2006年8月の日記

 2006/08/08

小説『帯広○○高校文芸部』

3

進学校は予定説の世界である、と笠井直人(16)は述懐する。進学を果たせば、この苦しみは終わる筈である。遠からず、自分は東京へ出て才能を開花せしめ大作家となり、ついでに天使と結婚しちゃうのだ。

しかし現実を振り返るに、甚だ自分の文才は疑わしい。先輩が文芸部を再建し、図書室で笠井を捕獲して一年、二人は同人雑誌を発刊を試み、日々ノロノロと活動してきたが、未だ形になる気配はない。たしかに、笠井の文才は凡庸だった。そして、先輩の悪筆は笠井のそれと比較にならなかった。ひとことで言って、禍々しかった。

笠井の浪漫主義フィルターを通せば、先輩は、その在り方自体が文芸的だった、ということになる。下手に活動家の資質に恵まれたために、窮乏せる自らの文才は余程に堪えるはずだ。と言っても、先輩に対するかかる評価は、笠井の想像の域を出るものではない。実際のところ、先輩が自らを如何様に見ていたか、笠井が知ることは結局なかった。

いずれにせよ、自らの才能に対する否定的な笠井の見解は、冒頭で触れた彼の淡い願望、すなわち大作家への道を実効性に欠けるものとした。そこで、笠井の欲望にも変化が現れてくる。「天使と結婚しちゃう」が否応なく強調されて来るのである。平凡なる人生は恋愛で救われねばならぬ。先頃までの笠井にとって、天使とは宮崎あおいのことに他ならなかった――。


笠井の父曰く、思春期とは自らが人並みであることを思い知るプロセスである。

ずいぶんとイヤな親であったのだが、笠井が中学のころ憤死をしていて、もう世には居ない。

かつての笠井は、これまた冒頭のパラグラフから推測されるように、父の説諭に対する反発もあって、自分だけは特別な人間である、と夢想しがちであった。自分だけはあれこれの「災難」に遭うこともあるまい。彼は自らをそう考えていた。年頃の青年にとってみれば、これはごく月並みな心象の風景だろう。そう、極めて月並みなのである。

だが、年を経るごとに、遭うはずもない「災難」に襲われ始めると、矢張り、自分は平凡な人間であったか、このままサラリィマンになって馬車馬のように労働し、老人となって癌か卒中で死ぬのだな、という感慨も沸いてくるのであり、そこにきて、宮崎あおいの同棲が持ち上がったのである。

宮崎あおいは自分の天使ではなかった。つまりは、自分は特別な人間ではなかったのである。

それから二週間、笠井は鬱で寝込むこととなった。(つづく)


 2006/08/10

小説『帯広○○高校文芸部』

4

先輩の弁当箱は未来の天使へと続くのだ、と重度の鬱で病床にあった笠井直人(16)は唐突に夢想する。

宮崎あおいが喪われた今日となっては、最後の希望であるところの、自分を待ち受ける天使とやらも、もはやその蓋然性は疑わしい。想像するだけで自決したくなるのだが、天使の居ない人生だってあり得るのだ。童貞で終わる一生だって十分に可能なのだ。

とにかく、まだ見ぬ天使より手近な娘である。おねえさんである。さもなければ、このまま自分は鬱で死んでしまいかねない。

きっかけは先輩の弁当しかなかろう。あの弁当を喰えばよいのである。そこから、何やらよくわからぬ男女の不可思議な過程が始まって、きっと先輩は天使となりおおせるに違いあるまい。

笠井は布団の中でほくそ笑むのだった。


翌日、鬱の引いた笠井は、これも愛の力かしらん――ほほほ、と足取りも軽やかに登校し、昼休みを待って部室に駆け込んだ。現金なことに、パイプ椅子と長机しか備品のない寒々しき部室も、今や先輩の簡素な秩序美を謳うようで、これからあの美しい先輩と二人っきりになって、この空間が先輩の香りと色彩で満たされちゃうかと思うと、もう辛抱堪らなく感ぜられてきて、しぜん、笠井の空想は膨張を始める。

そういえば前に、伸張した爪を先輩に見咎められ、なぜか胸元から取り出された爪切りで、無理やりに爪を切断されたことがあった。あれは、なんとなく官能的な気分であったが、その身体矯正の願望をうまく利用すれば、もっと色々なことが出来そうではある。たとえば、耳掃除とか……。

『最近、耳の聞こえが悪い』などと漏らせば、たちまちの内に先輩の胸元から耳かきが取り出され、自分の頭部は彼女の大腿部へ押しつけられるのである。つまり、膝枕である。どうして自分はこれまで、こんな素敵なるアイデアに思い至らなかったのだろうか?

