棋譜の扱いに関するトピックス

はじめに

このページは「棋譜と著作権にまつわるMEMORANDUM」の続きにあたります。「棋譜と著作権にまつわるMEMORANDUM」でおおよそ基本的なことは書き終えましたが、その後新しい情報・議論などがあったときにこちらに書き加える形をとっています。

関連するリンクなどは棋譜と著作権にまつわる資料集を参照して下さい。

目次

神崎健二七段の日記より(2003年11月10日更新)

だいぶ前の文章になるが、神崎健二七段のホームページ中にある神崎七段の日記「ある棋士の日常」2001年7月18日付では次のように書かれている。

先週の終わりごろ棋士に送られてくる会報にもこう書かれていた。

「ホームページを開かれている会員の皆様へ
棋譜は、マスコミ各社との契約が行われ、期間中は契約社に諸権利があり、期間後は連盟に財産とし残るものであります。ホームページへの掲出に際しては、手合課までお問い合わせ下さい。」(原文のまま)

ある棋士の日常 2001年7月18日付 「棋士の自分の指した棋譜に対する権利」

ここでの「会員」とは日本将棋連盟の会員、すなわちプロ棋士のことである。「諸権利」の具体的な内容についてははっきりしないが、棋士のみに通達されていることから、日本将棋連盟が何らかの義務を負う権利なのだろう。おそらく棋戦の主催社と日本将棋連盟との間に結ばれた契約に基づくものと思われる。

契約の当事者以外の存在を知らない第三者にとっては、その「諸権利」は効力がないものなのだろう。日本将棋連盟内部の人間と外部の人間とで、棋譜を扱うスタンスが異なることは当然あり得ることである。内部の人間の方が、日本将棋連盟の結んだ契約に縛られる分だけ制約が大きくなる。

武者野勝巳六段の書き込み(2003年11月10日更新)

武者野勝巳六段が自身の掲示板で、棋譜の取り扱いについて興味深い見解を表明していた。武者野六段には「マリオ」という愛称があり、自身の一人称としても使用している。

[2734] Re[2726]: 著作権 投稿者:マリオ 投稿日:2003/05/31(Sat) 12:23

> 大変素朴な考えで恐縮ですが、棋譜と普通の著作物とは性質が違うんじゃないでしょうか?

まったくそのとおりですね。そこで「現行法制上、将棋囲碁の棋譜は著作権の対象範囲には入らない」と声高に主張する方もいるようです。現行法制上というのがポイントなんですが、例えばコンピュータソフトに関する権利などは、立法が遅れるのが常で、権利譲渡や転用に関わる取引例。そして判例の方が先行しています。

マリオも総務担当理事だったときに文化庁に判断を仰いだり、多くの法律家に相談したりしましたが、おおむね「棋譜の権利については立法済みの条文には該当しないが、多額の対価を伴って権利譲渡がなされている現状に鑑みれば、何らかの無形財産権があると判断するのが至当」というアドバイスが大勢でした。

(社)日本将棋連盟と新聞社は、棋戦開催期間中の一年間「棋譜の初出掲載権」や「独占掲載権」というような表現の契約を結び、多額の契約金を頂戴しています。そこで、この期間内に契約と関係のない第三者が無秩序に棋譜を公開するのは、この契約を無力にするという意味でかなりの問題があると考えていますが、一方で将棋技術の進歩という面から考えると、本来の著作権者であるプロ棋士は上記契約に著しい悪影響を及ぼさない限り、棋譜を公開しファンの参考として頂くのは喜ばしいことだと思っていると思います。

ですから、実力制名人戦や段位廃止戦(現行順位戦)の初期の頃の棋譜を瘋癲老人さんが公開されるのは、考えようもないほど小さなマイナスより、考え得るプラスの方が大きいと判断し、掲載続行を判断しました。なお以上はあくまでマリオ個人の判断でありますので、(社)日本将棋連盟の公式見解とは受け取らないでください。

駒音掲示板 書き込み番号[2734]

ここでの「何らかの無形財産権」のいうのは、前節の神崎七段の文章に出てくる「諸権利」とは異なり、一般の人を拘束する権利として言及されている。この権利は著作権などの明文化された権利ではないということだけはわかるが、具体的にどのようなものかはわからない。とはいえ、日本将棋連盟が棋譜の著作物性について調査を行ったという事実が判明したのはおそらくこれが初めてのことであり、その意味で意義のある文章である。

