グレッグ・イーガン『万物理論』(創元SF文庫)とか読んでました。
90年代に出てきた作家さんの中では、やっぱこの人最高だわ。
バイテク・物理学・IT・社会学・ジェンダー・政治のさまざまなアイデアを
惜しげもなく詰め込んで、それでいてエンターテインメントとして一気に読ま
せるなんて離れ業は、そうそうできることではありませんぜ。
「ビバ・テクノ・リベラシオン!」
>方壺島主さま
>「景教碑」の書き下しが粗削りながら終わりました
ご苦労さまです。
書き下し見てもよく分からないですね。(^^;)
>だおさま
>将棋の概念が生まれたのはインドらしいです
そうだよ。インド→中国象棋の原型→大将棋・中将棋など→現在の日本将棋だ
ったかな。西洋のチェスも同起源。
初心者向けの将棋の本に出てくるていどの知識なので、トリビアみたいに扱わ
れても困るけど。
最近将棋も指してないなあ。
遊びの歴史は奧が深いよ。将棋や麻雀やトランプなんかはまだ伝播変遷が分か
ってるほうだと思うけど。意外なところで、サイコロと双六の伝播なんかよく
分かってないと思う。たぶんオリエント起源だけど、どうやって漢の六博につ
ながったかなんて、研究したらおもしろいと思う。
>もしかしてインド人って天才?
論理や哲学や数学に関することはインド発祥がけっこう多いよ。
有名どころではゼロの観念や十進法や仏教があるけど。
>鹿角さま
>順治帝と董貴妃の愛情を
http://yichintang.hmc6.net/romance/romance.junchitei.html
全くの別人の孝献皇后棟鄂氏と董小婉が、のちのち話としてくっついてしま
ったりしてますが、愛し愛されていたんだなあと思いますね。
>西太后と漫才(としか思えん・・・)かましてくれる乾隆帝が最高です
やっぱり皆思うんですね、あれは。(^_-)
西太后と漫才(としか思えん・・・)かましてくれる
乾隆帝が最高です 話せる人って感じ
光緒帝とはどちらもボケ役なので
いまいちかな やはりどちらかは突っ込みでないと・・・
順治帝と董貴妃の愛情を
純粋に書かれていいです
突っ走ってる感じがして
雨過天青という随筆で
少年の宣統帝が
学友に日本の鎧を着せて
写真に撮る逸話もいいです
ブラックジャックのスタッフの諸葛さんは
名前が子敬さんだそうで・・・
魯粛の字で二重に三国志に縁がありますね
将棋の概念が生まれたのはインドらしいです
で中国を経由して日本に伝わったとか
もしかしてインド人って天才?
「景教碑」の書き下しが粗削りながら終わりました(仮アップ済み)。
読めば読むほど難解で、従来のものとはまた一味違う訳になりそうです。
大山のぶ代じゃないドラえもんなんてドラえもんじゃないやい。
http://www.asahi.com/culture/update/1122/001.html
ハーラン・エリスン『世界の中心で愛を叫んだけもの』(ハヤカワ文庫)とか
読んでました。片山恭一でもなく、エヴァでもなく、元祖のほうですね。
でもってしかし、表題作はよく分からなかったです。
殺人鬼と排出と世界大戦と話の脈絡がつながっていない。いや本当は繋がって
いるのは分かるんだけど、それがすっと頭に入ってこないから、物語として楽
しめなかったです。
「星ぼしへの脱出」とか「聞いていますか?」とかのほうが面白かった…と思
ったら、話の構成がだいぶ単純でした。単純頭はSF読むなってことかしらん。
>方壺島主さま
>『大秦景教流行中国碑頌』を訳し始めたんですが、
やっぱり始められましたか。
あえて難しそうなものを選ばれるわけですね。
>突如として「然して初人を立て、別に良和を賜ふ」などと口走って、
音を当てたわけではなさそうですね。
そういうのはふつうの漢字・漢文の知識では読めないですねえ。
>なにか日本の安土桃山時代を思い出させますね。
たしかに宣教師は苦労はしたんでしょうけど、キリスト教をあんなにさらっ
と受け入れた大友・有馬・大村あたりはなんだったんだろうと思うんですよ。
トップの大名が説得に応じたから、後が早かったんでしょうけど。
もしかしたら、当初は一神教を受け入れたつもりではなくて、多神教の枠組
みの中で新たな外来の信仰対象を加えたつもりだったのかもしれないし、南
蛮交易のメリットを考えた方便であったかもしれないです。海上交易に敏感
な西国に多いですしね。
後々、棄教を拒否して長崎で殉教した二十六聖人とか、フィリピンに追放さ
れた高山右近や内藤如安なんかみてると、筋金入ってるなと思いますし。
長崎行ったときびっくりしましたが、江戸期二百六十年マリア観音こっそり
拝み続けてた信者の根性には恐れ入ります。
そういうこと考えると、景教・マニ教・ゾロアスター教が中国でかなり後世
まで残ってたのも、さほど異とするにあたらないのかなと思ったりもします。
『大秦景教流行中国碑頌』を訳し始めたんですが、そこで入手した参考文献、川口一彦
編著『景教』イーグレープ、ちょっとダメだなあ。漢文訓読の基礎知識がなさすぎる。助語
辞のとらえ方、句読・文節の切り方も「恣意」を通り越して、目茶苦茶だわ。牧師としての
宗教上の知識は買うけれど。
この碑文は著者も言っているように、唐の大家―虞世南や顔真卿らを彷彿とさせる、雄偉
な筆致で書かれており、その揮毫を見ただけでも訳したくなるものだ。しかし内容は景教の
縁起や教義について、儒仏道三教の用語も複雑に織りまぜて書かれています。冒頭の「粤
若」からして早くも尚書風のイントロで、「霊虚」だの「聖迹」だの「仁恵」だの「峻極」
だの言いつつ、突如として「然して初人を立て、別に良和を賜ふ」などと口走って、度肝を
ぬくのです。「初人」は「アダム」、「良和」は「エバ(イヴ)」です。またそのあとで、
「僧廿一人を度す」と仏教用語が飛び出す。つまり「二十一人の僧侶を得度した」という表
現を借りて、「二十一人に洗礼を施した(バプテスマを与えた)」と言っているのです。「洗
礼」という表現ががないからかというと、「浴水」という語が出てきます。ちなみにサタン
は「娑殫」です。「弥施訶(メシア)」も出てきます。漢字で音を当てるという方法も、仏教
のやり方にまねたものですね。
かようにこの碑文を読むためには、じつに多様な知識を要し、なかなか一筋縄ではいかな
い。長安の街に堂々と建てたわけですから、当然当時の識者の失笑を買わぬよう、教内また
は在家の読書人に嘱してもらったに違いありません。なにか日本の安土桃山時代を思い出さ
せますね。少人数の伝道師が来て、苦労して道を開拓して、しだいに権力者や知識人にも受
け入れられる。それを唐代にやってたのかあ…
ちなみに澣典で見られる『全唐文』のテキストも、末尾の人名を省いていたり、拓本と突
き合わせるとかなり字の誤りがあって、鵜呑みにできません。がんばってコツコツ訳し進め
てみます。
「孟姜女」は元曲なんですね。
http://www.nju.edu.cn/cps/site/NJU/dramac/song/song91.htm
おいおい、夫(ここでは范杞良)が生き返ってるじゃないですか。(-_-;)
これも少し違いますね。
http://www7.ocn.ne.jp/~mori/hanashi/hanashimokuji.htm
いろいろ話のバリエーションがありそうで。
有吉佐和子さんの「孟姜女考」はこれですね。
http://www3.ocn.ne.jp/~ariyoshi/sawako/reading/sakikob11.htm
>Guang-Biさま
こぶさたしてます。
「恤嫠会」はともかく「清節堂」は窮屈ですね。
列女伝に出てくる「節婦」は、周辺の圧力に抗してポリシーを貫いてる
から「名声」を博してるわけで。周辺が「節婦」たるべしと強要して、
そのとおりになったからといって、それを「節婦」とは…ねえ。
烈女からは、少しずれてしまいますが…
「貞婦は二夫にまみえず」というのを見て、
ずっと昔に、こんなものも書いたなぁ〜と思い出しました(^^;)
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/4974/hukusi7.html
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/4974/hukusi8.html
「節婦」を守るために、お墓参りでさえ滅多に許可されなかったそうで、
やはりこの方面のことは、どうしても極端化していくのでしょうか。
>方壺島主さま
>な〜んか違うんだよねー、キミたち。
そうですね。さすがに貞姜や伯姫みたいな極端な話は、後世ほとん
ど見られないし。
ただ「貞婦は二夫にまみえず」のために死んだ人は後々もやたらと
見えるんですけど。
>だいたい礼記なんぞの礼法に合わない死に方してませんか。
そうなんですか?
