2003年6月の日記

 2003/06/01

恋愛願望と家庭願望の均衡する処
彼は何歳で身を固めるのか?

同僚O氏は大好きなるおねいさんと結婚したいと願うのであるが、此処十年の間に於いて大好きなるおねいさんに遭遇する機会は皆無であり、従って婚期を逃しつつある。

O氏は、また、帰宅しても「お帰り」の挨拶のない惨めな現状に己の耐性が破綻をしつつあることを知っている。14年に渡る独りぼっちな生活にも限界が来ている。しかし一方で、氏には己の容姿に対する深い自己愛に由来する自信がある。つまり、氏は望めばすぐにでも結婚できるのであり、それを実行に移さないのは、大好きなおねいさんと巡り会えないからである。そして、此処に一つのジレンマがある。

大好きなおねいさんへの憧憬を「恋愛願望」、家庭の保有欲を「家庭願望」と定義づけると、氏の未だ結婚しない行為は、恋愛願望が家庭願望を上回っているからと説明できるだろう。ゆえに、孤独への恐怖から来る家庭願望がアリー・マクビール型の恋愛願望[注]を越えた瞬間、すなわち、家庭願望と恋愛願望が均衡する処で、氏は結婚行動を開始することになる。


恋愛-家庭願望曲線
恋愛-家庭願望曲線


恋愛願望に関する曲線も家庭願望に関する曲線も、その方程式を見出すのはO氏の比較的単調な行動構造にあっても困難な作業ではあるが、後知恵で、氏が結婚した際には、わたしどもは其処に均衡点があったことを知ることは出来るだろう。



[注]
白馬に乗った王子様願望


 2003/06/07

お代わり解放の経済効果とパーソナリティの不幸
環七沿いの松屋、人生を弄ぶ

お代わり自由になったのは良いが、茶碗のサイズが縮小されたような感のある処に、環七沿いに佇む松屋の厭らしさがある様に思う。それはわたしどもの繊細なる感覚に対する挑戦と云わねばならない。

剛胆な蛮性を矜持とする同僚O氏ならばお代わりを要請するに微塵の抵抗も覚えることはないのであるが、此の地球上は氏の様な人々によって単一的に占められている訳でもない。お代わりという行為を通じて図らずも露呈される食への強欲性に恥苛まれる人々の存在もわたしどもの発見する所である。後者にとって、お代わり行為は困難と云う絶望の壁を越えて実現されなければならないものである。

お代わりが解放された結果、野蛮なO氏によって消尽される白米の量は解放前に比して増加を辿るはずである。一方で、茶碗が縮小は、お代わりの不可能性という生来的な負い目を課せられた人々の白米消費量を縮減させる。環七沿いの松屋は、両者の白米消費に関わる変動の格差に利潤の余地を見出したのである。

経済的合理性の追求で誰もが幸福になるとは限らない。人々を不幸にするパラメーターは様々であるが、環七沿いの松屋のケースでは、当人のパーソナリティが人々の行く末を分岐させているようだ。

 2003/06/17

ヒーローの動機付けについて
同僚I氏へのメールから抜粋

大きな意味での「戦隊物」に関していつも考えることがあります。突出する敵方とキャラ立ちの面からそれに全く抗することの出来ないヒーローの事です。

悪組織の首領がキャラ立ちしやすく、一方でヒーローが印象に残らないのは、私の個人的な心象のせいかも知れません。ただ、地球を守るという職に就くべき必然性をヒーローに与える作業よりも、地球や社会を壊そうとする動機を敵方に与える方が容易なような気がします。

私の大好きな『レインボーマン』で、日本人を抹殺しようとするミスターKには、極めて簡潔かつ強力な動機がありました。彼は戦時中に家族を日本人に虐殺されていました。一方で、ヒーロー側が日本社会を守る動機は、皆無ではないにせよミスターKのそれと比較して漠然としています。地球を守る側の人間へ動機を与える作業の困難性は、『ガンダム』から『エヴァ』に至るまでの制作者サイドの困惑を見れば理解されることだと思います。

例えば、よく使われる「肉親が殺された」ことは敵方の動機にはなり得てもヒーローの動機としては不適合なのではないかと私は考えています。ヒーローという公的・私的な官憲組織の構成者に復讐という心情がそぐわないのではないでしょうか。あるいは、肉親が死んだからヒロインになったということ自体はよいのですが、その場合、彼女を駆り立てているものは、復讐ではなくて、肉親を失ったことの空白から来るトラウマのようなもの…(例えば、失った母親探し←『テレビ大運動会』)に設定した方が物語効果が高いと思います。

