リレー小説☆ぴあぴあ
「……なんでかよくわからないけど、中には入らない方が良いような気がする」
ものすごくいやな予感がした。
いや、もはや予感とかそういうレベルではないような気がする。
(か、確定された未来?)
何が確定された未来なのか、それは入ってみるとすぐにもわかるのかも知れないが、今の耕治にはそれを実行して確かめてみようという男気に溢れた行動に出るつもりは微塵もなかった。
(……逃げるか?)
ノブを取ろうとして出しかけた右手を引っ込める。
留美が出てきたこの従業員出入口を開いて中に入るというのはいつもと同じようにただバイトに参加するのとは違った意味があるような気がした。
(気になることいってたしな……)
ちょっと昨日あった事というのを思い出してみる。
それから、PIAの関係者というのを頭の中に羅列してみる。
「……」
1分経過。
「……」
2分経過。
「……」
3分経過。
(俺、昨日、なんか怒られるようなことしでかしたっけか?)
しばらく考えてみたが、何も頭に浮かんでこない。
昨日、耕治がしたことといえば……
「神楽坂と遊びに行って、葵さん達に邪魔されて、仕方なく逃げ出して、つかさちゃんに助けられて、早苗さんと一緒に買い物に行って、真士と一緒にいる美樹子さんに会って、それから……」
ぶつぶつぶつと呟きながら昨日自分がした事を羅列していく耕治。
「ろくでもない連中を懲らしめて、疲れたからって早めに寝て……」
右頬の辺りをちょぼちょぼちょぼと掻く。一生懸命、昨日やったことを色々と思い出そうとしてみるが、考え得る限り、自分に被害の及ぶような何かがあるようには思われない。
(……それほど深い意味はなくて、誰かから聞いただけなのか?)
留美の一言の事である。
これがあるから耕治は迷うわけで、この一言に何ら深い意味がないのなら、こんな寒空の下でいつまでの逡巡している必要はないわけである。
「う〜ん」
もう一度首を捻る。
昨日の情報がいち早くキャロットの内部に伝わるとしたらどういう形で、誰の口から伝わるであろうか?
(……ええと)
耕治はない知恵を絞ってちょっと考えてみる。
「……」
1分経過。
「……」
2分経過。
「……」
3分経過。
(ここから先には行かない方が良いのかも……っていうか、行くのは危険だ!)
今度はわかった。耕治の頭でも電灯が点って的確な判断を下すよう、閃きに恵まれることもある。
まるで漫画のように顔中に大汗をかきながら、耕治は即断する。
(間違いなくトラブルの臭いがする! 今日は行くべきじゃないっ。さっき感じた何とも言えない雰囲気はこれだ! 絶対にこれだっ)
くるっと耕治は踵を返す。
「撤収っ!」
今日は早番の指定だ。
で、都合のよいことに耕治は時間よりもかなり早くこの場所に到着していたりする。耕治がここに来ていた事を知っているのはさっき帰っていった留美ぐらいである。
(に、逃げられる! 大丈夫っ! 競輪にも出て周囲の選手と張り合えたこの前田耕治! 誰にも悟られない内にこの場から颯爽と逃げ去れるさぁっ!)
とっとと自宅までマウンテンバイクを漕いでいって、ぱぱっと着替えたりなんかして、店に体調を崩してしまったから今日は休ませて下さいと断りの電話を入れる。
(おおっ! 完璧。好都合に風邪も流行ってることだし……)
全てのベクトルは耕治に味方しているように思えた。
このまま突き進んでどうしようもなく無駄なトラブルに巻き込まれてしまうより、耕治は耕治で自分の時間を有意義に使うという事をした方が良い。そうに決まってる。
「そうと決まれば……」
たたっと降りたばかりのマウンテンバイク。
一足跳びでその傍らに立つと耕治はスタンドを跳ね上げ、勢い良く飛び乗る。
「さいにゃら〜☆」
そして、脇目も振らずにペダルを踏み込み始めた……
Project「リレー小説☆ぴあぴあ」Presents
クッションエピソード 皆瀬葵「信頼と傘」
Written by 新場カザン
「はぁ」
空を見上げて溜息ひとつ。
暗い暗い空を見上げて、重い重い溜息ひとつ。
「何をやってるんだか。俺は」
ぽつりと呟く。
瞬き二つ。涙こそ出てこないが、勢いのまま自分のしでかしてしまった事の愚かさに耕治は泣き出したい心境だった。
「今日逃げ出したところで明日が待ってるだけじゃないか……」
マウンテンバイクを駆って途中までは意気揚々と驀進してきたものの、自宅に戻ったところでこれといって何をするという当てもないのである。
「考え無しも良いところだよなぁ」
ぶつぶつぶつとひとりごちる。
朝早くの公園。キャロットの寮近くにある小さな公園。
誰もいない静かな空間。寂しささえ感じられる遊具達の中に耕治はひとり埋もれていた。
(……今から戻ったらまだ遅くないか?)