礼法についてはツッコんでみたことがないんで、そういうものとして
納得してたんですが。
そこらに矛盾があるのなら、興味深いんで教えていただけますか。
>そういう「流れ」の伝説もあるようですな。
有吉佐和子は読んだことがないし、孟姜女伝説に詳しいわけではない
んですが。
本来の話では斉の杞梁が莒国と戦ったときに戦死したところに
はじまりますが、後世に作られた話では杞梁が万里の長城建設に従事
していて…にはじまる話があるようですね。
妻の孟姜女は、冬を前にして夫に防寒具を届けようと長城の現場まで
向かうのですが、着いてみると夫はすでに死んでいて、遺体は長城に
塗り込められていました。孟姜女が悲しみのあまり泣き続けると、城
壁が崩れて多くの死骸があらわれます。夫の遺体を見つけるために孟
姜女は自分の指を噛んで血を流し、それが染み込んだ遺骨を夫のもの
として葬ったとか。別バージョンで持っていった防寒具を燃やして、
その灰が舞い降りたところが夫の遺骨であったとか。
そういえば有吉佐和子の『孟姜女考』という小説がありましたな。どなたか読まれた方
いらっしゃいますかな。あれだと確か孟姜女は始皇帝の長城建設で物故したことになって
おり、そういう「流れ」の伝説もあるようですな。詳しいことは存じませんが、そうなる
とまた左伝の世界とは、だいぶ様相が変わってしまいますな。
曹娥碑、いちお訳了。
補注の蔡中郎集の「童幼胡根碑」の引用が、澣典で外字非対応の文字が一字あり、なんと
ももどかしい気分。四部備要本で買っときゃよかったなあ(大昔の話)。ふだんWeb資料だけ
で済ますことは絶対にないんですけど、どうにも用例のない言葉だったもので…。なんとか
近いうちに紙ベースの資料を調達します(「童幼胡根碑」に関する本があるらしいから、図
書館で借りて焼くかな)。
ところで永一さまご指摘のとおり、というか永一さまはずうーっと前から感じてきたとこ
ろだと思いますが、「烈女」ってさあ…。ま〜だ「婦人参政権運動の闘士」ってヤツのほう
が釈然としますね。な〜んか違うんだよねー、キミたち。だいたい礼記なんぞの礼法に合わ
ない死に方してませんか。
な〜んか「三従」とか、「義」とか。ギム教育の大切さとか、改めて感じたりしませんで
したか。
>太白さま
>単に諸葛亮死後の三国時代の話じゃないかよ!ヽ(`Д´)ノ
ああ、そうですか。残念!
劉淵とか石勒とか出てくる後三国系の古典小説は二種類あって
どちらもあまり面白くはないと聞いた記憶があるんですが、
でも文庫で出るんなら買おうかとか、思ってたとこだったのに。
>四巻の巻末に参考文献の一覧がありますが、
見ますた。僕も持ってない本ばかりです。
作中の乾隆帝が韃靼(タルタル)韃靼ゆってうるさいなあと思ってたら、
もしかしてイエズス会士書簡集がネタ本かしらん。未確認だけど。
>高島俊男『中国の大盗賊・完全版』をちびちび読んでます。
これは元のやつ持ってなかったので、買おうと思ってますが。
>方壺島主さま
>王羲之臨書・邯鄲淳作の「孝女曹娥碑」を。
『後漢書』列女伝での曹娥の話はすごく短かったと思いましたが、
碑のほうは、基本的な話以外のとこでいろいろオプションがついてますね。
こういうのを石碑まで作って讃えてるというのは、
極端な親孝行少女ってだけじゃなくて、
江に飛び込んで父親の遺体といっしょに上がってきたというのが、
当時の人たちにはよほど奇跡的に思えたんでしょうね。
この碑をめぐって曹操と楊脩が論じてるってのも興味深いし、
蔡邕がこの話にかこつけて言ってることも面白い。
自分が飛び込んで王匡に逢いたいと言わないとこがみそ。(^^;)
なんで自分飛び込まないで、石碑を江に落とすんだ、蔡邕!
>引用されている他の烈女も調べることになり、
守節の女はともかく、烈女は死ななくてはならないとはよく言ったもので。
こうした貞順の烈女を現代的感覚から評しても詮無いとは思いつつ。
王の使者が符を持っていなかったといって動かず溺死した楚昭貞姜とか、
「婦人の義、傅母至らざれば、夜、堂を下るべからず」とかいって焼死し
た宋恭伯姫など、こういう礼法を守ったがために、落とさずともすむ命を
落とした人らみてると、「もう少し生命大切にしろよ」と言いたくなって
しまいます。死んだご本人のポリシーはともかく、こういう極端な話を
道徳として称揚してた人らは、『二十四孝』と一緒に斬られねばなるまい
て。現代的感覚から異質な話だから興味深いともいえるんですけど。
>特に「孟姜女」の変遷なぞは、なかなか興味深いものでした。
哭き続けて城が崩れる話にまでエスカレートしていくのが面白いですね。
裏に話を増やした人間がいるんでしょうし、その人は「貞順」に感銘した
わけではないだろうとか想像すると。
僕が持ってる荒城孝臣『列女伝』の斉杞梁妻の記事は、島主所引『論衡校
釈』所引のものとちょっと違いますね。
「乃ちその夫の尸を城下に枕にして哭す。内諴人を動かし、道路過ぐる
者、これがために涕を揮はざる莫し。十日にして城これがために崩る」
最後は「遂に淄水に赴きて死せり」。あっ、城が崩れて死んだわけ
じゃないんだ。……(-_-;)
南朝・儒林伝が全然はかどらないので、王羲之臨書・邯鄲淳作の「孝女曹娥碑」を。通釈が
完了していませんが、一部アップ中。
碑文中に引用されている他の烈女も調べることになり、「孝女・曹娥から見たひとつの烈女
世界」になってしまった。特に「孟姜女」の変遷なぞは、なかなか興味深いものでした。
学研M文庫の今月の新刊に『後三国志』とあったので、今日書店に行ってちょっと
立ち読みしてみたら・・・。
単に諸葛亮死語の三国時代の話じゃないかよ!ヽ(`Д´)ノ
「後期の三国時代の小説」であって、『後三国演義』とは全然関係ないっぽいです。
>永一さん
『蒼穹の昴』読み始めましたか。
四巻の巻末に参考文献の一覧がありますが、持ってるのは中公新書の
『宦官』しか無いや・・・(-_-;
あと最近、高島俊男『中国の大盗賊・完全版』をちびちび読んでます。
しかし講談社現代新書って、装丁が新しくなったのね。。。
浅田次郎『蒼穹の昴』(講談社文庫)読み始めました。
やっぱり面白いですね。
よく調べてあるし、構成もしっかりしてるし、笑えるところもあるし。
西太后の本音がなかなか笑えます。
少し難をいえば、説明過剰の台詞が多いことかな。
皇帝の諱とかぽんぽんと台詞の中に出しちゃだめでしょう。
まあでも教養ぶった掛け合いが良いところでもあるし。
科挙受験シーンのでっちあげぶりもなかなか良かった。
宮崎市定読んでるんだなと思いましたし。
今のところ苦労児の春児より放蕩青年の文秀のほうによりシンパシー
感じますね。堅物の楊喜禎が垣間見せる奇矯さもよいし。
過去話としての郎世寧と乾隆、そして香妃伝説はちょっと細部が気に
なったとこではあります。これは調べてみないと分かりませんが。
岩明均『ヒストリエ』(講談社)とか買っちゃいました。
『寄生獣』のころから思ってたけど、この人の漫画のなにがすごいっ
て表情の動きがすごいと思いますね。
