枕流亭総合掲示板過去ログ14(2001年10月9日〜2001年11月12日)



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読み直したい 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:11月12日(月)20時58分52秒

なんかNHKドラマとか映像系の影響で、『日出る処の天子』や『あさき
ゆめみし』を読み直したい衝動に駆られた管理人です。
日本の古代史とか古典についての自分の知識って、完璧にマンガの影響受
けてますなあ。
山岸『日出る処の天子』のおかげで、刀自古が好きで、厩戸(聖徳太子)
はいけ好かないし。(^_^)
大和『あさきゆめみし』のおかげで、朧月夜の君(右大臣の六の君)が
好きだ〜とか言ってるし。
原典読みなさい、原典。自分にツッコんでみたり。(^^;)

>かっしぃさま
>むむー、『新十八史略』は新しい発見が多いです。特に三国以降で。

『新十八史略』は全巻揃ってないんですが、これも読んだのが、ん年前
なので、も〜記憶にない。(^^;)
読み直さねばねえ。
このシリーズの中国史サイトでの評判は上々です。

>なるほど、好悪の念は別にして、興味深いというのはありますね。

いや、好悪の念っていうか、好きなのですよ。
自分は凡人で、俗情に囚われた人間なので、偉大な業績を残した人物も尊
敬するのですが、凡人の失敗にもミョーに共感してしまう部分があるんで
す。(-_-;)

>おや、読んでいらっしゃらなかったのですか? 私は3回くらい読みました。

井上祐美子さんは『柳絮』しか読んでなかったので。(これも比較的最近)
なんとなく敬遠してたのかな。
でも最後の一文、「中国史上、正史列伝中に名をのこす、唯一の女将軍で
あった」って本当かな。
唐の平陽公主とかは入ってない?将軍号がないとダメ?

>>『しにか2001年11月号−特集・モンゴルの衝撃』(大修館書店)

「色目人」や元の四階級制の実態はなかったとか…、
最新の説が反映されてるんでしょうね。目新しい記述も多かったです。

図説系の本はいいですね。最近そういう系の本もいいなと思ってます。
桑原隲蔵『考史遊記』を買ったのも、モノクロとはいえ、史蹟の写真が
いっぱいあったから、という理由でした。

>「我左伝癖有り」の杜預です。文武両道でちょっと変人。なかなかツボです。(笑)

『春秋左氏伝』があればわたしゃ幸せです…ってお人ですね。
心のバイブルを持てるというのは、確かに幸せなこってす。
自分のバイブルはなんだろ?銀英伝かな?
杜預の『左伝集解』は、いまだ『左伝』註釈の基本のはずだし、
文人としても将軍としても功績を残したってのはなかなか。
でもこの人、馬に乗れないんじゃなかったかな?

次は「中国史上人物の品定め(4)〜両晋南北朝編」に行きますか。
え〜と、これは明日。


三国編〜締め 投稿者:かっしぃ  投稿日:11月11日(日)14時53分45秒

最近『随唐帝国』を読み終えて、古本屋でゲットした『新十八史略』を読んでおります。
むむー、『新十八史略』は新しい発見が多いです。特に三国以降で。

>永一さん
>曹爽と袁尚
なるほど、好悪の念は別にして、興味深いというのはありますね。
文献からだとどうしてそういう行動を取ったのか理解できず、
「ちょっとアンタ、いったい何考えてたのよ」と聞いてみたくなります。
・・・ちと話が逸れますが、歴史を学ぶというのは、古人に何かを問いかけ、返らぬ返答を得るべく
更に文献を当たり史跡を訪ねる、ということの繰り返し作業かも知れませんな。

>まあ光栄三國志でマゾヒスティックなプレイも楽しませてもらったし。(^_^;)
光栄のゲームは私もかなりやりましたよ。『信長』と『三国志』は特に。
私が『三国志』やるときは大抵、呂布の強略プレイと孫策の王道プレイでしたが。
孔融は序盤だと太史慈がいるんでしたっけ? 韓玄とかでもやったなぁ・・・。

>井上祐美子『女将軍伝』
おや、読んでいらっしゃらなかったのですか? 私は3回くらい読みました。
女性が書いた小説らしく、話そのものは殺伐としたものなのにしんみり来るという。
多分中身は『明史』の秦良玉の伝とあんまり変わらないのでしょうけど、良い小説だと私も思います。

>『しにか2001年11月号−特集・モンゴルの衝撃』(大修館書店)
お、私にとってモンゴルは中国史の中でも関心が高いので気になりますな。
でもそれなら『モンゴル帝国の戦い』(ロバート・マーシャル 東洋書林)という本もありますよ。
ハードカバーで3800yenなので買うときはちときつかったですが、『図説』と銘打っているだけあって
1/3は写真や解説図になっており、モンゴル全体の概説でありながら読み応えがあります。


さて、三国編の人物論評は、あと一人だけ挙げて私は締めです。
「我左伝癖有り」の杜預です。文武両道でちょっと変人。なかなかツボです。(笑)
ではそろそろ次にと思いますが、晋も含めた南北朝編でよろしいですか?
西晋は統一したと思ったら八王の乱が起こって、東晋と合わせてもちと心許ない気がするので。


次から次に 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:11月 9日(金)22時50分04秒

下の長文レス、寝ぼけてた上にあまり推敲しなかったので、文意が通ってないとこがあ
りますね。(^^;)

MLで話題になってたこともあり、長らく積ん読にしていた井上祐美子『女将軍伝』に
手をつけました。明末の秦良玉の話。
これは良い話ですなあ。
面白いとか痛快だとかとはあまり思わないけど、しんみりと来る。

宮崎市定『東洋的古代』『東洋的近世』(ともに中公文庫)
桑原隲蔵『考史遊記』(岩波文庫)
『しにか2001年11月号−特集・モンゴルの衝撃』(大修館書店)
などを購入。読んだ先から積ん読本が増える一方です。

コラムの陳慶之伝にちょこちょこと手を入れてるんですが、
調べが進んでないので、小手先の改訂のみです。

最近人物事典の更新より、駄文を書くほうにハマってますね。
未完成のコラムをそのままに、また何か書くかも。
今度はかなり手抜きの文章になるでせう。


長文レス2 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:11月 6日(火)03時35分37秒

レス続きです。

>かっしぃさま
>曹爽と袁尚はちょっとびっくりです。(゚.゚)

いや、ここらはおまけで挙げたんです。
ダメなやつに愛を…ってのもたしかにあるかもしれません。(^^;)
曹爽は、斉王曹芳のころに魏の朝廷で専横した人ですが、
あるとき皇帝連れて外出してるときに司馬懿にクーデター食らって、洛陽を占拠さ
れてしまいます。いや情けないけど、まだここまではいいんです。
ふつうの人なら考えます。
−−俺にはまだ皇帝の身がある。これを楯にとって捲土重来を図ろう
ところが彼はあっさりと司馬懿に屈服し、殺されてしまいます。
僕には理解できないぞ〜。
ワルになりきれなかった曹昭伯君は、どうも気になる存在です。

袁尚は、やたら逃げ回るシーンばかり目立つんで情けないですが、単なるお坊ちゃ
んではないと思ってます。
部下の審配が鄴において曹操軍に包囲されたとき、部下のピンチですかさ
ず駆けつける。城内の審配に知らせるために狼煙を上げる。(いい話だ)
しっかし、城内外呼応して包囲を破ろうとしたが、あえなく敗退。
いらい中山に逃げ、故安に逃げ、遼西に逃げ、さらには遼東にまで逃げる。
公孫康に殺されていなかったら、どこまで逃げていたでしょう?
この自存の執着心は、前の誰かとは真反対。只者ではないです。
審配とか韓珩とか、最後まで曹操に屈服しなかったも、この人の部
下だったことですし。

>孔融は私は嫌いです。

思想傾向的には、僕もあまり好きではないです。
でも建安七子で曹操に楯突いて殺されたの、彼だけだよなあって、なんとなく気に
なる人なんです。まあ光栄三國志でマゾヒスティックなプレイも楽しませてもらっ
たし。(^_^;)

>『正史』の呂布の行動とか履歴って、劉備に通じるものがあると思いません?