一つ考えられるのは、棋譜を無断で掲載することによって誰かに損害を与えた場合には、損害賠償責任を負う可能性があるということだろうか。ただ、棋譜掲載によって損害が生じることはほとんど立証困難に思えるので、あまり実効性のある主張とは思われない。

いずれにしろ、よく言われる「誰にも迷惑がかからなければよい」という判断基準は、それほど間違いではないようだ。

白砂青松氏の「著作権の考え方」(2003年11月10日更新)

白砂青松氏が白砂青松の将棋研究室当HPでの著作権の考え方というページを公開している。「棋譜に関しては、著作権を認めません。よって、棋譜は掲載します。」とあるとおり、白砂氏は棋譜の著作物性を否定する立場をとっている。

その中で白砂氏は私の書いた文章を引用した上で、対局が著作権法2条1項でいう「思想又は感情」にあたらないと主張している。私はこの点については、MEMORANDUMで書いたとおり「思想又は感情」かどうかではなく「創作的」かどうかを議論すべきだと考えるが、この場合にはどちらを否定するかによって議論に大きな差が出てくるわけではないので詳細には立ち入らない。(なお、白砂氏は「著作権侵害を覚悟で抜粋します。」と書いているが、法的にも道義的にも正当な引用であり、著作権侵害のおそれは全くない。余談になるが、私の文章について著作権をやかましく言うつもりはない。著者名を明記してあれば基本的に転載は自由にして構わないと考えている。)

白砂氏の論理を要約すると次のような三段論法になると思う(違っていたらご指摘下さい。)。2004年5月10日追記:この件については白砂青松氏の返答

  1. 将棋の対局はゲームである。
  2. ゲームは著作物でない。
  3. よって将棋の対局は著作物でない。

上の論理に難点があるとすれば、第2段だと思われる。全てのゲームが著作物でないとなぜ言えるのか。それがわかっているなら、初めから悩む必要はなかったはずだ。ゲームが著作物でないと言えるためには、ゲームが創作的かどうかを一つ一つ検討するしかないと思う。結局逆戻りである。

とはいえ、ゲームが著作物でないという主張は直感的には受け入れやすいものであると思う。将棋の著作物制を否定する論理が別にあるのならば、わかりやすい説明として上の論法は役に立つだろう。白砂氏の主張の明快さを私も見習いたいものである。

白砂氏の主張の中で注目すべき点に「その人の損になんなきゃいいぢゃん」というものがある。厳密に考えると著作権侵害となる行為であっても、著作権者が損害を被っていないのならば認められるべきだということである。これは私が刑事責任と親告罪の節で触れた「黙認」という考えに通じるところがある。現実問題として、このような考え方は避けて通れない部分が多々あり、私も共感できる。

前節の「誰にも迷惑がかからなければよい」という判断基準もこれと同じものと言えるだろう。

将棋パイナップルでの議論(2003年11月10日更新)

2002年6月から7月にかけて、将棋パイナップルの「プロ棋界情報スレッド」の中の棋譜の「著作権」についての中で、棋譜の著作物性に関連した深い議論が行われた。議論は非常に長大かつ多岐に渡ったため、要約するのは難しいが可能な範囲で順を追って説明したい。

議論の発端はレスの中で引用された次の文章だった。(ただし、その後の議論の展開は全く別の方角へ向かうことになる。)

チェスでは原則的にアマとプロを区別せず、ルールの一部として自分で棋譜を書きながら指すことが義務づけられているのでこのような膨大な数の棋譜が集められるのである。また棋譜の著作権を主張できないこともこのようなデータベースの存在を支えている。米国最高裁の判例に「棋譜集はかなり創意に満ちたものでなければ著作権を認められない」という趣旨のものがあり、それが基礎となっているようである。

日本文化としての将棋 尾本恵市編著 三元社より、「将棋とチェスの比較論」(旦代晃一)

ここで言及のあった「米国最高裁の判例」なるものが何なのか、私なりに調べてみたが結局手がかりは得られなかった。「棋譜集はかなり創意に満ちたものでなければ著作権を認められない」という書き方では、棋譜そのものの著作物性ではなく、ある棋譜データベースのデータベースとしての著作物性を否定しているようにも読めるので、現在のところよくわからないとしか言いようがない。