『エヴァ』のミサトさんがあの職に就いた動機は、父親が殺されたことです。他方、アスカ様の動機となるものは、母親の喪失に関連するトラウマです。どちらのトラウマが人格をうまく規定し得たことは、劇場公開前に於けるアスカ様萌え萌えフィーバーを回顧すれば明らかでしょう。

ヒーローへの動機付けが難しいのであれば、それを出来るだけ回避する手法もあります。70年代の伝統的刑事ドラマからレスキューポリスシリーズへ至る、犯罪者への視点傾斜です。ここでのヒーローの在り様は、犯罪者の行為を解釈してそこに感情移入するユーザーの視点と一致し、ヒーロー自体へユーザーの眼差しが向けられることはあまりありません(『ビバップ』の普通話数です)。

刑事ドラマ『俺達の勲章』では、主人公の行動を支配する動機が語られることはありません。しかし、物語はヒーローに動機が欠如しても達成されました。『俺勲』は悪役の動機解明で成立し得た作品でした。

私が『レインボーマン』を高く評価する理由もそこにあります。『レインボーマン』でライターが試みたことは、悪役の動機を物語ることでした。終盤に至り、ミスターKとドクターボーグ(やっぱり家族を日本兵に殺されている)との友情が爆発するに及んで、ユーザーはこの物語がレインボーマンではなくミスターKの物語であった事を知ります。日本人を皆殺しにするミスターKの物語は、死ね死ね団を崩壊に追いやるレインボーマンの残虐な物語に転換します(ライターの思想が垣間見えるところですね)。

私の狭い引き出しからは、以下の結論にしか達することは出来ません。

  • ヒロイン達へ感情移入させる物語にするか
  • 主人公←→他者の交流の物語(他者への感情移入)にするか。
  • 完全に悪役な物語にするか
実際にはこの三者の混合になるのでしょうが、そうだとしてもどれをメインに据えるか決めなければなりません。そして、個人的に問題と感じるのは、ヒロインに感情移入させる形式としての物語としては、戦隊物というフォーマットはあまり向いていないのではないか、ということになります。

わたしが考えるヒーローものとは、他者との交流の惨劇的結果がヒーローを動機付け、それが彼自身へのユーザーの感情移入を産むような様式です(つまり、刑事ドラマです)。ヒーローに不幸な生い立ちによる動機付けはそんなに要らない様な気がするのです。


 2003/06/25

触媒効果と人格動態
『この森で天使はバスを降りた』感想文

人格の触媒効果のつづき

触媒はそれ自体変化をしないものであり、ボビーが人格的な変動を起こそうと起こすまいと、触媒たるゴルゴの人格にその影響が及ぶことはない。しかし一方で、触媒効果を被る人格よりも本来的に優位にある触媒自身が負の変動を起こし、触媒の役割を失うこともある。そして、触媒の喪失は主導権の転移を伴うことになる。

刑務所帰りのおねいさんが、家族から低能者として認知されてきたへっぽこおねいさんと出会ったとき、感化の方向はムショ帰り→へっぽこの片道直通である。感化や影響力は、能力的優位者によって発せられるのであり、へっぽこにその行為は能わない。

へっぽこのおねいさんがへっぽこと認知される所以は色々あるのだが、ここでは旦那の言いなりで異見を挟めないなどなど、そんな感じである。へっぽこおねいさんが人格的成長を果たすには、旦那のくびきから脱しなければならない。彼女の成長は、ムショ帰りの触媒おねいさんが墜ちたときに、その頂点を露見させる。

触媒の失墜は、彼女(触媒)への旦那の執拗な攻撃性の高まりと相関している。これは、奥さんが触媒のムショ帰りおねいさんの影響下に置かれつつある事への嫉妬に因るものと解釈することができる。らぶらぶな触媒へのその攻撃は、徐々に成長を遂げつつあったへっぽこおねいさんの覚醒を一気に促した。

かつては保護されるべき対象であったへっぽこなおねさんが「わたしがあなたを守るのよ〜〜」となり、旦那に「別れるわ〜〜」と攻勢に出る情景は、紋切りながら心ときくものである。ムショ帰りのおねいさんのもたらした感化は、旦那の攻撃とへっぽこおねいさんの更なる成長となって跳ね返り、因果な循環の輪を閉じこめる。そこに無駄なものはひとつもない[注]



[注]
シナリオ工学的な完成度の高さは美しいものであるが、それが感動に繋がるかというと必ずしもそうではないのが辛いところ。



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