そうですね。
劉備と違って建前の大義名分すら振りまわさないってのがありますが。
ノリは似たような感じを受けます。

>きいわこさま
>陳慶之さんって、南北朝時代の中でも、マイナーな方でしょうか?

小説のために名前だけは知られるようになりましたが、
通史本にはまず出てきませんからねえ。
岡崎文夫『魏晋南北朝通史内編』くらいの本になってようやく出てきます。

>梁山伯と祝英台が出てくるんですか?

出てきます。出る必然性があるのかどうかよく分かりませんが。
恋愛ものとして読むなら、皇なつきさんのマンガで単体で読むほうがいいと思います。
(まあ、もともとの話がベタですけど)
田中さんは、どうも恋愛のロマンスやら悲劇やらを書くのは下手そうです。

>江戸時代以降、キリシタン弾圧、オランダ屋敷のイメージが強かったです。
 
戦国期は、倭寇・南蛮貿易・大航海時代がスクランブルしている感じです。
出島といっしょに平戸の松浦資料館を見るといいです。
江戸の鎖国期の史料は、出島にやたらとあったし。
キリシタン弾圧関係は、二十六聖人殉教地や大浦天主堂に付属の資料館がありました。
明治以後のはグラバー園って感じで。
ほんと史料だらけの土地でした。満腹です。


長文レス1 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:11月 6日(火)03時34分17秒

長文になるので分けます。

「復刊ドットコム」で『侯景の乱始末記』の得票が50票になったようです。
3カ月で目標の半分です。来年頭には交渉開始の100票に届いてほしいものです。
未投票のかたは宇宙大将軍(^^;)の雄姿のためにも、投票にご協力ください。

>かっしぃさま
>『正史』の注の中でよく一つのエピソードに対して複数の捉え方をされることが多いじゃない
>ですか。

そうですね。曹操悪人説を構成する逸話のいくつかは、在世当時からの風評だった
のかもしれません。意図的に流されたものもあるかも。『蒼天』でもそういう解釈
のところがありましたね。
呂伯奢の話は、『魏書』と『世語』と『雑記』で微妙に違いますし。
あと裴松之注に引かれてる『曹瞞伝』は、呉の人が書いたそうで、曹操に対する悪
口だらけであまり信じられないらしいですが、どこまで信じてよいものやらと思い
ます。
まあ、でも悪行はけっこうあったと思いますよ。(あえて弁護せず)

>『蒼天航路』を引き合いに出しますが、あの曹操はちょっとイヤですな。^^;

あれは…あそこまで神がかっちゃいけませんよ。
最初のころは、明らかな失敗まで計算ずくの行動にしてしまってましたし。

>田疇は見落としてました。読み直して驚き!

でしょ、でしょ。
義理堅いし、官位を拒絶しても隠逸を気取るわけでもなし、農村の中にあって半ば
自立して治績をあげちゃう。

>関羽は私、どっちかというと嫌いな人なんですよねぇ。

そうですか。僕は、目下をかわいがり、目上に楯突くってタイプ好きなのかもしれ
ないです。逆だったら目も当てられないんで。
まあ、傲慢というか、その自信ゆえに対手を軽視して身をほろぼしちゃったんで、
名将というには疵を持っていますね。

>それで割り食っちゃったのが呂蒙なんですよね。

たしかに。色眼鏡をつけずにみたら、名将といっていいですよね。
周瑜・魯粛が果たせなかった荊州平定を成し遂げているし、
軍紀・軍律もしっかりしてるし。
孫権の前で目を引くために部隊を赤備えにしたり、魯粛の前で策略を披瀝してみた
り、なかなか頭もよい。

>『蒼天』の魯粛は私的には大ヒットでした。(^^)

これも全く同感です。


三国編その2の続き 投稿者:かっしぃ  投稿日:11月 5日(月)12時57分09秒

>永一さん
前回の続きをちょこっとだけ。

>王允・呂布・孔融・袁尚・曹植・ケ乂・陸抗・曹爽
>ここまで来るとかなり変なのが出てきますね。(^^;)
曹爽と袁尚はちょっとびっくりです。(゚.゚)
いったいどこが気に入られたのですか?
ひょっとして曹操や司馬懿にケチョンケチョンにやられてしまうところがイイとか?
確かに、どうしようもない人物なのになぜか気になるっていう人物のいますね。(違ったらごめんなさい)

孔融は私は嫌いです。基本的に、「伝統だから」という理由で保守に凝り固まる人って好きになれないので。
王允の場合、私には「奔放な上司(董卓)に振り回される中間管理職」のイメージがあります。
これはこれで味わい深いような。(^^ゞ

呂布はちょっと判断が難しいですな。『正史』と『演義』でのイメージが違いすぎて。
『蒼天』の呂布も漫画的にはあれで良いんですけど、ちょっと作りすぎな気がします。
私はそれぞれ呂布A・呂布B・呂布Cと別物として整理してますが。
『正史』の呂布の行動とか履歴って、劉備に通じるものがあると思いません?
袁術・袁紹・劉備と群雄を頼っていってそこで傭兵隊長みたいなことやって、最後に隙を見て自立して…。
ま、呂布の方が劉備より単純で支離滅裂ですけど。
ぶっちゃけて言っちゃうと、戦闘指揮官として三国時代では第一級で、それだけでのし上がったんですけど、
人物としては匹夫のようなもの…。(ファンの方ごめんなさい。でも私も呂布は結構好きなんです。(爆))

>きいわこさん
話題にはどんどん参加して下さい。
人数多いほうが私も楽しいですし。
儁不疑とか名前出し忘れた人もいますので、私は後戻りも大いに結構ですよ。


ごぶさたしてます 投稿者:きいわこ  投稿日:11月 5日(月)01時12分48秒

こんばんは。きいわこです。
最近は、ちょこちょこROMしておりました。話題に入ろうと思ったのですが、
人物品定めの時代がどんどん進んでいっちゃって、ついていけなくて・・・。
しかし、三国時代を過ぎたら、さらに私はついていけない・・・。

コラムを少し読みました。陳慶之さんって、南北朝時代の中でも、マイナーな方でしょうか?
永一さん、すごいです。マイナーな方の伝記をここまで調べて書いてしまうとは。
田中芳樹氏は、どこから、この人のことを知ったんでしょうね?(確かに史書に登場するのでしょうが)
普通だったら?オリジナルキャラを作るのでしょうが、史上のマイナーな人物を持ってきて
半ばオリジナルキャラにするというのは、すごいかも・・・
といいつつ、私、『奔流』を読んだことがありません。
梁山伯と祝英台が出てくるんですか? 私は、皇なつきのマンガのイメージで固定されているので
わりと平和な時代の悲恋物と思い込んでいます。

私は大昔に長崎に旅行しました。関帝廟も見たはずなのに、あまり記憶にありません(泣)
観光も、江戸時代以降、キリシタン弾圧、オランダ屋敷のイメージが強かったです。
でも、江戸以前の長崎の歴史も、おもしろそうですね。

http://www.page.sannet.ne.jp/keitanaka/


三国編その2 投稿者:かっしぃ  投稿日:11月 3日(土)18時46分38秒

>永一さん
こちらも間が空いてしまって申し訳ないです。
実は今月の仕事の予定がハードになってしまい、来月までは書込みのペースが落ちます。
土日のどちらかで週一回くらいにさせて頂きます。申し訳ありませぬ。

>あの時代で僕がいちばん贔屓にしてる人物は、魏武こと曹操!
はい、おっしゃってましたね。
でも私はどうもこの人のことがよく分からないんですよ。
好意を持ってはいるんですが、『正史』の注の中でよく一つのエピソードに対して複数の捉え方をされることが多いじゃないですか。
例えば呂伯奢(←字はうろ覚え)の一家を皆殺しにするエピソードとか。
多分、曹操と同時代の人たちでも、彼のことは風評が先に立って実物の曹操を捉えきれている人は少なかったような印象を受けます。
でも、実際に対面した人は、大抵彼の魅力に囚われてますな。例外は劉備ですか。
私が彼に好意を持つ点は、優れていることばかりじゃなく結構失敗したり思い悩んだりコンプレックスがあったりと
弱さが同居している点でしょうか。
減点になるのは、簡単に目の前の人間を殺してしまう事が多いところですかね。
先の書込みで『正史』ベースでと言いつつも『蒼天航路』を引き合いに出しますが、あの曹操はちょっとイヤですな。^^;

以下さらっと寸評しますが…、
田疇は見落としてました。読み直して驚き!
農耕ユートピアンってカッコ良すぎ!

