2006年7月の日記

 2006/07/22

小説『帯広○○高校文芸部』

1

笠井直人(16)は稀に見る悪食であった。その禍々しき性分は、特に、摂食物に関するコラボレーションの妙として現れた。

たとえば2006年7月21日、購買部でカレーパンと麩菓子を購入した笠井は、飲食禁止の図書室へ意気揚々と乗り込み、自宅から持参した蜜柑三個とともに、喉を共鳴させながら、それらの獲物を消化した。更に十五分後、早くも空腹を覚えた笠井は、自宅から持参した即席麺を抱え、給湯設備を求めて隣接する図書準備室に侵入した。これはもう毎度のことだったので、学校の司書は侮蔑の一瞥を呉れるだけだった。幸い、獰猛な甲状腺の恩恵で、笠井は華奢な体型を崩すことなく、カレーパンと麩菓子その他をむさぼり続けた。

笠井は生得的な悪食ではなかった。彼がその癖に染まったのは、比較的最近のことだった。今を遡ること二年前、中学の生物の時間、笠井は突如として自分の身体を、或る工程に組み込まれた一つの機械としてなぜか感知してしまった。

謎の原材料から謎の工程を経て誕生したカレーパンが、麩菓子が、おのれの体内に収まる一連の消化器官を通過することで加工され排出され、また次なる工程へ旅立って行くのである。製造機械たる自分は、この過程を遮断してはならぬ。絶えず摂食して排出せねばならぬ。さもなければ事故が起こることだろう。

笠井はまた、製造機械たる体内のプロセスに思いを馳せたのだった。摂食、呼吸、失禁、脱糞、そのすべてが無機的に、機械的に感ぜられた。一々考えないと何も出来なくなった。食物が食道を通る感触に怯えた。

世界の工程を閉ざしてはならぬ。しかし、体内の工程が不快なのである。

笠井は自棄を起こした。そして、悪食になった。


――これは、悪食の青年、笠井直人と美しい先輩の物語である。(つづく)


 2006/07/24

小説『帯広○○高校文芸部』

2

2006年7月21日の昼休み、笠井直人(16)の短い青春は終わった。宮崎あおいの同棲が報ぜられたのである。即席麺に注湯して二分目、図書準備室の端末が放った凶報であった。

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笠井の哀しみは、すぐさま怒濤の食欲として顕在化するのだったが、準備室に侵入した新たな人影によって、かかる作業は頓挫する始末となった。文芸部長の美しい先輩が、恋に破れた哀れなる文芸部員、笠井直人の姿を求めて闖入し、咽び泣きながら即席麺を掻き込む現場を押さえたのだった。

「ああ、笠井くん。人生はただでさえ短いのよ。宇宙の一瞬のきらめきなのよ! 即席麺なんか食べちゃダメ! はい、お弁当」

「五月蠅い! ほっといて呉れ!」

傍目から見れば、実にうらやましい青春劇の一コマであるように思われるのだったが、当の笠井にとっては、余りうらやましくないのだった。ここでもまた、笠井の悪食が災いしているのである。

一年程前、図書室で飲食を行っていた笠井は、如何にも美少女そうな声色に恫喝されたことがあった。笠井は飲食してはならないところで飲食した罪を咎められたのではない。焼きそばパンとカレーパンが問題だったのだ。つまり、炭水化物しか摂れない、ということらしい。

「なんてもの喰ってるの!? 親御さんは弁当ひとつ作ってくれないの? 恐ろしい怠慢だわ。人類は健康的に生きる義務があるのよ。野菜は一日350g以上! 電気は消す! お風呂の残り湯は再利用! 地球はアスファルトと街灯に覆われるべきだわ!」

先輩の弁当は愛ではない。美意識であり宗教的な情熱であり、あえて、愛癖に似たようなものを求めれば、調教の一種であった。笠井としては、先輩のおぞましい美意識が、いつの日にか愛と呼びうる感傷にでも転化することを待つほかない。


課業を終えた笠井直人は真っ直ぐに帰宅をした。自室へ駆け戻り、宮崎あおい画像庫を開いた。目前で、膨大な宮崎あおいが、サムネイルの中から笠井に微笑んだのだった。が、最早、自分の内にあの悶絶は感ぜられない。

あおいを失っただけではなかったのだ。実は、それは余り怖いことではないのだ。あおいに破壊せしめられる自分というものもまた、笠井の中から永遠にこぼれ落ちてしまった。それが何よりも恐ろしく感ぜられたのだった。(つづく)



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