えげつないシーンでの虚をつかれたような無表情がこれまたすごい。
手塚治虫以来の漫画の技法としての表情の誇張というのがあるけど、
誇張を排してフィルムの一コマ一コマのように表情を切り取っていく
ことで、臨場感を出していく。
お話としても面白いんだけどね。
>宣和堂さま
>せっかく美味しいキャラクターにした坊主二人をもうちょっと活躍させたり、
あれはもったいなかったですね。道化と悲劇だけで終わってしまった
というのはちょっと。
>師走さま
>ロマンスの花を咲かせて欲しかったものです。
氏にはロマンスなんて書けませんよ。
年若な叔父と幼い姪の保護者・被保護者関係か、
具体的な何もないうちに吸い寄せられていく職業的パートナー関係か、
種をまいて実をどうとかいう漁色関係か、
くらいしか持ちパターンがないんですから。
例外中の例外としてキルヒアイス・アンネローゼというのがあります
が、あれも具体的に書かないことで成り立ってるんだし。
まあでも、詳しく書かなくていいから、ほのめかしくらいあっても良
かったですが。
>永一さん
>>もう少し深みが出たのではないかと思うと残念でなりません。
どうせなら、錘離の戦いに無理矢理梁山伯と祝英台をねじ込んだ時の勢いで、
ロマンスの花を咲かせて欲しかったものです。ついでに、田単みたいな
勝ち方されると、名将というよりラッキーボーイと言いたくなって……いやいや。
こちらでは久方ぶりです。毎度の如く、小説としては今ひとつ…それ以外の観点から読むとそこそこ面白いかの小説…。多分、自分と永一さんくらいしかこういう楽しみ方しないんでしょうけど…。
>牛とか象とかにこだわらなければ、もう少し深みが出たのではないかと思うと残念でなりません。
消化不良というか、何というか…後味悪いですよねぇ…。チベットとネパールにもうちょっと重点置いたり、せっかく美味しいキャラクターにした坊主二人をもうちょっと活躍させたり、侍女のロマンス書いても良かったんだろうし…。小説としては道にでも転ばせたんだろうに、象さえ出さなければ…火牛の計さえ出さなければ…と、悔やまれてならないですねぇ…。
孫修身『王玄策事跡鈎沉』(新疆人民出版社)届きました。
斜め読みしてるんですが、
つくづく調べれば調べるほど泥沼にはまっていくテーマです。
意外にも影響を与えている範囲が広い。
生没年も官歴もはっきりしないような野郎なのに…。
某コラムも止めどなく改稿中です。
牛とか象とかにこだわらなければ、もう少し深みが出たのではない
かと思うと残念でなりません。
>鹿角さま
>そういえば欧陽修は日本刀のことを詩にしてるし
>あちらにすればブランド品なのかも・・・
日本刀は、硫黄とか漆器とかと並んで、室町−明のころの日本から
中国への主要な輸出品のひとつだったと思いましたが。
数打ちのものが行っていたのか、それなりの銘のものが行っていた
のか、気になるところですが、
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/dkaer901/rekisihen/rekisi.htm
「100年間で15万刀」ということはブランド品ばかりではなか
ったんでしょうね。
>なんと高力士は六歳位のときから
>玉環に目をつけて天子好みの女にしようと
>楊氏に話をつけていたそうで(-_-;)
高力士は684年生まれ、楊貴妃は719年生まれ。
楊玉環が六歳くらいのとき、高力士は長安にいただろうし、玉環は
四川にいたんでしょうから、接点あると思えないですけど。
そこはお話ということで。
みたらスタッフに諸葛姓の方がいました
孔明の子孫ですかね
こちらは陳さんの短編
中国の歴史漫画版に出た
楊貴妃の幼なじみ・買昌が出て来ます
多分もとねたかも
彼女は幼時は不幸なのがなんとも可哀想・・・
なんと高力士は六歳位のときから
玉環に目をつけて天子好みの女にしようと
楊氏に話をつけていたそうで(-_-;)
それにしてもふしぎ発見の
九塞溝は美しかった・・・
陳さんの作品をよむことが多いです
鄭成功の父が主役かと思いきや違うみたい・・・(-_-;)
長平公主のけなげさにしんみり(T_T)
漢古印縁起の桃李の剣の章で
彼女を傷つけたのは日本刀という設定にも
びっくりしたけど(義満が永楽帝に献上したそうで・・・)
そういえば欧陽修は日本刀のことを詩にしてるし
あちらにすればブランド品なのかも・・・
samaさん、はじめまして。管理人の永一です。
「覇権のゆくえ」遊んでいただいてるそうで、汗顔のいたりです。
長らく放置していたもので、色々と粗が目立ちますが。
>フランスで、ボルドーとバヨンヌが接続していません。
>また、ボルドーとナヴァルが接続されています。
確認しました。ご指摘ありがとうございます。
さっそく修正してみました。
17世紀世界史テーマ…ですが、手に入る資料の偏りが多くて、
ゲームにするには非常にバランスが悪くなってます。
日本とか中国とかは、調べたら調べただけざくざく人物が出てくるの
ですが、西アジア・中央アジア・アフリカあたりは調べてもさっぱり
出てこないんで、正直なところ放り投げてたところです。
ある程度人物集めて、バランスきっちり取れたら、かなり面白くなる
と踏んでるんですけどね。
初めまして。
戦国史シナリオで楽しませていただいている者です。
「覇権のゆくえ〜17世紀シナリオ〜(α版)」の城経路に
ミスではないかと思える箇所がありましたので報告いたします。
フランスで、ボルドーとバヨンヌが接続していません。
また、ボルドーとナヴァルが接続されています。
井上秀雄『古代朝鮮』(講談社学術文庫)とかホケーっと見てます。
知らないこと沢山書いてあってとりあえず面白いです。
百済に枕流王ってのがいて、在位はたった2年だけど、この人のときに
東晋から百済に仏教が伝わってるんですね。
いやさ、王号がうちの屋号と同じですから。だからどうしたって…mnmn
『週刊中国悠遊旅行』(小学館)、あまり買わないつもりだったんですが、
1万里長城2桂林3兵馬俑6北京故宮7敦煌と、ほとんど買ってることに
気づきました。
いや写真は美しいし。つい財布の薄いの忘れちゃうのね。
講談社の『中国の歴史』どうしようかな。
第05巻『中華の崩壊と拡大(魏晋南北朝)』
第06巻『絢爛たる世界帝国(隋唐時代)』
は買うだろうと思います。あとは気分しだいで。
不義理いたしております。管理人です。
某コラムは、また無粋なことをやってます。
門戸を狭く限ってるんで、駄文を読む人はあまりいないとは思いますが。
自分の勘違いとか出てきて、ちょくちょく改稿してるんで、またしばらく
したら別の文になってるかもしれません。
>「侍○○王読」
侍読は官名だけど、「侍○○王読」は官名ではないという結論ですかね。
書き下しで「侍○○王読」そのままってのは不適切ということになりますね。
僕もむかし官名「都督○州諸軍事」で迷ったことあったなあ。
官名ではあるんだけど、場合によっては「○州の諸の軍事を都督す」と読ん