賈クは嫌いな人は嫌いでしょうけど、私はこういう実利重視な割り切った人も結構好きですね。
曹操に降りはしても、「裏切った」ことは無い人だし。冷徹なる知謀は陳平に通じるものがあるように思いますな。

関羽は私、どっちかというと嫌いな人なんですよねぇ。
配下には優しかったそうですけど、あの倣岸不遜なところはちょっと…。
田中芳樹は彼を名将にしてましたけど、最後には呂蒙にしてやられるところとか、ちょっとどうかと思いません?
でも『演義』で善玉だからなぁ。
それで割り食っちゃったのが呂蒙なんですよね。
関羽の後方を襲った時に略奪を禁じたり、名将といわれるに相応しい行動も多いのに。
呉は周瑜・魯粛・呂蒙と傑物を多く輩出しているのに、尽く短命なのは惜しまれますね。
そういえば魯粛ですが、『演義』で劉備ともどもエセ君子かなにかのようにおとなしい性格にされてますけど、
『蒼天』の魯粛は私的には大ヒットでした。(^^)

…ちょっと時間が無くなったので分割します。今晩か明日また書込みますので、ちと失礼します。


残念ながら 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:11月 3日(土)13時01分46秒

>かふぇれぇちぇ♪さま
はじめまして。
うーん、ちょっと管理人の守備範囲外です。
役立たずで申し訳ない。m(_ _)m
趙匡胤とかフビライとか皇帝の肖像画はよくその手の本に出てる
んですが、作者名は確かに書かれてませんね。
台北故宮・北京故宮・北京歴史博物館…と所蔵しているところも
バラバラみたいだし、どうやって調べたものだか…。

朱元璋は3枚くらいありましたか。黒ヒゲのりりしい壮年天子と、
白ヒゲの温厚そうな老人と、険悪そうなやはり老人と。

対照的な肖像画というと…、徳川家康?(^^;)
いや、中国皇帝でほかにそういうのは存じません。

こういう芸術系含むの質問は、中国史MLか某故宮頁の掲示板か
(うちのリンクからたどれます)
なら回答が返ってきそうな気がしますが…。
どうしても知りたければ、そういうところで訊いてみてください。
もし訊く場合も、ウチで紹介されたなどとはチクらないようにお
願いします。(-_-;;


歴代皇帝肖像画 投稿者:かふぇれぇちぇ♪  投稿日:11月 2日(金)07時26分25秒

教科書などに載っている中国の歴代皇帝の肖像画は
いったい誰の描いたものなのでしょうか?
それぞれ違う人だろうと思いますけど、有名な絵描きなどが
いたのでしょうか?(閻立本?)
また、明の洪武帝の肖像画のように対照的な肖像画などは
他にもあるのでしょうか?
教えて下さい、おねがいしますm(_ _)m


だんだん変に 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:11月 1日(木)00時27分10秒

間が空いてしまいましたが、「中国史上人物の品定め(3)〜三国編」の
管理人個人意見に行きます。

僕もかっしいさんと同じく、『三国志演義』のイメージが抜けきってい
ないので、変なことをいうかもしれませんが…。

あの時代で僕がいちばん贔屓にしてる人物は、魏武こと曹操!です。
これは何度も言ってるので、知ってる人にはクドいかもしれませんね。
勇武と狡知とカリスマを兼ね備え、
武人としても政治家としても一流、雄壮な気風の詩人でもあり、諸家
に通じた合理的思想家、さらに兵学研究者でもあるという万能の巨人。
何でもできる人なのに、それでいて有為の人材を狩り集めないと気が
すまない人材フリーク。
それでいて、ときおり感情にまかせて暴走し、大コケしてしまうことも
あるという。かれの魅力を言いあらわす言葉がないです。(>_<)

というわけで、自分の趣好はかなり魏に偏ってるんですよね。
次ぎにくるのを列挙しますと、
目玉を食べた猛将・夏侯惇
漢と魏の間の忠誠に揺れた清流派・荀ケ
無節操だけど的中率100%軍師・賈詡
対呉戦の勇将・張遼
義士にして農耕ユートピアン・田疇

蜀漢の義絶・関羽
やはり名宰相・諸葛亮

三日会わざれば刮目して見る・呂蒙
直言してはばからず(ちょっと変人)・虞翻

ってとこでしょうか。
ほかにもおまけで思いつくとこ挙げると、
王允・呂布・孔融・袁尚・曹植・ケ乂・陸抗・曹爽
ここまで来るとかなり変なのが出てきますね。(^^;)


旅でくたびれ仕事でくたびれ 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:10月30日(火)00時22分11秒

管理人の長崎・平戸行のひとこと感想です。(主要なとこのみ)

☆唐人屋敷跡
鎖国が完成した後、在日中国人が押し込められたあたり。
住居は残っていなくて、廟堂なんかがいくつか残ってる。
そのひとつ天后堂は、媽祖さんが祀られてるとこなんだけど、
正面右には関帝さん(関羽)が…、お約束の関平・周倉も左右に
控えておりました。これがもしかして長崎の関帝さんなのでせうか?

☆長崎市出島史料館
出島も今や陸の中ですが、いろいろ建物が復元されて資料が展示され
てます。これはボリュームありました。
ざっと見てまわって1時間半つぶしましたから。
鎖国時代の在日オランダ人は、不自由な中で優雅な生活をしてたんだ
なあと、感慨深く思いました。

☆孔子廟(&中国歴代博物館)
真正面に孔子サマが、左右に顔回・子路・子貢ら72人の賢人の石像が、
迎えてくれる孔子廟です。
孔子の弟子の石像は、姓名で書かれてるので10人くらいしか分からなか
ったなあ。字で書かれてたところでたいして変わらないだろうけど。(爆)
(情けない、これでも中国史サイト管理人だよ)

孔子廟付属の施設に中国歴代博物館があって、これは中国史ファンは一見の
価値があります。故宮文物と古代文物の二部に分かれています。北京故宮や
中国歴史博物館の文物が貸し出されていることもあって、質はなかなか高い。
まあ量的にはいつぞやの故宮展や中国文明展に出ていた数よりやや少な目です
が、常設展示ってのはツボです。
個人的に面白かったのは、こないだ話にも出た後漢の科学者・張衡の製作した
と伝えられる渾天儀や地動儀の復元模型。(^^;)

☆平戸城
平戸って遠かったね。JR長崎駅から色々乗り継いで片道3時間。
しかも田舎町だ〜。南蛮貿易の利権を長崎に奪われてすたれたのだね。
(平戸市のみなさん、ごめんなさい。管理人は暴言モード中です)
でも平戸城は現存する天守閣のある城の中では、すごく立派な部類です。
城は結構見て回ってる管理人が断言します。
山鹿流兵法で築かれた唯一の城だそうで。

☆松浦史料博物館
NHK大河「北条時宗」でも出てきた松浦党。
その一系統の平戸松浦氏は、倭寇と関わったり、
南蛮貿易で儲けたりして、戦国大名としてのし上がった。
江戸時代も平戸を拠点に大名として生き残ってたりする。
ここでは3万点の資料を所蔵しているそうだが、見たのはごく一部。
でも、松浦氏、平戸藩、交易関係の史料や書画工芸の文物などおいしいものが
多かった。

>かっしぃさま
『後漢書』翻訳情報ありがとうございます。
やはり汲古書院から出ますか。噂の大東文化大学グループ翻訳。
18万ですか…岩波の2倍弱。
もうそれなりの図書館か専門研究者か財産のある好事家かを対象として
いるとしか言えない値段ですね。
万年金無しのわたくしゃにゃ無理です。

