたとこですよね・・・
天竺熱風録を読みました
あとがきで愚痴ってるわりに
田中さん楽しんで書いてるでしょ
という印象が拭えませんでした
やっぱり標点の付いてる方が読みやすいですよね。
ありがとうございます。それではこっちに決めます!
予想以上に面白かった本:金子民雄『西域 探検の世紀』(岩波新書)
〜いやあ橘瑞超、若い、若いよ。
予想通りに面白かった本:岡本綺堂『中国怪奇小説集』(光文社時代小説
文庫)
〜やだなあ、元本集めたくなっちゃうじゃないか。
脈絡ないけど、「すてプリ」ほんわかええなあ。
>むじんさま
僕が持ってるのは、中華書局の『廿二史箚記校證』/王樹民校証のほうで、
影印本のほうは知らないので、比較しようがないのですが。
ただ僕としては、標点や注がついてる『校證』選んで良かったと思ってま
すけども。
あまり高くはないんですよねぇ。
しかしそれが罠。調子に乗ってるとお財布が軽くなるという魔力が…。
書虫なら中国書店の影印本と、中華書局の校証本がありますね。
どっち買うか迷うなぁ。ご助言を!
>太白さま
>挨拶も四文字に短縮が流行ってるんでしょうか?(笑)
言葉は短縮・省略される傾向にあるといいますので。(汗;)
挨拶も何だかんだといって、昔から「こんちわー」「ちわー」とかやって
ますしね。「お疲れ」「おつ〜」とか、「お先に〜」とか、さほど新しい
ものではないはずですし。言葉は生き物ですから。;;
>やはり宦官製造の過程は読んでて顔面蒼白になるなぁ・・・(-_-;
何度かこの手の解説は読んだことはあるのですが、やっぱ痛そうだなあ、と。
>せんなどうさま
>なかなかツガンの方に力が割けないでいるわけで、
僕も最近完全に動きが止まってるんですけどね。
力とやる気のある人が出てきたら、いつでも押しつける気満々です。
>岡田英弘『中国文明の歴史』講談社現代新書 をつれづれに読んでます。
見てないっす。本屋に行ったら見てみます。
>石野陽虎さま
>中国国宝展、何とか観たいものですね。
いや、必ず見ます!(ということにしとかないと、メンドクサイ病で固
まるから)
>方壺島主さま
>今年も眼界まで無節操にあばれたいと思っております。
どぞどぞ。やっておくんなせえ。
>殷景仁さま
>本年もまた色々とよろしくお願いします。
こちらこそよろしくお願いします。
>むじんさま
>昨年に引き続き『通鑑』に期待してます。それと列女伝も!
うーん、とりあえず『晋書』列女伝が某所で多数の指摘をいただいている
ので、草稿第二版が一月中くらいに上がるよう鋭意努力します。
>『廿二史箚記』面白いですね。
ええ、なにせ中国正史トリビア集ですから。(^^;)
ちょっと外してるのもありますけどね。
電子テキスト化、できればやっちゃって下さい
箚記、「さっき」は慣用読みで、「とうき」と読むほうがむしろ正しいみ
たいですね。知らんかった。
>perdidoさま
>北周の明帝について記事を書きました。
見ました。
『周書』や『北史』をちゃんとみないと、詳しい内容についてはどうとも
いえないので、とりあえず目についたところだけ言います。
「永熙3(534)年」「恭帝3(555)年」「二年」「三年」のような年号の
様式は統一したほうがよいのではないでしょうか。
あと、「大冢宰、晋公護」「太師、晋公護」「宇文護」と書き方が混在し
ていますが、複数の人物と勘違いされないためにも「宇文護」で統一して
いいのではないでしょうか。
Nagaichiさま、方壷島主さま、みなさま
あけましておめでとうございます。
実は、わたしもwikipediaには、結構かきこんでいまして、妹のPCで北周の明帝について記事を書きました。主な出典は、北史周本紀と資治通鑑陳紀をもとにして抄訳しましたが、誤訳があろうかと思います。どーか、どーか加筆修正方お願いいたします。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E5%B8%9D_%28%E5%8C%97%E5%91%A8%29
『廿二史箚記』面白いですね。
まだ通して読んだことはないんですが、いずれ電子テキスト化していきたいです。
さっき気付いたんですけど、ニジュウニシサッキ…って訓読み混じってる。
伝説の話で正確さを求めてもしょうもないけど、黄帝の母親とか
妃とかの話になると矛盾だらけです。あれ?何でこんなことを調
べてるんだろ?