だほうがいいように思えることがあって、そのへん整合性とか気にしちゃい
ましてね。
ふだんいいかげんでちゃらんぽらんなB型性格なのに、たまに完璧主義者
なオトメ座性格が顔を出す。…って何を言いだしたんだか。
ここんとこニュースも見てないうちに、ブッシュ二期目ですか・・・。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20041029
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2004/11/by.html
http://www.tanakanews.com/e1027america.htm
世界のためにとは言わない。アメリカのためにケリーに勝ってほしかった。
どうやら喜ぶのはビンラディンってことになりそうだ。
話が多少込み入ってきたので、今までの問題点を改めて整理しておきたいと思います。
まず、「侍○○王読」の類の文自体は、固有の官名のこと指していませんし、「○○王侍読」のような固有の官名はないと思います(おっしゃっている「固有の官名」というのを、私は「○○王侍読」のようなものではなく、「侍読」のことだと誤解していました。このことで、話に行き違いが生じてしまったかもしれません)。ただし、文の意味としては「○○王の侍読に任命された」「○○王の侍読をした」ということを指している。この前提については問題はないと思います。
問題の書き下しの点で、「違和感」というのがどういうことか、ちょっとよくわからないのですが、もし語感上「○○王に侍りて読む」というのに抵抗があるというのでしたら、「○○王に侍して読す」とするか、あるいは現代中国語の離合詞(「幇他的忙(彼を手伝う)」)風にとって「○○王の読に侍す」とするというのはどうでしょうか。書き下しは便宜的な手段ですから、あまり整合性を追求しすぎると身動きがとれなくなる恐れがあります。ですからケース・バイ・ケースで考えたほうがいいと思います。
ええ、文意は分かってるんです。だから「現代語訳」をするのは何の苦もない。
困ってるのは、「書き下し文」にする作業。読み進めているうちに、「侍○○王
読」という表現のあとに、「侍読如故(侍読なること故の如し)」という表現が出
てくる箇所が散見され、「侍○○王読」という表現が「侍読に任命された」こと
を表していることは間違いありません。中華書局本でも、「世祖即位,除始興王
諮議参軍,侍東宮読」(陳書/儒林伝/顧越※原文旧字)とあり、諮議参軍と侍東宮
読のあいだは「,」、すなわち「侍東宮読」は固有の官職名と解していません。
しかし宋書から南史までを併読していくうちに、「○○王に侍りて読む」と書き
下していくことになんとなく違和感を覚えまして。
「録尚書事」や「行○○郡事」などの例もあることから推量したのですが、な
にぶん浅学ゆえに心配になり、こちらに相談にうかがった次第。
かさねてご指導を。
これは翻訳の技術の問題になると思います。
まず「侍読(侍講)」という語は、皇帝や王の側で学問を教える「行為」でもありますし、さらには「官職」を指してもいます。つまり、通常天子や王の側にいて学問を教える(侍読する)のは、「侍読」の人であるわけですから、両者を明確に区別する必要はあまりないといえます。
そういうわけですので、問題の文章ですが、そのままに現代日本語訳すれば「○○王の側にいて学問を教えた」とか「○○王○○の側にいて学問を教えた」というようになるのでしょうが、この場合、文章の言っている内容を取って「○○王の侍読をつとめた」や「○○王○○の侍読をつとめた」のように訳したらどうでしょう。
>殷公
多謝多謝。
いま訳文を作っていて、最初「○○王に侍して読む」とやっていたのですが、頻出するのを
目にするうち、なんか座りが悪いなと感じ、もしやストレートに「侍○○王読」と熟して官名
とすべきなんじゃないと迷いが出まして。後者を採ると解決される表現が多いのですが、それ
でも中には「侍始興王伯茂読」(陳書)などという表現もありまして、まさか官職名の中に個人
名は入ってこないだろうと思うとなかなか腑に落ちないままです。
↑私も似たような事考えながらやってますよ(^_^; >永一さん
田中作品の中国語訳は台湾ですか〜。でも「銀英伝」や『〜赤いバラ』だと、
きっとアニメ・漫画のジャンルで人気なのかな?
『岳飛伝』や『隋唐演義』が逆輸入!とかの快挙はないんでしょうかね?
>国際的作家とおだてたら喜ぶかしら、ご本人。
「最近では台湾や香港でも私の小説が読まれているそうで。これからは"国際的作家"を
名乗らせていただきます(笑)」とか言いだしそうですね(笑)
リンク先のインタビュー読んだらこんな妄想してしまいました(^^;
>方壺島主さま
>もしや、これを訳せと。
残念ながら、違います。大ざっぱな意味は取れてますので。
ほかにも『旧唐書』とかもリストアップしてあるんですけどね。
中国史料のほうのネタ元をいくらか示しただけです。
しかし、ご本人もおっしゃってますが、史料の少ないこと少ないこと。
重複除くとますます少ないし、小説家はふくらますのが仕事というの
がよく分かります。
『法苑珠林』所引の『中天竺行記』も本人の事跡については大したこと
書いてないような感じ。
彼岸・智岸にいたっては、義浄著の…これだけか。王玄廓は…。
…やっぱり、読んでない人には謎のメモでしょ。
まだ出たばっかしで読んでない人も多いだろうから、ネタばらしは
控えとかないと。
>太白さま
>そうそう、田中芳樹がとうとう王玄策を書いたんですよね。
『天竺熱風録』ですけど、買ったその日に読み終わっちゃいました。
最近読書する体力ないから、こういうことも少なくなったんですが。
もしかしたら面白かったのかもしれませんね。
×を二回使ったのは、筆の衰えなのかもしれませんが。
>最近は、息つく暇もない、って感じですわ
こっちも独り言ですが、J×Sの言ってることはなるべくまともに取ら
ないようにしています。効率もモチベーションも下がる。精神衛生にも
よくない。(-_-;)
>殷景仁さま
>田中芳樹の作品は中国物も含めてかなりの数が中国語訳されています。
一昔前に台湾の田中芳樹ファンサイトがずいぶんと充実してるのにビッ
クリしたことあります。
国際的作家とおだてたら喜ぶかしら、ご本人。
>「侍読博士、諸王に經を授くる者也。」
余談ですけど、唐の開元年間以降に出てくる侍読学士や侍講学士とは
全く別物なんですね。
「侍読博士」は宋の時のみの官名という可能性もあるので、「侍○○王読」を訳す場合は、単に「○○王の侍読」とする方がいいかもしれません。
>方壺島主さま
お考えの通りです。『宋書』の盧陵王劉義真の伝に「侍讀博士蔡茂之、其の故を問う」とありますので、より正確には「侍読博士」という官名だと考えてよろしいかと思います。ちなみに『資治通鑑』の「宋紀」孝武帝大明五年の胡三省注には「侍読博士、諸王に經を授くる者也。」とあります。
>太白様
>田中作品とか出てたりしないんだろうか?
