THE ALAN PARSONS PROJECT            Alan Parsons(Solo)  
アラン・パーソンズ・プロジェクト      アラン・パーソンズ(ソロ名義) 
(1976〜1986)                     (1993〜)


アーティスト紹介1

■アランとアビイ・ロード 
ビートルズのレコーディング・スタジオであったEMIアビイ・ロードにおいて、エンジ
ニアとして経歴を積んだ人物がアラン・パーソンズである。(詳しいデータは分からない
が)ロック史上の初のコンセプト・アルバムといわれる『サージェント・ペパーズ・ロン
リー・ハーツ・クラブ・バンド』(1967)に間近で接し、通称ホワイト・アルバムと呼称
される名作『ザ・ビートルズ』(1968)や、レコーディングしたアルバムの中で実質的最
終作『アビイ・ロード』(1969)でアシスタント・エンジニア(テープ・オペレータ)を
務めたようである。『レット・イット・ビー』(1970)でもエンジニアとして参加した。
プロデュース業とエリックとの出会い 
ビートルズ解散後はポール・マッカートニー率いるウィングスのエンジニアリングを手掛
け、EMIレコード系バンドで、ポスト・グラムロック──英国デカダンス・ ポップの
コックニー・レベルのセカンドアルバム『さかしま』(1974)や、ポップ・チューン溢れ
パイロットのデビュー作『パイロット』(1974)など最先端をゆく傑作をプロデュース
してゆく。ピンク・フロイドの『原子心母』(1970)や『狂気』(1973)におけるアラン
のエンジニアリングは彼を有名にしただろう。その頃EMIの別スタジオで他のアーティ
ストのプロデュースをしたり、プロデュース業をするアランのマネージメントを手掛けて
いたのがエリック・ウールフソンだった。仕事をするうち意気投合し、一緒にアルバムを
作るべきであると感じた。エリックは以前からエドガー・アラン・ポオの作品を題材にア
ルバムの構想を練り、曲を幾つか書いていた。エリックは優秀なソング・ライティングの
才能を有していた。1974年頃から約2年間、アイデアを実らせる為に作家ポオの作品を研
究し、曲作りを進行させてゆく(フロイドのアルバム制作にも携わっていた為、自分たち
のアイデアがメンバーに悟られぬように、曲タイトルを変えたりして苦労したらしい)。
プロジェクト始動とグラミー賞
1975年7月、彼と縁故あるミュージシャンが呼び集められアルバム製作が開始された。ア
ラン&エリックに、パイロットからデヴィッド・ペイトン(ベース)、スチュアート・ト
ッシュ(ドラム)、イアン・ベアンソン(ギター)ら。ジョン・マイルズ(ボーカル)。
大編成オーケストラを指揮したのは新進気鋭の作曲家アンドリュー・パウエル(コックニ
ーのデビュー作『美しき野獣の群』(1973)の編曲。セカンドの絡みでアランに呼ばれたの
だろう。のちに歌姫ケイト・ブッシュの初期2枚のプロデュースなども行う)、LA唯一の
プログレ・バンドからA.O.R.バンドに転身し成功を収めることになる、デヴィッド・パッ
アンブロージアのメンバーなど、技巧派ミュージシャンが集ったこの『怪奇と幻想の
物語〜エドガー・アラン・ポーの世界〜』(1976)はグラミー賞の候補に挙がった(エン
ジニアリング&プロディースでアランは10回ほどグラミー賞の候補経験があるらしい)。
プログレとポップの融合
アランとエリック率いるアラン・パーソンズ・プロジェクト(以下APPと略記)はコン
セプュチュアルなデビュー作で一躍有名になった。20世紀レコードからアリスタ・レコー
ドへ移籍し、流動的メンバー構成で1986年まで10枚のオリジナルアルバムを発表した。デ
ビュー作のプログレ色濃い音作りから、やがてオーケスラレーションを多用しながらも、 
時代の”音”に鋭敏なエンジニア出身らしいアランの気質からか、APPの音楽はポップ
ヒットを狙える作風との絶妙な融合が図られる。バラードからミディアム&アップ・テン
ポ・ナンバーまでリード・ボーカルを曲ごとに変えた構成、オーケストラの壮大さ、先端
録音技術の職人芸が活かされたインスト、どのアルバムにも随所に素晴さが感じられる。
■エリックの不在とアランのソロ
『ガウディ』(1986)を最後にエリックがプロジェクト参加を停止してしまう。アランの
片腕として製作総指揮やソング・ライティングだけでなく、魅力的なリード・ボーカルや
キーボードも担当していたエリックの不参加。オーケストラ指揮のパウエルを初めとし、
ベアンソン、スチュアート・エリオット(ドラム。ex−コックニー・レベル10cc)、
リス・レインボウ(ボーカル)、リチャード・コットル(サックス)などのメンバーが集 
まり、アランのプロデュース&エンジニアでAPP11枚目のアルバム製作が開始された。
しかし、協力していたブライアン・ブローリイ(ミュージカル・キャッツの製作に携わっ
た人物)の示唆によりエリックはミュージカル・アルバムとする方向性を得る。1990年、
エリックが全曲を書いたミュージカル・アルバム『FREUDIANA』(日本未発売)が発表さ
れる(2倍の長さのバージョンも発表されたようだ)。以後、エリックはミュージカル音
楽へ興味を持つ。APPを彼とのデュオネームと考えていたアランは、その名称を用いる
ことなくソロ名義でアルバムを発表することにした。『人生ゲーム』(1993)、『オン・
エアー』(1996)、『タイム・マシン』(1999)である。パウエル、ベアンソン、エリオ
ットといった馴染みのメンバーが中心となりアランをサポートして、クオリティーに貢献
している。が、個人的にエリック不在ゆえ気が抜けた炭酸水のように感じられてしまう。
終わりに、APPやアランのソロなどへ参加したミュージシャンをにまとめてみよう。
 
 (1999.12.2 高林廉) 
 
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