上の引用に続いて、それとは直接は関係のない形で、さるさ氏とルール評論家氏の議論が始まった。ここでの論点は簡潔に書くと「棋譜の著作物性を前提としなくても、棋譜が無断で掲載されることを止められるのではないか」という内容だった。棋譜の著作物性は問題としない議論のため立ち入らないことにする。ただ、ルール評論家氏が「言うまでもないですが、私は法曹資格持ってますし、経験年数も10年を超えてます。おまけに知的財産権を専門家に取り扱ってる者です。」と表明していることは注目に値する。

そのさるさ氏の議論が収束するのに前後して、ルール評論家氏と塚本惠一氏、そして少し後に白砂青松氏が加わって、棋譜の著作物性に関する本質的な議論が行われた。非常に長文なので、議論の流れを逐一紹介することはできないが、ルール評論家氏の棋譜の著作物性を否定する論理構成はとりわけ意義深いものであるので、レス番号89の書き込みに沿う形で要約して紹介したい。粗い要約にならざるを得ないため、正確なところは原文を参照されたい。(なお、この件についてルール評論家氏は「もちろん、最高裁判例があるわけでもありませんし、確固たる学説があるわけでもないので、私の意見はあくまで一個人の意見です。」と断っている。)

まず、議論の前提として著作物性を判断する基準の一つを確認する。

我々が何かを著作する際には、内心にある「思想又は感情」のようなアイディアを外部に向けて「表現」する。著作権法が保護するのは「表現」であることを注意しなければならない。もしアイディアを表現するための方法が一通りしかないならば、同じアイディアをだれが表現しようとも同一の表現になることは避けられない。このような場合にはその表現は著作物とはならない。

以上は一般論であるが、これを棋譜にあてはめるとどうだろうか。将棋を指しているときに内心にあるアイディアとは、目の前の局面における最善手が何かということだろう。しかしそれを表現する、つまり最善手を指すという行為については誰が行っても同じである。言い換えると、最善手を見つけることは誰にでもできるわけではないが、それは内心での出来事であるので著作権法では保護されないということである。

一般に棋譜の著作物性を否定しようとするとき、詰将棋の著作物性はどうなのかという点が問題となる。というのも詰将棋の著作物性を否定する意見は非常に少ないためである。前節の白砂青松氏の議論もそうだったが、ルール評論家氏も詰将棋の著作物性を否定してはいない。

「将棋の棋譜に著作権はない」(2003年11月10日更新)

前節の議論の途中で、気まぐれゲーマーの備忘録を運営する関勝寿氏が将棋の棋譜に著作権はないというページを公開した。

ここではこれまでの議論とは別の角度、すなわち海外での現況を伝えている。そして、その上で関勝寿氏は「私は将棋の棋譜に著作権はないと主張します。」と明言している。

私はチェス界でそのような状況があることは知っていたが、著作物性は一応あるものの利用料がゼロという状態でも同じようになるため、著作物性が否定されているのかどうかはわからなかった。今回、はっきりと著作物性を否定されているという報告が公開されたことは意義深い。

現時点での感想(2003年11月10日更新)

棋譜と著作権にまつわるMEMORANDUM」は2002年春頃から2003年春にかけてこつこつと書きためた文章です。その間私自身の考えもだいぶ揺れたため、文章にも一貫性の欠ける部分が生じています。そうなることは書き始めたときからわかっていましたし、きちんと書こうとするとどれだけの手間がかかるかわからないのでそのままにしてあります。

調べはじめた時点ではほとんど情報がなく全くの手探り状態でしたが、最近になって少しずつ本質的な議論が増えてきたのはうれしいことです。上で紹介したように棋譜の著作物性を否定する立場からの議論が多いですね。私も現在は7,8割方、棋譜の著作権はないという方向へ傾いています。

私は棋譜の利用は原則として自由であるべきだと考えています。そしてこの意見には多くの方に賛成していただけると思っています。もし棋譜が著作物でないということになれば、「棋譜と著作権にまつわるMEMORANDUM」はほとんど無価値な文章になりますが、それは私にとって喜ばしいことです。

白砂青松氏の返答(2004年5月24日更新)