「中国史上人物の品定め(3)〜三国編」は、今晩・明晩はダメです。
その次の晩にでも。


タレコミ 投稿者:かっしぃ  投稿日:10月29日(月)19時38分11秒

かっしぃです。
中国関連書籍のメールマガジンで気になる情報をゲットしたので報告です。

> 先日、岩波書店から『後漢書』の訓注本が刊行され始めましたが、今度は汲古書院か
>ら『全訳 後漢書』(全18巻)が刊行されます。国立歴史民俗博物館蔵の上杉本を底本
>としているとのこと。こちらは、原文・注釈すべての現代語訳を掲載する。価格は1冊
>10,000円程度です。

漢文の素養がないから『全訳』は魅力的なんですけど、合計で18万とは…。


ハードぢゃった 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:10月28日(日)18時38分15秒

管理人(永一)です。
長崎から帰ってきました。いやいい街ですね。
異国情緒豊かで、歴史を感じさせて。
「日本初の〜」、「〜発祥の地」って石刻・立て看がやたらとあって、
整備の行き届いた(いや自己主張の強い)観光地でしたねえ。(^^;)

純粋に観光目的だったのですが、ハウステンボスとかオランダ村とかは
今回行きませんでした。
今回行ったところを列挙すると、
(長崎市)
☆眼鏡橋☆唐人屋敷跡☆新地中華街☆長崎市出島史料館☆孔子廟☆中国
歴代博物館☆グラバー園☆大浦天主堂☆平和公園☆原爆資料館☆浦上天
主堂☆日本二十六聖人殉教地☆長崎県立歴史民俗資料館
(平戸市)
☆平戸城☆松浦資料博物館☆オランダ商館跡☆平戸観光資料館
ってところですか。
いつもに増して濃かったですね。
歴史(日本史&中国史&東西交流史)がらみのスポットだらけでした。
おかげでお疲れ〜ですが、同時にホクホクしてもいます。

疲れが取れたら、明日にでも二、三箇所くらい紹介してみようと思います。


陳慶之ばなし 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:10月24日(水)21時47分25秒

風邪は治ってないんですが…、管理人です。
明日(25日、木曜)から、私用で長崎に行って来ます。
中華街にも行く予定(ってそれだけか?)
28日の日曜までいませんので、その間は掲示板の管理もメールの対応もできません。
(まあ、管理人いない間でもご来訪、カキコは自由にしていただいて結構なんですが)

お詫びといっては何ですが(-_-;)
ちっと長文(でも未完成)のコラムをアップしときました。
一部のかたがたに過大な期待を抱かれていた「陳慶之」の話。
知られざる名将の正体とは…なんて大したものではありません。
酒の肴にでもして下さい。

http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/


いえいえ 投稿者:かっしぃ  投稿日:10月23日(火)18時31分12秒

>永一さん
>僕の意見は一週間くらい待ってもらえませんか?
了解しました。
では今のうちに、『隋唐帝国』を読み切っておきましょう。
予習しとかないと、隋唐編では唐初以外は殆ど名前が出て来なさそうですから。^^;

お体と白い粉末にお気を付けて。


ごめんなさい 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:10月23日(火)01時18分07秒

管理人(永一)です。
申し訳ないですが、風邪ひいちまうわ、仕事&仕事以外がちと忙しいわ、
木曜には長崎に行く予定だわと、とても掲示板管理に集中できません。
「中国史上人物の品定め(3)〜三国編」も、僕の意見は一週間くらい待って
もらえませんか?m(_ _)m<(特に)かっしいさん

レスも以下最低限で失礼しますが。
>Kayさま
>私の鶏肋
王充や張衡はおいしいかも知れないとか思いつつ、自分ではあまり調べていなかった
りしますが。(自分とこの事典に書いた程度しか知らない)
おもろそうな学者ではありますね。

>戦国時代のとき、復讐談がらみの人物がたくさん出てきてふと思いました。

というか、司馬遷がそういう話が好きで、とくに書き残されたのと違うかなあとも
思いますが。刺客列伝とか游侠列伝とかわざわざ作る人ですから。

>石野陽虎さま
いい加減なことを書き飛ばしてすみません。
それでいて目上の人に「師匠」などと呼ばれては立つ瀬がありません。
穴にでも入りたい。(>_<)

HPの更新ができない問題は、WEBサーバ側の容量の不足で解決したようですが
http://village.infoweb.ne.jp/~yamamott/
で「forbidden」表示が出てしまう理由が分かっておられないご様子。
石野さんのところのトップページ(表紙)の絶対パスは、
http://village.infoweb.ne.jp/~yamamott/index.htm/index.htm
なんでしょうね。
「index.htm」ディレクトリの中にindex.htmファイルやnanchuka.htmファイルがある。
けど「~yamamott」ディレクトリの中にindex.htmファイルまたはindex.htmlファイル
がないから「forbidden」表示が出てしまうのでしょう。

>少なくともPC用語としては「階層」といった意味で使われているのではないでしょうか?

どうもちょっと違うようです。
僕が下手なこというとさらにまたドツボにはまりそうですので、PC用語事典みたい
なものを参照していただいたらと思います。(逃)

>かっしぃさま
>特に姜維はベタ惚れですね。

ああ〜僕にとっては、姜伯約君はその戦争屋的特質のために大減点対象だったりします。
嫌いなほうに挙げるというほどではないんですが、
かれの滅法な北伐はあまり実際的とは思えません。
かえって鐘会と組んで事を起こそうとした挿話が面白く感じてしまう。
うーん、お気を悪くされたらすみません。

>もとからあの性格なのに六国を滅ぼして中国を統一するなんて、ちょっと考えられないんで
>すけどねぇ。

これは〜、秦王政(始皇帝)一代で、七分の一勢力(秦)が残りの七分の六(六国)
を滅ぼして統一を成し遂げたわけではないですからね。少なくとも秦王政の祖父の
昭襄王(&白起)のころには、秦は他の六国を圧倒する覇権国家でした。もしかした
らそれ以前の恵文君(&張儀)や孝公(&商鞅)のころ以来の既定の路線だったとも
いえなくもない。始皇帝の覇業は、その既定の路線を踏み外さなかっただけというこ
とも言えます。
そういう意地悪な見方は別として、秦王政は偉大だったが、皇帝になってダメになっ
たって考えもありうると思いますよ。梁の武帝・蕭衍とか唐の玄宗・李隆基とか、
人生の前半と後半がまるで別人みたいな君主もいますし。


中国史上人物の品定め(3)〜三国編 投稿者:かっしぃ  投稿日:10月22日(月)21時09分02秒

書込む前にちくまの『三国志(正史)』を読み返して色々確認していたらハマってしまって、
これじゃいつまで経っても書込めそうも無いので、とりあえず贔屓の人物を挙げようと思います。

とその前に、私、後で『正史』を読んだとは言え最初に読んだ『三国志演義』のイメージが抜けきらず、
他の時代との比較ができないでいます。感覚的に中国史から独立してしまっているんですよね。
知識が偏っているのが原因なのでしょうが、途中で変なことを言うかもしれませんので先に断っておきます。
なるべく『正史』ベースでお話しようとは思ってますが。

で、私の贔屓は姜維と孫策です。
特に姜維はベタ惚れですね。先に上記のようなこと言っときながら、『演義』で刷り込まれたんですけど。(笑)
『正史』を読むと、「プライベートに面白味の無いヤツ」とか「ただの戦争好き」とか酷評も思い浮かぶのですが、
清廉で公正で実際的と、やっぱり私好みの人物です。
最後に鐘会と一緒に殺されちゃうのは私的に原点対象なのですが、剣閣で自殺とかしても部下に対する責任放棄だし、
彼の置かれた状況を考えると原点するより同情してしまいます。
その影響で、彼と同時期の蜀将(張翼とか張ギョクとかリョウ化とか)には好意的。
孫策は周瑜とセットでお得な感じです。(笑)
彼の成功は戦った相手が弱かっただけのような気もしますが、父から受継いだ地盤は脆弱なものでしたし、
短期間で江東を席捲したのはやっぱり凄い。
性格も闊達で、『正史』を読んで益々好きになった人物です。

