葵と耕治が二人、Piaへと向かっている頃・・・
「・・・ああ、やっぱりそうか・・・うん、うん」
『Piaキャロット中杉通店』店長、木ノ下祐介は事務所の電話で話し中だった。
その顔には・・・喜びの表情が浮かんでいた。
「・・・なに言ってるんだよ。めでたい事じゃないか。気にするなよ・・・親父と話はしてるからさ・・・ああ。じゃあ、気をつけてな」
カチャン。
受話器を戻して祐介は小さく息を吐いた。
安堵とも、溜息にも見える簿妙な吐息。
「・・・さて、みんなに知らせないとな・・・でも、なんて言えば良いんだろうか・・・?」
後ろに縛ったしっぽ髪をいじりつつ『電話の件』思案しながら祐介は事務室を後にした・・・
「さあ、先に入って」
「でも・・・」
葵と二人で『Piaキャロット中杉通店』まで戻ってきた耕治だったが、店を前にするといささか躊躇してしまう。
親に取り残された子供のように寂しげな表情で自分を見つめる耕治に葵は優しく微笑みかける。
(フフ・・・こういうのも悪くはないわね。耕治くんには悪いけど)
自分を頼りにしてくれる事に母性本能がくすぐられた葵は耕治の手を握った。
「じゃ、一緒に入りましょう・・・大丈夫よ、みんなにはあたしがフォローしてあげるから」
「・・・は、はい」
繋いだ手をお互い握りしめて二人は勝手口の扉を開けると・・・
「「あ」」
「「「「「「あああ〜〜〜!!」」」」」」
扉の先の部屋になぜかPiaスタッフが全員集合していた。
そして一部のウェイトレス勢が手を繋いだ耕治と葵の姿に悲鳴のような声を上げた。
「ちょっと、耕治ちゃん! 姿が見えないと思ってたら葵ちゃんとデートしてたの!?」
「いいっ!?」
一同を代表したつかさの発言と殺気のこもった視線の数々に耕治は及び腰で一歩足を引いた。
「耕治! 昨日の事もちゃんと説明してよ!」
顔を真っ赤にした潤が耕治に詰め寄る。
「遊園地の事はともみちゃん達から聞いたけど、その後、つかささん達とデートしてたってどういうことなの!?」
「そ、そんな事まで知ってるのか・・・って! あれはデートじゃなくって・・・」
潤の猛然とした抗議にたじろぐ耕治だったが、
「ストーーーーーップ!」
突然の大声に驚いた全員が声の主に注目した・・・皆瀬葵に。
「ちゃんと説明するから、みんな落ち着いてよ・・・ほら、耕治くんが困ってるじゃない」
葵は一同を順に眺めて、騒ぎが静まったのを確認して耕治に顔を向けた。
「・・・まずは遊園地の件よね。アタシが説明した方がいいわね?」
「い、いえ、大丈夫です。俺が全部説明した方がわかり易いと思いますので・・・」
「そう? じゃあ補足すべき所があれば口を挟むわね」
簡単な打ち合わせだけをすると、耕治は昨日の出来事を順番に説明を始めた。
全員が静かに落ち着いて聞いてくれたお陰か、耕治は落ち着いて説明する事が出来た。
また、遊園地の件の説明の合間に葵がいくつか耕治も知らなかった裏事情を補足して、最後に全員に頭を下げた。
涼子は事を大事にしてしまった葵に文句があったようだが、耕治がアッサリと許してしまった為に説教する機会を失ったらしい。
耕治は不思議と葵に対して恨み言は出てこなかった。
今までも似たような事は何度もあった。そのたびに耕治は『葵さんだからしょうがないな〜』と慣れてしまったからだった。
(・・・でも、何で葵さんだけは許せるのかな?)