このページの白砂青松氏の「著作権の考え方」の中で私は次のように記した。

白砂氏の論理を要約すると次のような三段論法になると思う(違っていたらご指摘下さい。)。

  1. 将棋の対局はゲームである。
  2. ゲームは著作物でない。
  3. よって将棋の対局は著作物でない。

しかし、2003年11月18日に掲示板にて白砂青松氏から次のような書き込みをいただいた。

うーんとですね、こうやって箇条書きにするなら、

  1. 将棋の対局はゲームである。
  2. 将棋の対局を記録した棋譜は、ゲームの記録である。
  3. ゲームは著作物でない。
  4. よって将棋の対局は著作物でない。

としていただくとありがたいです。

要するに、「ゲームだから」著作物ではない、と言っているのではなく、「ゲームの<記録だから>著作物ではない」と言っているわけです。

スコアブックに著作権が認めらんないんであれば、棋譜だって無理じゃん、だって、将棋だって野球だっけ結局ゲームだもん……という理屈です。吉田大輔説となんら変わるところがありません。

唯一白砂の独自性があるとすれば、<将棋とは「二者の感情を表現するもの」ではなくて、「二者が闘うもの」である>と言う点を明確に主張したところでしょうか。この点はくどいほど書きました。

繰り返しますと、

将棋は単なるゲーム<だから>棋譜に著作権はない

ではなく、

将棋は単なるゲームだから<その記録である>棋譜に著作権はない

というのが白砂の主張です。

以前、この件についてコメントした時も、白砂にはもずさんの言っていることがよく判らなかったんですが(笑)、今回のことでもずさんが白砂の主張をどのように考えていたのかがよく判りました。ついでに昔の文章を読んでいただけると、すれ違いの様が笑えるかもしれません。

なんで気づかなかったんだ俺……。

これに対して私は次のように返信した。

白砂青松さん、書き込みありがとうございます。私は白砂青松さんの書かれた内容を誤解していたようですね。これについてはまた後日「棋譜の扱いに関するトピックス」に書き加えたいと思います。

以下、「記録」という点について私の意見を述べます。

日本の著作権法では、形のある媒体に記録されていることは著作物性の要件とされていません。したがって、将棋を指すという行為そのものが著作権法で保護される対象とされる可能性があります。(ここまでは異論のないことと思います。)将棋の対局とその棋譜とを比較すると、対局の方が将棋を指した人の行為に直接的に結びついていますから、対局を原著作物とし、棋譜は対局の複製であるとする理論構成がより妥当であると考えます。その点は、「棋譜と著作権にまつわるMEMORANDUM」で書いた通りです。

このような立場からすると、白砂青松さんの主張は2通りに理解し得ます。つまり、「対局は著作物であるが、棋譜はその複製とは認められない。」か「対局は著作物でないので、その記録である棋譜も著作物ではない。」かということです。ここでは、これまでのご意見から後者であると判断して話を進めます。(もし前者でしたら話が変わりますのでご指摘下さい。)

ご承知の通り、自然現象などの単なる事実の記録は一般に著作物ではありません。例えば、ある日の気温を記録したデータは著作物ではありません。しかし、対局者の意思が反映されている対局を単なる事実とは言えませんから、同じ論拠で棋譜の著作物性を否定することはできません。棋譜が、対局の本質的な部分を写し取ったものである以上、対局に著作物性があるかどうかを問題とすべきであると私は考えているのです。

白砂青松さんの記述に沿う形で書くならば、「3.ゲームの記録は著作物には当たらない。」とは必ずしも言えないと考えます。ゲーム(をプレーする行為)に著作物性がある場合には、そのゲーム(のプレー)の記録にも著作権が及ぶ可能性があるということです。将棋に限れば、「ゲームは著作物でない。」という主張と「ゲームの記録は著作物には当たらない。」という主張はほとんどイコールです。

蛇足になりますが、吉田大輔氏の書いた「棋譜=スコアブック」説についても私は否定的です。その理由はいくつかありますけれども、さらに長くなるのでここでは差し控えます。

さらに付言するならば、将棋と野球などを関連させる主張には、両者のどの部分の性質に共通項があるのか明らかでないという弱点がある。この点を克服しなければ主張を成り立たせることは難しいだろう。

最後になりましたが、この項のアップロードが間があいてしまったことをお詫びします。

askaccs.ne.jpの回答(2004年5月24日更新)

社団法人コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)が中心となって結成された「情報モラル委員会」の運営する著作権・プライバシー相談室では、著作権法などに関する質問に回答を行っている。ここに棋譜の扱いに関して回答がなされている。

