HOME>>>日本語エリア>>>『中国史のなかの日本像』目録

第三章 器用な民--虚像から実像へ

 唐宋時代から、日本の工芸美術品が従来の未加工の自然宝物に取ってかわり、中国に流入しはじめた。しかし、五代をはさんだ唐と宋の間には、日本像において大きな相違もまたみられる。

 貞観四年(六三0)に始まった遣唐使は、大陸文化をむさぼるように吸収する反面、島国の文物をも積極的に搬出した。こうして朝貢貿易を通して輸出された工芸品が、この時代の日本像の成立に、プラス的な影響を与えたことは否めない。これについて、東野治之氏は、次のように指摘している。

 「唐に対して朝貢ないし輸出される品々は唐に無いものか、あるいは唐国内の産出品や製品をしのぐものだったと考えられる。奈良時代にも、わが国が後の螺鈿や扇・日本刀に類する特産品を朝貢・輸出していたとすれば、わが国の美術工芸も分野によっては当然唐に匹敵するだけの水準を擁していたことになろう。」(1)

 正倉院などに残された精緻を極めた唐代の舶載品に比べてみれば、奈良時代前後の日本の美術工芸品が全体として、遙かに立ち後れていることは疑われない。

 しかし、どの地域にも独特な風土と民族性とを根底に持つ産出品と加工品があるはずである。明清時代に西洋人のもたらした機械類の器具が、当時の士大夫から「奇物巧器」と呼ばれるのと同じように、唐代の日本文物にも中国人の興味をひく特異なものは少なくはなかった。『杜陽雑編』に語られている日本人の「彫木」特技は、その端的な例といえよう。

 ところが、唐に伝えられた日本の工芸品について、その多くは空想をまじえた伝説として語られ、実物の裏づけに欠けているのである。それが、宋代になると、朝貢品の質的な変化にも象徴されるように、実物から得た印象を土台にし、現実味を濃厚に帯びるようになってきた。

 中国側の記録によれば、宋代に流入した扇子・螺鈿・彫刻・日本刀などは、高い評価を受けている。明代に至っては、日本製の文房具類が文人の書斎に飾られ、一種の「日本趣味」ともいうべきブームを呼んだのである。

 このように、自然物を中心とした「珍物」から工芸品を中心とした「珍物」への変遷が唐代を過渡期として、宋以後から顕著に見てとれるようになり、「宝物の島」とされる日本像は、実物と人間とを媒介として、しだいに虚像から実像へと移行していくのである。

第一節  韓志和伝説   
第二節  海をわたる仏像
第三節  精巧な工芸品
第四節  明代文人の日本趣味

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