「えー、ゴホン! 話はまとまったかな?」
わざとらしく咳払いをした祐介に一同の視線が集まった。
「て、店長。すいません。余計な時間を取ってしまって・・・」
慌てて涼子が一同を代表して頭を下げた。
そこでようやく耕治もこの場の不自然さに気が付いた。
「なあ、日野森。どうしてみんなが事務所にいるんだ?」
耕治は静かにあずさに近づいて小声で訊ねた。
「店長さんがみんなを集めたのよ。何か話があるって事らしいけど・・・」
あずさも同じように小声で答えた。
「えーっと、今日はみんなに重要な話があるんだ。これは1号店のことなんだが・・・一号店マネージャーがしばらく長期欠勤をすることになった」
「さとみさんが!?」
祐介の言葉に全員が驚きの言葉を上げた。
「ちょっと、お兄ちゃん! あたしそんな話聞いてないよ〜! さとみお姉ちゃんに何かあったの!?」
「こ、こら、みるく! 店では店長と呼べとあれほど言ってるだろ!」
留美の問いかけはそのままこの場の一同の疑問だった。
「何て言うか、その・・・だよ」
視線を逸しながら話す祐介の言葉は何故か小さくなっていく。
「あ、あの店長? よく聞こえなかったのですが・・・」
遠慮がちに涼子が祐介に言った。
「う・・・だから、その・・・に、妊娠したんだよ」
「「「「「えええーーーーっ!」」」」」
祐介の爆弾発言に一同は今日二度目の絶叫を上げた。
「祐介さん、おめでとうございます!」
「さとみさん、何ヶ月なんですか?」
「赤ちゃん、美奈たちにも見せて下さいね〜」
「ちょっと、ミーナ。気が早すぎるわよ」
「店長さんもやる事やってるんですね〜」
「ボボボ(赤面)」
皆が祐介に祝福の言葉を掛けていた。
「ああ、ありがとう、みんな・・・話を続けて良いかな?」
照れ臭そうに微笑む祐介の言葉ににわかに盛り上がった一同は今一度祐介に注目する。
「それで何だが・・・1号店はしばらくマネージャー不在になってしまう。1号店の店長はオーナーが兼ねているのだが、オーナーは店長業務だけしている訳じゃない。会社全体の業務を取り仕切っている関係上、1号店の指揮は事実上、さとみ・・・もとい、マネージャーがやってきたんだ」
「ふええ、さとみさんってやっぱり凄かったんですねぇ」
美奈が目を白黒させながら感嘆の声を上げる。
「そこでだ。オーナーと相談した結果・・・私が1号店にしばらくの間出向する事になったんだ」
「ええ!?」
真っ先に驚きの声を上げたのは耕治だった。
「そ、それじゃあ2号店はどうなるんですか!?」
「うん、それなんだが・・・」
祐介の視線が・・・涼子に注がれた。
「涼子くん。私が不在の間、君に店長代理をやって貰いたい」
「ええ!? て、店長、あたしにそんな・・・無理です!」
突然の指名に涼子が狼狽の声を上げる。
順当に考えればこの店のNO.2であるマネージャーの涼子がその任に当たるのは至極当然の事だろう。
「いや、モチロン表向きの事だよ。君はサポート役が一番だと思ってるしね。そこでだ」
再び祐介は視線を動かし・・・一人の少年に注がれる。
「こんな事は前代未聞なんだが・・・前田くん。君に実質的な店長代理を任せたいと思ってるんだ」
「ええええええ!!!」
耕治はこれまで以上の驚きの悲鳴を上げた。
「て、店長。前田くんはアルバイトで、しかも学生ですよ! そんな大役・・・」
「基本的にはこれまで通りの営業を続けてくれれば良いと思っている。無茶な話だと言う事もわかっているんだ。だが、私は前田くんなら私の・・・2号店を任せられると思っている」
祐介の言葉にハッとして耕治は顔を上げて祐介の顔を見つめた。
そこにはためらいと、苦悩に満ちた表情が浮かんでいた。
(そうだ・・・この2号店は店長にとって我が家同然・・・それを俺なんかに託そうとしてくれてるんだ)
「前田くん、いきなり話だが頼まれてくれないだろうか? 困った事があれば1号店にいる私でも、涼子くんでも相談してくれればいい。それに・・・彼女たちもきっと助けてくれるはずだ」
祐介の言葉につられるように耕治は一同の顔を見た。
あずさ、美奈、つかさ、早苗、潤、涼子・・・みんなが真摯な眼差しで耕治を見つめていた。
それは、耕治に対する信頼の証。
耕治の視線は最後に・・・葵に向いた。
目と目が合った瞬間、葵の表情が微笑みに変わった。
(大丈夫、耕治クンならできるわ!)