私見と断った上で著作物性を肯定する回答となっているが、その要旨は棋譜と著作権にまつわるMEMORANDUMで書いたことと変わりないようだ。著作物性を認める理由付けは踏み込みが足りないように感じられるものの、現状を考えるとその程度しか書けないことは仕方ない。

この回答の筆者は現在行われている議論を一通り調べた上で、著作権を強く主張する立場のACCSとして著作物性を肯定する立場にたったものと思われる。立場の違いこそあれ、どこに相談してもこれ以上の回答を得ることは難しいだろう。

日本将棋連盟が月刊棋譜社に申し入れ(2007年12月28日更新)

しんぶん赤旗2005年9月15日付の「棋界メモ」に「将棋連盟が月刊棋譜に『無断転載やめよ』」という見出しの記事が掲載された(この件は寺尾氏から情報提供いただいた。ありがとうございました)。この記事によると、日本将棋連盟が月刊棋譜社に対し2005年9月9日付で著作権侵害を是正するよう求める旨の申し入れを行ったという。

日本将棋連盟は9日、月刊棋譜社(奈良県安堵町)にたいし、同社発行「月刊棋譜」誌は「新聞観戦記や詰将棋を無断転用し、著作権を侵害している」と是正を申し入れる文書を送った。

申し入れ書は観戦記や詰将棋の無断転用は著作権の侵害であり、観戦記を一部加工したり詰将棋の作者名を削除していることは著作者人格権の侵害だと指摘している。

そのうえで同社に活動を停止するか活動継続の場合は主催社や関係者の承認を得るように求め、10月15日までに対応の回答がなければ法的処置を考えるとしている。

しんぶん赤旗 2005年9月15日付

「月刊棋譜」は将棋の棋譜などを掲載する月刊誌で(下記ページによれば)26年間発行されてきた。しかし、その規模は零細で書店売りは行っておらず、アマチュア将棋団体による購読斡旋などが中心だったのではないかと思われる。運営は夫婦2人の手で行われ、2005年8月頃に健康上の理由で発行を終了したようだ。(筆者自身はこの雑誌を購読したことがないため、具体的な内容等で不明な点が多いまま記していることをご容赦願いたい。)

日本将棋連盟が申し入れを行ったのは月刊棋譜発行終了後のことで、申し入れの目的がどこにあったのかは不明である。この件に関して、日本将棋連盟からの公式発表は探した範囲では見つからなかった。

上記の新聞記事に基づくと、「観戦記や詰将棋の無断転用は著作権の侵害」との書き方となっており、棋譜そのものについては著作権を主張していないことが注目される。その一方で、詰将棋に関して著作権を主張していることは、日本将棋連盟が詰将棋の著作物性を認めたものとして解釈できるだろう。

月刊棋譜にどのような観戦記・詰将棋が掲載されたのか知らないのだが、一般的に観戦記・詰将棋はプロ棋士でない人の手によるものの方が多数であり、そのようなものに対して日本将棋連盟の名義で申し入れを行ったとすればその妥当性には疑問が生じる。また、プロ棋士による観戦記・詰将棋であっても、その著作権および著作者人格権を保持するのは第一義的にはプロ棋士個人であり、日本将棋連盟が代理でその権利を行使しようとすることは法的に問題がある可能性も指摘されるだろう。権利関係を明確にすることが望まれる。

将棋メーリングリストへの「お願い」に関して(2007年12月28日更新)

棋譜と著作権にまつわるMEMORANDUMで、将棋メーリングリスト利用についてのお願いに掲載されている「日本将棋連盟からのお願い」を取り上げた。この文書について、下記のページで情報があった。

2007年1月17日付で質問に回答しているsgx4500氏は次のように述べている。

添付URLにある「将棋連盟のお願い文章」は、将棋連盟が直接個別に将棋MLにお願いしたとありますが、実は違います。この文章は私が連盟に電話して、詳しい連盟職員にいろいろ話を聞いて、その内容を分かり易くまとめて、10年ほど前に将棋MLに投稿したものです。

中原対米長 名人戦 - Yahoo!知恵袋

件の文章は、日本将棋連盟側から「お願い」したのではなく、sgx4500氏から問い合わせ、その内容を氏がまとめたものであるという。それを確認することはできないが、一つの材料となるだろう。

大和証券杯「サイト利用規約」が棋譜を著作物と主張(2007年12月28日更新)