コラムのあれは紹介してるわけでも訳してるわけでもなく、
誰か二十二史箚記訳せー!という他力本願の叫びです。
「新シルクロード」はじまりました。
第一回、楼蘭というより、小河墓遺跡の発掘の話でした。
胡楊とカヌーをひっくり返した棺と美女のミイラはお約束ですか。
年始のご挨拶いたみいります。
皆々様、今年もよろしくお願いします。
明けましておめでとうございます。
昨年に引き続き『通鑑』に期待してます。それと列女伝も!
でも年末年始で多忙だったと思います。まずはしっかり休養ですね。
今年もよろしくです。
本年もまた色々とよろしくお願いします。
せめて今宵はめでたき初夢をば。
年賀がわりに亜東書店で元旦から買い物しちまいました。
今年も眼界まで無節操にあばれたいと思っております。
旧年中はいろいろお世話になりました。
中国国宝展、何とか観たいものですね。
本年もよろしくお願いします。
ども、あけましておめでとうございます。
なかなかツガンの方に力が割けないでいるわけで、その点非常に申し訳なく思っております。残唐年表も下役だけはあるんですがねぇ…。
で、自分も久しぶりに本屋に入ったので岡田英弘『中国文明の歴史』講談社現代新書 をつれづれに読んでます。疑問点も多いですがなかなか面白い本です。
そういえば、去年のクリスマスも「メリクリ」がよく聞かれましたね。
挨拶も四文字に短縮が流行ってるんでしょうか?(笑)
「温読」、良い響きですね。せめて寒読にならないようにしたいものです。
と、言いつつも、やっと『蒼穹の昴』読み始めました。
やはり宦官製造の過程は読んでて顔面蒼白になるなぁ・・・(-_-;
清代末は、本当に知識が無いので展開を予想してしまうこともなく、
まっさらな気持ちで楽しめます。
無知もたまには役に立つ(笑)
去年は台風・地震・藪二世・津波と災害の多い年でしたが、
今年は平穏な年であらんことを祈念しております。
皆々様、よいお年をお迎えください。
積ん読「新」言い訳↓
>方壺島主さま
「温読」の「温」は「温故知新」の「温」ですな。
古いもの、冷えたものを、もう一度あたためてよみ返らせる。
なにやら含蓄があってよいですね。
>むじんさま
「ワインみたい」…貯蔵することで味が出ますか。なるほど。
中公クラシックスの内藤湖南『東洋文化史』斜め読み。
こういう多方面にパワフルな文化人は現代には出てこないわな。
そういや湖南は秋田鹿角毛馬内の人なんですね。
なんか関係あるでしょうか。
私の家でも10年ものを貯蔵してたり…。
「温読」
あるいは「後読」
もしくは「待読」というのはどうでしょうか。
「不及読」「択日而読」「遽不可読」「可読与不可読与」「人可読而我不関焉」とか…。
調子に乗りました<(_ _)>
>宣和堂さま
>ギター侍の知名度ってこんなものかと思ったり…。
「切腹」からそこまで脱線して語られると、「実はどうでもいい」というのが信じられ
ませんが…。
ああ、「残念!」とか「斬り!」ってやらなきゃいけないのか。
>あと、扶蘇と二世皇帝以外の子供(始皇帝の子供は二十人はいたというのに名前も伝わっていない)。
始皇本紀をひっくり返すと、二世が趙高にたきつけられて宮廷内粛清をはじめたときに
「公子将閭」とかいう公子が出てくるくらいですかね。
二世が気にとがめて諸公子やその母親たちの記録を抹殺したとか?これも小説的想像。
>自分は始皇帝が意図的に記録に残さなかったのでは?とか思ったりするんですが、
始皇帝がそっちの記録を消すんであれば、まずは「あの母親」の記録をなかったことに
しそうな気がするんですが、「あの母親」よりひどい皇后だったら面白いかも。
>太白さま
>『項羽と劉邦』では「始皇帝は夜毎に違う女性が……」とか書いてあって、
ええまあ小説ではありますが。
『史記』には、そこまで露骨に書いてないわけですが、始皇帝が艶福であったと想像す
るに足る材料はちらほらと。
>これすべて「工具書的本」ですよ!
