HOME>>>日本語エリア>>>『中国史のなかの日本像』目録
| 第八章 西学の師--近代化の手本 |
一八四〇年、イギリスの軍艦は猛烈な砲撃で、長らく閉ざされていた清王朝の門戸を砕け飛ばし、一連の屈辱の条約を押しつけて中国を半植民地におとしいれた。この事件に象徴されるように、中国の近代史はもっぱら西洋列強の重圧のもとで、しぶしぶと幕開けしたのである。
それから十三年後、泰平の世にうつつを抜かしていた日本も、アメリカの軍艦に脅かされながら、二〇〇年あまりの鎖国政策を放棄して開国を余儀なくされた。しかし、この歴史的な転換点において、中日両国は運命の別れとなったのである。つまり、日本は中国の轍を踏むまいと西洋文物を積極的に取りいれ、封建社会を脱皮して改革に踏みこみ、それを一八六七年の明治維新に結実させたのである。
維新に成功した日本が国力を急速にのばし、東アジア屈指の強国として成長していく姿を、伝統文化の十字架を重苦しそうに背負っていた中国は複雑な心境で眺めていた。やがて一部の先覚者たちがようやく困惑と不安を乗りこえて、日本を近代化の手本として学ぶようになった。
秦漢時代より以来、よき学生として遇してきた日本を、今や「西学の師」と仰ぐようになっていく過程で、中国の日本像が元明時代のそれと同じぐらい大きく変容することになった。しかし、その間に、日本の中国侵略の事情も絡んでおり、決して平穏友好のムードのみではなかったことも念頭におくべきであろう。