映画感想 [101-200]
やっぱり犯人はおやぢだな。クソガキがおもしろ半分に犯罪をやるなんて興ざめだわい。ぎゃーぎゃーわめく永瀬正敏さえ耐えられたら、至高のおやぢ天国。
上陸するまで二時間かかっておる。ロングの機銃掃射がすごいな。
ジジイが時代の流れに逆らうが、途中で脱線するのだった。
出だしまともだったのに、真ん中に来るとついにゴダール的停滞が始まって泣く。ベルモンドはむかつくので、あの最後は爽快だな。
後半でアンディ・ラウ一派がなぜかキレる。
日本語吹替版のローラー・ガールが三石琴乃ってのが一番のショックだ。
文系賛歌と体育会系恨み節。何というわかりやすさ。
次作のウー先生と併せて穿った考え方をすると、むかし道を外れて荒んだ僕も見事に更正しました、という悲しさみたいなものがある。
最初の一時間が結婚式でつぶれてしまうとは。
メロメロ路線が最後に崩壊してしまう痛快さみたいなものがあるかも。BARを発砲するバトル・シークエンスが案外に渋いな。
最後は犯人もろとも爆死。基本ではあるが、それ以上でもなく惜しまれる。
『山田くん』で二十億って、資本家への嫌がらせなのか。
トムっち夫妻の痴話げんか、前半計一時間を乗り越えれば、後はファンタジーが広がって何とかなる。
再審請求でいったんフランキーを楽観させるところが罪な作りだな。黄金期の邦画はメソメソしないところがよい。ちなみに家のATOKはタイトルを「わたし破壊になりたい」と変換しやがった。
田舎と自然で鬱をやると、かなりイヤイヤになるな。
なんかジェフ・ブリッジスのPTSDが簡単に再発しそうで、危なっかしい。それが狙いか。
よりにもよって、チョウ・ユンファ×レイ・チーホン組が仲良しで、キャスティングに不安を覚える。警部役のケリー・チャンも、『実録・狼達の挽歌』やら『実録・幼女丸焼き事件』などを想起させて、動揺する。チーホンが最後に外道になるあたりが、やっぱりというか、安堵できるところではある。
生真面目がたぎり立っておるな。
暁生さんが安っぽくなってしまった…(´Д⊂ヽ。
マーヴィン様をさいなむ糞餓鬼がニクニクして辛抱たまらなくなったのであるが、ちょうどこの感想を書いていたとき、テレ東でやっていた『砂の器』が大回想に突入して、そんなことはどうでもよくなった。
初っぱなから丹波哲郎と森田健作の破壊的なコンビネーションで話を浮かせるが、清張の若者憎悪・中年賛歌小説がこんなになってしまうとは…。全盛期の山田洋次&橋本忍の恐ろしさというやつだな。
どんな修羅場でも小林正樹は冷めていて、妙な心地に。
超能力なら何でもありぢゃん、とネタが割れて余裕こいてたらアレなことになって泡を吹いた
家族がSFを妨害しておる。
これでは、ラベルのないテープをしばらくは見れんのう。
このあっさり味が不思議で、シナリオ運営の手堅さが、かえって、酷い結末を酷いものとして受け取られなくしてるようだ。
あのクソ餓鬼がベイダー卿になると思えば感慨深い、という事で保たせるお話であった。
まあ、何となくな終わり方で『リング』ほど恐慌をきたさずに観られた。それで、余裕をぶっこいて午睡をむさぼり始めたのだが、夢で女優霊が出現し腰を抜かしたのだった。
ニューシネマど直球というか、こういう明るい挫折は愉しすぎて癖になりそうだわい。
ニューシネマでもここまでドツボにはまってしまうのはイヤだわ。
原作ぢゃ5〜6頁くらいでソラリスに着いてるのに、何首都高ぐるぐるまわっとるんぢゃい、と莫迦にしてたら、最後はレムをぶちこわして古典落語に到達しやがった。
監督と主役の名前を見ただけで嗚咽が出そう。若い頃のシン・フイオンが見られるあたりに、お宝度の高さがあるのだ。
薬ほしさに体まで売るようになった姉やんが、冬空の下でベンチにグタ〜とよりかか って、もうイヤイヤ。
大げさな演技でばたばた死んでいくのう。
パチーノはどうでもよいが、ハックマンおやぢ…(つД`)。大挫折をドン引きになる一歩手前で制御するさじ加減が職人であるな。
意外と世俗的な中年vs若年層といった世代間闘争に落ち着くあたりが良くも悪くも清クオリティ。