思っては溜息を吐いてその考えを自分の外に押しやる。
(でも、俺の予想通りだとしたらひとりで入るのって怖すぎるよな……)
別に戻る事に吝かではない。むしろ耕治自身としては戻りたいとも思うのだ。
だが、その行動を阻む要因がひとつ。
(多分……あくまで多分なんだけど、つかさちゃんが昨日の事をとんでもない広げ方をしているに違いないって事なんだよ〜)
つかさが聞いたら「こうじちゃん、ひどい! ボクそんな事しないよっ」とでも笑って言いそうな評価だが、前例があるだけに耕治は自分の想像だけでも十二分にその結果が怖かったりする。
(まして、神楽坂と葵さんの所からは不本意とはいえ、逃げ出すような形になってるから……あの二人につかさちゃんが油を注ぐような事を言ってるんじゃないか?)
ガジガジガジと頭を掻き毟る。
そうしながらふと思いついたものを頭の中でビジョンにしてみる。
「ねえねえねえ! じゅんじゅん、葵ちゃん!」
「どうしたの? つかさちゃん」
「あら。今日は一体どうしたの?」
話しながらも潤と葵の目の間では小さな火花がちりちりと散っていたりする。
もちろん、互いの牽制の為で、潤が女とバレてはいなくても耕治をめぐるライバルとしては認識されてしまっているのである。
「あれ。どしたの? なんか二人とも不機嫌そうだよ」
「そんな事ないよ」
「そうね。そんな事あるわけないじゃな〜い」
「ふ〜ん。そうなのかなぁ?」
一応話は振ってみるものの、さほど気にした風もなく、つかさは自分のペースで話そうとしていた会話を続けてしまう。
これがつかさのいいところであり、もちろん悪いところでもある。
「昨日ね、ボク、耕治ちゃんに服を買って貰っちゃったんだ!」
「「えっ」」
「あははっ! 昨日はね、耕治ちゃんが初めて女の子にプレゼントした記念日なんだよ〜♪」
言いながら満足して、何処かへ去っていくつかさ。
そして、もちろん後に残された二人には唖然として、それから……
(耕治……どうしてどうして?)
(耕治クン! いくら何でもそれはひどすぎない?)
後の展開は……多分、耕治がキャロットの従業員扉をくぐった場合の展開……
「……ごく」
喉を鳴らして唾を飲み込んで、それから肩を上下させる程大きく溜息を吐く。
(で、留美さんが怒ってたみたいに見えたのも多分これのせいだよなぁ)
どうして留美まで怒るのか、そこまではちょっと頭の回らない耕治であるが、留美が去り際に残していった言葉から推察するに原因がその辺りにあるというのはまず間違いない事ぐらいはわかる。
(仕事に行くのに平手覚悟っていうのはなぁ……)
前にあずさに叩かれたのは不慮の事故という部分はあったが、今回は完全に人災である。
……いや、前回も完全につかさによる人災という話はあるのだが。
「下手したら女性陣、みんな敵に回しかねないし……」
流石に今回は身の危険を感じてしまう耕治である。
(……話題が広がらないうちにつかさちゃんに釘を差さないと!)
しかし、想像というのはホント恐ろしい。
つかさの性格をある程度把握しているというだけなのに、こう言ったに違いないと想像した本人に思い込ませてしまうのだからすごいものである。
(平手打ちか……)
で、そうなると決まったわけでもないのに、そうなるものだと決めつけて、自分自身の中で覚悟を決めさせてしまうのだから人の思い込みというのはホントにホントに強いものである。
耕治はひとつ深呼吸して、ぐっと目を閉じた。
「……」
1分経過。
「……」
2分経過。
「……」
3分経過。
「……」
4分経過。
「……」
5分経過。
「……」
ぽつっ
(……へ?)
額に冷たいものを感じて、耕治は慌てて目を開ける。
今、確かに額になにやら冷たいものが……
「雨?」
思わず上を、空を見上げる。
確かにどんよりとして厚く厚く積み重なった、暗い暗い雲。澱んでいる空気。泣き出しそうな、空……
「雨か……」
ぼんやりと呟いてみる。
別段、なんの感慨も浮かび上がってこなかった。
危機感も、圧迫感も、濡れてしまうとかそういう意識も。
(風邪を引くのもいいかも知れない)
どうせ仮病だなんだと弱気なことを考えた耕治である。この際、ホントに病気になってしまうというのもそれはそれで面白い話かも知れない。
「……」
どうなるんだろうとふと考える。
普段なら誰かが心配してくれるんだろうなとか、キャロットのメンバーに迷惑をかけるんだろうなとか、意識しないでも思い浮かんでくるべき事は色々あって然るべきはずだった。
(誰も心配なんてしないか。こんなちゃらんぽらんな奴)
火のないところに煙はたたない。事実そういう物なのだ。
実際、つかさが言った事は色々と端折っているにしても間違いではない。誤解を生む言い方を敢えてしているのかどうか、そこまでは耕治の知り得るところではないが、間違った事は言っていない。
(頭でも冷やすか……)
ちょうどいい。耕治はそう思った。
此処まで来て、ひとりで公園のベンチにいて考えることが億劫になっていた。
自分がイヤになっていた。
子供な自分が、何事も都合良いようにしか解釈しようとしない自分という存在が。
「……」
ぽつ ぽつ ぽつ
ぽつ ぽつ ぽつ ぽつ
ぽつ ぽつ ぽつ
雨が、降り出した……
ザーーーーーー!