田中芳樹の作品は中国物も含めてかなりの数が中国語訳されています。
出版社は台湾ですが、香港でも以前オンラインブックショップのサイトで『銀英伝』その他の作品紹介の頁がありましたから、かの地でもかなり人気のようです。
ここで検索かけてみると翻訳状況がわかります(『夏の魔術』『灼熱の竜騎兵』『ウェディング・ドレスに赤いバラ』もある…もしかするとこれ以外にも翻訳されているのでは?)
ええと、南朝正史を読んでいるところなんですが、「侍湘東王読」(梁書儒林伝)のように
「侍○○王読」とあるのは、「○○王の侍読」という意味で固有名詞としての官名と解して
よいのでしょうか。
どなたかお分かりになる方。
しかし「法苑珠林」は買うかも、遠からず。
そうそう、田中芳樹がとうとう王玄策を書いたんですよね。
しかし、「歴代名将百人」が中国語訳されてるのか…。やっぱり向こうにも
物好きはいるもんだな(^^;
(田中作品とか出てたりしないんだろうか?)
そういや『奔流』の新書版、買ったまま放置したまま本棚に…これを機に読、いや、
ここらで中国史モノの勘を取り戻さないと(-_-;
最近は、息つく暇もない、って感じですわ>原単位なるもの導入
ただでさえ人手減らされてるってのに〜(>_<)
もしや、これを訳せと。
かな〜りムリな注文でござんす。
インタビュー
http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/471001-6/interview.html
歴代名将百人
http://www.70cun.com/wenxue/ReadNews.asp?NewsID=310
法苑珠林
http://www.suttaworld.org/scripture/lon/other53/2122/2122.htm
『新唐書』P6238
二十二年,遣右衛率府長史王玄策使其國,以蒋師仁為副;未至,尸羅逸多死,國人亂,其臣那伏帝阿羅那順自立,發兵拒玄策。時從騎纔數十,戰不勝,皆沒,遂剽諸國貢物。玄策挺身奔吐蕃西鄙,檄召鄰國兵。吐蕃以兵千人來,泥婆羅以七千騎來,玄策部分進戰茶鎛和羅城,三日破之,斬首三千級,溺水死萬人。阿羅那順委國走,合散兵復陣,師仁禽之,俘斬千計。餘衆奉王妻息阻乾陀衛江,師仁撃之,大潰,獲其妃、王子,虜男女萬二千人,雜畜三萬,降城邑五百八十所。東天竺王尸鳩摩送牛馬三萬餽軍,及弓、刀、寶纓絡。迦沒路國獻異物,并上地圖,請老子象。玄策執阿羅那順獻闕下。有司告宗廟,帝曰:「夫人耳目玩聲色,口鼻耽臭味,此敗コ之原也。婆羅門不劫吾使者,寧至俘虜邪?」擢玄策朝散大夫。
『資治通鑑』P6257
五月,庚子,右衛率長史王玄策撃帝那伏帝王阿羅那順,大破之。東宮十率府,各有長史,正七品上。新書作「那伏帝阿羅那順」,無「王」字。率,所律翻。
『資治通鑑』P6303
王玄策之破天竺也,得方士那羅邇娑婆寐以歸,自言有長生之術,太宗頗信之,深加禮敬,使合長生藥。發使四方求奇藥異石,又發使詣婆羅門諸國采藥。其言率皆迂誕無實,苟欲以延歳月,藥竟不就,乃放還。上即位,復詣長安,又遣歸。玄策時為道王友,辛亥,奏言:「此婆羅門實能合長年藥,自詭必成,今遣歸,可惜失之。」玄策退,上謂侍臣曰:「自古安有神仙!秦始皇、漢武帝求之,疲弊生民,卒無所成,果有不死之人,今皆安在!」勣對曰:「誠如聖言。此婆羅門今茲再來,容髮衰白,已改於前,何能長生!陛下遣之,内外皆喜。」娑婆寐竟死於長安。
義淨『大唐西域求法高僧傳』卷上
高昌彼岸智岸二人
彼岸法師。智岸法師。並是高昌人也。少長京師傳燈在念。既而歸心勝理。遂乃觀化中天。與使人王玄廓相隨汎舶。海中遇疾倶卒。所將漢本瑜伽及餘經論。咸在室利佛逝國矣。
唐王玄策中天竺行記并唐百官撰西域志逸文
(中天竺行記。又名西國行傳.西國行記。其文載在法苑珠林諸經要集等。今唯略示所在)
一.婆栗闍國王為漢人設五女戲事
『法苑珠林』卷第四
二.吐番國鑊湯事
『法苑珠林』卷第八
三.泥婆羅國火池事
『法苑珠林』卷第十六
『諸經要集』卷第一
四.佛頂骨從西國將來事
『法苑珠林』卷第二十九
五.過淨名宅以笏量基事
『法苑珠林』卷第二十九
六.摩訶菩提樹像事
『法苑珠林』卷第二十九
七.摩訶菩提寺立碑事
『法苑珠林』卷第二十九
八.耆闍崛山立碑事
『法苑珠林』卷第二十九
九.吐蕃國南界寶山事
『法苑珠林』卷第六十四
一○.拘那羅王子事
『法苑珠林』卷第九十一
一一.摩伽陀國稱人之法事
『法苑珠林』卷第九十一
一二.菩提寺王達磨師問漢敕使事
『法苑珠林』卷第九十八
一三.摩伽陀國菩提寺大コ僧賒那去線陀算出佛般涅槃時事
『法苑珠林』卷第百
一四.瞻波國修羅窟事
『法苑珠林』卷第五
一五.佛袈裟事(娑羅雙樹林釋迦佛素像事耆闍崛山佛袈裟石事)
『法苑珠林』卷第三十五
一六.西域所見之塔事(罽賓國漢寺事。龍樹菩薩入大海化哉王事。龍樹菩薩於波羅奈國造塔七百所事。西域乾陀羅城東南雀離浮圖事)
『法苑珠林』卷第三十八
一七.烏萇國檀特山寺事
『法苑珠林』卷第三十九
一八.王玄策使至西域前後三度事
『法苑珠林』卷第五十五
>ヤマタイと大和(ヤマト)の呼称の関連
近畿説を採るかぎりは関連があると考えたほうが自然でしょうね。
>卑弥呼の倭語としての意味
「〜ヒメミコ」か「〜ヒメノミコト」かしらん。
>投馬国はどこか?
鞆の浦かしらん。(^^;)
出雲や但馬のような日本海ルートは考えにくい気がしてます。
とくに大国であるような記載もないので、出雲・吉備に拘泥することも
ないと思ってます。
面白みのない解答ですみません。
殷景仁さん、永一さん、レスどうも。貿易収支の問題は一筋縄ではいかないということですね。ローマに関しては、末期には金銀が東方に流出したというのが定説になっていたと記憶しているんですが。
>シーア派のイラン人より周辺のスンニ派の中の形式張った連中のほうがよほどやばいっす。
確かに、シーア派=過激というレッテルを貼ってるのはスンニ派かもしれないしなあ。
ヤマタイ国論争の続きですが、基本的なところで皆さんの見解を拝聴したいのですが。
・ヤタタイと大和(ヤマト)の呼称の間には関連があるか
・卑弥呼は、中国の記録者が使った音に対するアテ字で、倭語としての意味は、後に訓があてられた漢字で表すと日、神、御、女、姫、子といったニュアンスだった?
・ヤマタイ国が近畿であるとすれば、九州とヤマタイ国の中間にある投馬国はどこか?