2007年4月に新棋戦大和証券杯ネット将棋が始まった。この公式サイトの「サイト利用規約」中に、棋譜が著作物であると主張する部分がある。(サイト発足は2007年2月だが、この規約がいつの時点から存在していたかは確認していない。少なくとも3月21日には存在していた。)

第5条 コンテンツの取り扱い

  1. 本サイト上のコンテンツ(棋譜、文章、画像、情報もしくはソフトウェア等を含みます)(以下、本コンテンツといいます)は、すべて連盟あるいはスポンサーの著作物です。
  2. 利用者が、本利用規約に違反し、本コンテンツを改変、複製、頒布、送信、表示、実行、出版、使用許諾、移転、譲渡することおよび派生的な著作物を作成することは禁止されています。これらは、法律によって固く禁じられ、違反者は民事上または刑事上の責任を追及されるおそれがあります。
  3. 連盟は、利用者に、本利用規約に従い個人的な目的だけに本コンテンツを使用することを許諾します。
  4. 利用者は、連盟が特別に承認した場合を除き、本サイトを通じて知り得た情報を複製、販売、出版その他いかなる方法においても利用することはできません。

サイト利用規約:大和証券杯ネット将棋公式ホームページ

大和証券杯ネット将棋の対局を観戦するには、無料の会員登録が必要であり、その際に承諾を求められるクラブ大和証券杯 会員規約は上記規約とは別のものである。したがって、上のような「サイト利用規約」を定める利点は、非会員のサイト閲覧者に効力を及ぼせる点にあると考えられるが、そのような者は棋譜を閲覧できない仕組みであることから、この規約の位置付けがどこにあるのかは首をひねらざるを得ない。なお、このサイト利用規約はページ隅にある目立たないリンクによって存在が知られるのみであり、規約の有効性に疑義が生じる余地があると思われる。

上記で引用した条文は、「棋譜、文章、画像、情報もしくはソフトウェア等」は例外なく著作物であると主張しているように読める。しかし、サイト中に見えるごく短い文章や単純な模様の画像に著作物性があるとは言えず、その主張は誤りであるといわざるを得ない。まして、単なる情報が著作物性を持つことは考えにくい。このようなことからして、この文章は著作権に関して誤解を生む余地のある条文であり、訂正されるべきであると考える。

この条文は下記の条文に酷似している。

第5条 コンテンツの取り扱い

  1. 本サイト上のコンテンツ(文章、画像、情報もしくはソフトウェア等を含みます)(以下、本コンテンツといいます)は、すべて弊社またはその供給者の著作物です。
  2. 利用者が、本利用規約に違反し、本コンテンツを改変、複製、頒布、送信、表示、実行、出版、使用許諾、移転、譲渡することおよび派生的な著作物を作成することは禁止されています。これらは、法律によって固く禁じられ、違反者は民事上または刑事上の責任を追及されるおそれがあります。
  3. 弊社は、利用者に、本サイトを閲覧または利用するため、本利用規約に従い個人的な目的だけに本コンテンツを使用することを許諾します。
  4. 利用者は、弊社が特別に承認した場合を除き、本サイトを通じて知り得た情報を複製、販売、出版その他いかなる方法においても利用することはできません。
  5. 本サイトの将棋道場サービスを通じて得られた棋譜等の記録の利用に関して、弊社は利用者の承諾なしにこれを利用できるものとします。

将棋倶楽部24 利用規約

これは、大和証券杯のシステム運営に関わっている有限会社将棋倶楽部24の運営するネット道場将棋倶楽部24の利用規約である。この第1項を比較すると、ほぼ同一の文面となっている中で、「コンテンツ」の一例として棋譜が付加されたことがわかる。規約の文面を流用する過程でそのような変更が行われたということで、ここには明白な意志があったと認められそうだ。ただし、規約を書いたのが誰なのかは不明であるため、これを日本将棋連盟の意志と読みとるべきかどうかは必ずしも定かではない。

新たな解説書での説(2007年12月28日更新)

棋譜と著作権にまつわるMEMORANDUMではいくつかの著作権法解説書の記述を紹介したが、近年の著作権に対する関心の高まりもあって、ここ数年でも新たな解説書が発刊されている。その中の一つに、棋譜の著作物性について踏み込んだ見解を示したものがあった。『知的財産法講義II 第2版 著作権法・意匠法』(渋谷達紀著、有斐閣、2007年6月10日発行)である。(下記の記述は第2版に関してのものである。2004年10月30日発行の初版には当該の記述は存在しない。)