いずこも状況は同じですなあ…とかいうと、まじめな読書家に怒られそうだ。
というわけで、積ん読に対する新しい言い訳を求む。
>始皇帝の皇后
これも小説からですが、『項羽と劉邦』では「始皇帝は夜毎に違う女性が……」とか書いて
あって、何ともうらや……いや、始皇帝の権威の偉大さが計り知れたというもんです。
>『中国の大盗賊 完全版』
あー僕も途中で放置しちゃってます(^^; 陳勝呉広までだわ。
年末年始のスキマにでも……無理かorz
>工具書的本
そうそうそれ! それですよ!
岩波『史記列伝』(文庫で揃えたのに全集版をわざわざ)とか、
『中国詩人選集 李賀・李商隠』(今やマウスパッド代わり)とか、
ちくま文庫『漢書』(なぜか書店に一巻のみ売ってた)とか、
『新選組史録』(大河の割に今年は一回も開かず)とか、
これすべて「工具書的本」ですよ!
(来年中には一冊ぐらい消費したいですorz)
ギター侍の知名度ってこんなものかと思ったり…。まあ、侍なのに着流しとか、侍なのに刀持ってないとか、侍なのに月代剃ってないとか、ギター持ってるけどウクレレ漫談とか、ネタ自体さして斬新さはないとか思うので好きな芸人ではないので実はどうでもいいのですが。ヒロシ(芸名の由来は生島ヒロシで理由は…まあ、芸名ってこんなもんでいいかな?)を買いかぶるあまり波田ニューヨーク責めすぎたかなぁ…。
>始皇帝の皇后
鶴間センセの本でも何度となく話題に上っていましたねぇ…あと、扶蘇と二世皇帝以外の子供(始皇帝の子供は二十人はいたというのに名前も伝わっていない)。自分は始皇帝が意図的に記録に残さなかったのでは?とか思ったりするんですが、発想が小説家ですね…。
>春秋
《資治通鑑綱目》はそれなりに楽しめるんですがねぇ…まあ、自分が持ってるのは綱鑑易知録なんですが。読み物としては《資治通鑑》よりも《資治通鑑紀事本末》の方がワクワクして読めるあたり、なんで《左伝紀事本末》がマイナーなのかちょっと悩むんですけどね…。
ちなみに自分は同じ毒舌ならギター侍より青木さやかの方が好きです。どこ見てるのよ!
けっこう前から謎に思ってたんだけど。
始皇帝の父(荘襄王)の夫人(趙姫)は分かっている。
始皇帝の祖父(昭襄王)の夫人(華陽夫人とか夏姫)は分かっている。
始皇帝の曾祖父(恵文王)の夫人(恵文后とか宣太后)は分かっている。
しかし肝腎の始皇帝の夫人のことがさっぱり分からないのは何故なんだろう。
『漢書』外戚伝によると、漢の皇后の制は秦制に倣ったことになっている。
始皇帝の皇后か二世の皇后かはいたに違いないのに、なぜ残っていないんだろう。
司馬遷がそうした記録を見ていれば、書き残さないはずはない。
司馬遷のころには記録が紛失していたということになるだろうか。
最近の発掘では、阿房宮は焼けてなかったということになっているらしい。
けどやはり項羽が秦の後宮の婦人たちを東に連れ去ったことと何か関係があるんだろうか…。
>鹿角さま
高島俊男『中国の大盗賊 完全版』
買ったけど、まだ全部読んでないんですけどね。
序章の「盗賊」解説がうなずくところ多かったですね。
盗賊王朝という言い方は面白いけど、
現代中国を「帝国」「王朝」の延長で考えるというのは、どの程度の意義で評価したらいいの
か、僕にはまだよく分かりません。
土地所有の変化を無視してもいいのかなあ?という気もするし。
>読みましたが全然解りませんでした(T_T)
『左伝』は、僕は岩波文庫版を持ってますが、通読したこと一度もありませんよ。
調べものするためだけに置いてる、工具書的本になってます。
うちにある歴史の資料のほとんどは、そうといえばそうなんですけど。(爆)
一通り読んだのなら、えらいと思いますけどね。
鹿角さんが「切腹」なら、僕は「逆さ磔」くらいにはならないと合わないです。
話が飛ぶから脈絡が把握しにくいし、そういう編年体ならではの癖がありますから、
読み物としては読みにくいでしょう。
>方壺島主さま
>「『左伝』はその屈折した成立経緯から考えてもわかるように、決して通読しておもしろい書物ではない」
うーん、『左伝』があれば幸せだ、とか言った杜預みたいな人もいるから、
究めたら面白いんでしょうけどね。そういう心境にはいたれそうもなく。
読み物としたら、紀伝体の列伝や紀事本末体のほうが面白いでしょうね。
『左伝』も紀事本末あったような気がするけど、訳されたりはたぶんしないでしょう。
>だおさま
「闇鍋」はやったことないなあ。
学生時代にわいわいやったのも、ふつうの鍋だったしなあ。
やたら白菜だらけで、最後にうどんやら米やら放りこんで。
季節的にはいいよなあ。
半社会人になってそういう機会がないですね。
なかばわすれられし冬の季語に「闇汁」がある
中略 人間関係が希薄な昨今においては、もしかしたらふぐチリやすき焼きよりも
ずっとぜいたくな料理かもしれない・・・
某社説より
うーん、音に聞きし闇鍋、一理あるけど男同士でやる勇気はないです
ちょっぴりさみしい気分
>鹿角さま
早まったマネはやめなされ!!