あとは次点にはなりますが、とりあえず列挙。
曹操、張遼、ケ艾、魯粛、呂蒙、陸遜、諸葛亮といったあたりです。
あまり奇抜なところは出てきませんねぇ。
他には人物よりも単発の逸話で挙げると、陸抗と羊コの心温まる交流とか、蔡文姫の苦労の多い人生とか、
劉備と簡雍の会話とかでしょうか。

>永一さん
>えっ?王翦の話には続きがあって、〜
あっ、いや、言葉足らずでした。
李信を起用して失敗したのを素直に認めて、王翦に頭を下げたところを想定してました。
あと個人的に、始皇本紀を読んで始皇帝はあとから意図的に悪く書かれた部分が多いような気がしたのです。
彼がおかしくなるのは、始皇帝になって神仙にはまってからではないでしょうかねぇ。
もとからあの性格なのに六国を滅ぼして中国を統一するなんて、ちょっと考えられないんですけどねぇ。

>武帝の視線の先には、王朝とか王権とか儒教とかは見えてたか
>もしれないが、民衆があまり見えてなかったのではないかと思えるん
>です、自分には。
それは私も同意見ですよ。
王安石の「一民の生、天下に重し」に惚れてる私としては、ちょっと価値観が違うようです。

>Kayさん
土日にサイトを拝見させて頂きました。
や〜、すっかり光武帝のファンになってしまいました。
仕事人間じゃないのがポイント高いです。私的には中国史で三本の指に入る名君かと。
彼の配下では先にも挙げましたが、やっぱり馮異が好きですねぇ。

>中期は、孫ピンの逆に竈跡を増やした知将虞[言羽]、唯物論者の王充、〜
やや、列挙して頂いてありがとう御座います。
Kayさんが挙げて下さった中では、私は蔡倫しか知りませんでした。

>戦国時代の人の感覚は私たちとは違いますよね。
そうなんでしょうかねぇ。私は基本的に、そんなに変わらないんじゃないかと思ってますが。
ただ、時代を反映して孟嘗君のような特殊な人が多く世に出ただけなんじゃないかと思います。
親を殺されたと言うならともかく、背の低さを笑われただけですしねぇ。

復讐礼讃の気風自体はあったと思います。
でも、孟嘗君の行動が史書に書き留められたと言うことは、やっぱりそれが「異常」だったからじゃないかと。

>あっ、でも、アメリカ人なら同意するかも。怖いなあ‥‥‥
全くです。アメリカ基準で悪いことになったら、いきなり空爆されちゃうんですねぇ。
基準を適用されるのはアメリカじゃないのに。

>石野陽虎さん
はじめまして、かっしぃと申します。サイトのほうにはこれから窺わせて頂きます。
是非石野陽虎さんの御贔屓の人物も教えて下さい。


お師匠さま 投稿者:石野陽虎  投稿日:10月21日(日)22時58分47秒

懇切なご指導を受けながら、理解の悪い不肖の弟子石野です。
>どうもディレクトリには「階層」って意味はないそうです。
そうですか。でも、英語本来の語義はどうであれ、少なくともPC用語
としては「階層」といった意味で使われているのではないでしょうか?
今日更新したパソコン日記では、無断でお師匠の指導内容を引用して
しまいました。お許しくださいませ。
>WEBサーバーにindex.htmという名のディレクトリが存在する?ことの
>奇妙さを僕よりうまく説明できるかたがおられればよいんですが…。
日記の(47)で書いたのですが、1000ものサイトが載っているガイドブックで、
htmの後にスラッシュのついたアドレスの人間が私一人とわかった時の気恥ずかしさ
ときたら・・・・・
私も永一さんから教えていただくまで、まったく気付きもしませんでした。

→Kayさん
はじめまして。お名前はよくお目にかかっています。
Kayさんが書名をあげておられたので、「積ん読」だった『東洋的古代』
読むきっかけができました。ありがとうございます。
>戦国時代の人の感覚は私たちとは違いますよね。
宮城谷氏の『孟嘗君』を読んでいる途中で気になったのは、氏があれだけ孟嘗君を
称揚していて、この逸話をどう描くのか、ということでした。
結局、司馬遷が「せつ」の地に恨みがあり、そこを代表する孟嘗君に腹いせをする
目的でこんな逸話(事実ではなく、後世の創作)を『史記』に載せたのだ・・・という
見解でした。ちょっと牽強付会ちゃうかなあと思いました。

→かっしいさん
>宮崎市定先生という人は本当に凄い人ですねぇ。
同感です。独創的だし、学術的だし、それでいて(明治の人なのに)文章が
若々しくて。

http://village.infoweb.ne.jp/~yamamott/index.htm


私の鶏肋 投稿者:Kay  投稿日:10月18日(木)20時36分12秒

 どうも変だと思ったら、あいさつを忘れておりました。
 かっしぃさん、はじめまして。Kayです。こんな感じでサイトを作っています。いつまでたっても完成しません。(笑)

http://www2.justnet.ne.jp/~kays/s-china.htm

●私の鶏肋
 後漢建国期だと、よくわからないが偉いケ禹、恐怖の殺戮マシーン呉漢、無敵の名将にて名医の耿[合/廾]、美貌の名将祭遵、脳みそが単純な猛将馬武とかが惜しい。このあたりは私のサイトに解説があります。
 もちろん友達になるなら、ケ禹がいい。きっと、カウンセラー&精神科医になってくれるでしょうから。
 中期は、孫ピンの逆に竈跡を増やした知将虞[言羽]、唯物論者の王充、水車送風による鉄器工場をつくった杜詩、筆記用の紙の発明者蔡倫、地震計を作った自然科学者張衡‥‥‥張衡と蔡倫は切手になってますよね。後漢は科学技術の幕開け時代といえるかもしれません。

 さかのぼって、王莽も棄てがたい人物なのかも。王安石&王莽で、「偉大なる改革者・二王」と呼ぶ人もいるそうです。王莽はニセモノっぽいけどなあ‥‥‥

 戦国時代のとき、復讐談がらみの人物がたくさん出てきてふと思いました。
 戦国時代の人の感覚は私たちとは違いますよね。孟甞君が、ある村でその背の低さを笑われたとき、その村を皆殺しにしますが、あれって「美談」なんですよね。
 報復することは正義、復讐礼讃、「恥を返さぬものは人にあらず」ですか。あっ、でも、アメリカ人なら同意するかも。怖いなあ‥‥‥


癒し系路線ってのもありか 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:10月18日(木)00時31分34秒

書き込みがたまってますねえ、あわわ。
いつも亀レスの管理人です。

>Kayさま
>そっか‥‥‥これって好きな人物の大会でしたっけ。

いや、贔屓の人物を適当に挙げているだけですから、
interestでも充分ですよ。
別に統計やランキングを取っているわけでもないですし。
むしろ変わった見方を紹介していただいたほうがありがたいです。

>悪の秘密結社みたいだ。地下一階の秘密のバー「趙高迷」に集結する悪の面々‥‥‥

「貴様らこれが馬に見えないか〜!滅秦興趙〜っぷ」
とか、机を拳で叩いて演説する人物がいたりして…。(^_^;)

>かっしぃさま
>武帝の皇帝としての資質も努力の量も並々ならぬ物でしょうが、それが時宜を得ていない

すみません。
武帝について、なんかミョーに激越で辛辣な口調になってました。
まあ、武帝の資質も努力も成果もすごいものだと思いますよ。
それまで民力休養・消極策でやってきたのだから、その反動として国
権を伸張したってとこは時宜を得ていたかもしれないです。
でも、武帝の視線の先には、王朝とか王権とか儒教とかは見えてたか
もしれないが、民衆があまり見えてなかったのではないかと思えるん
です、自分には。

>王翦とのやり取りは、先入観さえなければ、自分の非を認める度量ある若者に見えますし。

えっ?王翦の話には続きがあって、王翦は60万の軍勢を預かった後、
猜疑心の強い秦王に疑われるのを恐れて、報償をたびたび催促すると
いう芸の細かいことをやらざるをえなかったりとか。
『史記』を見るかぎりでは、秦王政を好青年として捉えるってのは、
なかなか難しい気が。