冒頭の保健体育とか、学生時代を思い出してイヤイヤ。
軍隊の行軍状態でよくこんなドロドロした話をと、人間のバイタリティに呆れる。
見せ物映画がハードSFに届きそうで届かない、いや届いたのか?――という微妙さが趣深い。こういう感じは『マルホランド・ドライブ』でも変わってないな。
間を取るという概念が余りないため、全編がアクション映画。
霊柩車を乗っ取ったテロリストが追っ手に向かって棺桶を投げたりと、ついついグロに走ってしまうリンゴ・ラムとダニー・リー。
パーカッションの前装式ライフルが趣深いのう、とゆるりと構えていたら、玉砕ものになってしまった。さすがに時代もここまで下ると、音響やスプラッタが来たるべき『SPR』に近づいてきてる。
最初の無理な辻妻あわせを乗り越えると、あとはいつも通り「芹沢はかせぇ〜」と涙腺が広がる。
あのドリル・サージェントは『時計じかけのオレンジ』の看守長の眷属だな。説教臭をギリギリで回避するあたりが老獪なところか。
自棄糞で訳のわからない殺陣の向こうにある真実というやつだな。ラストショットのレイアウトで失禁死。
フェリーニの奥さんいぢめは続く。
「踊る→愚痴→練習→また踊る(最初に戻る)」といった循環的構造で閉塞感を表現。あまりフィーバーしないところが通好みか。
刑務所人情話が文芸に走ってぽしゃる。
普通に面白いことが驚きだったり。
集団アルジャーノンだな。
場違いなギャグとドロドロ三角関係が、アクションをなぎ倒しておる。
しょうがない糞犬だな。
宴会と分娩と癲狂院で忙しくて、戦争なんかやってられない。鍵十時つけたシャーマンって何よ。
今から思えば、『マルホランド・ドライブ』って微妙なバランスの上に語られてたんだな。これはスリラーと文芸趣味の均衡が崩れてつらい。
どいつもこいつも勝手にエピソード広げやがって。観ている方が地獄に堕ちたような気分になるわい。
おやぢどもが汗水たらす様はいつ見ても心が和むのう。大変満足した。
安っぽいステージガンを逆手に取った清クオリティ。
東山千栄子にふらっ〜と難病兆候が出るあたりから、ジェットコースターが光速に限りなく接近す。
『仁義なき戦い』を突破するが『仁義の墓場』ほどは文芸に走らず、巧妙なバランスでお話を浮かせる。男はお茶漬けで友情を語るものなのだ。
検非違使庁でポツリと後ろの方に座っている志村喬の愛らしさに目が釘付けであった。
相変わらず3人がかりで年寄りをいじめ殺しておる。
やはり戦争映画は狂い終わってなんぼだな。
盆踊りが客を物語に導き、やがて追い出してしまう。
軍ヲタにとって見れば、『グローリー』→『フォレスト・ガンプ』でまさに『SPR』前夜の興奮。
松方弘樹&千葉真一がハナ肇をいぢめる地獄絵図。物語が制御不能で行き当たりばったり。野蛮のなせる技である。
また三角関係のドロドロか…。
出撃前夜のダンスパーティーや愚痴、計40分を乗り越えれば、操縦系統と連動するノルデン照準機に目がきらきら。
旭と丹波の最凶コンビ、松方と渡瀬を蜂の巣にす。『県警対組織暴力』には及ばない、けれども『北陸代理戦争』は越える微妙な中島クオリティ。
今から見れば泣きそうなことを扱ってるのだが、お話の切り取り方が結構保身がかっていて、イデオローグの闘争からぎりぎりで逃れてるのかも。美術鑑賞と割り切れば、何とかなるような。
脱線コントが跋扈する典型的な香港病。
妊娠ミーツ白痴。逃げたひ…。
この娘のひどさが癲狂院送りの爽快を増幅する、という図式がひどいな。
冒頭40分、ほのぼの訓練を「てめえら早く硫黄島に行って小笠原兵団のみなさんにナニされろ」といらつきながら我慢をすれば、後は記録フィルム鑑賞会である。
香港病というかツイ・ハークの病というか、ここでも脱力コントが蔓延している。
息子に嫁が来る→バカ殿が嫁を要求→徹底抗戦と、橋本忍プロットは30分毎に転換点を迎えるんだよなあ、教科書みたいだ。絵も凄い。
浅草東宝のオールナイトで鑑賞。途中でついに力尽き爆睡。謝罪する。