いや、そもそも二人っきりという状況が大変に危なげだ。実験意欲に富む先輩のことである。いつ何時、試みと称して『キスしよっか』とにじり寄って来るとも限らぬ。そうして自分は押し倒されたりしちゃって、口唇を奪われるかも知れぬ。――ああっ、先輩先輩先輩先輩……。


当の先輩が部室を急襲したとき、笠井直人は斯様な激昂のまっただ中にあり、くねくねと謎の運動をする身体をまともに見られたわけだが、彼は恥辱を知覚するよりもむしろ、先輩の容姿に驚嘆するのである。光のない不定型な風景に、色彩が噴出したのである。

弁当が開けられるまでもなく、先輩は天使に化けたのだ。(つづく)


 2006/08/12

小説『帯広○○高校文芸部』

5

笠井直人(16)は、謎めいた愛の遠心力を仮構する。周辺に向かう慣性が、性愛の回転座標の中心から笠井を疎外し、座標の周縁を回る外殻に向かって彼を圧迫する。しかしその外殻こそ、笠井が人であることの出来る地平に他ならぬ。


笠井直人は、悪食ではあったものの、用意の周到な青年でもある。先輩に無断で文芸部を二週間も空けたら、あの鬼のような捜索の手は自宅まで及ぶかも知れぬ。マザーコンプレックスの笠井としては、夫に先立たれ、神経を病んでいる母を怖がらせる訳にはいかない。

かくして、抜かりなく、文芸部宛に偽造された診断書が魔よけの札として届けられ、二週間後、先輩が部室に笠井を見出したとき、彼女はその不在せる詳細を問うこともなく、「ほれほれ」と得意げな顔で笠井に弁当箱を突き出すのである。

もちろん、得意げな、という造作はいつものことで、しかも笠井の心象に過ぎないのだが、 宮崎あおいを失い、天使の代替手段に欠いてしまった彼としては、ついに先輩に駲致されつつある自分が感ぜられ、甚だ口惜しい。しかし他方、屈服の感情が、マゾヒスト笠井の交感神経に肯定的な干渉をも及ぼした模様であり、彼には、ニヤニヤが顔面の奥底から浮上する様も感ぜられるのである。

斯様な多重に渡る生化学の波を越えて、笠井の指先は、弁当箱を覆うアルマイトの皮膜にようやく到達したのだった。が、その刹那、笠井は生理的嫌悪感の嵐に襲われ、弁当箱を抱えながらその場に崩れ落ちる。

この時の笠井は、マザーコンプレックスの本領を発揮して呉れて、弁当箱の向こうに、家庭に一人取り残され、息子の帰りを待つ母の姿を見たりしている。ちなみに、彼女は弁当を作る能力を既に喪っている。

けっきょく、弁当への拒絶感は、屈従の恐怖に基づいて居たのではなく、むしろ、母親を除く知人の女性の作った食物全般に寄せられた気持ちの悪さ、という事だったらしい。

しかし、理性の人を自認する笠井としては、マザコンのために恋愛の障害を抱えてしまうという、極めて古典的な構図に身を落とし込むのも、また口惜しい。ということで、蛮勇を奮い起こして、おもむろに弁当の蓋を開けてみるのである。開けなければ、天使は居ないのである。一生童貞なのである。風俗に行く度胸などあるわけがないのである。

生暖かい臭気に嘔吐感をこらえながら、笠井は弁当箱左半分を占める米飯の群れを目撃する。右半分に、動物の焼死体をサイコロ状に切断した小片の一群を見る。棒状の赤い根菜を見る。ここまではまだ良い。よくわからんのは、右下の隅にうずくまる、濁ったエメラルドの棒である。

笠井は問う。

「先輩、これはなんであろうか?」

「フキの煮物よ」

笠井は弁当箱に向けて吐瀉を行った。(つづく)


 2006/08/15

小説『帯広○○高校文芸部』

6

何故に、フキの煮物は笠井直人(16)へかかる災厄をもたらしたのだろうか? 単純に笠井は野菜嫌いだったのか。あるいは幼少期、近所のフキ畑で少年愛好癖者に野姦でもされたのだろうか。