切腹の前にちょっと質問。左伝は小倉芳彦訳の岩波文庫版などで読まれたんですか。
それとも四部備要本の『春秋経伝集解』で? 原文で解らなくても切腹する必要はあ
りません。漢文大系本を読んでも解らないと思う。まずは良い訳本から入るにかぎり
ますね。小倉芳彦氏もあとがきで、「『左伝』はその屈折した成立経緯から考えても
わかるように、決して通読しておもしろい書物ではない」と書いています。ですから、
斉桓・晋文・晋の六卿・呉越などエピソードを拾い読みするのが穏当なのです。そう
やって編年史を通史にしたのが『史記』。面倒なら先に史記の世家を読んじゃう手も
ありですぜ。
切腹の儀、いま一度考え直してみてはいかがでござるか。
読みましたが全然解りませんでした(T_T)
陳さんの中国の歴史2・3巻を読んでやっと解る・・・
管理人さんこんな私は「切腹」(by波田陽区)でしょうか?
評価で強い者に尻尾を振るだけというのは少し悲しい(T_T)
共和国へ進んだ道を帝国に戻したというので
厳しいのでしょうか
でもトウ正平以降は別の国だそうで・・・
以前講談社現代新書から出版されたものの改訂版
(でも表紙は変えないで欲しかった)
圧巻は毛沢東の章
「マイナスばかりでプラスになることはしていない」
「スターリンは彼をマーガリンマルクス主義といった
バターのようでもそうでない
私に言わせればマーガリンですらなく
唐辛子味噌だ でもその方が中国の蒸しパンに合う
「戦後の中国に無能の政府が出来て
分裂した方がよかった」
周恩来についても厳しい
>天草四郎さま
はじめまして。管理人の永一です。
僕個人は素人に毛が生えたようなものなので、あまり勉強のお役には立てな
いでしょうけど。たまにすごい人が来ますので、うまくおだててみると、面
白いお話が聞けるかもしれません。
携帯サイトもけっこう制約の多いメディアですよね。
漢字を出すのに苦心してませんか?
個人の参加型の辞典で79項目集められたら、けっこうなものだと思いますよ。
つくづく思ったのは、小説家の影響はすさまじく大きいな…ということです。
妲己とか王玄策とか秦良玉とかの項を見ると、憶測が働いてしまいまして。
他人事のように言ってますが、自分とこも似たようなものなのですが。
では以後、よろしくお願いします。
私も『中国史博物館』というサイトを運営してます!
実は私自身は三国志以外の中国史に関しては全く無知なので、ここで勉強させてもらいたいと考えてます。
私のほうは携帯ユーザー中心のホムペなので、見た目は寂しい限りですが、頑張りますのでよろしくお願いします!
ちらっといじりました。「洗夫人」追加。
http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/column15.html
あまり暇ないんですけど、ちょろちょろ后妃を調べてます。
後漢・北魏・宋・元あたりの后妃は、ほんと垂簾聴政おこなってる人多いですわ。
遊牧民系は女性の地位が高いとか、幼帝だと皇太后が称制するとか、話あるけど、
ホントそれだけなんでしょうか?