>鹿角さま
加藤千洋氏の本は未読ですが、
北京の胡同(フートン)も開発のうねりでだいぶ壊されているみたいです。
歴史迷としてはすごくもったいない気がしてますが。
狭い路地も伝統の四合院造りの家々も急激に減っていくんでしょうね。
ヨーロッパの古い町並みみたいに歴史保存と近代化とが調和していければ
いいんですけど。経済発展の足並みが急速すぎて難しいかもしれません。
司馬遼太郎『長安から北京へ』は、
国交回復から数年のころの日中関係の雰囲気が出ていて、
単なる紀行文にとどまらないところはありますね。
中国の老朋友の考え方や、革命時代の異質性など、
司馬遼の筆は好意的にみえて、文化的相違の核心にずかずか斬り込んで
いる気がしますね。
>だおさま
>「原単位方式」なるものが
あれ、真面目にやったら絶対回らんな。
っていうか、超勤常態化なり滞留なり長期化しないと、現場感覚とのズレ
に上は気づかないのかな。
「原単位方式」なるものが今日までの試行期間を得て明日から
本格実施です
なんでも人員を適正な位置に適正な人数を配置できなかったのが
郵便の赤字の一因だとか
そういえばうちの局にも進度管理板なるものの準備ができてましたよね
司馬さんの作品
これによると中国の当局では
反日感情を克服させるため
かなり努力したみたいですね
その苦労を江主席は台無しにしたんですね(T_T)
きっと安直なナショナリズムに頼ると
いかに代価が大きいかということがわかっていたのですね
川柳じゃないけど「唐様で売家と書く三代目」だなぁ(-_-;)
あと案内人に若き日の唐家旋外相や
終わり近くに四人組のヨウ文元が出て来ます
文革の判断が甘いのが少し気になりますが
今報道ステーションに出演中の
加藤千洋氏の本
これを読んでると胡同は
地図でみるとまるで毛細血管みたいです
印象に残ったのはトウ小平危篤前後の
スクープがらみで公安当局から
嫌がらせされたということ
いつかはばれるからほっといてもいいのに・・・
北京−東京の方は
朝日にのったエッセーの再録
靴屋の紹介をしたら
日本から注文が殺到して
靴が高くなったそうです(^^;)
>太白さま
>いいのかホントに?(笑)
物量が増えて忙しいんならいいんですけどね…。
>来年から年賀状は2日も配達って・・・マジスカ(゚Д゚)?
そういう話はこちらも聞いてます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041005-00000167-kyodo-soci
マジ…なんでしょう。
>文庫『蒼穹の昴』。一気に四巻買ってきました。
あああ、今月本を読むヒマも買いに行くヒマも少ない。
なぜだか知らないがいつにも増して金欠だ。
でも必ず買って読みますぞ。
>コルテスさま
>あっさり近畿説に転向しました。
あっ、右に同じ。
昔はけっこう古田説とか好きだったんですが、、
あれはいっときの気の迷い、いやヤマイ(邪馬壹)だったのか。
>狂信的なイラン人を見ていると、
イスマイル派のことですか?(いや、違いますよね)
モンゴル帝国時代にアサシン教団と呼ばれたかれらは歴史ネタ的には
けっこう面白い。遠い過去だから面白がってすむけど。
現代的な話としてはシーア派のイラン人より周辺のスンニ派の中の形式
張った連中のほうがよほどやばいっす。
イランはイスラム革命がどうとか保守派と改革派がどうとかやってるけ
ど、なんだかんだいって世俗的にイスラムを受容している気がするんで
すよね。
>宮崎氏の本に漢の時代、慢性的に中国から西アジアへ金銀が流出していたという記述があったのですが、
これは『漢書』西域伝下の最後にある賛がもとになってると思います。
ベトナム方面から犀象や鼈甲、雲南方面から調味料や竹杖、中央アジ
ア・西アジア方面から駿馬や葡萄など、大量の物産や珍宝が流入して、
そのために巨額の費用がかかり、財政を圧迫し、そのため酒・塩・鉄
の専売がおこなわれて…というような主旨で書かれてます。
これを素直に取ると、中国側は貿易赤字ということになります。
ただ宮崎市定氏はすごい学者さんではありますが、いかんせん文献専
門の方ではありますので、殷景仁さんのおっしゃるとおりに考古の成
果でひっくり返る可能性は多々あります。
>殷景仁さま
>中国内地でローマ金貨やペルシャ銀貨などが、かなりの数出土している事実からすれば、
上海博物館に貨幣専門のコーナーがあって、いくつか展示されてたの
思い出します。図録見直すとササン朝のフィールズ金貨とか、こうい
うの出てるんだなあ、と。京都の泉屋博古館の特別展でも何か見た記
憶が…いや忘れました。
逆に中東やヨーロッパで漢の五銖銭とか出てないんでしょうか?
僕には全く知見がないので、比較できないですね。
東京と岡山のオリエント博物館…一回ずつ行ってるけど記憶にない。
外国貨幣が鋳つぶされずに埋もれてしまう確率も、発掘の進展度も違
うので単純比較はできないですが、量的な違いが顕著に出れば、貿易
収支が推測できるかもしれませんね。
>中国史に関係ない話題ですので
中国史に関係ない話題でも、ご遠慮無用に願います。
話題は自由と断ってありますし。
もしまずい話題だなあと思ったときにはテキトーに誘導しますので。
さておき、亭主のミョーな認識を補正していただいて多謝です。
>2世紀以降、シリア・ユダヤ・エジプトを中心とするヘレニズム文化圏(メソポタ
>ミア・イランのあたりも含まれます)の間で流行した宗派です。
けっこう広い範囲で広まっていたんですね。
やはり影響力は大きいということになりますか。
そうした基盤から生まれたマニ教が中国に渡ってけっこう長い間信奉
されていたというのも面白いところです。
>「蛇崇拝」などは、その中の一部勢力による派生的な主張だったようです。
僕がはじめてグノーシス派の称を知ったのは、このあいだ亡くなった
種村季弘さんの本だったり。合掌(_()_)。
あとおまけで田中芳樹『夏の魔術』を思い出したりします。(^^;)
コルテス様:
>宮崎氏の本
私の印象では違うように思われます。
漢代より時代は下りますが、中国内地でローマ金貨やペルシャ銀貨などが、かなりの数出土している事実からすれば、むしろ逆に、絹貿易によって大量の金銀が中国に流入したと考える方が自然ではないでしょうか。もっとも宮崎氏の時代では、今ほど考古学的資料が多くなかったでしょうから、そう思ったとしてもやむを得ないかもしれません。
>永一様
中国史に関係ない話題ですので簡単に補足しますと、
グノーシス主義キリスト教(グノーシス派)は、2世紀以降、シリア・ユダヤ・エジプトを中心とするヘレニズム文化圏(メソポタミア・イランのあたりも含まれます)の間で流行した宗派です。当時の正統派教会の勢力による執拗な攻撃・反駁からも、その流行は相当の脅威と思われるほど盛んだったことが伺われます。また基本的な思想上の特徴としては「至高者との同一性の認識(ギリシャ語の「グノーシス」)による救済」「創造神の唯一絶対性の否定とその存在に対する消極的評価」が挙げられます。「蛇崇拝」などは、その中の一部勢力による派生的な主張だったようです。
邪馬台国論争は、どうにもなりませんね。かくいう自分も、かつては九州説を確信していたクチなんですが、マキ向遺跡の発見やなんかがきっかけで、魏書東夷伝を読み直してみたら、これは九州の一地区にあった村落国家なんてもんじゃないなと感じ、あっさり近畿説に転向しました。話はとんで、ゾロアスター。狂信的なイラン人を見ていると、お前らアラブに征服される前はゾロアスター教徒だっただろと突っ込みたくなることがあります。
ところで西域に関連して、宮崎氏の本に漢の時代、慢性的に中国から西アジアへ金銀が流出していたという記述があったのですが、これは一般的に認められている事実なんでしょうか?もし事実だとすると、歴代の王朝が朝貢以外の貿易を禁止していたのは、金銀の流出を防ぐのが主な目的だったんでしょうか?