激しい雨の音がする。
「……ちょっと遅くなったわね。全くこんな所にいると思わなかったわよ」
「?」
「少し濡れちゃったみたいね。でも間に合ったからそれぐらいは許してね」
聞き覚えのある声。
良く知っている声。
昨日も聞いた声。
今日は聞くのが怖いと思っていた声。
「葵さん?」
耕治は閉じていた瞼を開ける。
感覚を頼りに左後ろの方に視線を伸ばす。
「全くもう。仕事サボっちゃダメでしょ。不良学生」
「……」
耕治の視界に白い傘が差し掛けられているのと葵の笑顔とがぱっと飛び込んでくる。
こちらを覗き込むようにして、ベンチの後ろ側から葵が耕治に白い大きめの傘を差し掛けていた。
「どうして?」
「ここにいるかっていうの? 簡単よ〜♪ 耕治クンがキャロットの入り口の所から逃げ出すのが見えたから慌てて追っかけてきたの」
悪びれた様子も、困ったという感じもなく、葵は耕治の表情を覗き込みながらしれっとして言い切った。
「見てたんですか?」
「たまたまね。流石に競輪選手並とまで言われた耕治クンには追いつけなかったけど」
「……」
耕治は唖然となる。
誰も見ていない、自分が何をしても誰にもわからないと思ったからこそ逃走を試みたというのに。
「……」
言葉を失う。唇の奥で歯をきゅっと噛みしめて、耕治は葵から視線を足下へと移した。
ぱら ぱら ぱら
ぱら ぱら ぱら ぱら
ぱら ぱら ぱら
沈黙。
傘に雨の滴が当たる小さな音だけが耳に小さく聞こえる。
「……」
「戻りましょ」
びくっと肩をいからせる。
それから、おずおずと様子を伺い見るようにしながら耕治は再度葵の方へと視線をやる。
葵は穏やかに笑っていた。
耕治の事を、見守るように、全てわかって受け止めているかのような表情で見つめていた。
「どうして逃げたくなったのかのとか、そういうのは後にしましょ?」
「俺は……」
「色々考えるところもあると思うけど、このまま此処にいても私と耕治クンが風邪を引くだけだと思うのね?」
「……」
「お姉さんとしては風邪を引くなら耕治クンに看病してもらいたいし、風邪を引いた耕治クンを看病するかどちらかにしておきたいのよね〜」
「葵さん」
「だから、二人同時に風邪を引くのはちょっと困りものよね。あは。あはははははっ」
そんな風に言いながら葵は照れた風に笑う。
笑ったことが照れ隠しなのか、本心なのか、それは耕治には見分けがつかない。
ただ、今になってようやく気がついたことがあった。
「あっ! 葵さん! 肩が……」
「え……ああ。これぐらい平気よ。どうせ戻って着替えるんだし」
耕治はばっとベンチから立ち上がると、葵の手から傘を取る。
葵の方にその傘を傾け、心持ち身体を寄せるようにしてひとつの傘でちゃんと二人、収まるように傘を差す。
「すいません……気がつかないで……俺、自分のことばっかりで!」
「あはは。なに言ってるのよ。私が勝手にやってたんだから気にすること無いわよ」
「……すいません。迷惑をかけてしまって……戻りましょう」
「ん……そうね。みんなきっと心配してるわ」
「はい……」
(俺は馬鹿だ……)
葵と二人、ひとつの傘に入って雨の道を進んでいきながら、耕治はこの上ない程の自己嫌悪に陥っていた。
(誰も心配してくれないわけがないじゃないか。みんなみんな、この上なく暖かくて立派で素晴らしい人達じゃないか)
自分がどれだけひどい人間だとしても、キャロットの人間は心配してくれるに違いないのだ。自分がどれだけひどいことをしでかしてしまったとしても、最後にはきっときっと心より心配してどうしたと聞いてくれるに違いないのだ。
(それなのに)
自分のしたことはどうだろう。
勝手な想像と思い込みでひとを推し量り、そこで飛び出しただけの結果に絶望して、逃げ出して……
(……ごめんなさい)
一度にたくさんの感情が押し寄せてきた。
胸の奥底からぐっと重いものが迫り上がってくるような感じが腹の下辺りに広がった。
(……ごめんなさい)
言葉に今は出来そうもない。
だけど、何度も言わないと気が済まない。
(……ごめんなさい)
少し俯きがちのその視線。
耕治はキャロットに着くまでその視線を上げることが出来なかった。
続く