一般には呂后・武則天・西太后が知られてるけど、そういうイメージが先行するのは
なんか勿体ない。
雌鶏が鳴くとなんたらに負けず、賢い政治をやってる皇后も多い。
ただ自分から積極的な政策を打ち出さず、バランスよく公平に官僚どもの意見を聴く
人が褒められる傾向にはあるのは否めないけど。
全く違うベクトルの人として、煬帝の蕭皇后なんか、しんみりした小説になりそうと
か最近思ってます。
本当なら凄いと思ったんだけど、これホントに鄭和の像なのか?http://www.china.org.cn/chinese/CU-c/727774.htm
不義理いたしております。m(_ _)m
家帰ってきたら何もやる気がしないという日々が続いておりまして。
来年、オフでもやろーかなとぼんやり考えてます。
場所は大阪。
この掲示板見てる人は東京とか北海道とかのかたが多いことは
存じてるわけですが、亭主は四国くんだりに住んでるのでなかなか
出れませんで。
「中国歴史あら?カルト!」の石野さんを焚きつけたりしてますが、
具体的にはなにも決まっていません。ご意見ください。
「中国国宝展」
2005年1月18日(火)〜3月27日(日)午前10時〜午後5時
国立国際美術館(大阪・中之島)
月曜休館
http://www.asahi.com/china/info/next.html
http://www.nmao.go.jp/b3popup/j_pre_kokuhou.html
「内藤湖南 人と学問」
2005年1月22日(土)午後1時30分〜3時30分
大阪府立中之島図書館3F文芸ホール
講師:礪波護氏
http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/event/k_konan.html
要予約。
>鹿角さま
映画館で見てる人間にそういう話を振りますかい?
まあ、ネタバレされても、すぐ忘れる鳥頭なんで支障はないですけど。
スネイプ先生とハーマイオニーたんさえ無事なら儂はええです。
>方壺島主さま
Wikiといっても色々ありまして…
ウィキペディアですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%A9%E7%B5%8C
さすがですね。
はじめてWiki参加。
「詩経」の項目を加筆してみました。
第五巻を読みました
リクエストかけてたけど
年内に読めたのが嬉しい(^_^)
一番好きな人が死んでしまったのが
とても悲しい(T_T)続き読む気しない位
アンブリッジという魔法省の高官が出て来て
ハリーをいびるんだけど
ケンタウロスとの対話で情けなさ爆発(-_-;)
戦う相手に「やめてぇぇぇぇぇ」はないでしょう
おまけにこの人ダンブルドアを
ホグワーツから追い出そうとするし・・・
せめてケンタウルスの50頭中
10頭位は倒してほしかった・・・
あとぺチュニア叔母さんは
マグルなのになぜ
吸魂鬼の存在を知ってたのでしょう?
ルシウスはあの人の一派なのがばれて
刑務所に行くし・・・
続きが気になります
こそっと付け加えたアンケートですが、
早くもいくつかご回答いただいております。
お礼申し上げておきます。
まだ分析するほど有意な数集まってるわけではないのですが、
意外な回答もあったり…やってみるものだなあ。
>太白さま
ありがとうございます。
>三つ目を何にしようか迷いましたが、やはり掲示板を選びました(^^;
掲示板の意外な高人気には、ちょっと驚きました。
しまったなあ。そうだと知っていれば、もう少し盛り上げる努力を…。(-_-;)
>元末明初や明末清初の境目の時代が今知りたいかな、個人的には。
ここらは最近人物事典で増やしてはいるんですが、
コラムとかはぜんぜん扱ってませんね。んー、なんかネタあるかなあ。
>まぁ概ね感想としては、「今のまま安定成長してくれれば良い」って所でしょうか?
気長に続けていくしか取り柄がなさそうですしねえ、うちは。
太く短くより細く長く、派手なエンターテインメントより地味なストイック路線を。
さっそく12月はまとまった時間が取れそうもないので、
手抜きで話題を振りまけるネタ画像でも貼ろうかと・・・
舌の根も乾かないうちに言ってること違うなあ。
答えましたよアンケート♪ では幾つか答えについての補足を。
2.今の「枕流亭」のコンテンツの中で良いと思うものを3つまで選んでください。
三つ目を何にしようか迷いましたが、やはり掲示板を選びました(^^;
ここの掲示板は、それだけで一つのコンテンツが作れるぐらい濃い話されてますからね。
3.今後とくに充実させたらよいと思う「枕流亭」コンテンツを選んでください。
これは「別に充実させなくていい」を選択させていただきましたが、まぁ今のままで良いという意味です。
4.とくに取りあげてほしいのはいつの時代ですか。
「各時代バランス良く」でしたが、これも迷いますね(笑)
元末明初や明末清初の境目の時代が今知りたいかな、個人的には。
まぁ概ね感想としては、「今のまま安定成長してくれれば良い」って所でしょうか?
「列女伝」なんて、他があまりやらなさそうな企画もありますし。
あとたまに掲示板で出る読んだマンガや小説、観たアニメ話なんかも実は好きですし(^ー^)