図書室のおねいさん
同僚の新潟人O氏の重いおもいで(韻を踏んでいますね)
ヘタレ男がおねいさんといかに自然に出会い、そして仲良くなれるのかといういつもの問題についてである。
昼下がりの図書室は世捨て人の巣窟といってよいだろう。まともな人生を送る人々は、昼休みを友人たちとの幸福なる駄弁りに費やし、輝ける青春の一頁を鬼のように築き上げるものである。だが、人生のレールを早くも踏み外し、対話を行う友人すらいないヘタレ男は、そのひとときを何を持ってして消化しなければならないだろうか。
教室の隅で佇んでいるのは耐え難い。屋上で青空を眺めるのは基本中の基本だが、恐ろしいことにこのせかいには屋上すらない高校が存在する[注1]。では、どうすればよいか? 図書室である。
対話は一人ではできないが、読書は一人で十分に可能だ。かくして、昼下がりの図書室は負け犬たちの溜まり場になるのである。
『To Heart』では、図書室において浩之が「おぢょうさん、本を取ってあげよう」イベントで委員長と懇ろになっていたが、これでは駄目だ。ヘタレで内気なギャルゲー鑑賞者が、本を取ってあげようなどというアクティブな行動をとれるはずもなく、よってそんな行為を行う人格に自己を見いだすことができないのである。
ヘタレの溜まり場である図書室で、何とかおねいさんとの出会いを演出したいのだが、前述のイベントでは駄目だとしたら、どうすればよいのか。ここで、われわれは同僚の新潟人O氏の美しきおもいでに注目すべきだろう。
よく地元の図書館に足を運んでいた氏であったが、足が途絶えた時期もあったらしい。それで、久しぶりに図書館を訪れると、かわいい司書のおねいさんに「ひさしぶりですねえ」などと言われたらしい! 氏は、その図書館によく本を取り寄せてもらったりしてたらしい。
図書室によく通うものは、司書のおねいさんや図書委員のおねいさんと仲良くなる宿命にあると断言しよう。たとえば、北野勇作の『かめくん』である。また、こうした図書室のおねいさんたちとは「共通の趣味による懇親化」をはかることができる。共通の趣味ほど、仲良くなれるものはない。これを利用して、隣の人妻をスケコマシたのが、『花様年華』のトニー・レオンである。くそったれめ。
本を借りに図書室のおねいさんが待ち受けるカウンターへ向かい、手続きをするのだが、おねいさんはわれわれが持ってきた本をみると顔をあげ、「この本、わたしもすきなんですよ〜」と笑顔を見せる。これである。断じてこれである。
そういうわけで、高校時代、われわれは図書委員であったのだが、そんな出会いなんぞついぞ経験することはなかった。それでも、図書室は愛しい場所だったのですよ[注2]。
[注1]
何であの高校は瓦葺きだったんだよう〜。
[注2]
勉強もせず図書室ばっかり通っていたので、大学には落ちてしまった。 |