いずれの想定も誤りと言わねばなるまい。そもそも笠井はフキ自体に感じ入ってしまって、失態を呈したわけではない。が、此処で唐突に出た少年愛好癖というタームには、記憶しておく価値がある。後々、笠井直人と先輩の幸薄き人生に深く関与してくるからだ。


話をフキの煮物に戻す。

もともと笠井の悪食が、コラボレーションの妙として現れたことを思い起こしたい。笠井の反応を考える上で着目せねばならぬのは、フキ単体というよりもむしろ、フキと他のおかずとの関係性である。笠井によって感受された、フキの煮物とサイコロステーキ&人参の間に横たわる深い峡谷を見よ。それは、やや教条臭い言い方になるが、オクシデンタルな弁当の色調をスポイルするような、オリエンタルなフキの煮物の個性である。

しかし、笠井の嘔吐がおかずの不協和音に基づくとすれば、今度は彼の悪食に疑問が呈される。悪食であれば、むしろこれは喜ばしき事態である。したがって、そこで明らかになるのは、あの悪食が秩序美の裏返しだった、ということであり、整序を求める感性の過剰な高まりが、今度は整序に生理的な嫌悪を覚えるに至っているのである。

本来、笠井が整序的な身体を有していたとすれば、秩序美の焦がれる先輩とのつながりは納得の行くものであった。けれども、あるいは笠井が整序に過敏だからこそ、彼はこの弁当に先輩の限界を見てしまう。先輩の秩序美とは、病的な笠井から見れば子ども騙しのようなもので、サイコロステーキに些か不似合いなフキの煮物をうっかりと添えてしまうほど抜けている。だが、栄養学的な努力の痕跡を認めるのなら、完全に的を外しているともいえない。

かくして、笠井は一瞬の思考宇宙に永遠のループを見る。サイコロステーキとフキの煮物はコラボするや否や? そもそも、サイコロステーキとは、フキとは何ぞや?

もはや笠井は、吐瀉するほかない。(つづく)


 2006/08/17

小説『帯広○○高校文芸部』

7

笠井直人(16)は恐れおののく。寸刻に確保せられた激昂は、また、寸刻に失われるのではないか。即席の天使は、所詮即席の品質しか保持し得ず、長期間にわたる激昂の持続に困難が予想されないか。否、そもそも天使の即席なる事態というものが可笑しい。それは天使と呼びうる現象ではあるまい。

先輩が天使だったから、自分は先輩に天使を見たわけではない。天使になりうる蓋然性の強度が、先輩を天使に仕立てたのである。

吐瀉を終えた笠井直人は先輩を見上げ、またしても自分の青春が終わったことを知る。弁当箱に見た先輩の限界が、彼女の躰から笠井の天使を放ってしまうのだ。しかしこの後も、笠井直人の青春は幾たびと始まり幾たびでも終わることになるだろう。母性愛と女性蔑視の海を、笠井は一生に渡って回遊することになろう。


笠井直人は先輩と登る夕暮れの屋上を愛癖する。屋上のフェンスの向こうに、くすんだ廃屋の街並みと、その背後に迫る緑の丘陵が眺望され、笠井の不調和に対する意識的な渇望をいたく刺戟する。彼は浪漫主義者モードに入り、フェンスにしがみつきながら、男の未練をジワジワと着火せしめるのである。

「先輩、どうして宮崎あおいは、俺の天使じゃなかったのか?」

先輩は平然と返す。

「だから言ったでしょう、三次元の娘なんか愛するものではないって」

笠井は考えるのである。素っ気ない態度は、笠井に対する興味の欠落から来るものだろうか? それとも、何事かの情報を隠匿するために装われたものだろうか? 夕焼けの鮮烈な光線に遮られ、笠井には先輩の顔をうまくシークできぬ。

「笠井くん、見てごらん。ここは滅び行く田舎町よ。みんな、食べて、飲んで、寝て、死んで行くばかりなのよ。こんな所にいたら、何の意味もない苦しみに悶えるだけだわ。笠井くん、君はここから出て行くべきよ」

ここまで来ると、笠井はもう人の話を聞かなくなる。ただメラコリックに、夕日に向かって叫び声をあげるのである。

「さよなら、あおいっ! 世界でいちばん大好きだったよ! 時には、自宅PCのあおい画像倉庫を迂闊にもちらっと覗いちゃって顔を弛緩させる事もあるかも知れないけど、とりあえず永遠にさよならだよう!」