>昔読んだ本宮ひろ志の『赤龍王』のビジュアルが悪いのかなぁ。

(~o~)
懐かしいものを思い出しました。
オシロイ塗ったくった性悪お公家みたいな顔してましたね。

>私は次に行こうかと思いますが、いかがでしょう

そうですね。僕も後漢はあまり思いつかないです。
中国史上人物の品定め(3)〜三国編に行きますか。
後漢末から三国の鼎立、晋初も可とす。
さっそく書きたいとこですが、ちょっと今晩はパスさせて下さい。
 
>光璧さま
リンクありがとうございます。
「疲れた耳と心が洗われる」とは、またいいフレーズを考えてくださ
いました(^^;)
「枕流」は、本来「偏屈者・ガンコ者」の意だったんですが…。
本気で癒し系サイトを目指すのもいいかもしれない、うん。
どうかみなさん、うちのサイトで癒されてください。
ただし、管理人は酒気帯びのまま掲示板に登場することが多いですし、
疲れはてて猛毒を吐くこともあるので、
毒消しかキアリーの呪文を用意しておくことを強くオススメします。

>アキさま
はじめまして。

>清朝の雍正帝に惚れこみまして、卒論のテーマにまでしてしまいました。

雍正帝ですか、しぶいテーマですね。
管理人はそれこそ宮崎市定『雍正帝−中国の独裁君主』(中公文庫)
しか読んでないので、その辺はお役に立てそうもないですが。
中国でもTVドラマ化されて、けっこうな人気が出たとも聞いてます。

>先行の研究から脱却した独自の視点を日々模索中。

卒論って、先行の研究を超えなきゃいけないものですか、やはり。
管理人もむかし書いたけど、史学じゃなかったし…参考になることが
言えそうもありません。
ここは一発、市定先生の論に喧嘩売ってみるとか。
無責任に煽ってるだけですが。


初です。 投稿者:アキ  投稿日:10月17日(水)12時40分02秒

初めまして。いきなり飛び入りしてすいません。
大学4回生で、中国史をやっております。清朝の雍正帝に惚れこみまして、卒論のテーマにまでしてしまいました。しかし、やはり歴史学・・・すごいすごいでは論文になりません。(当たり前ですが。)先行の研究から脱却した独自の視点を日々模索中。と、同時に史料読解・・・。どなたか漢文のスペシャリストさんはいらっしゃいませんか〜?(愚痴(T_T))しくしく・・・
すみません。それにしても、市定先生は皆さんお好きなんですね〜。私も全集を何冊か読みました。偉大な方だな〜と、つくづく思います。
いろいろと愚痴ってしまいました。また、覗かせていただきます(^o^)丿


リンク貼り終りました 投稿者:光璧  投稿日:10月17日(水)06時20分56秒

永一さん、御無沙汰しております。
この度は私のホームページにリンクを貼って頂いて、有難う御座いました。

それで、すごく遅くなってしまいましたが、今日ようやくこちらからも
リンクを貼る作業が完了しましたので御知らせに上がりました。
御待たせして申し訳ありません。また、御時間の有る時にでも
紹介文など確認して頂けると、助かります。

http://ha6.seikyou.ne.jp/home/anmt/home/


後漢は知識不足 投稿者:かっしぃ  投稿日:10月16日(火)20時38分28秒

土日はちょっと遠出していたので、間が開いてしまいました。

>永一さん
>僕にはへたな愚帝よりたちが悪いとしか見えませんよ。
確かに、どれだけ努力しても報われないということが世の中にはあります。
武帝も本人は良かれと思って努力していたのでしょうが、良かれと思う基準が武帝個人の視点で終始していたように思えますね。
武帝の皇帝としての資質も努力の量も並々ならぬ物でしょうが、それが時宜を得ていない為に悪い方へ作用したという点では、
殷の紂王や明の崇禎帝と似てますな。
私的には、個人的に付き合うのはOKでも、上司にはしたくないタイプです。
だって、確証がなくてもとりあえず決断しちゃいますから。

>まあ始皇帝が、以後の「中国」を規定する大きな枠組みを作った点は評価
>すべきでしょう。でも個人的好悪感情では、「悪」が先立つのはいかんと
>もしがたしです。
征服事業を推し進める秦王政は、中々好青年な所も見せてますけどね。
王翦とのやり取りは、先入観さえなければ、自分の非を認める度量ある若者に見えますし。
でも、尉繚が「信用ならねぇ」と言って逃亡しようとした(捕まりましたが)所を見ると、
彼の態度はわざとらしかったのかも知れませんね。(^^)

>西安事件の張学良氏が亡くなったらしいですね。
数日前から危篤状態で、家族が生命維持装置を外すようお願いしてたとか。
正直、50年前の人物の名前を聞いても、なかなか実感が湧きませんね。
やっぱり本の中の人物として捕らえてしまいます。

>Kayさん
はじめまして、かっしぃと申します。
ここにはよく出入りさせて頂いております。今後とも宜しくお願いします。(__)

>『東洋的古代/宮崎市定』を読んで趙高をイチオシになってしまいました。
なーんか記憶にあるなと思ったら、少し前に立ち読みしてました。
で、今日も本屋で立ち読みして、趙高の所と、滑稽列伝の優孟の項を読みました。
更に改めて『史記』を読み直して、成る程、明の魏忠賢あたりとは同じ宦官でもちょっと違うかな?
…と思わないでもないんですが。やっぱり好きにはなれないなぁ。何でかなぁ。
昔読んだ本宮ひろ志の『赤龍王』のビジュアルが悪いのかなぁ。「馬鹿」のエピソードも良くないなぁ。
と思ったら、

>趙高が好き? って言われると確かに違います。
>favorite でなく interest です。断じて love ではありません。(笑)
なのですね。ちょっと安心しました。(笑)
そうですねぇ、味がいいのは解るんだけど、どうしても近づけない趙高のようなタイプ。
…く、「くさや」ですか?

私的にこのタイプに入るのは、呂不韋や李斯でしょうか。
特に呂不韋は不倫で名高いですが(笑)、『呂氏春秋』をちらっと眺めた感じですと、
この本を編纂した人がそんな低俗な人とは思えなくなります。
宮城谷さんが小説にしましたが、なんとなく共感しちゃいましたね。

それにしても、宮崎市定先生という人は本当に凄い人ですねぇ。
本屋で立ち読みしながら目から鱗が落ちました。
歴史学者とはかく在るべしとお説教されてるような心持ちになりました。


さて、前回「鶏肋」をもう少しと言いましたが、悲しいかな、無い袖は振れません。(泣)
後漢で三国志関連が無しとなると、あとは「跋扈将軍」と「外戚と宦官がたくさん」ぐらいしか思い浮かびません。
ここはより博識な方に一言ご教示頂いて(図々しいですが)、私は次に行こうかと思いますが、いかがでしょう、永一さん。


最後の大物逝く 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:10月15日(月)20時07分17秒

西安事件の張学良氏が亡くなったらしいですね。
戦中派の最後の大物が退場したということになりますか。合掌。


恐怖の趙高迷 投稿者:Kay  投稿日:10月15日(月)19時28分03秒

> 兄弟といっしょに宦官になった
そうですね、ここは「皆」を削除ということで。

そっか‥‥‥これって好きな人物の大会でしたっけ。
なんというか、凄い人物という意味で挙げてみました。
趙高が好き? って言われると確かに違います。
favorite でなく interest です。断じて love ではありません。(笑)
趙高ファンって、言葉のひびきだけでも不気味だなあ。(^^;)
悪の秘密結社みたいだ。地下一階の秘密のバー「趙高迷」に集結する悪の面々‥‥‥


今後ともお見捨てなくm(_ _)m 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:10月15日(月)18時34分14秒

>石野陽虎さま
リンクありがとうございました。
紹介文読みましたが、褒めすぎですよ。(^^;)
量はともかく、質は全然レベル高くないです。<うちの人物事典
大チョンボを書いて平然としていたことが幾度あったことか。