東映に比べるとずいぶん上品なキレ方をしてしまうが、そのポライトさが却って絵を生々しくしてる面もある。
30年以上前に作られた『上意討ち』や『侍』の方が、遙かに殺陣が洗練されていて、語り口が垢抜けてるということは、何なのか。
アーロ・ガスリーの劇伴が挫折をドン引きから救っていて、心地のよい破局模様というニューシネマの王道を行く。サントラは即買い。
終幕の人情話が中盤のコントを相殺するかどうか、ちょっと微妙ではあるな。
人殺しよりも失業の方が、よっぽどにスリリングだな。
地味な話が終幕を引き立ててるのか、台無しにしているのか、判別の付かない不安があるな。まあ今から思えば、それこそシャマランの作風であったわけだが。
邦画は黄金期を経て凋落したのではない。更なる階梯へ上昇し、そこに無限の荒野を見たのだ。
サイバーパンクの皮をかぶった標準的ハリウッドアクション大作。
マス・メディアがファシズムの手段ではなく目的となって転倒している素敵世界。ヴァーホーヴェン版『スターシップ・トゥルーパーズ』や『未来世紀ブラジル』のファシズム世界と互角に戦っていて立派だが、いちばん凄いというか不可思議なのは、こんなハードSF文芸物ものに(なぜあの原作がこんなことに?)大予算を投じてしまう現行邦画システムの深遠だったりする。
全容が明らかになるともう怖くない。しかし、正体が分からないままだとお話がいつまでたってもオチない。ではどうするか? 力技で解決という感じではある。
ルックも殺陣も邦画の現行水準を越えてしまっているのに、やっていることといえばホモセクシャルのコント。そのギャップが楽しい。
ウジウジと愚痴らせる代わり、部屋のすみで桃井かおりに半泣き状態でやけ食いをさせるイヤイヤなクールさ。
おやぢを殺した後に爆発する三十分ヒステリーで大いに引いたのであった。終わり方は良い。
『マトリックス』キアヌの妄想は風呂敷を広げまくったが、ノートン先生のほうは案外にセコくて愛らしい。その辺が勝利の鍵か。
'99における代表的な「根性なし男の妄想」映画で語られた主人公の職業は、社会的地位の高いと思われる順に従って、以下のように分類できるだろう。
『アイズ・ワイド・シャット』→ トム・クルーズ(勤務医)
『マトリックス』 → キアヌ・リーヴス(ソフトウェア会社勤務)
『ファイト・クラブ』 → エドワート・ノートン(保険会社勤務)
『バッファロー'66』 → ヴィンセント・ギャロ(無職)
この中でもっとも地位の高いと目されるトムクルには、比較的現実と接点のあ
る風俗な妄想が見受けられた。中間層に位置すると思われるキアヌやノートンは、もっとスケールのでかい妄想を抱き、世間に多大な迷惑を与えた(と推測される)。対して、
ムショ帰りのギャロは、クライマックスにおける数分の妄想で満たされてしまい、根性の欠落をさらけ出している。
以上の例を勘案すると、「社会的地位」と「妄想の度合い」は次のような相関にあると考えられる。
地位の上昇に伴い、妄想の度合いは大きくなっていくのだが、ある程度地位が高くなると、今度は逆に妄想がしぼみ始める。つまり、社会的地位が高いと根性なしといえども現実に対する容認が高まり、妄想を抱く誘因が薄れ始める。逆に、社会的地位が低すぎると、妄想を抱く余地を現実に見いだしがたくなり、妄想のスケールは極度に小さくなると思われるのである。
二時間近くラリっぱなしでは、さすがにつらくなって来るのう。
かようなしみじみ野郎にゴジラを撮らせようというのだから、邦画は狂ってるな。
英雄片を目指しながら力尽きたのか、それとも英雄片に限りなく近づきながらあえてそこに達しないのか。この頃はまだ、ジョニー・トゥが何を考えてるのかわからなかった(今はますますわからなくなったが)。
謎解き話が愚痴話へ脱線するのがちょっとつらいな。
マザコン話だったのか…知らんかった。
つまらん。
怖さより救いのなさに重点を置いたのだな。いずれにせよISOLAと二本立てだから楽勝。
根性の過剰揮発で、愚痴の一片すらない無菌的な世界の美しさ。
塹壕戦が気合入りまくってるのう、特に火薬の量なんか。