言うまでもないが、これはフィクションである。著者は自宅PCにあおい画像フォルダなど持ってはおらぬ。

それはともかくとして、画像を棄てられないところが笠井のしみったれた未練なのであるが、後年、屋上のシーケンスを回想して、彼には思うところもある。

――あのとき、先輩自身はどこへ行きたかったのだろうか?(つづく)


 2006/08/19

小説『帯広○○高校文芸部』

8

笠井直人(16)の鋭敏な頭脳は憶測をする。同人雑誌の刊行は、われわれの低劣なる才能の貢献を以て、妨げられてるわけでは無かろう。同人雑誌の発刊を以て、われわれの低劣なる才能が公になるのだから、無意識のうちに、作業は遅れるのである。完成しない方が、むしろ仕合わせでいられるのである。

それが判らぬ先輩でもあるまいし、と笠井直人はあらためて嘆く。

先輩は卒業を控えておるのだが、部活動から身を引く気配はない。帯広○○高校は一応、進学校の端くれである。三年は一学期で部活動を引退するのが慣例となっている。

笠井としては、先輩も人並みに受験勉強でもしておるのか、と聞きたくもある。しかし、先輩が女子大生になってしまうなんて想像もつかぬ。それほど先輩は女子高校生が板に付いておる。もちろん、これは笠井の願望で、つまりは、自らの生活圏から先輩が脱するのを怖れるのである。

先輩は先輩で、相変わらず文芸部の端末を前にして文才の乏しさを嘆き、美しく煩悶する。笠井は先輩の隣でほおづえを付いて、ニヤニヤをする。先輩は苛立って立ち上がり、笠井の怠惰振りを美しく叱責する。

「甘酸っぱく痛ましい夏は去り、秋の大気が緑の丘陵に訪れる。そうして冬となり、春になり、虚脱の我が人生、フィナーレに達する。なんて破廉恥な生活、そして人生! 聞いてるの笠井くん!」

「いいぢゃ〜〜ん、このままダラダラと美しい先輩と過ごしたいんだもん」

「このままでは、無為の内に何もかも終わってしまうのよ。きっと、貴方の代で文芸部も終わりね。再び闇に帰るのだわ」

「先輩!」

「何?」

「結婚して呉れ」

彼女はキッと笠井を睨み付ける。

後年、笠井は大質量の後悔に苛まれる。もう少し真剣になっておれば、出来はともかくとして、一応、われわれ仕事は完成を見たかも知れぬ。そうしたら、また違う生活と人生が……。

「何か強力な手だてが必要よ」

笠井に二、三発の蹴りを加えて、先輩は部室を後にした。(つづく)


 2006/08/22

小説『帯広○○高校文芸部』

9

笠井直人(16)のイヤらしい未練はその後も鬱積をつづけ、戦慄すべき真実へと彼自身を誘うのである。

――そもそも、宮崎あおいが俺以外の男と同棲するはずがない。だとしたら、毎朝、われわれが目撃する宮崎あおいと称されるモノは、実のところ宮崎あおいではないのだ。本当の宮崎あおいは、どこか別に居て、俺様を待ち構えているのだ。どこだ? 本当のあおいはどこにいる?

ここでわれわれは、笠井直人(16)最後の謎へようやくたどり着くことになる。あの弁当を拒絶した笠井は、先輩の奴隷になりたいようで、でも成りたくない気分だったが、実際に弁当箱を空けたところ、彼はマザーコンプレックスを悟り、母以外の女性に対する嫌悪を表明した。しかし、マゾヒズムと母性への畏れすら、笠井の目を欺くためのデコイに過ぎないのである。明かされてはならぬ最後の聖域とは、本物の宮崎あおいに他ならぬ。

では、その本物の宮崎あおいとやらはどこで発見されたのか。結論を述べれば、先輩の「強力な手だて」として、それは発現するのだ。

時間は、笠井が冒頭の真実を布団の中で思い至った翌日に戻る。

放課後、部室で先輩を待ってのほほんとしておると、心なしか頬を染めて、モジモジした彼女が扉を開ける。笠井は先輩の妙な色気に結婚願望を煽られる。が、よく見ると、連れがいる様である。先輩が新たな文芸部員として捕獲してきた、小谷野薫(15)である。

小谷野を見た笠井は、次のような第一声を心中であげる。

『これはとんでもない美男子だわい』

実際に、青年と少年の端境期にあるような線の細い生物、小谷野薫(15)は、彫刻的な造形をしているのだが、上記の第一声を参照すると、当初の笠井は些か距離を置いて、小谷野の容貌を観察し得たらしい。しかしながら、それもつかの間のことで、小谷野の白い首筋と不思議な色をたたえた灰色の瞳を眺めている内に、好色の中年おやぢ風な感性の沸き立つ気配が、笠井の中でなぜか感ぜられてくる。

笠井はうっとりと夢想してしまう。

こんな少年然とした美しい青年と一緒に下校などしてしまったら、草むらに押し倒してしまうかも知れぬ。そうして、あの小さな唇を……、あの口唇を奪ってしまったとしたら、さぞかし素敵なことだろう!