最近なんか忙しいです。。。いや、暇よりはいいのかも・・・いいのかホントに?(笑)
年繁といえば、来年から年賀状は2日も配達って・・・マジスカ(゚Д゚)?
文庫『蒼穹の昴』。一気に四巻買ってきました。「清末の宦官の話」ぐらいしかこの作品の
知識無かったんですけど、解説で陳舜臣先生が延々と李鴻章について書いていらっしゃる。
いろいろ清末期の事件が絡んでくるのかな?
ともあれ、読むのが楽しみです(その前に積んだままのを消費してから、ですけどw)。
仕事でストレス溜めまくってる今日このごろ。
「職員満足度」?「上意下達を排する」?どこの言葉でしょうね。
少なくとも今のうちの職場とは無縁そうだ。
年繁でもないのになぜこんな状態なのやら…。(T_T)
>むじんさま
>文字コードがUTF-8になったので、あの目障りな外字が減りましたね。
ああ、それは確かに。
そっかUTF-8になってたんだ。今気づきました。(爆)
>段/段/段/段/段…じゃ、何がなんだか分からないですよ。
あ、やっぱり。
二十五史とかまだ入ってないし、今のとこ使いでないからいいですけど。
将来的なこと考えたら、どうにかしてほしいとこです。
とりあえず文字コードがUTF-8になったので、あの目障りな外字が減りましたね。
ただページ番号がなくなったのが不便で不便で…。
段/段/段/段/段…じゃ、何がなんだか分からないですよ。
いまいちピンと来ないな。漢籍電子文献3.0β版。
http://serv2.sinica.edu.tw:8081/HandyWeb/
ページ数の割り振りがなくなった。
人名に傍線が引かれるようになった。
ってだけなのだろうか?
>方壺島主さま
何処の言葉ですか?
大秦景教流行中国碑は8年ほど前に西安碑林で現物見たことある
んですが、もちろん何書いてあるかはさーっぱりでしたね。
ほかにも紀州高野山にレプリカがあるとかないとか。
桑原隲藏「大秦景教流行中國碑に就いて」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000372/files/4707_9678.html
とか見るに
ジツゾウ先生からして「碑に刻された漢文の解釋は、可なり六ヶ
敷い」とおっしゃってますので、実際難しいんでしょう。
シリア文字で書かれた僧侶約七十人の名ってのも、なんとなく
興味が涌きますね。
>殷景仁さま
>永一さま
まに(やあ)!! まにまにまーにま(ご親切なご解説)、まに(ありがとう)!
まにま(はまりそう)?
日本語にもどすと、漢訳摩尼教文献の翻訳に参考となる資料はまだ見つかりませんね。
ただ「大秦景教流行中国碑頌」のほうは全訳こみの参考図書を注文したので、うまく入手
できたらそいつを糧に拙訳にアタック。首尾よくいったら、ネットで公開と。
マニ教といえば北宋末に乱を起こした方臘がマニ教徒だったことが連想される
くらいで、あまりもの知らないですけども。
『中国歴史大辞典』で「摩尼教」を引いてみると、
---
またの名を末尼教、牟尼教、明教。ペルシャの宗教。西暦三世紀にペルシャ人
マニによって創られ、仏教・キリスト教・ゾロアスター教などの思想を吸収し、
「二宗三際」の説を唱導した。二宗は光明と暗黒を指し、二者は善と悪の本源
であって、「暗黒を捨て光明に従え」と主張した。三際とは初際・中際・後際
で、光明と暗黒とが互いに闘争する過程を指す。およそ七世紀に今の新疆に伝
わって入り、信奉者の多くはウイグル人であった。武周の延載元年(694)、マニ
師の拂多誕が『二宗教』を持って来朝した。のちおいおい内地に伝わって入っ
た。教徒は服色に白をたっとび、節倹・素食・戒酒・裸葬を提唱した。神仏に
つかえず、日月を崇拝した。講究団結して、一家を称した。大暦三年(768)、
代宗はウイグル人でマニ教を奉じる者のために長安に大雲光明寺を建てさせた。
六年、また荊・揚・洪・越などの州に寺を建てた。元和二年(807)、河南府・太
原府にもまた寺を建てた。開成五年(840)、ウイグルがキルギス人の進攻を受け
ると、ウイグルの大部分は西遷した。会昌三年(843)、武宗は「ウイグルは弱き
を破る」を理由として、その教えを禁じて、勢力は圧迫を受けた。のちにひそ
かに流布されるようになった。五代・宋では農民群衆が組織的反乱を起こすた
めの道具として利用されるようになり、主要なものに母乙の乱・方臘の乱・王
念経の乱があった。地主階級は「摩」を「魔」と読みかえ、「魔教」「食菜事
魔」などと蔑称した。
---
ゾロアスター教といえば、高校のころに覚えさせられた善神アフラ・マズダと
悪神アーリマンの謂がやたら印象的だったのと、ニーチェのツァラトゥストラ
が思い出されます。
以下、同じく上掲書で「祅教」引きましたが、全文は面倒なので端折って。
---
またの名を火祅教・拝火教・波斯教。光・日月・星辰を崇拝した。『波斯古
経』を経典とした。南北朝のとき、中国に入った。武徳四年(621)、西京(現陝
西省西安)布政坊に廟を建てて祅祠と称した。のち西部諸州にも祅祠が建てら
れた。会昌五年(845)、武宗の廃仏にさいして、累を受けて弾圧された。唐末・
五代・両宋を経て、祅祠はなお残存していた。
---
>むじんさま
>本宮ひろ志さんって保守的なカラーを持ち味にしてた方だと思ってましたが
べつに革新系の歴史観で書いてるわけでもないと思います。
石原莞爾を理想を追った一個の人間として描いてますしね。わざとらしい部分
やや感じるけど。
サブ主人公の松前洋平の扱いをみるに、アジア主義にも一歩距離を置きつつ、
同情的に描いてる気がする。
でもいちばんすごいと思うのは、あの時代の日本人が満洲に妙な夢や欲望を
いだいてしまった原因のひとつとして、当時の農村の貧困と荒廃があったとい
うことを掘り下げてるところ。主人公の本多勇介を徹底的にそのための狂言回
しに使ってる。
しかし、本宮キャラでああいう主人公は斬新かも。
眼鏡坊ちゃんだし、インテリだし、純朴だし、よく泣くし、頼りないし、妙に
芯強いとこもあるけど…。
>方壺島主さま
>最近では「南京事件」という呼称で定着しつつありますよね。
中公新書の秦郁彦氏の同名書と岩波新書の笠原十九司氏の同名書のせいかな。
ただ1927年3月の南京事件(北伐軍が南京占領したときの外国公館襲撃事件)と
混同するからそう呼ぶべきではないとする意見もありますね。
>議論にもならないうちに「街宣車」の勢いで社会から排除してしまおうとい
う、
簡単に屈して筆のほうを折ってしまう商業誌の体質がどうかと思いますよ。
まあ、そういう問題になると、表向きの抗議だけでなく、裏でけっこう陰湿な
圧力があるようですけどね。
>ミトラもちょっと違う?