耕治には葵がそう言ってくれているように見えた。
「・・・わかりました。俺にどれだけの事ができるのかわかりませんが、引き受けます」
「そうか! ありがとう、前田くん!」
耕治の承諾の言葉に一気に表情を緩めた祐介は耕治の両手を取って強く握り締める。
「とりあえず1ヶ月だ。出向期間がもっと伸びる可能性もあるが・・・まずはその間頑張ってくれ。頼むよ」
「はい!」
・・・かくして、対外的にはともかく、Piaキャロット史上最年少店長(代理)が誕生する事となったのである・・・
Project 「リレー小説☆ぴあぴあ」 Presents
第二部 皆瀬葵「二人の距離」
Written By 御巫吉良(Kira Mikanagi)
「こんちゃーす!」
「あら、おはよう。耕治クン」
元気良くPiaキャロットの入った耕治は葵に挨拶をする。
「どうしたの? 今日は耕治クンは学校もお店も休日だったんじゃないの?」
耕治のスケジュールを思い浮かべながら葵は不思議そうに言った。
「ああ、そうなんですけど・・・昨日、仕入れのチェックが終わってなかったので今日中にやっておこうかと思ったんで」
耕治が店長代理に就任してから今日で3日目。耕治の生活は文字通り一変してしまった。
今だ学生の身である以上、学校にも通わなくてはならない。
その上、スケジュールは以前と変わらないのだが、仕事量は倍増していた。
祐介の仕事は対外的な業務を一手こなしてい為、その仕事を涼子と共に耕治は引き受ける事になったのである。
「身体、大丈夫? まだ始まったばかりなんだからあまり無茶してたら持たないわよ?」
「ええ、まあ・・・でも、今日だけですから。仕事に慣れればきっとスピードも上がって残業もなくなりますよ」
「そう・・・じゃあ、頑張ってね」
「ハイ!」
葵に笑顔で手を振りながら耕治は事務所へと入っていった。
耕治の背中を見送って、姿を消しても葵はしばらく耕治が消えた扉を見つめていた。
たった今見たばかりの耕治の笑顔を思い出す。
それだけで体温が1℃上がったような気がした。
(・・・これは重症ね。あたしってこんなに惚れっぽかったかな・・・?)
「ウェイトレスさーん!」
「あ、はーい!」
お客の呼びかけに最高の微笑みを浮かべて葵はテーブルに向かった。
後にこの日の客の間でキャロットの笑顔の良いお姉さんの噂が広まり、売上に貢献する事になるが・・・それはまた別の話である。
「葵ちゃーん。そろそろ休憩に入ってください」
「え? ああ、もうそんな時間なの?」
つかさの呼び掛けに意外そうな表情で葵は店内の掛時計を見上げた。
時刻は午後2時ちょうどだった。
「なーんか今日はあっという間だったわね」
「・・・ねえ、葵ちゃん。今日は何か良い事でもあったの?」
「え?」
つかさの言葉に怪訝な表情を葵は浮かべる。
「だって今日の葵ちゃん、すっごく良い笑顔してるよ。お客さんも葵ちゃんに視線が釘付けーって感じだったもん」
「ええ? そう・・・なの?」
「気がつかなかった? 若い男の人はボクが近くにいるのに遠くの葵ちゃんに声を掛けてたんだよー・・・ちょっと悔しいな〜」
言われてみれば今日はやけに“お呼び”が多かったような気がする。
「ね、ね。何があったのか教えてよ〜」
「フフ・・・ナ・イ・ショ、よ♪ それじゃあ、休憩させて貰うわ」
「ああん! そんな言い方されたら余計に気になるよー」
葵は軽くウインクして残念そうなつかさをしり目に事務所に入った。
「あ、葵さん。お疲れ様です」
「え? 耕治クン、まだ仕事してたの?」
事務所で伝票の山と格闘している耕治を見つけて葵は驚いた。
てっきり午前中に仕事を終わらせているものと思ったからだ。
「手伝うわ」
「いや、大丈夫ですよ。もうすぐ終わりますから。葵さんは昼食を取って休まないと」
「でも・・・」
「休むのも仕事のうち、でしょ? これ、葵さんの言葉ですよ」
「はいはい・・・店長代理のお言葉に従います」
二人で目と目が合って・・・
「「プッ・・・クックック」」
二人揃って笑い出してしまった。