囲碁や将棋の棋譜は,例示外の著作物であり,対局者の共同著作物であるとする見解(加戸・前掲逐条講義118頁)がある。しかし,棋譜は,勝負の一局面を決まった表現方法で記録したものであるから,創作性の要件を欠き,著作物ではない。それは事実の記録であり,新聞などに掲載されているものは,事実の伝達にすぎない雑報(10条2項)と見るべきものである。詰め将棋の棋譜は,これを創作することについて思想感情を要するから,著作物であるかのようであるが,その思想感情は,詰め将棋の創作に向けられたものである。表現の仕方は決まっており,表現に思想感情が盛り込まれることはないから,詰め将棋の棋譜も、やはり著作物ではない。それは数式で書かれた計算問題(18頁)が著作物でないのと同様である。

知的財産法講義II 第2版 著作権法・意匠法 渋谷達紀著 有斐閣 24頁

この主張は『著作権法逐条講義』にある記述に対する反論として書かれている。元の主張に関しては、「棋譜と著作権にまつわるMEMORANDUM」の過去の議論を参照されたい。上記で棋譜の創作性を否定する論法は、将棋パイナップルでの議論で紹介したルール評論家氏の主張と通ずるものがあるが、ここで10条2項を持ち出すのはあまり目にしないように思われる。ただしこの条項自体は確認的規定にすぎないと解されているので、これにより新たな論点が生じたとは言えない。

次に、「詰め将棋」の著作物性も同様に否定されているのは、これまでの議論ではあまり見られなかった観点である。しかし、棋譜の著作物性を否定する論法を敷衍すればそれも自然なことであるというのも、言われてみれば確かであり、仮に詰将棋の著作物性に関して争いになったときに、このような結論に落ち着く可能性もあるという話になるのであろう。棋譜の著作物性に関する判断は法学者の間でも見解の分かれるところであるというこれまでの結論に、さらに一石を投じるものであると考えられる。棋譜・詰将棋のどちらに関しても言えることだが、著作物性に関しての判断が明らかにされていない現状では、どのような結論になったとしても困らないようにすることが現実的な対応であると言えよう。

「江戸時代の棋譜に著作権を主張」という話について(2007年12月28日更新)

棋譜 - Wikipediaに「(日本将棋連盟が)一時、江戸時代の棋譜に著作権を主張し、物議をかもしたこともある(後に撤回された)。」との記述がある。私はこれについて具体的に何があったのか知らなかったが、朝日新聞青森地方版の記事(2007年6月23日にウェブ上に掲載)にその話に関する記述があった。

中戸俊洋氏は主に青森県で将棋の普及に尽くした人物で、「将棋天国」誌の発行や大山将棋記念館の建設などを評価されて1998年度に第5回大山康晴賞を受賞した。この「将棋天国」に掲載された江戸時代の棋譜に対して、日本将棋連盟が使用料を求めたことが1978年にあったという。

■78年に将棋天国に掲載した江戸時代の棋譜をめぐって、日本将棋連盟から使用料を払えとクレームがついた。

著作権が江戸時代まで及ぶのかと、連盟との間でもめにもめました。そのころ、将棋天国の企画で、全国で初めてプロとアマがハンディなしの互角で対決する「アマ・プロ平手戦」を開きました。その棋譜を共催した新聞に掲載しようとした時も、多額の使用料を求められました。

新聞への掲載はやめましたが、この時も大山名人に会いました。大山名人は、著作権のことにはあまり触れずに、将棋天国について「こういう雑誌は、これから生まれてこない。我々も応援しなければいけない」と言われました。他のプロ棋士の方々からも、「助成金を出してでも応援すべきだ」と励ましてもらいました。うれしかった。

【将棋普及に努める棋道師範 中戸俊洋さん】(3)名人の情熱を継ぎたい

たとえ仮に棋譜に著作物性があったとしても、江戸時代の著作物はすでに著作者の死後50年という保護期間が満了しているために、使用料を要求する根拠は存在しない。また、この例と違って、料金を求める何らかの権利があるものが紛争の原因である場合でも、上記の意見にあるように、その権利が有益な活動を直接的または間接的な形で妨げることのないようにするのは日本将棋連盟の責務であると考える。