ミトラはイラン土着の神様じゃなかったですかね…と思ったら、
こんなん引っかかりました。
http://home2.highway.ne.jp/miiboat/HP_Mithraic_Articles_History.htm
>殷景仁さま
解説ありがとうございます。
グノーシズムというと、蛇崇拝で原罪否定のキリスト教異端で、僕の勝手なイ
メージでは北アフリカあたりでこそこそやってたような印象があるんですが、
マニはイランの人なんですよね。
聞いてると、グノーシス的二元論で統合だそうですが、むしろゾロアスター教
の世界観で考えたほうが分かりやすい気もします。
それでありながら父と子と精霊の要素も入っているという感じかなあ。
方壺島主様:
長くなりますが、一応荒井献『トマスによる福音書』(講談社学術文庫)にある解説に基づくと次のようなものであったようです。
マニ教は、ササン朝ペルシア時代の初頭、マニ(216-276)によって創始された宗教である。マニは青年時代、その父と共にユダヤ・キリスト教グノーシス主義の一派エルカサイ派に帰属していたが、度重なる神の啓示を受けて同派から独立、ゾロアスター、仏陀、キリストに継ぐ、あるいは彼らを止揚する「預言者」の自覚をもって新宗教を開いた。その宗教体系は、ゾロアスター教、ユダヤ・キリスト教グノーシス派、仏教の諸要素を基盤にしつつ、それらをグノーシス的二元論によって一つに統合するというものであった。
その神話論・救済論は複雑だが、要約すると「宇宙は、光と闇、善と悪、これら二領域の闘争の場であるが、終極的には光の使者が闇の悪魔に勝利する。人間は光の本質を内に宿しつつも、闇に由来する物質に阻害されてその本質を忘却し、肉欲の虜となっているが、光の使者の「福音」により自らの本質を覚知し、物質への抗いとして禁欲に生きれば、終末の時に光の領域へと救出される」というものである。マニ教は、光の領域(父なる至高神、子なる使者、人間の内なる光の残余)のみを絶対とし、地上の権威のすべてを相対化したために、ペルシア王とその取り巻きのゾロアスター教祭司によって殺害された。マニの殉教後、その教えは後継者たちによる布教活動によって、西は4世紀頃にはローマ帝国西方全域、東は7-8世紀に中国にまで及び隆盛を誇った。しかし、西方では国教化されつつあったキリスト教によって排斥された結果6世紀頃から衰退、東方の中国では、儒教勢力によって悪魔視され弾圧、景教・仏教・道教と習合しつつ農民一揆のイデオロギーとして生き延びるが、14-15世紀にはマニ教としての同一性を失った。
>南京事件
>ともかく議論にもならないうちに「街宣車」の勢いで社会から排除してしまおうという、この国の手法が気に入らない。
おっしゃるとおりだと思います。デマ説・歪曲説を主張する本は出版され続けているのに、事実として肯定する説はたちどころに排斥されるというこの状況は、何なのでしょう。
最近では「南京事件」という呼称で定着しつつありますよね。
自分はそのあたりは縄張りじゃないから突っ込んだことは言えないのですが、某党の
ナショナリズム議員にしたって(某知事でさえ)歴史的当事者の世代じゃないんだよね。
じつはこういう手合いが一番こわい。知らないのに雄叫びあげてる人たち。昔の右翼の
大立者のほうが、戦争の反省のうえに立った活動してましたよね。
ともかく議論にもならないうちに「街宣車」の勢いで社会から排除してしまおうとい
う、この国の手法が気に入らない。出版界もたちどころにそれに呼応してしまうのだか
ら、言うまでもなく同じ穴のムジナ。というより、露骨に右傾化しているメディアすら
2、3社にとどまるまい。フォックスニュースをバカにしてらんないよ。
今回も枕流亭主ははっきり発言されてますね。自分も「ヤバくてもハッキリ言うべき
場面もある」と思っています。特に感情的な議論にこそ理性的に棹ささないと。
ふと思い出したのが、カナダの映画監督エゴヤンの『アララトの聖母』が封切られた
あと、それを紹介するサイトの掲示板に複数のトルコ人が「歴史の捏造だ」と熱弁を振
るっていたこと。ああいうのを見るとかえって「ああ本当だったんだな」と思いません
か。事件の詳細を調べたわけではありません。しかしヒステリックに否定する「加害者」
像のうちに、むしろ真実が見える気がするのです。そう言えば、「およそ世界一お気楽
なアルメニア人が、そのことだけは真剣に話す」というブログも見かけました。
ところで祆教。いやあ不勉強ものでした。ゾロアスター教とマニ教とは違うものだっ
たんすねぇ。ミトラもちょっと違う? だれかお詳しいかたがいらっしゃったら、ご教
示ください。ちなみにマニ教はなにせ「摩尼」だから、仏教系の資料に残されてないか
と思ったら、やはりありました。大正大蔵経54巻・外教部に、「摩尼経下部讃」「摩尼
光仏教法儀略」「斯波教残経」などが収録。ちなみに同巻には「老子化胡経」「大秦景
教流行中国碑頌」も収録されています。特に「大秦〜」は少し捜していたので、思わぬ
発見です。さすが大正大蔵経。きょう早速仕事帰りに地元の図書館に寄ってコピーして
きました(大蔵経BDサイト「SAT」では未公開)。ただどのテキストも難解ですらすらと
読むことはできません。
熱心な信者さんたちもいるようですが。http://home2.highway.ne.jp/miiboat/HP_Mithraism_Myth_Mihriyya.html
本宮ひろ志さんって保守的なカラーを持ち味にしてた方だと思ってましたが
私も今回の騒動で『国が燃える』にがぜん興味が出てきましたよ。
第7巻も無事発売の運びになりました。うーん、本宮さんかっこいい。
>コルテスさま
>いつ頃描かれたものなんでしょうか?
ギクッ!まずいこと訊かれた…。(汗)
描いたのは厳紹唐という人です。(そんなこと訊いてない)
その辺のこと口つぐんでたのは、©的にちと問題が…。
『老小人書系列 朱元璋伝(一)』(中国致公出版社)の一コマからでした。
問題の画像は、×秒後に自動的に消滅します。あしからず。
>前に、朱元璋が江南を統一している間、華北はどうなっていたのか元史や、明史を
>見たことがあるんですが、時代が新しい割に情報量が少ないのに驚きました。
うーん、諸藩王領や行省の管轄が入り混じった状態だったと思いますが、
具体的にどうかというと、調べたことがないんで、はっきり言えなくて
すみません。
地方志の類まで引かないといけないんでしょうかね。
>方壺島主さま
ツッコめなくてごめんなさい。
>だおさま
全然久しぶりじゃないけど、久しぶりに出てきたね。
>「国が燃える」(本宮ひろ志氏作)に登場した南京大虐殺の描写に対し、
僕はあれを見て全巻そろえようかと思ったクチですが、
休載は残念です。とりあえず4巻と6巻欠けてるから買ってこよ。
>南京大虐殺と邪馬台国には触れないほうが無難です
おい、それって僕が昔言った意見のパクリだろ。
しかもかなりニュアンス変わってるし。
邪馬台国論争と南京虐殺論争は日本史におけるもっとも暑苦しくて噛み
あわない議論になりがちな二大テーマだ…というようなことは言った覚
えはあるけど、「触れないほうが無難」と言った記憶はない。
まあ自分の記憶力も怪しいから、もし言ってたらごめん。
実際、暑苦しい議論を引き受ける覚悟があるなら、ガンガン自分の意見
言ってしかるべきと思うよ。歴史にタブーを作るべきではない。
「週刊ヤングジャンプ」で連載中の漫画「国が燃える」(本宮ひろ志氏作)に登場した南京大虐殺の描写に対し、地方議員グループが「歴史を歪曲(わいきょく)している」と抗議したのを受け、発行元の集英社は13日、28日発売号から当分、この漫画を休載することを明らかにした<
とのこと
南京大虐殺と邪馬台国には触れないほうが無難です