>新しいファイルが転送できなかったのは、どうも容量不足が原因だったようです。

そっちが原因でしたか。
気を回しすぎましたね。

>ディレクトリの件はもう少し勉強してみます。

いい加減な思いこみをクダクダ書いてしまいましてすみませんでした。
それから、どうもディレクトリには「階層」って意味はないそうです。
「記録簿」という意味だそうで。これも思いこみで、すみません。m(_ _)m
でも、石野さんのHPアドレス
http://village.infoweb.ne.jp/~yamamott/index.htm/
で、僕が気になって指摘した部分は、それとは別にやはり妙です。
WEBサーバーにindex.htmという名のディレクトリが存在する?ことの
奇妙さを僕よりうまく説明できるかたがおられればよいんですが…。

>宮崎市定先生(別に習った訳でもないが、ついこう呼んでしまう)は、礪波護教授が
>いて、ほんと幸せだなあって思います。

それは確かに。
礪波氏がいなければ、人物往来社本の復刊だけで終わった気がします。
あそこまでたくさん文庫化することはなかったでしょうね。


リンク完了しました。 投稿者:石野陽虎  投稿日:10月15日(月)00時12分57秒

いろいろお世話になっています。やっとこリンクできました。
恥ずかしい話ですが、新しいファイルが転送できなかったのは、どうも容量不足が
原因だったようです。今日調べたら、なんと2キロバイトしか残ってませんでした。
5Mバイト増やす契約変更をしたら、バナー画像含む新しいページが転送できました。
ディレクトリの件はもう少し勉強してみます。

>故・宮崎市定さんは、いつも新鮮な視点を提供してくれるので好きです。
も、
>中公文庫のシリーズが絶版にならないうちに早く揃えようと思ってます。
も同感です。しかし、『遊心譜』も新たに刊行されたり、岩波現代文庫でも
刊行されるなど、大した勢いだと思います。絶版の心配はしばらく大丈夫かな?
歴史学の権威でありながら、文章自体がいきいきしていて、読んで面白いですからね。
それにしても、宮崎市定先生(別に習った訳でもないが、ついこう呼んでしまう)は、礪波
護教授がいて、ほんと幸せだなあって思います。


さまざまな視点 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:10月14日(日)21時19分23秒

郵便の中から炭疸菌って事件も、洒落になってないなあ。
郵便屋としては敏感にならざるをえない…管理人です。

久しぶりに小野不由美『十二国記』の古いのを読み返してたら、
むかしは軽く読み流していたところに幾つか新たな発見をしてしまいました。
官制の基本は周制なんですねえ。天官・地官・春官・夏官・秋官・冬官とか。
井田制なんて農制も出てくるし。
十二国の世界って崑崙なんじゃないかとも思えました。小説の中ではひとこと
もそんなこと書いてないけども。世界の中心に西王母がいるし。
中華風ファンタジーとしては、傑作の部類です。読み返すほど味が出るっての
も、軽薄なのが多い日本の架空世界小説には珍しいと思う。

>かっしぃさま
>班超は、武を志しながら兄を助ける優しさがあったり、反骨的でありながら
>最後は故郷に帰りたがったり、

たしかに。班超は寡をもって衆を撃つ勇猛ぶりが強調されがちですけど、
彼の一生には何やら弱さや疎外感やもの悲しさがつきまとってますね。
文人一家の異端児や西域経略の英雄というだけでは語り尽くせない複雑な
性格がひそんでますね。

>ただ武帝については、私はそれほど嫌いじゃないですね。

いや僕も、武帝が凡百な皇帝たちでは及びもつかないくらい責任感というか
使命感があったことは否定しません。
ですが、南越を滅ぼし匈奴を北に逐い大宛に遠征してまで国威を輝かせた結
果に、彼が国内にもたらしたものは何でしょう?
国庫の窮迫と増税と酷吏の跋扈と商業活動の弾圧、黄河の氾濫を二十年も放
っておくような無思慮な内政でしかありませんでした。
僕にはへたな愚帝よりたちが悪いとしか見えませんよ。

>秦王政のファンだったら理解できます。
>始皇帝になる前の彼なら、純情青年の復讐物語として読める気がする。(^^ゞ

なるほど。そういう視点はなかったです。
だけど純情なのかなあ?(^^;)
むしろ、我執や対人不信だらけで、ひずんでる気がする。
彼の出生(司馬遷が書いたことがホントかどうかは知らず)や人質時代は
同情に値するのかもしれませんし、ヒネくれてもしかたがないとは思いま
すが…。それを原動力にして征服や復讐をやったといわれても、美点とし
て数える気がしないんで…。

まあ始皇帝が、以後の「中国」を規定する大きな枠組みを作った点は評価
すべきでしょう。でも個人的好悪感情では、「悪」が先立つのはいかんと
もしがたしです。

>Kayさま
どうも、中国史MLや某掲示板ではお世話になってます。
飛び入りは遠慮なくやってください。<他のかたも

> 『東洋的古代/宮崎市定』を読んで趙高をイチオシになってしまいました。
> 趙の王族だったそうです。趙の滅亡とともに家族は皆殺しとなり、趙高自身は
>幼い子供だったので、宮刑となり命は助けられたのだそうです。

『東洋的古代』は未読なんですが、
故・宮崎市定さんは、いつも新鮮な視点を提供してくれるので好きです。
いまちょうど『隋の煬帝』を読んでいたりします。
中公文庫のシリーズが絶版にならないうちに早く揃えようと思ってます。

趙高というのも意外ですね。
↓のほうで、僕も嫌いな人物に挙げてしまっていますし…。m(_ _)m
『史記』の蒙恬列伝やその系統の日文本しか読んでないので、好きになる
のはまず不可能でした。
『東洋的古代』では、そんな紹介が書かれてましたか。これまた新鮮。

家族は皆殺しって、蒙恬列伝本文では兄弟といっしょに宦官になったみ
たいに書いてますが。三家注でも読めば別のことが書いてあるのでしょ
うか?


飛び入りしていいですか? 投稿者:Kay  投稿日:10月13日(土)10時51分57秒

 と、形だけ聞いて割り込んでしまいました。(笑)
 私は当然、光武帝を推すのですが、もう一人、趙高を推したいと思います。ケゲッ、と思いますか?
 『東洋的古代/宮崎市定』を読んで趙高をイチオシになってしまいました。
 趙の王族だったそうです。趙の滅亡とともに家族は皆殺しとなり、趙高自身は幼い子供だったので、宮刑となり命は助けられたのだそうです。
 おそらくは才能があり将来を属目された高貴な少年だった趙高の、人生の崩壊と長い悪夢の始まり。始皇帝と秦、殺戮の実行犯(?)たる蒙氏と李氏への復讐、そして趙の復活を心に誓う趙高。
 彼は死の直前、胡亥を殺した後、自ら皇帝に即位します。これは自らの復讐の完成宣言なのだとか。
 考えてみれば、秦と始皇帝を大悪人と設定すれば、それを打倒した趙高は英雄なんですよね。彼には後漢の宦官たちのような快楽をむさぼる様子はありませんし、実際に有能で、項羽や劉邦よりずっと秦打倒に貢献している。漢代には、趙高の物語──もう一つの『趙氏孤児雑劇』が流布していたらしいです。

 『趙公子復讐記』ってのは、本一冊書けるネタだと常々思っています。漢代の市での講談の風味を残したものが書けたら面白いなあ。哀しい狂気の物語。もの凄く泣ける話ができそうな気がする。


中国史上人物の品定め(2) 投稿者:かっしぃ  投稿日:10月12日(金)22時44分23秒

>永一さん
>確認しましたが、これは逆です。
あああ、申し訳ありません。ついうろ覚えのままで書き込んでしまいました。
私も本を読み返して赤面しているところです。(T_T)

>やっぱり太公望のことはよく分かってないのでしょう。
>本当に彼が営丘に封ぜられて斉の国祖になったのかどうかも
>考古資料としてあるわけではないようですし。
それを言うと、ほとんどの諸侯がよく分からん状態じゃないかと。
私の印象としては、周の初め頃の歴史は永一さんもおっしゃったような考古資料との食違いが多くて、結構眉唾ではないかと感じます。
孔子サマの編纂した著作も、どうなんでしょうねぇ。さすがにあの方が曲筆したとは思いませんけど…。
この時代は考古資料が期待できるので、今後の新発見に期待ですね。