「・・・それじゃあ、あたしは仕事に戻るわ。何か邪魔しちゃったみたいでごめんね」
「良いですよ。さっきも言ったように仕事はもうすぐ終わりますから」
軽く昼食を取りながら耕治と葵は世間話をしていた。
たわいの無い何でもない話だったが、二人には退屈に感じなかった。
「あ、そうだ・・・耕治クン、今日の夜は暇?」
「え? 別に予定はないですけど?」
「そう・・・それじゃあ、夜8時にあたしの部屋に来てくれる? また宴会しましょうよ」
「ええ、わかりました。必ず行きます」
「うん、じゃあ待ってるからね」
上機嫌で葵は再び店内へと戻って行った・・・
それから数時間後。バイトを終えて帰宅した葵は宴会の準備に勤しんでいた。
「よし! これで良いわね」
マジックペンを上げながら葵が言った。
葵の目の前に広がる横長の紙には『☆前田耕治 店長代理就任記念☆』と書かれていた。
紙をじっくりと見回してからあおいは満足げに頷くと天井近くの壁にテープで貼り付けた。
テーブルの上にはすでにビールとおつまみが山のように用意されている。
「準備完了!」
時計を見ると午後7時半を指していた。
「う〜ん、少し早かったかな・・・でも、耕治くんの事だから早めに来るかもね」
準備が済んで手持ち無沙汰になった葵はその場に座り込み、ビール缶を手に取ってピンを空けようとして・・・
「・・・止めた。耕治くんが来るのを待とうかな」
なぜか、今日は先に飲む気がしなかった。
(う〜ん、何でだろ? いつもなら真っ先に飲んでるのに・・・)
ビールに関心を示さない自分自身に葵は戸惑いを隠せなかった。
「・・・そう言えば、二人だけで飲むのって初めてかも・・・いつもは涼子もいたし・・・」
言葉に出してから何故か急に心拍数が上がったよな気がした。
ふと、自分の今の格好を見る。さすがに冬の季節だけに夏の時のような薄着ではないが、胸元の大きく開いたシャツと言う事は同じだった。基本的に窮屈な服が嫌いな性格だったからだ。
「・・・もうちょっと、ちゃんとした服を着ていた方が良いかな?」
慌ててタンスの引き出しを引っ張り出して外出着に使っているトレーナーに着替えた。
「・・・うん、これなら・・・って、あたし、何やってんだろ?」
唐突に自分の行動の馬鹿馬鹿しさに気がついた葵は憮然としてその場に座り込んだ。
(・・・ダメだ、今日のあたしは。耕治クンと二人だけじゃ間が持ちそうに無い・・・涼子も呼ぼうか?)
時計を見ると7時55分だった。時間が無い。
慌てて部屋を出て隣の涼子の部屋に向かおうとしたが、
トゥルルルルルル!
葵の電話が鳴り響いた。
「もう、この忙しい時に・・・!」
靴を脱いで部屋に戻り青いは受話器を取った。
「はい、皆瀬です」
「あ、葵さんですか? 前田です」
「耕治くん? どうしたの?」
「その・・・すいません。実は仕入れ業者の入荷品にミスがありまして・・・材料の再発注をお願いして今日届けて貰うことになったんです」
「え? そうだったの?」
「はい。それで材料が届くまで涼子さんと業者を待つことになったので・・・すいません、今日は宴会に出られそうにないんです」
「え・・・」
葵は受話器を取り落としそうになって慌てて受話器を握り直した。
「本当にすいません。もう用意してるんでしょう?」
「や、やーねえ。そんなの気にしなくって良いわよ! もうあたしは先に飲んじゃってたからさー。それに大した物は用意してなかったしね」
嘘だった。一滴も飲んでなければ、つまみも今日はいつもの倍は購入してきた。
「そうですか?・・・それじゃあ、明日の発注書を処理しておきたいんでこれで失礼します。それじゃあ」
プツ。ツー、ツー、ツー・・・
葵は受話器をソッと戻した。
部屋を見回す。大量のビール缶、つまみ。さっき着替えたシャツ。
舞い上がっていた気持ちが暗く沈んでいくのが自分でもわかっっていて・・・否定したかった。
「飲むか・・・」
ビール缶を手に取ると、ピンを空けて無言のまま口に運ぶ。
グビ、グビ、グビ・・・
一気に飲み干してしまうと、葵は大きく息を吐いた。
「・・・美味しく・・・ないな」
続く