はたして、笠井は宮崎あおいショックで知らぬ内に蝕まれてしまったのか? 彼はもはや廃人なのだろうか? 否、むしろ、あおいショックが笠井の眠れる獅子をたたき起こした、と考えるべきだ。

夢想から冷めた笠井は、直ちに文芸部の床にうずくまり、頭を抱える。ここでようやく、少年愛好癖なるタームにつながってくるわけだが、要するに、彼は自らの内に、近所の美少年と心中した父の影の渦動を見たと思われる。

一方で、その様子に一瞥を呉れた小谷野は、笠井の心中を知ってか知らずか、煩わしげに前髪を掻き上げ、詩人の言葉を引用したりする。

『ぼくらは互いに愛し合わねばならぬ。さもなければ死だ』

笠井は悦びの叫び声をあげながら断崖を転げ落ちた。(つづく)


 2006/08/30

小説『帯広○○高校文芸部』

10

笠井直人(16)にとってみれば、宮崎あおいという固有の名が、かつてこの地上に愛を偏在せしめたのだが、しかし、宮崎あおいを永遠に失った今日から振り返ると、かかる措定は、何となく事実誤認を含んでいるようであり、また、より大きな解答に回収されるべき話題のようにも感ぜられる。要するに、あまり判然としない。ただ、愛が、事の能わなくなって初めて笠井直人に実感されるべき代物であった、という点を鑑みれば、不覚に類した感情で以て、目下進行中の事件が自分に受容されつつあることは了解される。その意味で、宮崎あおいに狂った笠井を評して、先輩の放った以下の文言は何となく正しいのかも知れぬ。

『それ、スワッピングね』

誤解を呼びやすい表現なので補足をすると、他人の手に渡って初めて実効的になる、という事ももちろん含んではいるらしいのだが、先輩が強調して止まないのは、生活圏の棲み分けが情欲をかえって煽り立てる効果の方である。笠井がかつて告白するに、宮崎あおいが同棲しようとしてまいと、けっきょく、自分はあおいの手を握ることすら能わない。手を握ったら、きっと自分は蒸発するだ!

先輩は、笠井の安っぽい浪漫主義について、以下のような見解を示す。

『宮崎あおいと直に会えないなら、君に対する彼女の好悪が判明することもない。君は、自分の臆病に愛の余地を見ることで、未来を保留している』

宮崎あおいと接触するに能わないなら、先輩の発言を論証するのも無理な話である。だが、前者の方、つまり、他人の手に渡ることが情欲を煽るかと言えば、これは、大変に悲しむべきことに、今や答えは明らかにされている。この件に関し、笠井直人は、もはや、何も動じるところはない。いや、ほんのちょっとだけ「あおいはもう脱ぐより他あるまい」と魔の差しちゃうこともなきにしもあらずだが、基本的に動じない。動じてたまるもんか。

しかし、まあ、人々が涙をのんで、「あおいはもう脱ぐより他あるまい」と叫び散らすのも無理無からぬ事ではあり、笠井も深い理解と同情を示すものである。判らぬのは、「大好きなあおいちゃんだから、仕合わせを祈ります☆」なる発話の方で、古谷実の言葉を借りれば、「お前らはどうして悔しがって脂汗流さんのか?」と思う次第である。貴様らの愛は、それまでのものだったのか、と笠井は口から血流を漂わせるのである。

話が横道にそれた。

それで、論証でき得ない問題はどうなったか、ということである。宮崎あおいが過去の人となった以上、冒頭で笠井を襲いつつある不覚の感情は、宮崎あおいにおいて発したものではなく、実は、小谷野薫(15)の投入によって訪れた、先輩と笠井の新たなる運命にまつわることである。

われわれは次に、小谷野薫(15)の悩ましい体躯を軸にめくるめく闘争の場と化した文芸部の物語を語らねばなるまい。(つづく)



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