>鶏肋というやつですか。取るのも大儀だが、捨てるも惜しい。
そうそう、そんな感じです。(笑)

>さて、「中国史上人物の品定め(2)〜秦漢篇」に行きましょうか。
>高祖(劉邦)・陳平・衛青・司馬遷・宣帝(劉詢)・光武帝(劉
>秀)・楊震を挙げておきます。
あ〜、ほとんどかぶってます。
入り繰りがあるとしたら、劉邦と衛青を抜いて班超と馮異を入れるくらいでしょうか。
劉邦と衛青は「鶏肋」です。(笑)
班超は、武を志しながら兄を助ける優しさがあったり、反骨的でありながら最後は故郷に帰りたがったり、
人間的な弱みや強がりがなんとなく垣間見えるあたりが好きですね。
完璧な人よりも矛盾した感情が同居している人の方が、魅力的というか安心できると言うか。
馮異はやっぱり「大樹将軍」のエピソードでしょう。

>僕は項羽より劉邦派だし武帝より宣帝派なのですね。
これは同感ですね。でも項羽と劉邦はどっちもどっちかも。
武帝と宣帝では、やっぱり宣帝を庶民派として捕らえてしまうので、贔屓しちゃいますね。
ただ武帝については、私はそれほど嫌いじゃないですね。
欠点は多いし、家族に対して非情な振舞いも多いですけど、
皇帝としての責任は(彼なりにですが)放棄したことが無いように見受けられるので。

>陳平なんか挙げてしまいましたが、昔は張良のほうが好きだった
>んですよ。いつの間に彼の謀略のとりこに。やられた(>_<)。
私は陳平も張良も好きですが、やっぱり陳平が上に来ますね〜。私もやられたクチです。

>衛青は、ぼんぼん(霍某)より苦労人がいいって。
これも同感。ただ衛青は今一つ奴隷根性が抜けきらないというか…。
いや、言葉が悪いですね。ファンの方ごめんなさい。(__)

>こだわり一徹の男として司馬遷。
>珍しく頑固なまじめ男として楊震。
司馬遷の自伝は涙無しでは読めませんな。でも言ったモン勝ちっていうことがあるから、少し慎重ですけど。
でも、「辛酸を舐めたものでなければ大事業は成し遂げられない」という意味の彼の言葉は耳に残ります。
楊震はやっぱり「四知」のエピソードにつきますね。
あの台詞、カッコ良すぎ。

>こんどは秦の人物がいないなあ。
う〜ん、私も誰かいないかと思って『史記』を読み返してるんですけど、なかなかこれはと思う人がいないですねぇ。
始皇帝は皇帝になってから全然魅力無いですし。

>中国史サイト見てると、始皇帝ファンは意外と多いらしい。
>僕には信じられない〜。
そうですか? 確かに始皇帝のファンはちょっと考えられないですけど、
秦王政のファンだったら理解できます。
始皇帝になる前の彼なら、純情青年の復讐物語として読める気がする。(^^ゞ

さて、「鶏肋」をもう少し挙げておきたいので、もう一度書き込みます。
『史記』をもう少し読み返しながら。
実は『漢書』持ってないので心もとないですけど。


修正報告 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:10月11日(木)19時09分05秒

管理人です。
デコードサービスが切れていたので乗り換えました。
「訪問者登録」「史的唯漫論」ともにこれでうまく動作すると思います。
別館のほうはまた今度いじります。

長らく気づかなかったんで、管理人失格ですね。


中国史上人物の品定め(2) 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:10月10日(水)01時11分12秒

>かっしぃさま
>『古代中国』だったかで、周の武王が商の紂王を討った時の論功行賞で彼の名前が出て
>こないなんて書かれてませんでしたっけ。

確認しましたが、これは逆です。
貝塚茂樹・伊藤道治『古代中国』(講談社学術文庫)p214では、
「史料には、武王が殷を破ったときの功臣の一人に、師尚父の
名があらわれるにすぎず」と書いてます。

やっぱり太公望のことはよく分かってないのでしょう。
本当に彼が営丘に封ぜられて斉の国祖になったのかどうかも
考古資料としてあるわけではないようですし。
瑠璃河鎮の燕国遺跡が出て、召公奭を国祖としている
『史記』燕世家の記述が、どうやら不正確らしいと分かってる
くらいですし、斉世家の書いてることもどこまで正確やらしれ
ません。でも、太公望が人方や東夷ならぬ「莱」と戦ったこと
が、斉世家には書かれてますし、西周の東方進出をめぐるなん
らかの史実を背景にしているくらいはいえそうですね。
そういや、西周の東進や異姓諸侯の封建については、『古代中
国』p248-252あたりに、たしかに書いてますね。

>鄭の子産・秦の王セン・秦の商殃・楚の屈原・高ゼン離(ケイカの友人)

鶏肋というやつですか。取るのも大儀だが、捨てるも惜しい。
いや、たとえが悪すぎました。(^^;)
子産や王翦は僕もいいと思いますねえ。

さて、「中国史上人物の品定め(2)〜秦漢篇」に行きましょうか。
取りあえず三国志にからむ後漢末は除くということで。

管理人の贔屓の人物は、
高祖(劉邦)・陳平・衛青・司馬遷・宣帝(劉詢)・光武帝(劉
秀)・楊震を挙げておきます。

皇帝になった人を3人も挙げてしまいました。
いずれも庶民性や愛らしい欠点があって、そこらが魅力をもつ人
たちですね。
僕は項羽より劉邦派だし
武帝より宣帝派なのですね。
陳平なんか挙げてしまいましたが、昔は張良のほうが好きだった
んですよ。いつの間に彼の謀略のとりこに。やられた(>_<)。
衛青は、ぼんぼん(霍某)より苦労人がいいって。
こだわり一徹の男として司馬遷。
珍しく頑固なまじめ男として楊震。

こんどは秦の人物がいないなあ。

おまけとして、袁盎・司馬相如と卓文君・郭解・李陵と蘇武
をプラス。
横山光輝『史記』で出っ歯がプリティーに描かれた袁盎。
愛がすべて?駆け落ちカップル司馬相如&卓文君。
義侠のやくざ親分として郭解。
中島敦「李陵」で泣かせる李陵&蘇武。

ちなみに嫌いな人物は、始皇帝・趙高・武帝(劉徹)くらいかな。
ファンのかた、またまたごめんなさい。m(_ _)m
中国史サイト見てると、始皇帝ファンは意外と多いらしい。
僕には信じられない〜。

そういえば、別の掲示板で韓信が好きとかリップサービスした
ことを思い出した(爆)。見てたらごめんなさい。<武州紫さん


夜半鐘声 投稿者:NAGAICHI Naoto  投稿日:10月 9日(火)02時00分48秒

予想通りとはいえ、空爆はじめてしまいましたね。<アメリカ
テロの原因究明・捜査・容疑者の逮捕・法による処断etc.はやらにゃなりませんが、
アフガン空爆は筋違いだし、問題解決に寄与しないと言っておきましょう。
日本政府はさらに間が抜けてます。やろうとしていることは、戦争参加そのものな
のに、ろくな議論も覚悟もなく、甘い見通しのまま自衛隊員を危険にさらそうとし
てます。

>かっしぃさま
すみません。今晩は更新だのメール打ちだのなんだのしてるうちに
すっかり眠たくなってしまいました。もーだめ長文書けません。
明晩にでも。「中国史上人物の品定め(2)〜秦漢篇」に行きましょう。

>石野陽虎さま

早くはないでしょう。
自分で言い出したことですし。
余談はメールにて書きましたので。


すばやい! 投稿者:石野陽虎  投稿日:10月 9日(火)00時28分35秒

さっそくのリンク、ありがとうございました。

こちらの方も、ぜひとも早いうちにリンクさせていただきますので、
しばらくご容赦を。

http://village.infoweb.ne.jp/~yamamott/index.htm/


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